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【きょうの人】0507■足利義満没金閣寺の建立だけではありません独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■足利義満没金閣寺の建立だけではありません足利義満(あしかがよしみつ)正平13年/延文3年(1358年)8月22日(新暦:9月25日)-応永15年(1408年)5月6日室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)で、金閣寺
〈思い立ったら今年は旅に出よう〜京都編〉本当に何年ぶりか忘れてしまったほど久しぶりに友達と京都に行ってきましたまずは京都と言えば〈金閣寺〉薄曇りではっきりとは見えませんでしたが鏡湖池に映る「逆さ金閣」も風情がありました。1950年に放火により全焼したため現在の金閣(舎利殿)は1955年に復元されたもの。その後、大改修も行われて以前の5倍の金箔が使われているそうです。金閣寺を建てたのは室町幕府第3代征夷大将軍の足利義満。南朝と北朝に分裂していた朝廷を統一した義満は、金閣を含む北山殿に天皇や明
令和5年1月28日(土)朝方は小雪がチラついていたが天気になるようであったので、金閣寺に行くことにした。8時20分頃自宅を出る。京阪電車と市バスを乗り継いで行く。京阪祇園四条駅⇒市バス12系統に乗り換える。25分〜30分。⇒金閣寺道で下車。徒歩5分程。なお、金閣寺へは様々な路線バスの系統がある。京都駅からも市バスが出ている。数日前からの寒波に伴う雪で、京都市内も雪化粧となっている。日の当たらないところの屋根や道など、雪が残っている状況であった。今日はお日様が朝から出ているせい
元は鎌倉時代の公卿で西園寺家の祖とされる西園寺公経の別荘を室町幕府三代源義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされているそうです。北山文化の発展の舞台とされ、義満の死後遺言によりお寺となり夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から鹿苑寺と名付けられたそうです。1950年、当時見習い僧侶だった林養賢という人物により放火され、国宝舎利殿、当時国宝だった義満の木像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財も焼失。今の金閣は事件から5年後の1955年に再建されたもの。焼失前の金閣は金
南北朝・室町時代の復習を◇南北朝時代の美術後醍醐天皇の建武の新政~1392年の南北朝合一まで・唐物(高価な絵画や工芸品)が中国から輸入・バサラ(婆娑羅)の風潮新しい美意識・藤原隆昌・隆章による慕帰家(ぼきえ)・禅宗が中心・禅宗建築バサラサンスクリット語のヴァジュラ(金剛石/ダイアモンド)に由来派手な振る舞い贅沢乱脈な行い邸宅で飲酒遊宴「唐物」(青磁や水墨画などの輸入品)を賭物とした遊び(文芸・社交の場→書院造への発展・茶道や連歌へ整備されてい
銀閣の人[門井慶喜]楽天市場1,980円足利義満の造った「鹿苑寺金閣」と比較される「慈照寺銀閣」。金箔を貼る財力がなかったからとも言われますが、侘びの文化として愛されているように思います。義政の後継候補の義視にしても、父義教にしても、僧籍に在りながら還俗させられ俗世にまみれるハメになったけれど、その間に位置する義政は達観しているというか…。もうこの頃には将軍家の権威は存在せず、戦国時代へ突き進んでいく予兆があり、臣下であるはずの各大名家が台頭しています。そんな中、
○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、金閣寺へ参詣した。随分久し振りの金閣寺参拝だった。池泉回遊式庭園を巡りながら、美しい金閣寺を存分に堪能することができた。○この金閣寺自体が北山文化と言って、日本文化の一つの典型であって、粋である。そのことを改めて感じることができた。今回の京都ぶらり旅では、伏見稲荷大社を皮切りに、醍醐寺三宝院、東福寺、泉涌寺、智積院、建仁寺正伝永源院、建仁寺、錦市場、下鴨神社、上賀茂神社、大徳寺と訪れ、此処、金閣寺まで来ている。○まだまだ京都ぶらり旅は続くのだが、すでに、
足利義満様の時代に発展した北山文化🏯まるで雪景色の金閣寺の様綺麗寂柱の金具が五三桐北山鹿苑寺・茶席夕佳亭寒くて写真撮れなかった所が多々あります水も凍っていました❄海外の方々も熱心に見物されてました。五戒…べし。って最近、誰か様も「するべしするべし…」ってツイートされていたような......(¯·ω·¯)←龍門滝と鯉石𓆝𓆟𓆜𓆞結晶の金閣寺はなんとなくロマンチックでした🎎まふまふ@紅白歌合戦@uni_mafumafuなんと!!まふまふトリビュートアルバムの
金閣寺は勿論何度も来ていた🏯ですが、。°.。❅𓈒◌°.。゜.❅𓈒◌。・。❅𓈒◌。。❅𓈒◌°.。雪景色の金閣寺はやはり言葉では言い表せないとっても美しき風景でした👏🏻👏🏻想像以上に綺麗でラブレターまで書きたくなるようなそんな最高の絶景に終始癒されました💌。°.。❅𓈒◌°.。゜.❅𓈒◌。・。❅𓈒◌。。❅𓈒◌°.とっても素敵ね*†*。Meru。*†*
