ブログ記事2,622件
写真は夫の初診から闘病中、そして夫が天国へと行ってからの私のメモ帳。これを開いて読むのは辛いけど、このブログを書くにあたって、私の失われた記憶がここに記載されているので、このメモ帳をたまに開いてブログを書いている。夫が亡くなり初七日を終え、私はクリニック閉業に向けて動き回った。先ずは全患者さんへ、院長の死去、クリニック閉院のお知らせと今までクリニックに足を運んでくださったことの感謝の言葉を入れ、送付した。その後の患者さん達からのお手紙やお供えの花が毎日届いた。当初はその手紙は辛すぎてと
Googleフォトが一年前の思い出を教えてくれた。そこにはまだ元気な夫の姿…一年前は、確かに「生きていた」。そして海が見えるマンションで暮らしていた。犬がいて陽がさして大きなダイニングテーブルにおせちが並んでた。ああ、たったの一年前か。その一年が遠い昔のように思えたり、昨日のことのように思えたり。去年の今頃は上の子の共通テスト前だったなー。その娘も大学生になり、来月は研修で台湾にいく。月日は確実に流れ
3月7日、通夜。3月8日、葬儀。無事旦那を送り出すことが出来ました。愛知からはさすがに親族だけだと思ってたんだけど、旦那のお友達、同僚や上司の方も遠路遥々来て下さり、旦那も喜んでいると思います。我が家の永代供養墓のある日蓮宗のお寺の副住職さんに読経していただきました。永代供養墓自体は宗旨宗派問わない括りになっていて、私は今後檀家になるつもりは無いですが、熱心な日蓮宗の家に生まれ育った旦那は日蓮宗のお経で送り出してあげたくて。触るととても冷たいけど、もうこの皮膚に触れることが出来ないと
新幹線の遅れはあったものの30分遅れで現地に到着予定通りにレンタカーを借りて息子の待つホテルへチェックアウトギリギリに到着し二十日間お世話になったホテルの方にご挨拶それからアパートの鍵をもらいに不動産屋さんへ契約した店舗は火曜日定休日だとかで隣の市のショッピングモール内の別の店舗へ鍵をもらって、1時〜引っ越し屋さんが来る予定なので急いでランチ1時ギリギリにアパートへ到着とりあえず拭き掃除①エディオンから冷蔵庫や電子レンジの配送②日通の単身パック到着③ニトリから配
義実家の正論と嫁(妻)の正論は決して交わることはない。きっとそう思い知らされたことをまとめてみようと思う。義実家とは夫がいるときは全くなにも問題なかった。旦那がなんの前触れもなく突然死で亡くなった時、義父から葬儀は任せてほしいと言われ呆然と立ち尽くすだけの私に代わって動いてもらえた。お墓も義父が新しく建てた。感謝してもしきれないと思った。葬儀でバタバタしていた時は…。なにかがおかしいと感じた
間もなく成人するうちの息子より不倫相手の幼稚園児だか小学低学年の子供に父親は居た方が良いと思う。それがたまたま夫だってだけで。国全体で子育てした方が良いとして子供手当と同じようなそんな存在の夫。私にも生涯の伴侶という夫が必要だったけどよく考えてみれば一人の方が気楽で良いしこれは負け惜しみだけど夫が居なくても楽しく暮らして行けると思う。突然勝手に夫婦の終わりを突きつけられて納得できないけど、しなければならない。これが夫の死だったらどんなに幸せだったか
よく、亡くなった人が側にいてくれるのを感じる瞬間があると聞きますが…今日息子と一緒にユニクロに買い物に行った時のこと息子が買おうかなと思っていた服のLサイズがちょうど残り一枚で試着した後、他の服と迷っている間に他の方がカゴへ入れてしまいました。それはそれで仕方ないので他の色にするか、別の服にするかあと見本でハンガーにかかっていたのもLだったので、まぁ、それでもいいかなんて考えていたら…その方がふと戻ってきてカゴからそのLサイズを棚へ戻したんです。私達の目
夫が亡くなりました。夕方に行った時には「もっても後数時間でしょう」と告げられ、娘と2人病室に通された。その時の看護師からは「夫さんは、もう反応はありません」と言われた。見ると表情はなく微かに呼吸をしているだけの夫。『命のともしび』昨日も病院から状態の悪化の一報があり。『死へまた一歩近くなった夫』今日は知人宅へ出掛けていた。『絶飲食になってから11日目の夫の様子』『『久しぶりに夫のこと』…ameblo.jpそれでも娘が声かけすると、喉仏が動いて口元がほんの少しだけ開いた。わたしも声かけ
