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夫が亡くなったことにコメントいただいた方々お返事できなくてスミマセン🙇命日から20日となりました。最初の手術の予定ならそろそろ退院してる頃かな?5・6時間で終わるはずの手術を待合室で待つこと22時間色々なチューブに繋がって手術室に入ったのに出てくる時は何も繋がってない麻酔から目を覚すことなく逝ってしまいました。夫自身が1番「何で?」って思ってるかな?落ち込む間も無く通夜・葬儀葬儀後のご挨拶まわりけんぽから国保に切り替え年金や保険の手続き各種名義変更やら
夫の葬儀を行った葬儀場は家から歩いて行ける距離ご用達のスーパーへ行く途中にあって横を通る度あの日を思い出す1分でも1秒でも側にいたくて離れたくなくて棺の中の顔をじっと見てた今、目の前で寝ている夫が明日には小さな箱の中に全てが入ってしまうのが怖くて目を開けて欲しくて嘘だって言って欲しくてただただ棺の中の夫を見つめていたお通夜が終わって親族だけになって笑いながら過ごしてお線香あげ続けてみんな寝たあと棺の中の夫と私と2人きりになったねえ、って声かけて
ある日の土曜日、子供達を連れて、少し離れたスーパーへ買い物に行きました。子供達と、何買おうか〜?などと買い物をしていると、「あ、Iさん!お久しぶり〜」と、長男とも次男とも幼稚園が同じ同級生のママであるM山さんに声をかけられました。(幼稚園は少し遠かったので、小学校の学区が違う)「お久しぶりです。」M山さんが「あれ?今日はパパいないの?いつも一緒のイメージなんだけど笑」咄嗟に「今日、仕事なんだ」M山さん「パパによろしくねー」その後も、夫と出会った会社の先輩が、近くまで来たから、と連絡を
私がブログを始めようと思ったのは旦那さんの自死を経験した中で感じたことや、現在までの歩みをアウトプットしたいという気持ちが出てきたから。そしてそれをシェアすることで、家族や近しい人、愛する人を亡くして今苦しみの渦中にいる人の心に、同じ道を通った者としてほんの少しでも寄り添うことができたら、と思っています。旦那さんが自死した後のことから書いていきます。亡くなった直後のことはかなり強烈な描写になります。それは別の機会に書くことにします。旦那さんの死後、遺体は検死のため警察に引き取られました。
母の苦しみ5/2発売の週刊現代”A医師スクープ”のページを仏前に供え、「ジィちゃん、この記事を読んでると思うねん」と母。母にとってこの1年4ヶ月は、自分の病気の回復に努め、夫の死を受け止めようと苦しみ、ひとりの生活に慣れるために努力した毎日だったと思います。肩関節内注射により化膿性肩関節炎となった母は敗血症状態で入院、2回の手術に、厳しいリハビリをすることになり、結局父親とは父が亡くなる3ヶ月前に離れ離れになって以降、1度も会うことなく、死別することになりました。
2024.1月夫の突然死あまりにも突然で正直、初七日までの記憶がほとんどないでも嫌な思いのみが昨日の事のように頭に残っていて…あの日あの時そして今に至るまで忘れない内に文字で残そう時間を重ねていくうちに薄れゆく記憶がきっとあるこれからの事も忘れたい忘れたくない葛藤しながらブログを書いていつかの自分の為同じ境遇にある方や読んでくれている方に何かしらの役に立つかもしれないいや、立たないのかもしれないわからない意味がないかも続けれるのかも不明でも書いてみる
死別後か人と関わらなかったことで分かった事死別後、元コミュ障の私にとって、関わる人が一気に減ったことはとてもラッキーだったことの1つです。夫の死の事を聞かれたくもないし、言いたくもない。そんな私は、とにかく人とかかわることを極力避けました。その当時は、それで無駄に傷つくことを減らせていたと思います。ただ、自分の近しい人、つまりは親族関係ですが、そういう人との関りは簡単に断ち切ることができませんでした。近しいがゆえに土足で境界線を越えてきて、自分の行きどころの
