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高松城ミニサイズの縄張り#高松城
前回の続きから、「高知城を国宝にする県民の集い」の事務局長、島崎さんに城の中枢本丸を紹介していただきました。高知城は、1611年に初代土佐藩主「山内一豊」が築いた歴史ある城です。本丸に来て、初めてわかることが。島崎さん「天守が基礎になる天守台に乗っていません。下から見ると大きいですけど、ここに来るとあまり大きくないなと。」三山ひろしさん、川辺アナ「確かに!そうですね。」島崎さん「本丸御殿は別名懐徳館とも言いますが、本丸御殿と天守が一緒に残っているのは高知城だけです。」本丸御殿
幻の金沢城天守閣の復元ジオラマ#金沢城天守
旅の最後に待っていた洗礼3日間満喫果たしていくら国宝指定の松本城天守を望む2泊3日の長野・群馬旅行の最終目的地は信州まつもと空港でのレンタカー返却の都合もあって松本城に設定してあった。戸隠神社中社近くで戸隠そばのランチを済ませると、山道を下って長野市内へ戻り、高速道路で松本を目指した。築城は520年前の1504年、1590年から1600年ごろに天守が築かれたとされ、それが現存、国宝に指定されている。天守が国宝となっているのはこの松本城の他に、姫路城、犬山城、彦根城、松江城
続き↓『浜松城×さわやか』財布の紐がゆるゆるになりすぎててヤバいと感じつつも止められない衝動🤑💸人生初の娘ちゃんと2人旅に行ってきました🚄✨息子くんも誘ったんやけどウザ〜いこと言われた…ameblo.jp遅めの昼ごはんの後はコインロッカーの荷物を回収し掛川へ🚃💨SNSでちょいちょい目にするドーミーインというビジネスホテルに泊まってみたくて探してたら掛川で見つけたのです‼️‼️しかもちゃんと駅から徒歩圏内☺️✨✨車以外で行くときは駅近かどうかが私の中では最も重要かもしれ
高松城ミニサイズの完成#高松城#お城#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
8月9日リニューアル、グランドオープンした文化の森徳島博物館へ行って来ました。考古、歴史、民俗、美術工芸、植物、地学興味深い物てんこ盛りさて私はどこで👣を止めたかお昼頃噴水が沸き上がるみたいです。丁度12時少々過ぎ。今まで徳島城の姿を見たことが無く、いったいどんな格好だったのか?どこへ行けば知れるのか興味津々。今日徳島城の模型が見られて本当によかった。全国的にみて小規模的な天守であったと考えられる。表御殿の建物に使用
高知城の魅力を再発見!!続いて、『追手門』から『杉の段』へ。森澤さん「あそこにある木はカヤの木と言って樹齢600年ほど経っています。」森澤さん「高知城より歴史が古いです。高知城の歴史を見守ってきた、そういう木になります。」森澤さん「すごく高価な木で、碁盤や将棋盤などを作る木なんです。」森澤さん「時価1億円と言われています。」ひろしさん、川辺アナ「えっ⁉️すごーい❗️1億⁉️」(ナレーション)カヤの木は、長い年月をかけてゆっくり成長する木。木が硬いため、碁盤や将棋盤にも使
『城コレ』高松城手のひらサイズでもそこその範囲で作れるんです。#高松城#城コレ#お城#登城記念#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
「お城」の「天守台シリーズ」第49弾は、「高取城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いて
現在の小倉城天守です。小倉城再建天守は、「小倉城」「小倉城天守閣」「小倉城復興天守」「現小倉城天守」など色々な名称があるかと思います。正式名称は「小倉城」のようなのですが、本質的な意味での小倉城と混同してしまうので、ここでは小倉城再建天守として呼ぶことにします。はじめに現在の小倉城天守と昔の小倉城天守の外観は異なる点がたくさんあります。1番大きなところは、大ぶりな破風をいくつも設けたことです。これにより、当時最新式であった層塔型天守が当時時代遅れとなりつつあった望楼型天守と