ごんぎつね、という話をご存知ですか?夫が亡くなってから私の身を案じた友達が入れ替わり立ち替わり差し入れを持ってきてくれた。最初の頃は、ご飯を作る元気がないだろうとスーパーのお弁当やパンやおにぎりなど。やがて、果物だったり野菜だったり、高級食パンだったり、みたらし団子だったり、お菓子だったり手作りスープだったりカツ丼だったり。ピンポンしてくる時もあればそっと玄関先に置いてあったりドアにくくりつけてあったり。ごんが兵十のためにせっせと栗を置いて行ったように。そん
夫を亡くしてからも、毎日つけている結婚指輪。自分の気が済むまでつけていようと思っていたけれど、仕事中とか、夫のことを考えてしまうと、つい指輪を見つめて物思いにふけってしまう。この先、周囲もいつまでつけてるのかと思ってくるのかな?自分でも一歩前を向いて進みたい気持ちもあり、今日はついに指輪を、、。左薬指から右薬指に変えてみた。つけるところ変えただけ〜。笑まだ、外すという選択肢はなかった。指を変えただけでもすごい違和感が。PCのマウスにもカチカチ当たる。なんだか落ち着かなくて、左
夫の交通事故の判決言い渡しがされた。検察の求刑通り懲役3年ただし5年の執行猶予付きつまり彼は今日から自由の身になった五年間、罪を犯さなければ三年の実刑もなかったことになるこれが私の夫の命の重さ飲酒運転だったけど逮捕されたタイミングで飲酒量は少ないとみなされ危険運転致死ではなく過失運転致死おそらく過去の判例から考えると適当な判決なのだろうと思うでも日本の法律は犯人に対して甘すぎやしないだろうか夫の命を軽く見過ぎじゃないだろうか私は納得がいかないけど検察が控訴
我が家は四人家族。なので、常に四等分する癖がついていた。ホールケーキは四つに切るパックのお刺身も四皿に分ける餃子を焼いたら4分の1ずつ食べる子供が大皿料理のおかずを「これいくつ食べていい?」と聞くと、夫はいつも「好きなだけ食べていいよ」と言っていたけど、私は「家族4人でしょ。考えて食べて」と言っていた。買い物する時も四人で分ける前提で買っていた。でもこれからは家族三人。いつものペースでは買いすぎてしまう。夫は牛乳が大好きだったので、毎回二本買っていたが夫がいな
今回の選挙には行かなかった。これまで選挙に行かない事は無かった。結婚する前も結婚してからも必ず行っていた。夫から、ちゃんと行きなさいと叱られそうだが「パパが死んじゃったせいだから」と言うつもりだ。今回行かない理由は一つ。私と夫の名前が書かれた最後の投票入場券を残しておきたいから。(再発行出来たのかな)もう二度と夫の名前が書かれた投票入場券は送られてこない。夫の最後の給与明細もボーナスの明細もきっと捨てられないだろう。私的なものは自由に作れるけど夫に関する公的なものはどんどん
今日は長男の大学の入学式コロナ禍で各学部ごと30分の短縮バージョン参加できるのは新入生のみというものですが私はアパートの契約とスーツを持っていくというミッションのため今関西に向かっています久しぶりの新幹線平日なので、中高年のご夫婦連れを見かけます私も年を取ったら夫と平日に旅行したり出来たのにななんて、今更言っても仕方ないね三月、四月は人の異動もあり忙しく毎日残業です。昨夜も8時過ぎまで残業その後ご飯の支度→今日の荷造り寝るのは2時半朝6時半に起きて8
本日を持ちまして、ブログの定期更新を終了します。公言する必要もないのですが、一度ご挨拶をして区切りをつけたいと思います。私は50代で死別しており子供も孫も居ます。30代、40代で死別された方や20代という方もおられます。ワンオペ育児をされてる方もいます。その方々からしたら、そこまで生きられて幸せだと思われるでしょう。お子さんのいらっしゃらない方は子供や孫が居て幸せだと思われるでしょう。死別と言っても、それまでの経緯や現在置かれている環境や状況は違います。暮らしぶりも。
