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夫が亡くなったことにコメントいただいた方々お返事できなくてスミマセン🙇命日から20日となりました。最初の手術の予定ならそろそろ退院してる頃かな?5・6時間で終わるはずの手術を待合室で待つこと22時間色々なチューブに繋がって手術室に入ったのに出てくる時は何も繋がってない麻酔から目を覚すことなく逝ってしまいました。夫自身が1番「何で?」って思ってるかな?落ち込む間も無く通夜・葬儀葬儀後のご挨拶まわりけんぽから国保に切り替え年金や保険の手続き各種名義変更やら
死別後か人と関わらなかったことで分かった事死別後、元コミュ障の私にとって、関わる人が一気に減ったことはとてもラッキーだったことの1つです。夫の死の事を聞かれたくもないし、言いたくもない。そんな私は、とにかく人とかかわることを極力避けました。その当時は、それで無駄に傷つくことを減らせていたと思います。ただ、自分の近しい人、つまりは親族関係ですが、そういう人との関りは簡単に断ち切ることができませんでした。近しいがゆえに土足で境界線を越えてきて、自分の行きどころの
こちらの続きです。『実家の母の話②』母には悩みがあります。それは、父が自分の資産について母に教えないこと。資産と言うと大袈裟ですが要するに母は父がどの銀行に口座を持っているのかどんな保険に入って…ameblo.jp私の言葉に、母がどうして分かるって言うの?と言うので夫が突然帰らぬ人になったことをこの人は忘れてしまったのかな?と思いだって、◯◯くんは急に亡くなったから…と言うと◯◯くんは、事故じゃないと言います。事故と病気は違う、と言いたいらしいです。そこから急に夫の
この週末山奥の広大な敷地に建つ観音温泉の旅源泉かけ流し大浴場のお湯は飲用可門の左横にミーアキャットが二匹お迎え敷地内に11匹の猫ちゃんがいるそうですお目にかかったのは正面玄関に鎮座するシーちゃん微動だにしないので置物かと初日は踊り子号のハプニングで大幅に遅れ宿に到着普段歩き慣れていないせいか、私の人工膝関節と太ももはガクガク大浴場とお部屋の露天風呂のお陰で翌日の歩行は12000歩😀コロナ禍で予約していた観音温泉二回もキャンセル行っておけば良かったと後悔まさか夫と愛犬
交通事故で亡くなった夫は別の病院で司法解剖されることになり、遺体が戻ってくるのは翌日夜との事だった。亡くなったのは日曜日の未明。遺体が自宅に戻るのが月曜日夜。木曜日は友引。友引にお葬式は出来ないので火曜日お通夜→水曜日告別式または木曜日お通夜→金曜日告別式の選択肢。こんなコロナ渦で、人が密集しないよう通夜、葬儀は家族葬で、ということになり、別日で一般弔問を行うことに。結果、水曜日一般弔問木曜日親族のみで通夜金曜日親族のみで告別式という流れになった。なので、ゆっ
夫が交通事故で亡くなったあの日のこと夫は飲み会のお誘いがあると必ず「行って来ていい?」とLINEしてきた。ダメと言っても行くのだろうからその度に私は「はい」とか「了解」とか返事をしていた。でもなぜだろう?あの日はそれを既読スルーした。「はい」とは言わなかった。それでも時間になると夫は出かけていきそして帰らぬ人となった。その日飲みに行ったことをあまり快く思っていなかった私は父親の帰宅時間を尋ねる息子に「どうせ遅いでしょ」と嫌味を言っていた。翌日、次男が家を出るのが
突然のことでしたある日の夜息子から夫の元カノからDMが来たんだけどあいつは大丈夫なのか?というLINEが来たそのDMは「お父さんが朝会社に来ず、連絡が取れないと連絡が入りました。大丈夫ですか?何か知ってますか?」という内容だったどうやら昨年夫と別れた不倫相手の女性がSNSを辿って連絡を入れてくれたらしいあいつは女癖は悪いがそういうところは真面目なのでこれは絶対に何かある!と思ったまず浮かんだのは自◯でも、その元カノに振られたのはもう1年以上前のこととりあえず夫の携帯