こんにちは🤗ご訪問いただきありがとうございます♪とても嬉しいです💜夫が気晴らしに私の大好きな京都へ連れて行ってくれました我が家が京都から近くてよかった☆我が家は忌中なので神社には参れませんお寺は忌中喪中関係なく参拝しても良いと言う事でお寺巡りに連れて行ってくれました。まずは鈴虫寺300年の歴史があるこのお寺お願い事をひとつだけ叶えてくれる草鞋を履いたお地蔵様がいらっしゃいますまずは鈴虫が鳴く癒されるお部屋で和尚さんの説法を30分…和尚さんのお話は面白くてとてもいいお話もして
京都の冬の風物詩の一つ、雪の金閣寺に行きました。一年前に、金箔を塗り替えているので一層美しさに磨きがかかった筈😊金閣寺の屋根工事完了で公開(2020年12月29日、京都市北区)#金閣#鹿苑寺#京都京都市北区の金閣寺(鹿苑寺)の舎利殿で進められていた檜皮葺き屋根の葺き替え工事がこのほど完了し、29日、報道関係者に公開された。youtu.be寒波予報が出たので、前日の夕方に金閣寺では雪が降っていることをライブカメラで確認(便利やわ)。金閣寺|臨済宗相国寺派正式名称を鹿苑寺といい、相国寺
車の6カ月点検を済ませ、時間があったので、金閣寺に行くことにした。金閣寺は正式には、鹿苑寺(ろくおんじ)と称し、臨済宗相国寺派の塔頭の一つとなっている。舎利殿の金閣が特に有名なことから『金閣寺』と一般的に呼ばれている。金閣寺は足義幕府3代将軍、足利義満が山荘北山殿を造ったのが始まりとされている。義満の時代北山文化と呼ばれている。金閣舎利殿は平成の修理が済、その輝きやきらびやかな佇まいは誰もが魅了する姿である。鹿苑寺の本尊は方丈にある聖観世音菩薩坐像とのこと。ちなみに、金閣舎利殿には
金閣寺の面白情報ですアメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の一般常識を基本に創られていました。一般常識の中でも、難易度が有…ultra-q.net
さて――1397年鹿苑寺舎利殿金閣は北(きた)山(やま)殿(どの)と呼ばれた足利義満が建立➜北山文化ということになるのですが……1411年足利義持,明使を兵庫にて国外追放(~1432年,明との国交中断)子の足利義持は朝貢貿易を中止した……父・足利義満はプライド捨てて,朝貢貿易なんて汚いマネしやがって,稼ぎやがって!ロクなもんじゃない!(拙筆「【年代記憶】1397年足利義満,金閣建立②」)どうも――?父・足利義満は,子・足利義持に嫌
汚(北山文化)い!ロク(鹿苑寺)なもんじゃ(舎利殿)ない!金(金閣)満(足利義満)野郎鬻(13)ぐ(9)な(7)!・金閣について建立1397年時代室町時代初期所在京都府京都市北区金閣寺町形式楼閣(3層宝形造りの舎利殿=金閣)第1層平安後期寝殿造風の阿弥陀堂「法(ほっ)水(すい)院(いん)」第2層鎌倉期武家造の観音殿「潮音洞」(外壁に金箔あり)第3層禅宗様仏殿造の「究(くっ)竟(きょう)頂(ちょう)」(外壁に金箔あり)名称鹿苑寺舎利
さて――1397年金閣建立(北山殿造営開始➜十数棟の殿舎を造営,金閣はその内の一つ)ということになるのですが……足利義満出だしっから――1361年3歳南軍,京都に迫る➜父・義詮に連れられ,近江へ避難1362年4歳京都に戻る1367年9歳父・義詮没(生1330年~,位1358年~)大変な人生だったようです……で――1368年室町幕府3代将軍足利義満(~1394年)10歳➜細川頼之が補佐将軍になったはいいが……まだまだこ
銀閣寺に行ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこんにちは!希礎塾の西村です(^^)/銀閣寺には中学3年生の時の修学旅行と、大人になってからの一人旅で行きました中学生の時の思い出と、大人になって改めてみてみると建物の大きさだったりとか、周りの景色、行くまでの道のりなどさまざまなことが少し違っていて新たな発見がありますねということで本日は「銀閣寺の日」1482(延徳元)年のこの日、足利義政が造営に着手した山荘です。2月4日
20日水曜はZoomでゼミを実施。秋学期の授業はこれで最後になる。これからは、卒論の校正など、採点(レポート約500人分)、募集論文の審査など、一斉にいろいろな仕事がおそいかかってくる。一年で一番仕事量の多い時期かもしれない。2月、3月ともゼミの懇親会(リモート)はつづけて行こうと思う。やはり人とのつながりは、重要で、何気ない会話からいろんな可能性が広がってくると思うのだ。まちあるきを実践した2回生も単なる名所旧跡めぐりではなくてストーリーを見
冬至過ぎでも、元気に咲いてるバラの品種は、金閣今朝のニュースで、足利義満の肖像画黒い髭の新しい肖像画若い❗鹿苑寺金閣を建てた、義満はすごい⤴️⤴️
