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12月24日0:00。予定していた家の修復は大幅に遅れ、時計の針がてっぺんを過ぎてなお、私は薄汚れてペンキのはげた時代がかった窓に無心でハケを下ろしていた。窓外に輝くシティーの美しい夜景とは正反対のその崩れ落ちそうな窓枠が痛ましい。「みずえさん…」ペンキ塗りに勤しむ私に背後から遠慮がちに声をかけてきたのはフラットメートのよしのちゃんだ。いすに乗り左手にペンキ、右手にはハケを手にした状態の私は顔を正面に向けたまま背中で返事をした。「はーい」きっとお風呂に入っていい
西郷さんの24時間テレビへの出演が決定した。シドニーでのがんの先進医療、その治療と、ロックダウン中のシドニーの様子などを伝えるもので、日本のスタジオとオンラインで繋いでの生放送ということだった。(実を言うとロケーションの問題でシドニーでは見ることができなかったのだが…。)以前であれば、シドニーで撮影クルーが西郷さん宅に伺い、放映に関する全てを取り仕切ったのだろう。しかしながら、パンデミック勃発以来これまでのようなオーガナイズは不可能になっていた。今回の放映は西郷さんが持参したMac
2021年8月、季節は移り変わり冬本番。8月といえば日本の2月にあたり、シドニーでは一年で最も寒い時期。とはいえ最低でも夜間に2〜3度になることは稀で、零下に至ることはない。西郷さんにとっては、移住者が初めてシドニーで冬を迎える際に思うように、「秋が来てからなかなか冬が来ない」そんな風に感じていたのではないかと思う。それでも気持ちが落ち込みやすい冬にロックダウンで家にこもりがちでは塞ぎ込んでしまうのでは、と思い差し入れの際に、私が14日間ホテル隔離の備えとして購入したVRゴーグル、Ocu
コロナ禍で多くの命が失われた。それは感染症に限らない。ガン、脳梗塞、脳内出血、心筋梗塞…自殺。大病を患い今もリハビリに苦闘する人たち、それを支える家族もあるだろう。世界は平静を取り戻し、一見当たり前の日常が戻ったかに見える。しかしながら大きな何かを失い傷ついた者には日常が辛く苦しいこともある。孤独に陥ることもある。何事もなかったかのように過ぎて行く日々。あの狂った世界がなかったかのように…。周囲の日常に、明るさに溶け込めない己の心の闇にいたたまれなさを感じる。日常に戻ったフリ
過去に努力し許した相手がいるなら、いつかそれを振り返る時が来る。それは自身の心の豊かさに…。過去の許しはいかなる感情であったか。半ば諦め、あるいは相手の立場に同情することで許しに至った場合、己の心に負荷がかかった状態であったはず。その時あなたは楽に許した訳ではなかっただろう。その状況に理不尽さを感じ、我慢し堪えたことだろう。己の善たるを信じ、慈悲の心を以て徳を選んだのではなかろうか。過去の自分を想い、頑張った自分を褒め称え、労い癒す。そして今、努力し許した相手を改めて想う。己の
怒りの感情が時を経て恨み、憎しみとなった時、それは呪いとなる。手放すことが難しい他者への怒りと向き合うことが許しのプロセス。それは他者への理解から始まる。相手の立場を理解し同情に至れば許しは容易となる。他者を許すことは容易ではないかもしれない。しかしながら、己を許すことは他者を許すこと以上に難しい。他者に取り返しのつかない傷を負わせた時、その傷以上に己の心が傷つくだろう。自責の念、罪悪感。相手から許されたとしても己を責める気持ちは変わらない
2月20日。一年前の今日、西郷さんは旅立たれた…。西郷さんに最後にお会いしたのはお二人がシドニーを発つ日。名残惜しくて、コーヒーとサンドイッチを持参し3人でランチタイムにいただいた。ボンダイビーチが最も美しい、快晴の初春。癌が消え、肺に溜まった水も無くなり、軽やかでお元気そうな姿に安堵し、日本で西郷さんのディナーショーを観に行く約束をし、これまでの思い出を大切に噛み締めるように、お二人とゆっくりハグをした。これが終わりじゃあない。これからはシドニーと東京でお会いできる。