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫は友人が少ない(と本人が言っていた)年賀状のやり取りもそれほどなく葬儀は火葬のみでほぼ親族亡くなった知らせは喪中はがきその知らせで連絡を下さる方もいらっしゃった名前だけは知ってるけどお話したことがない方もお電話い
この週末山奥の広大な敷地に建つ観音温泉の旅源泉かけ流し大浴場のお湯は飲用可門の左横にミーアキャットが二匹お迎え敷地内に11匹の猫ちゃんがいるそうですお目にかかったのは正面玄関に鎮座するシーちゃん微動だにしないので置物かと初日は踊り子号のハプニングで大幅に遅れ宿に到着普段歩き慣れていないせいか、私の人工膝関節と太ももはガクガク大浴場とお部屋の露天風呂のお陰で翌日の歩行は12000歩😀コロナ禍で予約していた観音温泉二回もキャンセル行っておけば良かったと後悔まさか夫と愛犬
先週、息子達のインフルエンザの予防接種のため小児科を訪れた時のこと小さい頃からお世話になっている先生も看護婦さん達も夫の訃報をご存知で行ったらすぐに受付で「大変だったね…」「頑張ってね…」などと声をかけられた。注射の前に先生と話した時に「◯◯家だから、耐えられる試練を神様が与えたんだと思うよ」と言われた。それは一見褒め言葉のような気はするけど全く嬉しくなく言葉を返せば私と子供たちがこの悲しみを乗り越えられなさそうならこんな試練は与えられなかったという事にな
夫が亡くなった後様々な手続きをしなければなりません。病院、葬儀、役所、学校、生活費などなどキリがないくらい襲ってきます。失意のどん底にいても母子で生きていくためには夫のいない新しい人生を歩んでいくためには必要な事ではありますが心身共に傷を負ってボロボロの状態でやらなきゃいけないのはとても残酷な手続きばかり何かにつけて戸籍謄本だの住民票の除票だの夫が亡くなったという証明書を求められるのは夫の死という現実を目の前で見せつけられることだからです。手続きをする度に「夫
私のとても信頼する、そして尊敬する大好きなブロ友さんです。今朝のブログが、その気持ちがわかり過ぎて…リブログさせていただきます。主人が突然亡くなってここまで来る中で、私もどれだけそんな事を言われたかな…でもそう、今現在の私はmasaさんとここも同じで、ここまで時間が流れたせいか少し落ち着いて?ちょっと違ったふうにも受け止められる…なんとか流せる方向にも気持ちがなって来たのかもしれないとは思う。でもほんと、私だったらとても生きていけないと思う…とか、言われたことは忘れないかなぁこ
夫の交通事故の判決言い渡しがされた。検察の求刑通り懲役3年ただし5年の執行猶予付きつまり彼は今日から自由の身になった五年間、罪を犯さなければ三年の実刑もなかったことになるこれが私の夫の命の重さ飲酒運転だったけど逮捕されたタイミングで飲酒量は少ないとみなされ危険運転致死ではなく過失運転致死おそらく過去の判例から考えると適当な判決なのだろうと思うでも日本の法律は犯人に対して甘すぎやしないだろうか夫の命を軽く見過ぎじゃないだろうか私は納得がいかないけど検察が控訴
本日を持ちまして、ブログの定期更新を終了します。公言する必要もないのですが、一度ご挨拶をして区切りをつけたいと思います。私は50代で死別しており子供も孫も居ます。30代、40代で死別された方や20代という方もおられます。ワンオペ育児をされてる方もいます。その方々からしたら、そこまで生きられて幸せだと思われるでしょう。お子さんのいらっしゃらない方は子供や孫が居て幸せだと思われるでしょう。死別と言っても、それまでの経緯や現在置かれている環境や状況は違います。暮らしぶりも。
交通事故で亡くなった夫は別の病院で司法解剖されることになり、遺体が戻ってくるのは翌日夜との事だった。亡くなったのは日曜日の未明。遺体が自宅に戻るのが月曜日夜。木曜日は友引。友引にお葬式は出来ないので火曜日お通夜→水曜日告別式または木曜日お通夜→金曜日告別式の選択肢。こんなコロナ渦で、人が密集しないよう通夜、葬儀は家族葬で、ということになり、別日で一般弔問を行うことに。結果、水曜日一般弔問木曜日親族のみで通夜金曜日親族のみで告別式という流れになった。なので、ゆっ