1453年、琉球国/第一尚氏王統の5代・尚金福王が亡くなる。…尚金福王は→琉球国を統一した尚巴志王の子(五男)ー↓ー↓ーそれを受けて、尚金福王の子・志魯(しろ)と弟・不理(ふり)が王位継承権を争い「首里城」が炎上。そして、志魯と不理ともに戦死しました。https://ja.m.wikipedia./志魯・布里の乱5代・尚金福王(五男)の「子と弟」ともに亡くなったので、弟(六男)の弟(七男)である越来(ごえ
どうも、#七弦です。今日は久しぶりの快晴で気持ちが良いですね!では、今日も記事をアップしていきましょう。仁和寺を出発して、まずは龍安寺に向かいます。龍安寺は、「石庭」がとても有名です。御朱印も「石庭」と書いてくださります。目が不自由な方の為の「ミニ石庭」もあります。一般の方は触らないでください・・・だそうです。ちょっくら触ってみたい。今度は本物を撮影。1975年にイギリスのエリザベス女王が訪れ絶賛されたそうです。これを切っ掛けに世界でも有名になりました。
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。昨日は、読者の皆様に情報の提供のお願いをさせていただきました。多くの方が読んでくださったみたいで感謝です。早速に、昨日のブログにコメントをしてくださった方もいました。本当に有難く感謝です。本当に有難うございました。昨日のブログを確認したい方はこちらをクリックしてくださいね。『急募!!あなたの情報を提供してください!!』いつもブログを読んでく
★<復刻版>竹内流!誇りのもてる日本史7本編・動画配信開始!平成27年10月10日竹内睦泰講演会室町時代の歴史と文化。日本文化が集約された時代。北山文化~東山文化。征夷大将軍・足利氏について。ご購入は宇宙歴史自然研究機構<UCNO>→<復刻版>竹内流!誇りのもてる日本史7
誰をも魅了してやまない金閣寺。京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺、鹿苑寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣は、京都を代表とするお寺であり、多くの観光客が訪れ、その黄金に輝く舎利殿に誰をも魅了してやみません。金閣寺の歴史は、1224年に西園寺(藤原)公経が建てた西園寺から始まります。西園寺は西園寺家と共に衰退してしまいますが、その荒れた西園寺を自分の領地の一部と交換した室町幕府の第3代将軍、藤原義満によって一新されます。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築でし
★平成27年10月10日竹内睦泰講演会室町時代の歴史と文化。日本文化が集約された時代。北山文化~東山文化。征夷大将軍・足利氏について。2019年7月より順次本編配信の予定。お知らせをお待ちください。
今日は、金閣寺と銀閣寺に「サクッ」と、触れてみたいと思います。両方とも室町時代のお話し。まず、金閣寺。三代将軍足利義満(※1)は、現在の京都市北区の地に北山殿(きたやまどの)という別荘を建てました。死後、その遺言により、北山殿の敷地内に夢窓疎石(むそうそせき)(※2)を開山として「鹿苑寺」(ろくおんじ)が建ちます。その舎利殿は三層からなり、内外に金箔を貼りつけられたところから、俗に「金閣寺」と呼ばれるようになりました。鹿苑寺は、応仁の乱で消失します。昭和にも消失します(※3)が、再建されて
京都と言えば金閣寺と銀閣寺という事で金閣寺(鹿苑寺)40年くらい前(汗)に来た記憶があるのですが…金箔寺、復刻リダンですね(汗)、なんか違う(^^;;銀閣寺(慈照寺)どちらも北山文化と東山文化の代表作ですが観光客にも違いが…金閣寺はアジア系の団体客銀閣寺は欧米の方が必死に撮影しているしかも構図が日本人と全然違う(^O^)オリジナルの風合、銀閣寺の方が好みです。時計と一緒ですね(^O^)
今日配信の、「ジモトノココロ」というインターネット情報誌をみていたところ、京都の「北山文化」と「東山文化」を比較している、「『華やかな北山』と『わび・さびの東山』。京都が見せる意外なふたつの顔」という記事が目に入った。室町幕府の頃に、京都に花開いた「室町文化」がある。禅や能、茶の湯など、今日にまで続く「公家文化と武家文化の融合」を紐解くキーワードとして、記事では「北山文化=華麗」と「東山文化=侘び・寂び」が説明されていた。この話は、中学の歴史や高校の日本史で必ず学習する内容でもある。「北山文
24-2北山文化(14世紀末~15世紀前半、将軍義満の時代前後)北山文化(きたやまぶんか)は、まず鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)に注目しておくことが大切になる。鹿苑寺金閣は、寝殿造風(しんでんづくりふう)の建築の上に禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿(ぶつでん)があり、公家文化(くげぶんか)と中国文化を折衷(せっちゅう)したものになっている。このことからもわかるように、北山文化の時代、武士は文化の担い手へと成長するが、まだ、その独自性を示すにはいたらなかった。➊臨済宗(りん