西郷さん2022レコード大賞、特別功労賞の受賞、おめでとうございます!実は受賞のことは昨年11月に知った。リビングルームでビールを飲みながら食事をしていると、目の前の父と西郷さんの写真からこんな風に感じた。「いいなあ。たまにはビールも飲みたいなあ、水だけじゃなくてさ。」そこでビールを1本とグラスを二つ写真の前にお供えし、乾杯!そのことを明子夫人にラインで伝えると、功労賞の受賞が決まったとの朗報が来た。ビールの催促は西郷さんがそれとなく伝えてくれていたのかもし
「青い鳥」を読んだ。「青い鳥」といえば、「幸せ」の代名詞にもなっており、この物語の世界的な影響力を窺い知る。「幸せ」をどのように捉えているのか気になりこれまで読んだことのなかったこの物語を読んでみた。ベルギーの劇作家、モーリス・メーテルリンクによって発表されたのは1908年。100年以上も前に書かれたものであることに驚きを覚えた。元々、作品の主題は「生と死の意味」であったが、受け取り側により「幸せ」の代名詞へと変化したようだ。人生の主題が「幸せ」にあることを物語ってい
動画をアップしました。本当にあった、一見怖いけど実はいい話し。B君の家で鳴ったアラームのような音、その正体に驚愕。でもこの「生き霊」の体験から大切なことをたくさん学ばせてもらいました。「生き霊」後編一見怖いけど実はいい話し《超人世理論08》本当にあった、一見怖いけど実はいい話し。B君の家で鳴ったアラームのような音、その正体に驚愕。でもこの「生き霊」の体験から大切なことを学びました。この後にお話しする「奇跡の起こし方」の前提に必要な内容となっています。超人世理論ブログはこちら↓htt
動画をアップしました。本当にあった、一見怖いけど実はいい話し。「生き霊」前編一見怖いけど実はいい話し《超人世理論07》本当にあった、一見怖いけど実はいい話し。この後にお話しする「奇跡の起こし方」の前提に必要な内容となっています。超人世理論ブログはこちら↓https://ameblo.jp/mzfnks/entry-12281465042.html●講演のお問合せ:mizue@waad.com.au(オンラインも可能)【...youtu.be
コロナパンデミックは悪い夢だったのではないか?そんな風に感じる日常がシドニーでは繰り広げらている。心地良い風が吹く日曜日の午後。道行く人、カフェでランチを楽しむ家族、友人。何でもない日常が戻っている。あの異常な世界を経験した後は、何でもない日常が特別素晴らしい。何でもないけれど、何事もないことに安堵する。Ordinarylifeisextraordinary.普通が特別パンデミックで色々失った。失って、学んだことが得たこと。今は何もない。けれど何事もないことが心底
新年明けましておめでとうございます。2023年は新しい流れへと転じる躍進の年世界が激変して以来3年、今年が卯年であることに大きな意味を感じる新年の始まりです。この数年が辛かった人ほど、大きく踏み込んだ分高く高く飛べるのだと信じます。皆様とご家族、周囲の全ての大切な方にとって、今年がかつてない心満たされる一年になりますよう、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。本年もお引き立てのほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。昨年「2022年予測」を投稿し、振り返ってみると、やはりまだ「何