思春期の男の子の気持ちがわからない。どう接して良いのか分からない。夫の仏壇に夜な夜な話しかける。「幽霊になって出てきて!!私、これからどうやって良いのか教えて。」毎晩お願いしても、出て来てはくれない。私には霊感もない。夜中の2時とか3時に不意に目が覚めると、突然不安になり、夫の死のフラッシュバックが始まる。倒れる3分前、あと3分したら自分は倒れてそのまま…とは思っていなかっただろう、倒れるその瞬間まで、何を思っていたかな?最後に見えた景色は何?突然倒れる…私も明日倒れるかもしれな
夫のカルテを知人の看護師に見せたことがある病院に着いた後の夫の最期が知りたくてカルテから何かわからないかと思って私は詳しいことはわからないから私でもわかりやすく説明してくれたその説明の中で「亡くなる前に苦しむと高くなる数値が夫のは少ないからきっと苦しまずにスッと眠るように亡くなったんだよ」と言われたずっと考えていた夫が苦しいままだったら辛いままだったら夫の最期、夫は何を思ったのか目を閉じる瞬間幸せだったか知人の言葉は私のことを思っての言葉だったのかもしれない
こちらの続きです。『実家の母の話②』母には悩みがあります。それは、父が自分の資産について母に教えないこと。資産と言うと大袈裟ですが要するに母は父がどの銀行に口座を持っているのかどんな保険に入って…ameblo.jp私の言葉に、母がどうして分かるって言うの?と言うので夫が突然帰らぬ人になったことをこの人は忘れてしまったのかな?と思いだって、◯◯くんは急に亡くなったから…と言うと◯◯くんは、事故じゃないと言います。事故と病気は違う、と言いたいらしいです。そこから急に夫の
ごんぎつね、という話をご存知ですか?夫が亡くなってから私の身を案じた友達が入れ替わり立ち替わり差し入れを持ってきてくれた。最初の頃は、ご飯を作る元気がないだろうとスーパーのお弁当やパンやおにぎりなど。やがて、果物だったり野菜だったり、高級食パンだったり、みたらし団子だったり、お菓子だったり手作りスープだったりカツ丼だったり。ピンポンしてくる時もあればそっと玄関先に置いてあったりドアにくくりつけてあったり。ごんが兵十のためにせっせと栗を置いて行ったように。そん
夫が亡くなってしばらくして初めて夢で出会った夫はガラス張りの部屋の向こうにいた。なぜか隣にはお坊さんみたいな人がいて夫はとても悲しそうな顔をしていた私達の間にはガラスがあるので言葉を交わすことはできないそんな夢だった二度目に夢で会った時はなぜか家の玄関で私は夫に触れることもできてあったかい、あったかいって喜んでいた私が病院で会った夫はもう冷たかったから二度目の夢の中で私たちは会話もできたけど明け方夫の映像が固まって目が覚めたそして昨夜、三度目の夢を見た夫
私は生きているので誕生日しかない。夫は誕生日と祥月命日がある。夫の誕生日は来月。夫の祥月命日は再来月。毎年、夫の誕生日が来るたびに思う。小さなカットケーキをお供えして、ビールをお供えして…お誕生日おめでとう。。。え?おめでたいのかな?もう、歳を取らない。何と表現して良いのか分からないが、変な気持ちになる。おめでたいのだけれど…、なんか違和感。生きていたら、どんな風になっていたかという想像すら出来ない。だって、貴方は37歳から歳を取らないから。遺影の中で微笑んでいる。この世に生を
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
よく、亡くなった人が側にいてくれるのを感じる瞬間があると聞きますが…今日息子と一緒にユニクロに買い物に行った時のこと息子が買おうかなと思っていた服のLサイズがちょうど残り一枚で試着した後、他の服と迷っている間に他の方がカゴへ入れてしまいました。それはそれで仕方ないので他の色にするか、別の服にするかあと見本でハンガーにかかっていたのもLだったので、まぁ、それでもいいかなんて考えていたら…その方がふと戻ってきてカゴからそのLサイズを棚へ戻したんです。私達の目
