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GWお参りの旅③隠岐西ノ島黒木神社太平記で後醍醐天皇が流された隠岐西ノ島の黒木御所跡地に鎮座する黒木御所。フェリーが発着する別府港から徒歩10分階段を少し登ります。黒木神社御祭神は後醍醐天皇1年で島から脱出して復権した後醍醐天皇なので、苦境から復活出来そうな御利益がありそう。黒木御所跡黒木御所のある丘の上はあまり広く無いので、ここに住んで居たのか?と疑問に。そう思うのは私だけでは無いようで、国分寺などに居たのでは無いか?という説もある様ですが、後醍醐天皇の伝承は黒
正統な権力の踏襲はいつの世も難しい🤔私淑する佐藤優氏が読むべき古典にあげた太平記。ここから尊皇思想が生まれたと知り、手掛けたい意識を持ってきたが、岩波版は古文ベースでハードルが高く、待望の新訳に思わず食指が伸びた。抄訳だが、手軽に概要が理解できるのはありがたい。朝幕対立は鎌倉期の承久の乱で武力闘争となり、後醍醐天皇による建武の新政で巻き返したつもりが、時代を戻すことはできなかった。一進一退を経ながら権力の座を射止めた足利尊氏により武士の世が確定する中で、天皇への忠節という概念が生まれることに
皆様、ご機嫌YOです!さて、以前の記事で南朝の猛将・結城宗広の生涯を取り上げさせて頂き、同時に彼のシリアルキラーっぷりにも注目して頂いたのを皆様憶えておられますでしょうか。その様は南朝寄りとされる「太平記」においてすら「十悪五逆重障過極の悪人也」「常に死人の頚を目に見ねば心地の蒙気する(↑死人の首を見ないと気が滅入る)とて僧俗男女を云ず日毎に二三人が首を切て態目の前に懸させけり。」「さればかれが暫しもゐたるあたりは死骨満ちて屠所の如く、尸骸積んで九原の如し。」「死して候が阿鼻地獄
2024年4月27日は曇り時々雨という天気の中、あしかがフラワーパークと足利市観光に行くことにし、出発時は雨が少し降る中、バスと地下鉄とJRに乗って移動しました。地下鉄から降りた後、あしかがフラワーパークまでは臨時特急に乗って移動したいと思いましたが、指定席が満席だったので普通列車に乗り、小山駅で両毛線に乗り換えて、12時前にあしかがフラワーパークに到着。あしかがフラワーパーク到着後に、とりあえずお土産を必要最低限購入してから入場しました。あしかがフラワーパークは藤の花等の花々が沢山咲いて
こんばんは!吉野の桜、続きです。奥千本から下ってきて、下千本に来ました。大橋今からおよそ700年前、後醍醐天皇(ごたいごてんのう)の皇子、大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府倒幕にむけて吉野山で挙兵します。親王は吉野山を城として立てこもり、幕府軍に立ち向かいます。「太平記」によれば、6万人の幕府軍を相手に3千人の兵で1週間にわたって持ちこたえたといいます。そして、この大橋のあたりは激戦となったようで今でも、攻めが辻と呼ばれています。この激戦地には、敵の侵入をはば
『逃げ若』は大河ドラマ『太平記』を意識していているように思えてならない。今回の大楠公と後醍醐帝とのやり取りがかつての『太平記』と構成がよく似ているのですね。後醍醐帝が持つ多くの人々を惹きつける魅力とそしてその長所を台無しにしてしまう欠点が露呈する『太平記』第3話で主人公である南北朝のラスボス足利尊氏が初めて一目見て一目惚れに近い形でゾッコンとなったように、後醍醐帝という帝王は多くの人々がその魅力で惹きつけるほどの稀代のカリスマ帝王でした。実際、多くの人が「この御方なら乱れ切った世の中を変えて