今回は、土佐のシンボル『高知城』へ🏯✨追手門と天守が一緒に撮影できる高知城。記念に撮りました。いい感じになりました!「いい写真撮れましたか?」と声をかけられました。ひろしさん「あっ!!びっくりしました!撮れました!」青い制服姿のガイド歴4年の森澤さん(歴史好きのボランティアガイド約140人が所属…高知市を中心とした観光地のおもてなしをしている"土佐観光ガイドボランティア協会"の方。)「追手門と天守が一緒に撮れるのは、高知城、丸亀城、弘前城の3つのお城しかないんです。」と、ここから
【以下ニュースソース引用】祝・北陸新幹線開通!改めて訪れたい越前の城ARTS&CULTURE2024.04.15福井城。本丸を囲む壮大な堀と石垣が残る(福井市)萩原さちこ城郭ライター小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。…2024年3月16日、北陸新幹線の金沢-敦賀間が開業し、福井県に新幹線が開通した。延伸により東京駅から福井駅まで乗り換えなしで3時間かからず直行できるようになった。そこで今
2月に実家に帰省した折、念願の犬山城に行ってきました現存する日本で最も古いお城にやっと会えます堂々たる天守に500年の歴史を感じドキドキです実際に合戦で使われた鎧を前にして戦国の世に思いを馳せましたそして、いちばん楽しみにしていたのは500年の時を経た梁を見ることでした日本家屋の梁が大好きなので最古の梁に、わくわく💓ですお昼は、尾張の出の母が、『犬山に行ったら、とうふ田楽と菜めしを食べないかん』と教えてくれたので、創業140年の老舗、松野屋さんに寄らせていただきま
高取城天守製作中#高取城#お城
二日目混雑する前に弘前城公園の桜を見ましょうとホテルを7:30出発今日も曇り空で一寸寒いセーターを羽織り弘前城公園の120分の自由散策です朝から大型観光バスが何台も訪れており特に外人観光客が多かったです日本三大桜名所の1つの弘前公園弘前城公園の桜は「桜守り」の管理により1つの花芽から咲く花の数が4個から5個と多いのが特徴で他の桜より花の密度が濃いです弘前城天守と枝垂桜晴れていれば遠くに「岩木山」が望めますが残念でした弘前公園内の約2,600本の
屋根が緑に見えます。緑青。お花見の季節だったので、かなりのにぎわいでした。天守閣からの展望。少し曇り気味です。大都会に鎮座する和風で古風な大建築物。正面下からのアングル。桜のお花見の季節に、大阪城へ行く機会がありました。桜がきれいな土曜日でしたので、公園内もお城の中もたくさんの人でした。姫路市民からすると、「姫路城は世界遺産、姫路城は木造建築」「大阪城は鉄筋コンクリート造り、大阪城は博物館」の「おらが村意識」が出てしまいますが、暑い夏や寒い冬に適温
ホテルからタクシーで唐津城に向かいます。途中、お城がよく見えるところで少し停まってもらって撮影タイム三方を海に囲まれた唐津城大きくて立派な天守閣にテンションアップの私たちです。お城を紹介するTV番組で観て、唐津へやってきました(笑)車窓から虹の松原が見えます。全長約4.5km、幅約500mにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されています。松林の切れたところにあるのが、宿泊
南蛮造りの天守の高松城ミニサイズの天守を製作中です。以前は小倉城のプラモを主体に作ってたんですが、小倉城が絶版?の様で殆ど入荷しなくなり、今回は最上階のみを小倉城の部品だけで製作してる。#高松城
【問題】天守の二重目より上の窓が火灯窓(華頭窓)となっているのは、次のうちどの城か?【選択肢】松本城彦根城小田原城弘前城【正解】彦根城【解説】彦根城(滋賀県彦根市)の天守の二重目・三重目の窓は、すべて火灯窓(華頭窓)となっている。火灯窓は火灯形の窓枠をもつ窓で、元は禅宗建築に用いられた様式である。
竹田城ミニサイズ・春の完成#お城#竹田城#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
名古屋城の本丸御殿(前半)現在天守閣には入れません。そこで2018年に復元された本丸御殿の中を見学しました。玄関を入ると、虎だらけ。ビックリします。謁見場所だった表書院です。藩主の身内や側近だけが入れる対面所です。復元後、間もないこともあって、装飾の色も鮮やかで見ごたえがあります。(撮影:2023.10.16)