自分の気持ちが変わらないうちに行動を起こす事にしたネットで分骨や散骨の事を調べてみたら、散骨には2ミリ以下にまで粉骨しないといけないらしい自分でもやろうと思えば出来るらしいけど、私には到底出来る気がしない…今の私には葬儀の時の記憶はあまり残っていないただただ悲しくて、式の最中もボーッと夫の遺影を見つめていた気がする周りからは「立派に喪主を努めていたよ」と言って貰ったけど、喪主の挨拶とか本当に私がやったっけ?と思う程記憶がないそんな曖昧な記憶の中でも、夫が火葬の炉に入って扉が閉まる瞬間
配偶者が亡くなると一週間休暇をもらえる子供達の学校も同じだった。ウチの場合、亡くなってから告別式まで期間が長かったので、金曜日のお葬式が終わって週末を過ごすと翌週から子供達は学校へ行った学校で辛い思いをしたりしないか何か言われたりしないか少し心配だったが、どちらの息子もお友達に恵まれ特に嫌な思いはしていないようで安心した私は、と言うと上司と同僚のお言葉に甘えもう一週間お休みをいただいたこの一週間で色々やれる手続きをやっておこうその前にやるべき事を列挙する
夫はとても忙しい人で、平日は大抵午前1時過ぎ土日も出勤が多く彼が早くに亡くなるなら過労死だろうと思っていた。私達は共働きだけど夫がそんな風なので家のこと子供のことは私が任されていて家計も私が管理夫は我が家にいくら貯金があるかも分からない状態子供達の成績もよく知らず学校へ出す提出物など書くのは全て私、PTAの役が回ってくれば大きなお役も全て私そんなわけで、私は常日頃から不満だらけだった。夫は自分の仕事に集中できて帰ったらご飯が出来ていてアイロンもかけてあって
病院からの電話で、急いで義両親に電話し、子供達を起こし、病院へ向かおうとするとピンポーン。出ると警察官の方が二人。夫が交通事故にあった事、ひき逃げだったことを聞いた。外を見てびっくり。規制線がはられ、パトカーが何台もいた。物々しい雰囲気だった。とにかく今から病院へ行くと言うとくれぐれも気をつけてと言われる。三人で病院へ向かうと義両親はすでに到着していて呼ばれるまで一緒に待った。やがて呼ばれて、部屋へ入ると夫らしき人がベッドで横たわっていた。あぁ、良かった!そう思っ
息子の幼児返り②ここのところ、息子の様子がおかしい。『おとうさんしんだ』これはわかっているらしい。最近、まだまだわたしにべったりな状況が続いています。『息子の幼児返り』息子の幼児返り夫が死んでからのこの3週間、息子の幼児返りが激しいです。中学1年生になる息子は、ダウン症です。精神的な年齢としては、5歳位のように思います。(去…ameblo.jpそんな、わたしが、息子に言われていちばん辛いこと。『おとうさんいつげんきになる?』お父さんはね、元気にならないんだよ。死んだんだ
主人が突然亡くなって、今5年と10ヶ月。逢いたい気持ちを今は諦めて…と言うより、それはとてもとても諦め切れる想いではなく、だから心の奥の奥に押しやって、どこか封印するかのように生きてます。あの頃のように苦しくて苦しくて、居ても立っても居られないような気持ちとは今は違うけど、それでもその想いが一たび湧き上がってくると、それは無性に懐かしくてたまらなくて、逢いたさがどうしようもなく募ってしまう、愛しさでいっぱいになってしまう瞬間…そうなります。どんなに願っても、何をしても絶対にこの世で
夫が亡くなった時、二週間仕事を休んだ。来週から復帰、という時に人事課での諸手続きのために出社しお香典を下さった各課の知り合いに挨拶に回った。ある方が「大丈夫?」と聞いて来たので少し考えてから「大丈夫じゃないです」と答えた。その時のことを彼が別の人に聞き方を間違えた、と話して、気にしていたと教えてもらった大丈夫?と聞かれた時に大丈夫じゃなくても大丈夫ですって答えるのが正解なのかな大丈夫じゃないですって言うと相手に気を遣わせてしまうのかなでもね、大丈
