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私は度重なる家出の末に児童相談所に保護され一時保護所で一時的に保護された一時保護所というのは児童相談所が管轄する言葉通り子供を一時的に保護する所で何らかの理由で家には帰れない帰すことができない児童を預かるそこには0歳児〜高校3年生までが入所でき親に育児を放棄されて児童養護施設が決まるまでの間入っている子もいれば非行行動が酷く家庭裁判所の結果を待つ子もいる理由も年齢もさまざま最長2ヶ月間しか入れずもちろん自由に建物内を動くことも出入りする事も
祖母の私達への虐待は止まる事なく続いたそんな中姉が虐待を受けていた時の事姉はもう5年生も終わりに近づき3学期も中盤に入っていたリビングのテーブルの上に置かれた見慣れない冊子表紙には雪化粧の山の写真に「白峰村」と書かれていた私はその時通常の生活をしていた何やら母と祖母がバタバタとしているそんな雰囲気が何もわからない私にも伝わってきた3月中旬春休みに入ってすぐ突然泊まりで出かけると言われたしか母に連れられて姉と私と祖母と4人で電車に乗ったかなり長
それにしても娘があんなに酷い事をされている家の中で平然と生活のできる母の心理状態は少し異常だと思う私が包丁を突きつけられても私が湯船に沈められても姉が大怪我を負っても祖母を止める事なくそれどころか姉に口止めまでしてしまうどう考えても正気の沙汰ではないと思う普通ならこれが他人でも助けようとしない?通報でもなんでもその人を何とか助けようとしない?それを我が子が受けているなら尚更だと思う私がもし自分の子供達があんな事をされたら。。。という
あれは姉が5年生の時の事だった虐待を受ける姉はその日母のピアノの椅子に縛りつけられていたその夜夜中に母が仕事から帰ってきてから母の部屋が騒がしかった隣の部屋で寝ていた私はその騒がしさで目が覚めたまた始まった。。。私はいつもの祖母の暴力が始まったと思っていただけどいつもとは様子が違う気になったけど見に行く事もできない隣の部屋ではピアノの椅子に縛られた状態で祖母に殴られた姉がピアノ椅子ごと殴り飛ばされ母の部屋にあったハンガーラックの角に顔を打ち
母は私達が虐待を受けていた時どんな気持ちだったのだろうどうして助けてくれなかったのだろう今でもとても疑問に思う我が子が実の母親からあんなに酷い目にあわされているというのに何故止めてくれなかったのか何故私達を連れて家を出てくれなかったのか私はこのブログを書くにあたって姉から「お母さんの事でもあるしブログを書く前にお母さんに一言言っておいた方がいいんじゃない?」そう言われてブログを書き始めてすぐに母にブログの事を伝えに行った母はその時初めて私に「1つ
祖母は嫁いだお家も裕福でいつも『うちのパパはね』と私達に祖父の話を自慢げにしていた母が高校生の時に病気で亡くなっているので私達姉妹は祖父に会ったことはない祖父が亡くなった後祖父の実家で同居だった祖母は肩身が狭くなりお姑さんにかなりいびられていたと話していた事があるだけど義父はいつも優しくしていてくれたそうでその義父も亡くなりますます居場所が無くなった祖母はその家から出る事になったその後は夜の仕事をしていたと聞いたけど持病の喘息や顔面神経
祖母は私達をどんな風に育てたかったのか。。。そして私達に何故苛立ちを覚え始めたのか祖母は私達を引き取ってから女の子らしく慎ましくお上品で可愛らしくマナーのある子。。。きっとそんな風に育って欲しかったのだと思う引き取ってからの私達を祖母はまるで着せ替え人形の様に扱ったいつもフリフリの服を着せられ学校に行く時も毎朝私と姉の髪の毛を編み込んだ女の子だから女の子なのにいつも口癖の様に言っていた私はフリフリの服を着せられるのがとても嫌だったもち