愛知県、名古屋市の城を巡る会のバス旅行で三重県の伊賀上野城に行って来ました。伊賀上野城は築城の名手・藤堂高虎が築いた城で日本100名城にも認定されています。見どころは多いのですが、その中でここは見ておきたい!というポイントを3つチェックしてみましょう。石垣は上と下から伊賀上野城の高石垣は日本の城でもトップクラスの高さです。この高石垣は上と下から見ると視点が違うのでその高さを実感できます。実は伊賀上野城の西に堀の道というのがありまして、ここから伊賀上野城の高
備中高梁市の観光地と言えば「備中松山城」が一番有名でしょうか久しぶりに登城してみました臥牛山(標高430m)の頂上付近に優美な姿を見せる山城岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)と三大山城にもなっています天空の城塞とし、雲海でも知られるようになりました市街のはずれの城の駐車場からシャトルバスで鞴(ふいご)峠まで上がり、下車後20分ほど登ります市街からハイキングコースもあり、若かりし頃は歩いて上ったこともあります。1時間
日本100名城のひとつで国宝天守&世界遺産の姫路城はいろんな時代の石垣がありますが、その中でもチェックしておきたい古い石垣があります。それが黒田官兵衛が普請したとも考えられる天正年間(1573~93)の石垣です。>>黒田官兵衛普請の石垣の地図🖕それがこの石垣。場所は上山里(かみやまざと:お菊井戸がある曲輪)下段。現地看板には天正八年(1580)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の姫路城改築の時に積まれた石垣と推定されています。当時、黒田官兵衛は秀吉に従い姫路城を明け渡して
2021年3月28日日曜日朝早く奈良を出発して、大阪の森ノ宮駅にやってきました。ここから歩いて大阪城公園を散策するのですが・・・・・・午後から雨模様の予報なので午前中に散策を終えるつもりです。JR森ノ宮駅からは大阪城公園が目の前ですね。空はどんよりとしていて、今にも雫が落ちてきそうです。地面は既に濡れていますから朝早くに雨が降ったのでしょうね。満開の桜はお出迎えしてくれましたが、なにせ曇り空なので映えません。でも、雨が降らない
4/30開催の、~名古屋駅開業130周年記念~「藤棚の香りに包まれ、新緑の名古屋城を巡る」JR東海のさわやかウォーキングに参加しました。名古屋駅から四間道を通り、浅間神社と愛知護国神社に参拝してから、いよいよ名古屋城に登頂です。さわやかウォーキングの参加者は100円割引で入場できました。名古屋おもてなし武将隊もいるようですね。名古屋城と言えば、金の鯱(しゃちほこ)のイメージですよね。入り口には原寸大のレプリカがありました。うわっ、
※以下の2018年1月作成の文章では、現在の小倉城再建天守の破風をとることで、江戸時代の天守の姿に近づけるべきだと主張しています。しかし、2021年8月現在は、再建天守の現在の形態をそのまま保存すべきだと考えています(追記参照)。前の記事にも書いた通り、昔の小倉城天守と今の小倉城天守は異なるところがたくさんあります。城郭が好きな人には常識かもしれませんが、現在、木造、コンクリート問わず、建っている天守は、現存天守、復元天守、外観復元天守、復興天守、模擬天守に分類されるよう
2020年11月21日土曜日名古屋駅から「ワイドビューしなの」で松本へ、そこから観光バスで高速道路を乗り継いでやってきた最初の観光地は、会津若松の鶴ヶ城です。感染者の多い東京を経由せずにここまでやってきましたので、比較的安全なルートだと思えますが、ずいぶんと大回りしましたね。難攻不落の鶴ヶ城と言われています。戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月するも、城は落ちませんでした。黒船が現れ世間が揺れる幕末で、日本最後の内戦「戊辰戦争」があったのです。
急遽、熊本出張となり、時間的な余裕が無いので、早起きをして熊本城だけは何とか訪問できた。前回の熊本訪問では、天守は絶賛建設中だったが、小天守も含めて完成してる。地震からの復興の歩みを感じられて嬉しい。過去4回熊本城を訪問していたが、観光客がアクセスしやすい西側からの登城ばかりだった。今回は早朝で開園前ということもあり、長塀を見ながら、東側から北側に回り込む。地震で崩れてる部分が多いが、勾配が急で在りし日の石垣を想像するのに難くない。南側から見るよりも天守が近く見え、迫力がある。北十八間櫓