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前回の続きから、「高知城を国宝にする県民の集い」の事務局長、島崎さんに城の中枢本丸を紹介していただきました。高知城は、1611年に初代土佐藩主「山内一豊」が築いた歴史ある城です。本丸に来て、初めてわかることが。島崎さん「天守が基礎になる天守台に乗っていません。下から見ると大きいですけど、ここに来るとあまり大きくないなと。」三山ひろしさん、川辺アナ「確かに!そうですね。」島崎さん「本丸御殿は別名懐徳館とも言いますが、本丸御殿と天守が一緒に残っているのは高知城だけです。」本丸御殿
4/29月曜日真夜中サイクリング後、少し仮眠し7:00起床。ホテルで朝食を済ます。島根だけに、シジミご飯とシジミの味噌汁。シジミご飯は初めて食べたけど美味かった。8:00頃ホテルをチェックアウト。本日は鳥取に向かいます。鳥取県もオジサンは初。下道とゆうか、山陰道の無料区間を東進。大山が大きく見え、道の駅大山てのが有ったので寄ってみたが大山は見えねぇの。ちょいちょい寄り道。道の駅あらエッサお土産物でドジョウ饅頭的なの売ってたのはコレだったのね。11:00過ぎに鳥取砂丘
高松城ミニサイズの縄張り#高松城
屋根が緑に見えます。緑青。お花見の季節だったので、かなりのにぎわいでした。天守閣からの展望。少し曇り気味です。大都会に鎮座する和風で古風な大建築物。正面下からのアングル。桜のお花見の季節に、大阪城へ行く機会がありました。桜がきれいな土曜日でしたので、公園内もお城の中もたくさんの人でした。姫路市民からすると、「姫路城は世界遺産、姫路城は木造建築」「大阪城は鉄筋コンクリート造り、大阪城は博物館」の「おらが村意識」が出てしまいますが、暑い夏や寒い冬に適温
続き↓『浜松城×さわやか』財布の紐がゆるゆるになりすぎててヤバいと感じつつも止められない衝動🤑💸人生初の娘ちゃんと2人旅に行ってきました🚄✨息子くんも誘ったんやけどウザ〜いこと言われた…ameblo.jp遅めの昼ごはんの後はコインロッカーの荷物を回収し掛川へ🚃💨SNSでちょいちょい目にするドーミーインというビジネスホテルに泊まってみたくて探してたら掛川で見つけたのです‼️‼️しかもちゃんと駅から徒歩圏内☺️✨✨車以外で行くときは駅近かどうかが私の中では最も重要かもしれ
旅の最後に待っていた洗礼3日間満喫果たしていくら国宝指定の松本城天守を望む2泊3日の長野・群馬旅行の最終目的地は信州まつもと空港でのレンタカー返却の都合もあって松本城に設定してあった。戸隠神社中社近くで戸隠そばのランチを済ませると、山道を下って長野市内へ戻り、高速道路で松本を目指した。築城は520年前の1504年、1590年から1600年ごろに天守が築かれたとされ、それが現存、国宝に指定されている。天守が国宝となっているのはこの松本城の他に、姫路城、犬山城、彦根城、松江城
「お城」の「天守台シリーズ」第49弾は、「高取城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いて
幻の金沢城天守閣の復元ジオラマ#金沢城天守
高松城ミニサイズの完成#高松城#お城#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
昨日の続きです。今日は裏参道から休憩所の曲輪に行き、最高所の本丸を目指します。裏参道の初めにあった花下の地図で登り口の①下の地図ピンク色の道を通り、本丸跡に行きました②の位置にある地図です。この裏参道で登る方が、大手口の表参道を登るより楽に千早神社に行けます。①から②へ歩くと②の位置ですこの石段が裏参道です。落城しないので、受験生に「落ちない」お守りを授与してもらえます。階段を登ると階段を登りきった所、③の位置が下の位
今回は、土佐のシンボル『高知城』へ🏯✨追手門と天守が一緒に撮影できる高知城。記念に撮りました。いい感じになりました!「いい写真撮れましたか?」と声をかけられました。ひろしさん「あっ!!びっくりしました!撮れました!」青い制服姿のガイド歴4年の森澤さん(歴史好きのボランティアガイド約140人が所属…高知市を中心とした観光地のおもてなしをしている"土佐観光ガイドボランティア協会"の方。)「追手門と天守が一緒に撮れるのは、高知城、丸亀城、弘前城の3つのお城しかないんです。」と、ここから
