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いつも自分をことを大事に宝物のように守っていてくれた大切な人が亡くなったことを受け止めるまでには人それぞれ必要な時間があると思います塞ぎ込み家に閉じこもったまま…周囲の人がずーっと心配してくれていることが痛いほどわかる色々考えてみる…でもどうしていいのかわからない大切な人の他にもちゃんと私のことを大切にしてくれる人がちゃんといることに気づいたらいつも味方
背の高い猫のフードボウル、花峰窯で絶賛販売中です。新型は脚部と皿部が着脱出来て洗うのが簡単です。器の高さを出すことで、関節への負担を軽減し、吐き戻しのリスクを下げることが出来ると言われています。様々な高さ、大きさ、ワンちゃん用もありますので、是非、花峰に一度お越しください。作品の一部はCreemaでも販売中です。Creema(渡辺元気)花峰窯ブログは過去記事はシーサーブログにありますが、今後はアメーバで続けていこうと思います。ブックマークはこちらでお願いします。今後と
家族ががんになったら支える側の家族は色々なこと我慢しようと考えますよね患者さんは病気の進行と共に物理的にできないこと我慢することが増えていきますそんな中で家族は自分だけが楽しく過ごすなんてと思うものです家族なのによく笑っていられるよね家族なのにもっと気をつかわないのかな家族なのに…そんな言葉が耳に入ってくることがありましたおいしいもの食べたら嬉しくなるし
ただただ隣にいることしかできないと寄り添い闘病する日々唯一できることすら崩れかけそうになる患者さんはどんなに気丈でも心の安定を保つのは難しいのですそうわかっていても躁鬱が混合する状態に心が音を立てて壊れますどこで怒りをかい声を荒げられるか…地雷を踏まないようにいつも緊張していました辛くて逃げ出したいのは患者さんなのですどんなに辛くて
家族が亡くなった後はやらなくてはならないことが数多くあります私も夫が亡くなった後待ったなしでやることに追われ怒涛のような日々を過ごし数か月ある日もともと好きだった曲平原綾香さんのJupiterがテレビから流れてきましたひとりじゃない深い奥の胸で繋がってる私を呼んだならどこへでも行くわ意に反して涙が溢れに溢れて…夫が亡くなった後本当に本当にたくさんの人に支え
癌患者は私を含めセカンドオピニオンはハードルが高いのが現状①主治医との意思疎通がままならないとか...②治療方針に疑問があるとか...③交通の便が悪くて通院が困難とか...④病院の老朽化した施設に不満があるとか.........悩んでいる患者人数ほど理由は人其々一般の病と違って癌は一生のおつきあい長期化するという前提で命を預ける((((;゚д゚)))アワワワワ最初に癌と診断されたら病院側からの紹介状が無い限り余所見はできない癌です!と宣告された時点で
こんなことを言ってあげればよかったこう答えればよかったそんな思いが強く残る…病室で死期が近づく夫今日明日に亡くなっても不思議はない状況だと主治医の先生が仰れ周囲は気遣いから私にとにかく後悔のないようにどこまでやったところで前述の感情は残るのです後悔が薄まることはなく本人に正解を聞きたいと、この期に及んで思ってみても…大切な人を亡くし遺された人
『トークライブ脳腫瘍』開催のお知らせ|全国の脳腫瘍患者と家族を支援します。脳腫瘍のことをもっと知ってほしい。脳腫瘍患者さん・ご家族に元気になってもらいたい。一人で悩みを抱えることなく、仲間として同じ目線で一緒に語りませんか。情報交換と交流の場として、みなさま、お気軽にご参加ください。日時:2024年5月18日(土)13:45-15:00開催方法:会場とZoomのハイブリッド会場:www.jbta.org脳腫瘍の患者さんやご家族は、脳腫瘍が希少癌であるがために、孤独な闘
3月と言うのは日本流だと年度末。一つの区切りですよね。サラリーマンもそうで年度末に限った話ではないですが60歳の「定年」と言う節目が確かにありますね。退職金などもこの時点で受け取るわけだし・・・一度ここで退職(退社?)するわけですよね。とわ言え最近ではほとんどの会社が年金制度の影響もあり65歳までの再雇用を制度として取り入れています。僕の会社もそうでした。あくまでも退職後の「再雇用」と言う形です。まぁ、給料は1/4~1/3程度に減らされるんですけどね・・・だから65歳での「