皆さま大変ご無沙汰しております3月27日は夫の一周忌でした24日の日曜日に身内のみで法要を済ませましたあっという間の1年間私はこの一年で何が変わったのだろう取り敢えずは夫の死を受け止める事はできたそれだけですプライベートはずっと引きこもりです何もできません💧夫の遺影も見れる時と見れない時があります何時になったら立ち直れるのかなぁ。。。孫の陽音(おと)ちゃんにはいつも本当に癒されています
先日、長男の大学受験のことで国立が前期も後期もダメで県外の私立大学へ進学するか否か迷っているというブログを書いた。とてもたくさんの方から励ましのご意見をいただき感謝しています。あれから、義両親も交え何度も何度も話し合いをしました。本人も何が正解か分からずそれでも、父親が亡くなったばかりのこのタイミングで長男である自分が家を離れるわけにはいかないと考え、地元の国立に行けるよう、もう一年浪人する、ということにほぼほぼ気持ちが固まっていました。私も不本意な結果に終
私の残りの人生があとどれくらいなのか分からないけど夫がいなくなって私は人生の楽しみ方が分からなくなったのでもう駆け足でできれば早送りで終わらせてしまいたい自ら命を断つと夫と同じ所へは行けないと思うし何より、もしあの世で夫に会えたらものすごく叱られると思うのでそれは出来ないでも夫がいなくて子供達も独り立ちしてから私一人で生きてゆくのは辛すぎるのでできれば早送りで最後の日まで進めてしまいたいと思う年をとってから一年があっという間でもう年末!という感
世間の目が怖い。夫は交通事故で亡くなっていて当時、新聞やニュースでも報道されたので近所ではちょっと有名だ。なので、外へ出て近所の方と会うのがちょっと嫌だ。勝手にあの人のご主人まだ40代なのに事故で亡くなってお気の毒にまだお子さんも小さいのにみたいに思われてる気がして、世間の目が怖いでも仕事もしているし買い物とかいかないわけにもいかないし極力出たくないけど出ざるを得ない。そして運悪く知り合いに出会ってしまったらつい、気がついてませんよというフリをする
今日は初出勤朝の挨拶はおはようではなく皆さん、あけましておめでとう私はそれを言えないので小さな声で今年もよろしくお願いしますと返すのが精一杯何一つめでたくないけど今日はとても忙しくてあっという間に一日が過ぎた昨日買い物を済ませておいたから帰ったらカレーを作ろう。夫はカレーとお味噌汁は(お母さんより)私の方が美味しいと言ってくれていたもう食べてもらえないけどね明日からはまた普通におはようございますの挨拶に戻るちょっとホッとしている。
今日は長男の高校の卒業式コロナ禍で保護者の参加は1名のみ予め許可証をもらった人だけ今日はとても良いお天気で暖かい日になりました私は張り切って入場受付30分前には到着友達と良い席をとるために並びました友達が一番、私が二番で予定通り前列の写真を撮りやすいポジションをキープ次々と保護者の皆さんが入場し、すぐに会場はいっぱいになりました一列目に座る私たち右隣は私の友達左隣は空席結局式が始まっても空席のままその席は誰も座ることがなかった私の隣の席はもしかしたら夫が座
初めての方へ39歳の時夫が突然旅立ちその5ヶ月後2歳の一人息子も旅立ちました息子の看護師さんだった方が今のパートナーとなり昨年娘が誕生しましたそんな私の日々です*****************************************こちらに住んでいて私くらいの年齢の日本人女性に会うと「チュー妻」か「現地妻」かどちらかかな…何となく考える「チュー妻」とは「駐在員妻」つまり旦那さんのご都合で海外に住んでいる人と現地人と結婚して海外に住んでいる人チュー妻はいつ
何気なく去年の手帳を見てました去年8月に今の主治医に変わりその時にすでに鬱病の再発らしき症状があったんだと気付きました坑うつ剤が二種類ともMAXの量になりました朝から頓服を飲み仕事に行き仕事の途中で安定剤を飲んでどうにか仕事を終え買い物して帰ったら座る間もなく夕食を作るクタクタでしたそれに加え最大の悩みはアルコール依存症の夫がいる事夫はだんだん体調が悪くなる一方それでもお酒は止められない見ていて本当に死ぬんじゃないかと思う事がありましたそう思うと不安とストレス