#コロナワクチン1回目6日後夫が救急車で搬送された私も救急車に同乗したが子供達は乗る事ができず真夜中暗闇の中玄関前に2人佇んだままだったその姿を見ながら救急車は動き出した大きくクルクルと点滅している赤いライトと救急車の中の小さい白いライトが暗闇の中で怖いくらいに光っているように感じサイレンの音も救急車の中で聞くとさらに不気味な気がした真夜中なので車はほとんどいなくスムーズに走っていたと思うでも走るスピードが物凄くゆっくりに感じて救急車の音だけが早く感じる
夫が亡くなって二週間後仕事に復帰した。お香典をいただいた方たちには復帰前に一通りご挨拶したけどみんな、何と言ってよいやら、という感じ。突然の事で…大丈夫…?びっくりしました…ご飯食べてる…?かける言葉が見つからない様子確かに逆の立場だったらなんて励ましたらいいか私も分からない仕事中もずっとダンナさんのことを考えてしまう半分仕事のこと半分ダンナさんのことこんな調子では大きなミスをするんじゃないかと心配になってしまう。初日、なんとか勤め上げ帰りに車に乗った
リアルタイムの記事です。10月1日は四十九日でした。法要も終えパパはお空にのぼっていったのかな?初めの頃はアドレナリンじゃないけど、なんかずっと寝てなかったとか非日常だったとか色んな理由があって夫がいなくなったことを実感できてなかった気がします。でも日が経つにつれいつもの生活に夫がいなくて、ほんのささいな事を共有出来ないことで夫の死を実感する事が多くなり、寂しさがどんどん積み重なってきました。子育てや仕事の両立がしんどくて、主にやっぱり子育てかな
アメトピに掲載頂きました。私のblogは、いわゆるキラキラblogでもないですし、有益な情報がある訳でもなく(むしろ、フォロワーさん達のコメントで、教えて頂く事が多く助けて頂いています)したくはなかったけれど、兄の事故、長男の難病、次男の不登校、夫の死、ははの介護問題…一通り経験してもしも、同じような事で苦しんでいる方がいるなら、1人でも良いから、何か力になったり、寄り添っていきたい。最初は、義両親があまりにひどくて、備忘録としてblogを始めましたが、今年からは、上記したように、誰かの役
#コロナワクチン1回目6日後夫が亡くなり警察で検死されている間ネットで見つけた葬儀屋に電話をした家に来てもらい警察への迎えから葬儀、火葬、繰上げ法要までのことを色々決めた一気に色んなことを決めなければならない花も、人も、場所も、時間も、飲食も…全く寝ていないので葬儀屋さんとの話し合いはほぼ上の空だったように思う頭がクラクラしているのに興奮してる状態パンフレットを見ながら決めるでも正解がわからない言われるままなんとか一通り決め細かい変更は随時、ということで一旦
主人が突然亡くなって、今5年と10ヶ月。逢いたい気持ちを今は諦めて…と言うより、それはとてもとても諦め切れる想いではなく、だから心の奥の奥に押しやって、どこか封印するかのように生きてます。あの頃のように苦しくて苦しくて、居ても立っても居られないような気持ちとは今は違うけど、それでもその想いが一たび湧き上がってくると、それは無性に懐かしくてたまらなくて、逢いたさがどうしようもなく募ってしまう、愛しさでいっぱいになってしまう瞬間…そうなります。どんなに願っても、何をしても絶対にこの世で
我が家の高校生二人はあまり似てなくてどちらかと言うと長男は私似、二男は夫似だと思う。それでも目が違うので瓜二つというわけではないと思っていた。夫が亡くなって夫の私物をとりに会社へ行った時会社の方達が次男の事を夫にそっくりだとおっしゃっていた。他人から見るとそうなのかな?くらいに思っていたけど先日、二男の寝顔を見ていた時目を閉じていると鼻の感じ、まつげの長さ額から目にかけての感じ夫にそっくりだと気がついた。高校生になって、もう大人と同じ顔の大きさだから急