闘病中、様々なことがありました患者さんが精神的に不安定になるのはよくあることというよりメンタルを正常にし続ける方が困難です病室で何かが癇に障り物凄い勢いで「帰れ!」と言われ意固地な私は実際に帰宅してしまい…夫は更に逆上言葉と気持ちが裏腹なこと多々あるタイプの夫でしたがいつまでも張り上げる怒鳴り声を病室で受け取り続けてはいられませんでした
姉が甥の春休みに合わせて実家に帰省しているので、先程みんなでテレビ電話をしました退院後始めて姉の声を聞きましたが、声も、話し方も、今までと何ら変わりありませんでした重粒子線を唾液腺に直接当てたことによる副反応で唾液がほとんど出ないそうで、おせんべいなどの誤嚥しやすいものを食べるのはNGとのことですが、他は今までと変わらないものを食べられているとのこと。でも、テレビ電話で見た姉は以前よりほっそりして見えて、少し痩せたー?なんて聞いたら、4キロ痩
悲しい時は泣いて泣いてまた泣いてそれでも泣いて涙が枯れるまで…穏やかさに心は満たされる自分自身を大切にそしてまた笑顔で寄り添いましょう
退院後、家のことや、私達の帰国時の受け入れ準備等、色々頑張ってくれている姉にパワーを送りたい!と思い、急遽甘酒を送りました。本当はnanako7753さん〜舌は不自由だけど…毎日を丁寧に生きよう❗️〜が紹介していた"奄美名物みき"の甘酒を送りたかったんですが、こちらは冷蔵保存必須で姉の家の冷蔵庫の空き状況が分からなかったので、常温保存出来るこちらにしました私、お得に目がなくて‥本当は12本セットを買いたかったんですが、以前、すぐ無くなるだろ
医療は日々進歩していますもちろん、がん研究も同様です治験がはじまりました保険診療に認められましたとか目にしたり耳にしたりすると今まで暗闇を彷徨っていた人に希望の光が見えてくるんだなあと明るい気持ちになりますそれと同時に亡夫のような希少癌はどこまでも置いてけぼりだなと感じるのが正直な気持ちです仕方ないですよね症例数が少ないんですから研究するには到底無理頭では分かって
先日我が家に遊びに来てくれた友人に始めて姉の病気のことを話しました。昨年末に"もしかしたら"姉が癌かもしれないというのは伝えていましたが、その後ずっとその話題に触れずにきました。我が家で姉の話題になり姉が腺様嚢胞癌であること、それが希少癌であること、確立した治療法がないこと、少し前に3週間入院して重粒子線治療を受けたこと等々色々と話しました。その会話の中で、腺様嚢胞癌は短期予後は良いけれど、長期予後が‥という話しをして、"あ、これ以上話したら私
夫が亡くなってから増えたことそれは空を見上げること雲一つない空が一番好きなことに気づいたり朝焼けの空がエネルギーに満ちていること朝日の途轍もない生命力柔らかく暖かく包み込む夕焼けに吸い込まれそうになったりちょっと変わった空だなあと思ったら彩雲やハロという現象があることを知ったり旅先では
困ったり悩んだりしていることがあったら一人で抱え込まずに周りの人に相談しましょうそうは言ってもそれがなかなか現実難しんですよね家族は自分がしっかりしなければと思うあまり感情を抑え込んだり自分自身のことを後回しにしがちです家族だけが休んだり楽しむ時間を持つことは後ろめたいことではありませんほんのわずかでも自分自身のために何かするような時間を持ちましょう心と身体を回復さ
いつも私のブログを読んでくださりありがとうございます。希少癌ゆえに研究が進まない。そんな言葉に心揺らされました。本当にそうです。うちの夫の癌も同じで治験だって腎癌だったら淡明細胞癌じゃないと参加さえできない。希少癌の研究が進みますように。こんな子供が、親が苦しむ病が無くなりますように。
明日の命が…というわけでななくても闘病生活を送っていることは家族も同じ患者さんにはやりたいことやろうよ好きなことやろうよと言えても家族はつい我慢していませんか?家族も好きなことしても良いじゃないですかそれは必ずしも患者さんと一緒に過ごさなくても自分自身が笑顔になる好きなこと思わず時間を忘れてしまうこと患者さんだって家族の無理している姿は見たくないんで
ちょうど50回目の抗がん剤治療を終えた時主治医の先生から治療を少しお休みしましょうと言われてからどんなに辛く苦しくても足を止めてしまったら…という恐怖から現状に向き合えずにいたいえ向き合おうとしていなかったのかもしれませんそこで、私たちは治療をお休みすることに決めましたでもそれは、諦めではなく方向性を変更するという決断でしたそして、治療中の闘病とは異なる闘病の日々を送ることになりまし