MerryChristmas!!12月25日。今日はクリスマス。クリスマスといえば西郷さんと明子さんと「ChristmasinJuly(七月のクリスマス)」をしたことを懐かしく思い出す…。2週間のシドニー全域ロックダウンが始まった1週間後、その期間は更に1週間、そして更に2週間、更にまた4週間…とロックダウンはどんどん延長されていった。そして追加で厳しいルールが次々とアナウンスされた。エクササイズ以外の外出禁止以外に、食料などの買い出しは一家で一人
先日、日本の母にラインコールをするなり母がこう言った。「ほら、あなたが言ってた歌舞伎の人、坂東彌十郎さん、最近よくテレビに出ていて大活躍よ。」「そうなんだ。それは人柄だねえ。本当に良い人だったもん。」8月に一時帰国した際、大河ドラマに出演する彌十郎さんを見て興奮した私は「ああ!彌十郎さんだ!懐かしい!変わらないなあ。良い役者さんだね〜。昔、猿之助さんのスーパー歌舞伎の衣装制作のバイトに行った時に一緒に飲みに連れて行ってくれたんだよ。」そんなことを母に語っ
感染収束の願いは虚しく、2021年6月26日、パンデミック勃発以来シドニー全域で二度目のロックダウンが決定した。感染の封じ込めができなかった日本と違い、国境封鎖や厳しいロックダウンにより、オーストラリアでは2021年に入ってからは感染者はほぼゼロ、国内ではしばらくの間安全な環境が確立され、皆開放的に伸び伸びと過ごしていた。西郷さんにおいては自然の中でゆっくり養生でき、楽しく満たされた時間が体の本来の生命力を活性化するに違いないと思っていた私は、長い治療を前にロックダウンの閉塞感に西郷さん
もしも意識に音があったなら…我々人類は世界にいかなる音を奏でているだろう。不安、恐怖、憤りの不協和音。コロナ禍以降、不安定な社会が続いている。個々が放った不安の音は折り重なり絡み合い、不協和音の大交響曲を奏でているに違いない。止むことのない恐怖の大合唱。不安を増長する音楽を聴き続けたなら、人はいかに変化するであろうか…。気持ちは落ち込みやがて健康を害することとなるだろう。周囲に大病を患う親族や友人が増えたのは、この不協和音の大交響曲というバイブレーションに肉体が蝕まれた結果なのか
西郷さんと明子さんが山上大使より招待された日本国大使公邸は首都、キャンベラに位置する。普通に考えれば、シドニーに滞在中のお二人が大使主催の会食に参加するだけのことを想像するのだが、ここ、オーストラリアではこれがなかなかの大事になる。というのも、首都キャンベラはシドニーから280キロ南西、メルボルンから660キロ北東と、実に不便な場所なのだ。なぜこんな不便な場所に首都があるかいえば、オーストラリア独立の際、二大都市、シドニーとメルボルン間で首都機能の誘致をめぐる争いがあり、妥協案
動画で見たい方はこちらをどうぞ↓「運命の人」とは?未来の運命の人とどう引き合う?《超人世理論06》「運命の人」とは…「学びのご縁をもたらす人」人としての成長に繋がる人や場所、思想や機会という学びの「ご縁」の根幹にある人。あなたの人生に深く関わり、あなたを成長させ、「ご縁」を繋ぎ続ける人たちに心からの感謝を…。より良く理解するために…超人世理論ブログはこちら↓https://ameblo.jp/mzfnk...youtu.be
「今ガンつけただろっ!!俺を睨んでただろう!!やるかー!!!」道を行く男が突然大きな声をあげ、くってかかった。その矛先は自宅のガレージで何かを探していたらしい、杖をついた白髪の老人だ。男は今にも殴りかかりそうな勢いでプライベートプロパティーにズカズカと侵入、顔を老人の30センチの距離に近づけ叫び続ける。どう考えたって正気ではない。マズイ。男が殴りかかれば足の不自由なご老人は素早くかわすことなどできないだろう。止めに入ろうにも、下手をすれば自分自身が大怪我をするかもしれない。目の前