今年のバレンタインは日曜日だから職場の同僚へは金曜日にチョコを配ることにした。私はショコラのフィナンシェとショコラのクッキーを各机に配り始め、同様に他の人も各々用意したチョコ系のお菓子を配り始めた私の今の職場ではお金を集めて女性から男性へというのはなくて、各自ちょっとしたお菓子を男女関係なく配っているなので、昨日の机の上はお菓子の山誰がどれをくれたのか解説がいる感じそんな中、あー、バレンタインかー何かと思ったー全然忘れてたわーと言ったのは夫はもちろん二人
母の不倫の話です母と彼がどんな経緯で付き合うことになったかは知らないが、母にとって惹かれる何かがあったんだろうそして、母は彼のことを信じた『夫婦関係は破綻している』という彼の言葉を1ミリも疑わなかったと思う彼が亡くなった時も『過労死だ。仕事も凄く頑張ってたし、家に帰っても休めなかったみたいだし。』と言っていた母のことなので、奥さんに対して(なんでもっと大事にしてあげなかったのか)という気持ちさえ持っていたかもしれない・夫の死・姉のような存在の人の死・彼の死・息子の持病い
夫が亡くなって思いがけず喪主を務めることになりもう二度とやりたくないと思った私の母も義母も姉も義姉も喪主をしたことがないそして、おそらく喪主をすることが今後もないいつか義父が亡くなったら高齢のため母が喪主をすることはないと思われるかといって嫁いだ義姉達が喪主をすることはないから氏を継いでいる私たちの誰かが喪主をすることになると思う私は二度とやりたくないから長男が成人するまで義父には元気でいてもらわねばと考えているもちろん出来るだけ長生きしてもらえたらあ
久しぶりに夫の夢を見た夫の夢、というより夫がいる設定の夢私は大好きな夫の車の助手席にいるなぜか耳かきの話になり夫が亡くなってからスイッチで手元が照らされるタイプの耳かきを買ったんだよという話をしたそして、なぜか先に次男の耳かきから始め、ものすごく大きいのがとれたので、そのことを夫に報告したそして、夫にいなくなってしまうのが嫌だと泣きながら訴えている間に目が覚めた後味の悪い、悲しい夢だった久しぶりに寝起きに心臓がきゅーっとなって苦しかった夢の中で夫の声ははっ
今日、職場に近所の人が来た。彼女は一つ年下だけれど、私より前からこの街に住んでいるし娘さんはウチの長男の先輩だからなんとなく私からは敬語向こうは上からな感じで話してくるそれは、いい。特に気にしていない。ところが、今日来て私を見るなりホントびっくりしたよー私も一週間くらいショックでさーまさか◯◯さんのダンナさんがさーマシンガントーク炸裂私は苦笑いするしかない心の中でもうやめてもらえませんか?と思いながら。挙げ句の果てにウチ近所なのに全然救急車の音に気がつかなかっ
毎年、年に数回献血車が職場にやってくる。私はその度にできるだけ献血するようにしていて今日がその日だった。私の後ろに別の課で親しい人が並んでいたので「何型ですか?」と尋ねたら私と同じB型だったので「一緒ですね〜」と言ったら「ウチは全員B型なんですよ」と。夫が生きていたら「ウチは私以外はO型なんですよ〜」と話が広がったのだけど、今は家族の話をする勇気がなかったので話はそこで終わってしまった。ただの血液型の話でもその先に幸せなファミリーの姿が見え隠れするといた
闘病の日々の続きを……と思っていたのですが、ここ数日、大きな悩み事ができて、気持ちの余裕がなくなり、しんどい時間を過ごしています夫が亡くなってからの私の心の基本的なところは、夫がいなくなったことに比べれば、それ以外のことは、大した問題じゃないし、どうでもいい……という考え。日々の暮らしの、些細な嫌なことなんてあまり気にすることもなくなったし、仕事で失敗しても、前ほどクヨクヨ考えることもなくなった。だって、何をどんなに悩み苦しんでも夫は、もうこの世にいない……その現