希少癌を告知された時点で標準的な治療はなく手探りで治療するしかありませんでしたほんの僅かな一筋の光を求めて漆黒の闇の中歩き続けました一筋の光が手に入ることはおろか一瞬でも目にすることなく進んでいると思っていたのは単なる錯覚にすぎず私たちは同じ場所でただただひたすら足踏みをしていたのかもしれません「治療を少しお休みしましょう」主治医から言われてそう思わざるを得ませんでした
"ますかけ線"ってご存知ですか?手相の話なんですが、感情線と知能線が繋がって一本の線として手のひらを横切っている。そんな手相があるんです。ますかけ線自体割と珍しい手相らしく片手ますかけ線の方が100人に1人程、両手になるとこれが更に珍しく1000人に1人程度だそうです。私の姉はなんと‥両手ますかけ線なんです!両手ますかけ線の特徴が、✧天才肌✧強運✧波乱万丈小さい頃から一緒に居たので姉は姉って感じで普通のことに思えていましたが、よくよく考えてみ
「少し治療お休みしませんか」無機質な部屋で主治医の先生の第一声言葉に詰まる私たちに「少し休んでからまた再開したらいいですよ」50回を数えた抗がん剤治療で健康な細胞が悲鳴を上げていたようですこのまま抗がん剤治療を続けても続けなくても…良くも悪くも現状維持だったということは治療をストップすればそれは進行するということ先生の言う少し休んでから…は
月に一度だった抗がん剤治療がいつからか2週間に一度になった告知の段階で希少癌のステージ4末期がんと言われた夫の闘病生活標準治療もなく終わりのない手探りの治療数値に思わしい変化は見られずお薬を少しずつ変えながら良くも悪くも現状維持時としてその現状維持も限界があるものですちょうど50回目の抗がん剤治療を終えた時主治医に呼ばれたのです窓のない白
今でも亡夫の闘病中のことふと思い出すことがあります自分なりに気持ちの切り替えをしていたんだなとがん治療の一つに抗がん剤治療があります往々にして副作用が伴う治療です亡夫も副作用に立ち向かった一人でした私はいつも落ち着くまで苦しむ夫の手をただただ握り続けていました他にできることもありませんでしたから夫は落ち着くとしばらく眠りにつくのがいつものパターン最初の頃
先日、わたしは【卵巣癌】であることを書きました.さらに、卵巣成人型顆粒膜細胞腫という希少癌のため治療が確立されておらず、子宮、卵巣全摘、リンパ郭清までして10年間の経過観察が必要なことも書きました.私はstage1aの卵巣癌だったので今は経過観察だけなのですなのに……なぜ、スッキリしないのでしょう.なぜ、もう大丈夫と思えないのでしょう.なぜ、毎日不安なのでしょう来週は術後1年2ヶ月目の診察日です主治医から「今回も大丈夫でした」と言われるとホッとする反面次回診察日まで、気持ち
2020年から、希少癌闘病中の母🏥先週いつもの定期検診で、母と2人で主治医のもとへ👨⚕部屋に入ると、いつも温厚な主治医が、イライラ電話してる様子🩺で、母の番🧓前触れもない、突然宣告💦『今の抗がん剤が効かなくなったら、緩和治療。今のが最後。ご本人に危機感の自覚が無いようで、娘さんがいる時に話したほうが良いと思いました。』突然過ぎて、母と二人でポカン🫥毎回検診に付き添い、前回までは、確実に穏やかに診察が進んでた。だからこそ、主治医のあまりの急変ぶりに、思考停止😶年明け、母
私には3人の子供がいるのだけど私は今56歳シングル長女は38歳👩既婚子なし次女は34歳👩既婚12月に第一子が産まれたばかり長男は20歳🧑🏻🦱大学二年生実家暮らし今回、検査結果を話をしても誰1人興味なし誰も心配してないのか「大丈夫じゃないの手術すれば初期なんでしょう」今は画像診断だけだから、取ってみないとはっきりとはわからないんだよって言っても「私だって言われてもわからないよ」って長女だんだん話すのもバカらしくなっちゃった6日に家族と来てっていわれているので長女と長男が
短歌→傾聴に感謝したが聞き取り調査サンプルA食事前研修医来て傾聴かバカねサンプル聞き取り調査この研修医はよく話を聴いてくれる違うよ今後のためか論文執筆のための希少癌癌患者の聞き取り調査のサンプルAだからお間違いなきよう今にしてわかる馬鹿だなあ弱ってたなあ私ったら13時間の悶絶助けもせず姿も見せず苦しみ抜いた私と目も合わせずに目を泳がせいたではないか赤ひげ先生やいずこに頭でっかちの医師が減ることを願ってやまない
少し冷たい言い方になりますが支える家族がやりたいこと好きなこと我慢して苦しい想いをしたところで患者さんの治療にメリットはありませんそう思いませんか私が患者の立場だったら自分がどんなに辛く苦しい日々でも家族の苦しんでいる顔を見る方が何倍も辛い罪悪感にさえ苛まれます私が病気になったばかりに…それよりいつも通りの日常いつも通りの笑顔でいる家族