この時も祖母に叱られている最中だったまたいつもの様に祖母は私に説教や暴力を振るう最中に私の態度や表情に激高した私は小さい時から気持ちが顔に出やすい言葉は発さなくても顔に出てしまういつも祖母に殴られながらグッと自分の感情を抑えていたでもたまに耐えかねて顔に出てしまっていたそんな態度に祖母は余計に腹が立ったのだろう突然私の髪の毛を鷲掴みにしてそのまま引っ張って洗面所に連れて行ったそして祖母は洗面ボールに栓をしたその瞬間私は頭が真っ白に
無事に祖父母に会う事ができた姉は家を出てきた訳を祖父母に話した祖父母は事情は理解してくれたものの姉を引き取る事はできないと。。。その日の晩のうちに母に連絡をしてしまった父方の祖母は電話で母に「引き取ったのに家出してくるなんてどうなってるの!」そう言った連絡が入った母と祖母はすぐに名古屋に向かった翌日の朝には2人が迎えにきたあんなにも大変な思いをしてやっと祖父母の元に辿り着いたのに呆気なく連れ戻された姉自宅に帰るともちろん言うまでもなく
祖母がどうしてあんな事をしたのか?できたのか?祖母の過去に何かあったのか?何故?どうして?そんな質問を沢山頂くけど正直姉にも私にもわからない。。。むしろ私達が教えて欲しいと思う。。。どんな理由があるにせよ決して許される事ではないだけど私も考えなくはないあの人に落とされた闇は一体何なのか?母に聞くと子供の頃から祖母は何不自由なく育ったと言っていた本当にそうなのだろうか?外側から見れば不自由なく幸せに育ったように見えただけでは?もし何も原因がない
母がどうして父の元に姉と私を置いて行ったのか。。。『お母様には彼がいらっしゃったのでしょうか?』『お母様は何故お父様の所へ置いたまま出て行かれたのでしょうか?』『こうなる事は想像できたはず。。。』こんな質問を度々いただく。。。私は当時何も事情を知らなかったし気がついたら母がいない生活だっただけどきっと何か私達を置いて行かなくてはならない事情や理由があったんだろうとは小さいながらに思っていたし私達を置いて出た母を恨んだ事は今まで一度もない私がこのブログを
あれは真冬だった私は毎日24時間玄関に立たされていた時期があったかろうじて服は着させてもらえていたものの足は裸足だった暖をとる事もできずずっと玄関に立っていた何故玄関なのか理由は忘れた誰かがうちに来るたびに玄関先から見えないように移動する事を祖母から指示されて尋ねて来た人が帰るとまた元の位置に戻される真冬だったため足は冷え切って感覚が無くなっていた玄関に立たされるようになって数週間が過ぎた頃私の足の色が変わり始めた足の指はどんどん黒く変色してい
私達姉妹が家出を繰り返すため祖母は私達が自由に動けないよう手足を帯紐で縛り付けるようになった手が自由に使えなければ玄関の鍵も開けれない手だけを縛る時もあれば手足を縛る時もあった2段ベットの柱に括り付けられる時もあったそうなってしまえばもちろん祖母からの暴力を受ける時は腕で自分を庇う事も逃げる事もできずサウンドバック状態もう最悪の状況だったある時祖母は私に激高してまたベットの柱に私を縛り付けた怒りのままに力いっぱい縛り付けた紐は私の手首に食い込
うちには細かなルールみたなのがいっぱいあったお風呂に入る前の挨拶やお風呂を出てからの挨拶母が夜働いていたから夕飯は17時から昼間は母が寝ているから静かにする事9時には布団に入るゲームは買わない女の子だからスカートしか履かない週末は家族全員で家の掃除その他にも細々とルールがあった1日の過ごし方も細く時間配分が決まっていたうちは母が夜働いていたから昼過ぎまで寝ていただから私達のお世話や家事全般は全て祖母がしてくれた今までやった事のない事も沢山
私は一時保護所から帰宅して数日後施設に人所するための準備をしていた荷物をまとめている時祖母から「これはこの家で買ったものや!持って行くな!」と嫌味を言われながら支度をした施設に入ることが決まっていたためさすがに暴力は振るわれなかったけど祖母は最後の最後まで私を罵った私は必要最低限の荷物をまとめ母に連れられ施設に向かった私が入所した施設は都会のオフィス街の中に建つ大きな建物だった祖母から監禁を受けている時沢山読んだ本その中に出てくる子供を預かる