私の夫さんが亡くなった話は、しましたと思います。アメブロを休み中にはスタンドエフエム(ネットラジオ)の方で配信しておりました。冷たい雨が続く3月、やはり雨ばかりの4月。気温が「夏日」でも、我が家は寒く、底冷えがし、ストーブをつける毎日です。きょうはさすがにストーブは止めたけど、冬用の上着を着てひざ掛け替わりにもう一枚膝に。悪霊でも住んでいるのかという、底冷えの我が家です。この家からも出たいです。で、「夫ロス」と生活の変化と体調が悪い(眼鏡が3年間合わず
おはようございます。こちらは曇りです。朝の天気予報によると、今日までは雨の心配はしなくて良さそうです。『水曜日に思うこと④』おはようございます。またまた水曜日がやって来ました。『水曜日に思うこと③』おはようございます。また水曜日が来ました。先週から続いているトラブルはまだ解決して…ameblo.jp水曜日ですね。色々考えてしまいます。夫は、50代前半で、自ら旅立ってしまったのですから、世間一般的には「早死に」となると思います。不可抗力でなく、自ら、、、ですからね、「ふざけるなよ!」
長男が中学生だった頃、部活は○○部(運動系)だった。部活以外にも、地域のクラブに所属していて、市内での大会があった。『夫の死を言えない私』ある日の土曜日、子供達を連れて、少し離れたスーパーへ買い物に行きました。子供達と、何買おうか〜?などと買い物をしていると、「あ、Iさん!お久しぶり〜」と、長男…ameblo.jpここでも書いているが、長男も次男も同じ幼稚園だったが、幼稚園は自宅から割と遠く、幼稚園の同級生はほぼ、小学校も中学校も学区が別だった。この大会で、幼稚園の同級生もその部活をやっ
#コロナワクチン1回目6日後真夜中2時半夫が突然倒れて救急隊員が到着し横になってすぐに脈が触れない状態になったその間私は寝ている子供達を起こして良いか迷っていた高校生と中学生の2人迷った私は近くに住んでる実母に電話して「夫が倒れた今から病院に一緒に行くから家に来て子供達といて欲しい」とお願いした午前3時前母は寝ていたが私からの電話で起こされてまだ内容が理解できていないようだった「わかった、明るくなったら見に行くよ」と言った母は私の言う「倒れた」がそんな状
夫の死について誰一人私を責める人はいないでも私は、二ヶ月経った今でも私が夫を救えたはずと考えてしまう。いつも飲み会へ出かける時は私が送迎することはなく誰かに迎えに来てもらったり自力で行ったり帰りはタクシーだったりとにかく私をあてにしない私も帰りを気にすることなく自由にお風呂に入り自分のタイミングで先に寝ていたでも、あの日、もしも夫の帰りを少しでも気にしていたら?いつ帰る?と聞いてもう歩いて向かってるよと返事が来たらなかなから帰ってこない夫を気にして電話し
もうすぐ恐怖のGWがやってくる。また月命日がくる…何回目だろう。最近だんだん夫の影が薄まっていくようなそんな変な違和感を感じることがある。悲しいのにこんなに苦しくなるのにどこかでこの悲しみに慣れてきている自分もいてああ、自分はもう何か月夫と会っていないんだろう。会えないことに慣れたくない…なのに…こないだ、ふと夫の口癖が口をついて出た。あー、これいつも言ってたな。久々に聞いたな。え?1
#コロナワクチン1回目6日後夫が救急車で搬送された私も救急車に同乗したが子供達は乗る事ができず真夜中暗闇の中玄関前に2人佇んだままだったその姿を見ながら救急車は動き出した大きくクルクルと点滅している赤いライトと救急車の中の小さい白いライトが暗闇の中で怖いくらいに光っているように感じサイレンの音も救急車の中で聞くとさらに不気味な気がした真夜中なので車はほとんどいなくスムーズに走っていたと思うでも走るスピードが物凄くゆっくりに感じて救急車の音だけが早く感じる
ある日の土曜日、子供達を連れて、少し離れたスーパーへ買い物に行きました。子供達と、何買おうか〜?などと買い物をしていると、「あ、Iさん!お久しぶり〜」と、長男とも次男とも幼稚園が同じ同級生のママであるM山さんに声をかけられました。(幼稚園は少し遠かったので、小学校の学区が違う)「お久しぶりです。」M山さんが「あれ?今日はパパいないの?いつも一緒のイメージなんだけど笑」咄嗟に「今日、仕事なんだ」M山さん「パパによろしくねー」その後も、夫と出会った会社の先輩が、近くまで来たから、と連絡を
