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さて第1部が終わっての来る第2部となる今回の話。出だしがどうなるか気になっていたのですが…ちょっと待ってぇぇぇ!!!今回、完全に逃げ若版『太平記』になっているんですけど!?完全に南北朝のラスボス足利尊氏が主役になっているんですけど!?主人公の時行くんが完全に不在なんですけど!?いやむしろ大歓迎なのが困っちゃった所(苦笑)今回の舞台となる1336年はまさに日本史上でもこれほど凄まじいジェットコースターのような勝者が入れ替わる凄まじい逆転!逆転!逆転!はそうはない。そして何よりも南北朝最
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~』が公開されました。早速紹介させていただきます。↓こちらの方が見やすい方はこちらからご覧下さい。吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~おにぎり丸と嵯峨仙識が、吉野へ旅してきました。吉野桜と南北朝時代の先頭に立った後醍醐天皇の歴史に触れた旅となっています。沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いていますhttps://ameblo.jp/basara-do
GWお参りの旅③隠岐西ノ島黒木神社太平記で後醍醐天皇が流された隠岐西ノ島の黒木御所跡地に鎮座する黒木御所。フェリーが発着する別府港から徒歩10分階段を少し登ります。黒木神社御祭神は後醍醐天皇1年で島から脱出して復権した後醍醐天皇なので、苦境から復活出来そうな御利益がありそう。黒木御所跡黒木御所のある丘の上はあまり広く無いので、ここに住んで居たのか?と疑問に。そう思うのは私だけでは無いようで、国分寺などに居たのでは無いか?という説もある様ですが、後醍醐天皇の伝承は黒
鎌倉宮旧官幣中社大塔宮鎌倉宮鎌倉市二階堂154御祭神:大塔宮護良親王先日久しぶりの鎌倉宮へ参拝しました。夏空に白い鳥居が映えます〜昔の獅子頭が並べられている展示室が冷房がよく効いていて休まりましたこんな記事も展示されていました‥護良親王役の堤大二郎さん護良親王姿の写真横に「CDを出しました」と書いてあり脳内バグりました。(笑)宮「今年八年ぶりにCDを出しました」大河ドラマ「太平記」(1990-91)は再放送を見ました。鎌倉宮で幽閉中の護良親王の場面もあり、北条一
今回の話のメイン感想はやはりこの人と言ってもいいでしょう。第1回人気投票で3位を獲得した皇子武将・護良親王初登場時から松井センセイも凄い感情移入している様子が絵越しからもヒシヒシと伝わってきました。鎌倉幕府倒幕においても彼もまた不可欠な武将として活躍した存在。にもかかわらず、南北朝時代の絶対的主人公・南北朝のラスボス足利尊氏によってその存在は霞んだものとなってしまい、おまけに本作では誰よりもラスボスが「人間にあらざる存在」であることを誰よりも看破しながら、尊氏の前に惨敗して、失脚…今回彼は
九州より東上した足利尊氏は建武3年(1336)5月5日~10日備後国鞆の小松寺に滞在し諸将と軍議を重ね、尊氏は海路を7,000騎を率いて、陸路は弟・直義が総大将となり数万騎を率いて5月10日鞆の浦を出発す。対する新田義貞は、赤松円心の経略にはまり3月下旬から播磨・白旗城を攻撃中だった。下図は、備後鞆の浦から播磨・湊川までの関連位置図。1)備中国福山城合戦ーー現・岡山県倉敷市北部の山後醍醐天皇の「足利尊氏討伐」の綸旨を受けて、新田義貞が播磨・白旗城の
思いのほかぎっくり腰の回復が遅く、悶々とする中で本日もユーチューブの発見ネタです。1991年の大河ドラマ”太平記”に北畠顕家役で登場する後藤久美子(以下ゴクミ)の中性的な美しさに思わずびっくりしました。彼女は1974年生まれですから大河ドラマ出演当時は17才です。南朝側で足利勢と戦った北畠顕家は20才で戦死していますので年齢的にもピッタリだったと思います。動画は父親の北畠親房(近藤正臣)と久しぶりに再会した場面です。これがが父親との最後の別れとなりました。ドラマの中で北畠顕家は弓の名手として登
真田広之が足利尊氏をやった「太平記」は、なかなかの布陣でした。脚本が池端俊策、「麒麟がくる」の原点がここにある、っていうドラマでした。大河ドラマはいつだって「豪華キャスト」ですが。カギカッコつきで。後醍醐天皇の片岡孝夫(現・仁左衛門)がとりあえず豪華でした(天皇がマトモに出てきたのは画期的)。その後、天皇役は歌舞伎俳優ということになり、麒麟の坂東玉三郎に続いています。父親の緒形拳、妻の沢口靖子、弟の高島政伸、新田義貞の根津甚八、高師直の柄本明、このへんを豪華と見るかいつもの常連と見るか。
『逃げ若』は大河ドラマ『太平記』を意識していているように思えてならない。今回の大楠公と後醍醐帝とのやり取りがかつての『太平記』と構成がよく似ているのですね。後醍醐帝が持つ多くの人々を惹きつける魅力とそしてその長所を台無しにしてしまう欠点が露呈する『太平記』第3話で主人公である南北朝のラスボス足利尊氏が初めて一目見て一目惚れに近い形でゾッコンとなったように、後醍醐帝という帝王は多くの人々がその魅力で惹きつけるほどの稀代のカリスマ帝王でした。実際、多くの人が「この御方なら乱れ切った世の中を変えて
さてさて………【水無瀬神宮(みなせじんぐう)】から車で10分弱で到着したのは………【水無瀬神宮】行きを決めた際、グーグルマップを見ていたら偶然目に入った楠木正成ゆかりの地である………【国指定史跡桜井駅跡(さくらいえきあと)】大阪府三島郡島本町桜井1丁目3古代律令制度下の駅家の跡である。この駅跡は、楠木正成・正行父子の決別の地として知られ『太平記』巻16の「正成兵庫に下向の事」では、建武3年(1336年)の湊川の戦いにおいて足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、嫡男の正行を河内国