今回はアメブロのネタに乗ってみましょう。久々だね、どんなネタかなぁ?歴史ドラマかぁ…やっぱり大河ドラマになりますね。大河の中では、「黄金の日々」戦国時代から安土桃山時代を生きた堺の商人、助左衛門が主人公だね「草燃える」源頼朝、北条政子が活躍するねこの2つが大河にハマった歴史ドラマでしたね。最近の大河だと、「鎌倉殿の13人」がよかったなぁ貴重な題材の大河ドラマとして、南北朝時代を描いた「太平記」足利尊氏が主人公だね奥州藤原氏を描いた「炎立つ
ネタなしなので本日はいも壱店主ワタクシ城のルーツを紐解くと題し貴重な1ページをむだにしたいと思いますウィキペディアの一説には城氏(じょうし)は、鎌倉時代から安土桃山時代に肥後国に割拠した国人豪族。菊池氏の一族。菊池氏の一族で、菊池能隆の子の隆経を祖とする。南北朝時代の『菊池武士書状』や『太平記』に菊池氏の一族として城氏の名がある。懐良親王に仕えた菊池武光に属し、各地の戦で活躍した。室町時代以降は赤星氏・隈部氏と共に菊池氏の三家老家の一つに数えられた。と、あり、また隈本城主時代…キリシタン
吉川英治さん原作の大河ドラマ「太平記」が推しですね。今風の軽さは無いですが夢、野望、恋、欲、人情などが分厚い人間模様の中描かれています。また、時代考証や設定も歴史的な流れのみであり違和感はありません。派手な合戦シーンなどもありません。真田広之さんを主演とした一流の俳優陣の人間味溢れる演技は必見です。
大河ドラマでの弓道シーンが素敵と話題に794うぐいす平安京、藤原氏の摂関政治2024「光る君へ」400年後・・・1192つくろう鎌倉幕府、武士の台頭2022「鎌倉殿の13人」(「義経」の滝沢秀明さんの弓シーンを探しましたが見つからず)150年後・・・1338(いざ都入り)足利尊氏、北条氏による執権支配の終焉1991「太平記」↑北畠顕家↓足利尊氏平安は顔が薄い
「妖霊星」と呼ばれたハレー彗星今日は怖い日本史に分類される記事ですが、天狗が出てくるので、妖怪談義とも関連があります。まず、「妖霊星ようれいぼし、よろぼし」とは何かというと、これは彗星のことです。ハレー彗星を指す場合が多いようですが、その他の彗星もこう言われることがあります。中国では紀元前から観測・記録されており、様々な史書に見られ、日本で最古の記録は『日本書紀』天武紀に登場する684年のものです。ただし、まだこの頃は、妖霊星という別称はなかったと思われます。それ以降はちょくち
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~』が公開されました。早速紹介させていただきます。↓こちらの方が見やすい方はこちらからご覧下さい。吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~おにぎり丸と嵯峨仙識が、吉野へ旅してきました。吉野桜と南北朝時代の先頭に立った後醍醐天皇の歴史に触れた旅となっています。沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いていますhttps://ameblo.jp/basara-do
『好きで見ていた歴史ドラマその1』久々に、アメブロさんご提示の投稿ネタを使ってみますが・・・・・・。「歴史ドラマ」―――、主にNHK大河とかですかね?NHK大河で好きなのは、前にも書いたと思…ameblo.jp山河燃ゆ春の波濤いのち時代劇大好きっ子だったわたしは、当初『山河燃ゆ』をしぶしぶ見ていました。ただ、当時のわたしにとっては目新しい切り口だったとも言え、興味深くはありました。そして、先述の『峠の群像』でもそうですが、ここでも、松本幸四郎(現・白鸚)のケンと島田陽子のナギコとい
どうしても大河ドラマが多くなるが太平記北条時宗光る君必殺仕事人シリーズ(昔のやつ)など