夫は1年ほど入院をしていました。家に帰りたいと思っていた夫。だから夫の遺骨は、家に一緒にいます。無宗教の我が家。義母さんがキリスト教の為、亡くなる直前に急遽キリスト教徒になった夫。だから遺骨には十字架が。葬儀はドタバタしたものの心のこもった良いものになったので、わたしとしては結果満足です。きっと夫も苦笑いしていることだと思います。話はそれましたが…そんなこんなで夫は家にいます。かなりの存在感で。遺影と遺骨をみんなが見えるように1階の床の間に場所を作りました。夫に
思春期の男の子の気持ちがわからない。どう接して良いのか分からない。夫の仏壇に夜な夜な話しかける。「幽霊になって出てきて!!私、これからどうやって良いのか教えて。」毎晩お願いしても、出て来てはくれない。私には霊感もない。夜中の2時とか3時に不意に目が覚めると、突然不安になり、夫の死のフラッシュバックが始まる。倒れる3分前、あと3分したら自分は倒れてそのまま…とは思っていなかっただろう、倒れるその瞬間まで、何を思っていたかな?最後に見えた景色は何?突然倒れる…私も明日倒れるかもしれな
夫が亡くなってから朝起きてから夜寝るまでずっと夫のことを考えている。睡眠時間があるから正確にいうと24時間ではないけれど私的には24時間夫のことを考えているような感覚。テレビを見ても音楽を聴いてもどこかへ行っても何か食べても誰かと会っても全て夫に結びつき夫との思い出に想いを馳せる一緒にこんなこと話したなここではこんなことしたな変な話、仕事中でも頭の半分は夫のことを考えている正確に言うと考えてしまう、というのが適切かな。夫が生きていた時はもちろんそんなこと
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
我が家の高校生二人はあまり似てなくてどちらかと言うと長男は私似、二男は夫似だと思う。それでも目が違うので瓜二つというわけではないと思っていた。夫が亡くなって夫の私物をとりに会社へ行った時会社の方達が次男の事を夫にそっくりだとおっしゃっていた。他人から見るとそうなのかな?くらいに思っていたけど先日、二男の寝顔を見ていた時目を閉じていると鼻の感じ、まつげの長さ額から目にかけての感じ夫にそっくりだと気がついた。高校生になって、もう大人と同じ顔の大きさだから急
我が家は四人家族。なので、常に四等分する癖がついていた。ホールケーキは四つに切るパックのお刺身も四皿に分ける餃子を焼いたら4分の1ずつ食べる子供が大皿料理のおかずを「これいくつ食べていい?」と聞くと、夫はいつも「好きなだけ食べていいよ」と言っていたけど、私は「家族4人でしょ。考えて食べて」と言っていた。買い物する時も四人で分ける前提で買っていた。でもこれからは家族三人。いつものペースでは買いすぎてしまう。夫は牛乳が大好きだったので、毎回二本買っていたが夫がいな
先週、息子達のインフルエンザの予防接種のため小児科を訪れた時のこと小さい頃からお世話になっている先生も看護婦さん達も夫の訃報をご存知で行ったらすぐに受付で「大変だったね…」「頑張ってね…」などと声をかけられた。注射の前に先生と話した時に「◯◯家だから、耐えられる試練を神様が与えたんだと思うよ」と言われた。それは一見褒め言葉のような気はするけど全く嬉しくなく言葉を返せば私と子供たちがこの悲しみを乗り越えられなさそうならこんな試練は与えられなかったという事にな
世間の目が怖い。夫は交通事故で亡くなっていて当時、新聞やニュースでも報道されたので近所ではちょっと有名だ。なので、外へ出て近所の方と会うのがちょっと嫌だ。勝手にあの人のご主人まだ40代なのに事故で亡くなってお気の毒にまだお子さんも小さいのにみたいに思われてる気がして、世間の目が怖いでも仕事もしているし買い物とかいかないわけにもいかないし極力出たくないけど出ざるを得ない。そして運悪く知り合いに出会ってしまったらつい、気がついてませんよというフリをする