祖母の虐待は回数を重ねるごとに猟奇化していった。。。今考えると本当にどうしてあんな事ができたのか人の心がある人間にできる事なのか?と思ってしまう程祖母の虐待が激しくなればなるほど姉も私も祖母から逃げる祖母は私達に逃げられないようにあの手この手を使ってきたある時は姉の虐待の時も私の虐待の時も毎日の学校の登下校を母に送り迎えをさせるようになった前に住んでいた家では神経質なくらいに夜中まで働く母が昼間は寝ているからと私達に静かにするように言い聞
この記事は下書き段階で姉から公開するのを控えようかと話がありましたが、コレまで読んでくださった方の応援もあり引き続きよろしくお願いします。※このブログはフィクションではありません。私達姉妹が歩んだ実録です閲覧内容に辛い気持ちになる方も多くいます。心してお読みください。私はこっそり姉に聞いた事があった「お腹空くやろ?どうしてる?」姉は答えた「学校行ってる時は給食のパン残して持って帰ってきてちょっとずつ食べてた。今はベランダのゴミの中に食べれる物あったら食べたりみ
私達姉妹の家出姉は祖母の虐待が始まってから以前も書いた様に家出を繰り返したもちろん私もそれを見ていたため家出を繰り返したが私はといえばお金もなく着の身着のまま家を飛び出して行く当てもなく団地やマンションの駐輪場などに身を隠すしかなかった友達に助けを求めた事もあったが親御さん達が不審に思いすぐに家に連絡が入ってしまう食べる物もなく限界が来た私達はとうとうスーパーで食べる物を盗んでしまったそれが見つかって補導されて家に連れ戻された事もあ
無実の罪をきせられた後も私達が言う事を聞かないからという理由で祖母はしばらくの間母をホテル住まいさせた事があるらしい私達が言う事を聞くようになるまでは母をここへは帰ってこさせない。と母の意思ではなく祖母の指示だったこれは姉から聞いた話で私の記憶には残っていなかった姉から最近になってその話を聞いた時そんな事をしてなんの意味があるのか?と思ってしまった本当に今考えても祖母のやり方は理解できない。。。この頃にはもう祖母は私達を引き取ったせいで。。。
施設での新しい生活3歳からほとんどまともな生活をした記憶がなかった私にとって施設に入ってやっと普通の生活ができるようになった何よりも施設に入るまでの私はずっと心が休まる瞬間がなかったのだと今になって感じている自由はないけど理由なく怒鳴られる事も理由なく殴られる事もない生活やっと安心を得ることができた施設で生活する子供達の入所理由は様々生まれた時から親の顔も知らない子私同様虐待を受けた子ネグレクト生活苦みんなの心の中はわからないけど寂しそうにして
祖母はとても神経質で厳しい人だった考え方にも物凄く偏りがあったもちろん躾という点に関しては大人になってから生きた事は沢山あるだけど祖母の圧みたいなものは母に引き取られてからずっと感じていたし私達が祖母に何かを意見する事自分の気持ちを言う事は自然と無かったというか言えないが正解だったかもしれない母も含めた私達3人共それが当たり前だと思っていたし祖母の言う事は絶対の様な雰囲気はいつもあったきっと姉も同じ事を感じたんじゃないかと思うこの家
姉が4年生私が2年生の終わり頃突然引越しをする事になった家の経済的な理由だった学校も転校新しい学校にはすぐに慣れて新しい友達も沢山できただけど。。。この引越しが最大の悪夢の始まりだった姉と私はそれぞれ友達もできて年齢的にもあまり毎日を一緒に過ごす事もなくなっていたそんなある日姉から聞いた一言に私は少し頭の中がパニックになったのを今でも覚えている姉「もうな。ずっとパンツ履いて学校行かせてもらってないねん」私「え?どうゆうこと?」姉「パンツ