高知城の魅力を再発見!!続いて、『追手門』から『杉の段』へ。森澤さん「あそこにある木はカヤの木と言って樹齢600年ほど経っています。」森澤さん「高知城より歴史が古いです。高知城の歴史を見守ってきた、そういう木になります。」森澤さん「すごく高価な木で、碁盤や将棋盤などを作る木なんです。」森澤さん「時価1億円と言われています。」ひろしさん、川辺アナ「えっ⁉️すごーい❗️1億⁉️」(ナレーション)カヤの木は、長い年月をかけてゆっくり成長する木。木が硬いため、碁盤や将棋盤にも使
現在の小倉城天守です。小倉城再建天守は、「小倉城」「小倉城天守閣」「小倉城復興天守」「現小倉城天守」など色々な名称があるかと思います。正式名称は「小倉城」のようなのですが、本質的な意味での小倉城と混同してしまうので、ここでは小倉城再建天守として呼ぶことにします。はじめに現在の小倉城天守と昔の小倉城天守の外観は異なる点がたくさんあります。1番大きなところは、大ぶりな破風をいくつも設けたことです。これにより、当時最新式であった層塔型天守が当時時代遅れとなりつつあった望楼型天守と
8月9日リニューアル、グランドオープンした文化の森徳島博物館へ行って来ました。考古、歴史、民俗、美術工芸、植物、地学興味深い物てんこ盛りさて私はどこで👣を止めたかお昼頃噴水が沸き上がるみたいです。丁度12時少々過ぎ。今まで徳島城の姿を見たことが無く、いったいどんな格好だったのか?どこへ行けば知れるのか興味津々。今日徳島城の模型が見られて本当によかった。全国的にみて小規模的な天守であったと考えられる。表御殿の建物に使用
本日から、『北から南へ「天守」シリーズ』をお届けしようと思います。まずは「プロローグ」から。「天守」については、3年ほど前に、現存、復元、復興、模擬をグルーピングして投稿しましたが、久々に「天守(御三階櫓)・小天守」を採り上げようと思います。「天守」は、「織田信長」「豊臣秀吉」時代の「織豊時代」に開発された「近世城郭」内に建てられたお城の「シンボル」的な建物で、戦国時代の「物見的」な役割から随分変化した建造物となりました。「織豊時代」から、江戸時代初めの「徳川家康」による「豊臣
ホテルからタクシーで唐津城に向かいます。途中、お城がよく見えるところで少し停まってもらって撮影タイム三方を海に囲まれた唐津城大きくて立派な天守閣にテンションアップの私たちです。お城を紹介するTV番組で観て、唐津へやってきました(笑)車窓から虹の松原が見えます。全長約4.5km、幅約500mにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されています。松林の切れたところにあるのが、宿泊
二日目混雑する前に弘前城公園の桜を見ましょうとホテルを7:30出発今日も曇り空で一寸寒いセーターを羽織り弘前城公園の120分の自由散策です朝から大型観光バスが何台も訪れており特に外人観光客が多かったです日本三大桜名所の1つの弘前公園弘前城公園の桜は「桜守り」の管理により1つの花芽から咲く花の数が4個から5個と多いのが特徴で他の桜より花の密度が濃いです弘前城天守と枝垂桜晴れていれば遠くに「岩木山」が望めますが残念でした弘前公園内の約2,600本の
高取城ミニサイズの縄張り製作中
高取城天守製作中#高取城#お城
山口県の旅~...日本百名城巡り63城目は岩国市の「岩国城」です。岩国市公式観光サイト「岩国旅の架け橋」より...岩国城は、初代岩国藩主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山に位置していました。(岩国藩は公的には、幕末まで藩として認められていなかったが、当初より行政・徴税・治安を独自に行っており、事実上の自治権を有していたことから、「岩国藩」として表記を統一した。)
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初日は「プロローグ」で「天守」についてお話をしました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シリーズ』をお届けしようと思います。まずは「プロローグ」から。「天守」については、3年ほど前に、現存、復元、復興、模擬をグルー…ameblo.jp昨日2日目からは、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を北海道を皮切りにお届けしています。今回は、現存、復元、復興、模擬の「天