東加古川からまた山陽本線に乗りまして次の途中下車地点に行きます。神戸駅神戸は仕事をしてる時に一カ月か開いても二ヶ月に一回来てたんですよね。今回降りたのは↑ここに参拝するため湊川神社関西神戸の地に鎮座する名社「湊川神社」|七五三・厄除けJR神戸駅より徒歩約3分。明治5年創建の「湊川神社」公式サイトです。御祭神は南北朝時代の武将・楠木正成公。地元では「なんこうさん」と親しまれており、安産祈願、お宮参り、七五三、厄除けなど、家族の人生の節目に訪れる祈祷者数は兵庫県内でも有数です
『逃げ上手の若君』新刊。表紙は成長した斯波孫二郎くん、つまり斯波家長です。※史実的なネタバレあり注意この巻は家長くんが目一杯生きて、そして死んでいった巻でした。短い命でした・・・17歳。個人的趣味で選んだ珠玉の一枚をどうぞ。その1↓長尾景忠でかい馬も輿もなくてもラクラク♪長尾便利だな〜もちろん、こんなラクができるのは上杉様だけの特権です。その2↓自分の死を予期した斯波家長くんが次の世を託したのが上杉憲顕でした。それま
さて第1部が終わっての来る第2部となる今回の話。出だしがどうなるか気になっていたのですが…ちょっと待ってぇぇぇ!!!今回、完全に逃げ若版『太平記』になっているんですけど!?完全に南北朝のラスボス足利尊氏が主役になっているんですけど!?主人公の時行くんが完全に不在なんですけど!?いやむしろ大歓迎なのが困っちゃった所(苦笑)今回の舞台となる1336年はまさに日本史上でもこれほど凄まじいジェットコースターのような勝者が入れ替わる凄まじい逆転!逆転!逆転!はそうはない。そして何よりも南北朝最
もともと陰陽師には興味なかったが、大河ドラマ「光る君へ」で安倍晴明(演・ユースケ・サンタマリア)が出てくるので、いざ安倍晴明神社へ。大阪市阿倍野区の神社|安倍晴明神社大阪市阿倍野区の安倍晴明神社です。占い・厄除開運・災難除け・病気平癒祈願・家内安全などは安倍晴明神社にお任せください。お気軽にお問合せください。www.abeseimeijinja.infoチンチン電車(阪堺電車、どこまで乗っても230円)の東天下茶屋站下車、徒歩5分くらい。安倍晴明生誕伝承地に建つ、こじんまりと
「和霊神社」まで車で上がり、「ショコラ」と福山△302mへお手軽登山を楽しみました。駐車場所から北方面の眺め。上り坂をものともせず、ぐいぐい上がる「ショコラ」。山頂はもうすぐ。山頂の展望台から西の高梁川方面の眺め。ここは平日に来ても、多くのハイカーが。寝そべる「ショコラ」体を地面にこすりつけたり。三角点の前で南北朝時代に「太平記」にも記された「福山合戦」が行われた福山城跡
垣根涼介「極楽征夷大将軍」これは直木賞受賞作品です。題名の極楽征夷大将軍とは足利尊氏のことです。鎌倉幕府滅亡から南北朝の動乱時代を扱ったものと言えば「太平記」があります。吉川英治の「私本太平記」を昔読みました。NHKの大河でもやり、足利尊氏は真田広之、足利直義が高嶋政伸、高師直が柄本明、楠木正成が武田鉄矢、佐々木道誉が陣内などなどでした。そんな顔ぶれを思い浮かべながら読んでましたが、この本で描かれている尊氏は極楽とんぼのような性格で、何も考えず素のままで生きる。うーん、真田さんとのイメージ
金剛山の帰り道に棚田に寄って帰りました。夕日に間に合った〜「スポーツ広場は5時30分で閉園致します…」とアナウンスが聴こえてくる。カラス🐦⬛と一緒に帰る時間だちょっと前までは真っ暗だった時間なのに、どんどん日が長くなってきた貸し切りの棚田。お茶🍵くらい持ってくれば良かったナ。夕焼けを見ていた広場にはかつて赤坂城があったそう。太平記に想いを寄せて…この地もつわものども達の夢の跡でしたか…因みにこの写真を撮るのに少々手こずったが、下からズームで撮れば安全だったなぁと後で思った城跡
来週の「光る君へ」は藤原道長がまひろ(紫式部)を馬のうしろに乗せるようですノンノン前に乗せて抱いて走りなさい「太平記」の足利尊氏と藤夜叉のように柄本佑さん、お父様は高師直でしたね!