姉が白峰村へ行ってから私は実は少しの希望を持っていたそれは祖母のターゲットが2人では無くなったことだった今までは2人のターゲットがいた祖母は2人同時に同じように接する事ができないだから片側だけを虐待してその間は片側を普通に生活させるターゲットが1人になれば虐待は起こらないかもしれないそんな期待があったけれどその期待は奇しくもすぐさま裏切られた姉がいなくなった直後から矛先は私のみになってしまったそれは私にさらなる絶望感を生んだもう終わる事はないそう感
姉はそれからも何度か家出を繰り返したその度に祖母と母に見つけ出されて連れ戻される母に見つかり服を掴まれその服を脱いで逃げた事もあった祖母に見つかり走って逃げようとして姉の目の前を歩いていたカップルに祖母が「その子捕まえて!」と叫びそのカップルに捕まえられた事もあった母の弟に見つかり担がれて車に押し込められた事もあったそれでも姉は何度も祖母から逃げた捕まればその後は地獄それでも逃げたかったそして姉が祖母から虐待を受け始めて数ヶ月。。。突然姉
姉の過酷な日常はしばらく続いたそんなある日姉は祖母から逃げるために家を飛び出した行くあてもなくとにかく祖母からこの生活から逃げるために。。。小学4年生これが姉の初めての家出だったとは言え行くあてもなくどうしようか考えてたどり着いたのは家から1キロ程しか離れていない総合病院の待合室だった姉は1日中その待合室で過ごした夜になって病院の職員さんが姉を不審に思い声を掛けてきたそして家に帰るよう促された姉はしぶしぶ病院を出たそしたらその職員さん
名古屋に辿り着いた姉姉の持っている祖父母の情報は名古屋に住んでいる。。。ただそれだけだった10歳の姉はとりあえず駅のロータリーに停まっていた沢山のバスのうちの1台に当てずっぽで乗り込んだどこへ向かっているかもわからないバスに揺られながら外を眺めているとどんどん人気や建物が無くなっていく姉は不安になって名古屋駅からかなり離れたと思われるバス停でバスを降りた降りた先は人気がほとんどない小さな町だったどこへ向かえばいいかもわからず引き返そう
それからも祖母の姉への虐待はエスカレートしていった学校から帰ると部屋から出てくるなと指示をされていた姉今までは部屋の勉強机に座っていたのにその次に出された指示は「立っとけ!」だった。。。姉は座る事すらも許されなくなった家で過ごす時間は自分の部屋で立たされるか呼ばれて何時間もの説教を受ける家では食事も与えてもらえないのにその説教の時間は姉以外のみんなが食宅を囲み食事をしているのを目の前に説教を受けなければならない日もあった私としてもどんな顔で食
私はその後警察に保護されそのまま一時保護所に保護されたこの時は今までで最長期間の保護だったある日のケースワーカーとの面談「もうここから出なあかんねんけど。家に帰る?家に帰りたくない場合は施設に入るっていう方法があるねんけどどうする?」と聞かれた私は即答で「家には帰りたくない」と答えた「じゃあ。施設に入れるように手続きするね」私に一筋の光が差したこんなに嬉しい瞬間は今まで味わった事がなかったやっと地獄から抜け出せるそれから数日後一旦家に帰されて後日施
姉は見つかっては家に連れ戻され家を出ないように監禁されたそれでもあらゆる方法を使ってまた家から逃げ出しそしてまた家出をするとおじさんの所へ行ったけれどおじさんにいつまでも面倒を見てもらう事はできないと姉は感じ取っていたそして姉は次の決断をするおじさんの車のダッシュボードに少しだけお金が入っているのを姉は知っていたおじさんの目を盗みダッシュボードに入っていたお金を握りしてめて姉は駅に向かった。。。姉が向かった先それは父方の祖父母が住む
姉は毎日祖母からの暴力を受け身体はアザだらけになっていたある日学校の担任の先生に今の生活の状況を打ち明けた当時の姉の担任先生は姉の事を気にかけてくれる様になり姉は毎日保健室で朝食を食べさせてもらったけれど先生は姉の身体のアザを見て家に連絡をしてしまったもちろんその結果祖母は自分のしている事を話されて激怒したただ学校へは姉が悪いから躾の為だと。。。自分の体裁の良くなる様に話をした虐待をしている人間は大抵自分の体裁が良くなる様に