【問題】天守の二重目より上の窓が火灯窓(華頭窓)となっているのは、次のうちどの城か?【選択肢】松本城彦根城小田原城弘前城【正解】彦根城【解説】彦根城(滋賀県彦根市)の天守の二重目・三重目の窓は、すべて火灯窓(華頭窓)となっている。火灯窓は火灯形の窓枠をもつ窓で、元は禅宗建築に用いられた様式である。
4月19日弘前城は桜が多いです。明治末期ごろから市民による桜の寄贈が盛んになったからで染井吉野桜・しだれ桜・八重桜など2,600本52品種の桜があります。樹齢100年以上の木は400本。日本一太い染井吉野桜もあります。専門家が桜の木の一本ずつの様子を見て世話をしています。弘前城では、どう見ても天守と思うものが意外な所にありました。ほらね、天守だけがあります。かつてこの天守、寛永4年(1627)の落雷によって消失しました。改めて天守を造営したいが天守造営を
三重県、岐阜県は大雨でしたが、滋賀県長浜市まで来ると、雨は降ってませんでした。ここでお昼ご飯を予定していましたが、痛恨の時間に間に合わず...。なのでお昼なしで旅を続けます。長浜城を見学します。豊公園駐車場を利用出来ます。公園からは琵琶湖が眺められます。本丸跡長浜城天守です秀吉が羽柴性を名乗っていた頃、この付近を治めていました。もちろん復元です。ここにきた理由は本物の石田三成自画像が飾ってます。秀吉推しなのに石田三成の資料が多いという謎がありますが、結構見応えありです。天
高取城訪問レポートその3です。高取城の特徴として次の4つが挙げられています。1.標高の高い山城であるが近世の施設がある戦国時代以前の山城は山上の要害に築かれていましたが、近世になるにつれ小高い丘や平地の中心部に居城が移されるようになりました。高取城のように山城のまま石垣、天守、櫓のみならず、居住用の御殿まで山頂に築かれた例はきわめて少ないと言えます。山の上では防御には適していましたが、領国統治には不向きだったためです。高取城は幕府から特例として城の修築も藩の判断で行うことが認められて
本日の「天守台シリーズ」は、第82弾「松山城」(愛媛県松山市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台
松本城長野県松本市松本城公園令和6年(2024年)1月10日㈬撮影松本駅から1km、松本城公園に到着しました。1年4ヶ月ぶりの松本城訪問*前回撮影令和4年(2022)8月3日(水)『松本城長野県松本市』松本城長野県松本市令和4年(2022)8月3日(水)撮影有料区域へ入場天守閣は国宝天守閣入口急な階段を登り天守二階天守六階最上階最上階からの眺め階段を降り天…ameblo.jp1月上旬の寒い平日、観光客の姿は少なめ*松本城長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡[注1]筑摩野
急遽、熊本出張となり、時間的な余裕が無いので、早起きをして熊本城だけは何とか訪問できた。前回の熊本訪問では、天守は絶賛建設中だったが、小天守も含めて完成してる。地震からの復興の歩みを感じられて嬉しい。過去4回熊本城を訪問していたが、観光客がアクセスしやすい西側からの登城ばかりだった。今回は早朝で開園前ということもあり、長塀を見ながら、東側から北側に回り込む。地震で崩れてる部分が多いが、勾配が急で在りし日の石垣を想像するのに難くない。南側から見るよりも天守が近く見え、迫力がある。北十八間櫓
織田信長のお城の集大成は「安土城(前編)」(滋賀県近江八幡市安土街)であることは言うまでもありません。天下人のお城であることを内外に示すために、この地を選び築城し完成させたのが1579年です。過去の日本の建築物を凌駕する巨大さと美しさを備え、琵琶湖畔に聳え立ちました。屏風絵風陶板壁画(安土城拡大、安土城郭博物館内掲載)現在の安土山に建造され、六角氏の観音寺城を見本に総石垣造りで、天守も初めて石垣の上に建つお城となりました。地下1階地上6階建ての天守(天主と当時は言われた)の他に、内裏の
旅館で朝食を食べ『丸岡城』柴田勝家の甥で養子となった「柴田勝豊」によって築かれた「丸岡城」は、天守だけが残っています。北陸地方の唯一の天守でありながら、「現存天守(現存十二天守)」の一つです天守は、1948年の福井地震によって倒壊した後、1955年に部材を70%以上再利用し、組み直して修復再建された。この急角度の階段は日本一とか2番目は、彦根城の階段らしいです『東尋坊』断崖がなんと1kmにもわたって続いていて、国の天然記念物に指定されています。2時間サスペンスドラマのお馴染みの