ようやく幕末から南北朝へ南北朝鼎立期に入り、北条時行一行は南朝方として足利氏と対抗していく時期へ。。。表紙絵の通り、北畠顕家卿が全て持って行った感じです。大河ドラマ「太平記」で新人の頃の後藤久美子さんが演じたのもあって、美しくもどこか弱々しい公家のイメージがありましたが、一新してくれました。東北から京までの長躯遠征を二度も、1日平均40km!!整備された山陽道を駆け上った秀吉さんの中国大返し以上!!当然のこの先の運命は分かっているので、そこまでの美しい活躍に期待した
蝦読weeklyです。亀田敏和訳『太平記(上)(下)』著名な日本の軍記物が光文社から現代語訳されて刊行されました。『太平記』といえばNHK大河ドラマの名作があります。著名な人物はドラマのビジュアルを思い浮かべて読めるので、読み進めるのは楽でした。訳も非常にわかりやすかったので、時間が十分にとれたら一気に読み進められたと思います。『太平記』そのものは初めて読んだのですが、第一部で早くも鎌倉幕府滅亡まで語られ、第二部で楠木正成・新田義貞の討ち死にも語られるんですね。上巻でここまで展開す
『逃げ上手の若君』新刊。表紙は麗しき最強貴公子・北畠顕家さま〜「まつ毛バサバサ」「化粧キメキメ」見た目とは裏腹に、性格はかなりのドS。ちょっと東北の東夷の扱いはどうかと思うが・・・この巻は次々と新キャラ、しかも他の歴史物とかに出てくる有名な人たちが登場するので楽しいです新田義貞の息子、徳寿丸くん(新田義興)の父譲り「?」が可愛い。そしてこの少年は、少年のくせにめっぽう強い。あと、昭和のツッパリ風(死語)・桃井直常が意外とわたしは好きだ。この人って足
こちらも古本屋さんで見つけてきた本です。歴史と旅シリーズ、『大動乱!南北朝』表紙は北畠顕家ですね。「室町幕府が誕生する=足利尊氏の勝利」という歴史を知っていながら、北畠顕家が奥州軍を率いて京都に攻めこんできた時点で「これで南朝逆転勝利だな」と期待してしまった小学生時代がありました。いや、本当にのめり込むと史実を知っていてもその先の展開がどうなるのか気になってしまうのであり。さて今回の本、随分とボロくなっているのだが…昭和49年!50年近くも前の本ぢゃない
そして日曜日(28日)は仙台駅前の丸善へ。なにか面白い歴史の本でも出てないかと見たらです。おお、南北朝の本があるぢゃないですか。早速2冊、購入してきました。ところでこのサイズの本には、ダイソーで売ってるブックカバーのA5サイズが役に立つ。文庫、新書にはサイズが合わなくて無駄な買い物になってしまったものの、A5くらいの大きさになると多少デカくても気にならない。さて左の本から。楠木一族に関する研究です。なんといっても楠木正成ですが、有名な赤坂城、千早城
昨日、1月27日は相方が仕事に行っているので、午前中は図書館へ!と思ったら、臨時休刊日であった。そこからUターンし太白区の古本屋さんへと。二冊購入です。『太平記世界の形象』こちらは立派な作りです。本格的な学術書。専門知識が豊富で読むのも大変だ。一方で『太平記に学ぶ』は図版も多く読みやすい。これは湊川合戦の陣形図です。子供の頃に太平記を読んでて各軍勢の位置関係がよくわからなかったのですが、こうやって陣形や動きが示されると状況を把握できますね。神戸
さ~て、先日、太平記を読んでいましたら、青砥藤綱と言う人物の出会いました。少し調べましたら、架空の人物の可能性もあるのだとか?さあ、実在の有無は如何に?では、以下、地域応援新聞「湘南える」の公式ホームページに掲載されていた逸話を転載させて頂きます。尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。青砥藤綱の鎌倉滑川での銭拾い伝説『太平記』によれば、藤綱は夜中に東勝寺橋の上で、滑川に誤って銭十文を落とすと、家来に五十文で松明(たいまつ)を買わせ、川を照らし探し出
姫路は昔から四方八方に街道が通じている北は日本海側、北西に行けば鳥取西へは出雲、瀬戸内沿いの街道当然海路もある東北へは京都に通じるし東へ行けば神戸・大阪だから歴史上にはそこそこ登場してる隠岐島に流された後醍醐天皇帰りは姫路の書写山圓教寺に来てるし赤松(円心、私が好きなのは三男則祐殿)家は南北朝に絡んで『太平記』に登場してるし『太平記』はしっちゃかめっちゃかでよく解らんですが後醍醐天皇の王子、大塔宮護良親王は好みですその護良親王の天台宗座主時代から仕えてるのが