ボンダイ・ブルー。その名の通り、見事なまでの深く透明な青い海が太平洋の彼方、水平線まで美しいグラデーションを織り成す。そしてその先には天まで突き抜けるオーストラリアらしい紺碧の空が広がりビーチ全体を包み込む。世界的に有名なこのボンダイビーチにはコロナ禍以前は国内外からの観光客が大勢訪れ、常に賑わいを見せていたが、海外旅行客が姿を消した今もシドニーのローカルの人々が集い以前と変わらぬ様子で賑わっていた。西郷さんご夫妻がボンダイビーチに引っ越した翌々日、明子さんからメッセージが届いた。「西
「ホーンテッドなんだよ。」そう言って西郷さんが我々を笑わせたのはテラスハウスと呼ばれる、1850-1890年頃にシドニーとメルボルンに多く建てられたビクトリア朝のタウンハウスだ。そのヨーロッパ風の建築はレース朝にあしらわれたベランダの柵が可愛らしい雰囲気を醸し出している。時代を感じさせる趣のある建物はきれいにペイント、リノベーションしてあっても当然のことながら内部は古く、西郷さんのお気に召さなかったらしく、ご自身のYouTubeチャンネルでは「思いと違うところ」とコメントされている
コロナ禍により激変した世界。我々は共に苦しみ、ニューノーマルを受け入れ、世界はようやく落ち着いたかに見える。しかしながらそれは脳がその性質により「非日常」に慣れ、「日常」と認識しているに過ぎない。パンデミック宣言後の衝撃、恐怖、不安、怒り、憤り、悲しみ…。ただ、苦しみから逃れるために制限された中から少しの楽しみを見出し、ごまかし、やり過ごしてきた。それらへの適切なケアを誰一人として受けてはいない…。我々は皆、心に傷を抱えている。心に負った
世界が動き始めた。2020年、ウィルスという未知なる兵器によりメンタルが完全に犯された。2年という長い年月を脅かされ、怯え過ごしてきた人類にようやく治癒、リカバリーの時が来た。今、我々に必要なのは…揺るぎない決心。被害の大きかった者にとっては怒りにも近い感情があろう。激しい苦しみの克服には怒りが伴うもの。「クソっ、ふざけるな。立ち上がってやる。理想の姿を体現してやる。」腹にグッと力が入り闘志が湧き上がる。怒りを原動力に。意志が行動を変える。理想に向かう選択をさせる。揺る
シドニーの空は広大だ。真っ青に澄んだブルーは天高くどこまでも続く…。北に傾いた南半球の太陽は斜め上から初冬とは思えない強烈な光を放っていた。これまでに何度このオーストラリアのパワフルな光に導かれ、救われたことだろう。迷った時、苦しい時、天を仰ぎ答えを求めればいつも何かしらの気づきを与えてくれる。「輝彦」西郷さんの名前にもこの導きが潜んでいるのだろう。これまでに多くの人の心を照らし、道標となってきたに違いない…。私は冬の澄んだ空を見上げ、取り立てて何かを考えるでもなく、ぼんやりと思
最短に価値があり、遠回りに価値がないわけではない。遠回りには最短にはない経験がある。車で行くと見えない道端の風景が、歩いて行けばよく見える。時折立ち止まりじっくり観察することもできる。思わぬ人との出会いが待ち受けていることもある。車で通り過ぎるその道端にはいつも素敵なストーリーがある。近年においては最速で結果を出すことにのみ価値があるとされる傾向にある。結果を急ぐあまり「好き」を諦めてはいまいか?社会人として職を選ぶ際、お金に繋がらない行動は価値がないとされ、流れ作業の一コマに
西郷さんが生きている…!秋晴れのシドニーの空を見上げ、心の中で叫んだ。西郷さんは今もたしかに生きている。そして皆に影響を与え続けている。人と人とを繋ぎ続けている。昨日、「西郷さんとシドニー」1、2話を投稿した。西郷さんに紹介した、食品会社Mum’sFoodの社長である友人のお母様にリンクを知らせたところ、心温まるメッセージが届いた。ーーーーーーーーーーーーーーーーー涙が出てきたよ!私は一度もお会いできないまま日本に帰られたけれど、私
西郷さんと明子夫人に初めてお会いしたのはちょうど1年前の今日、2021年5月30日のこと。日本の大手旅行会社のシドニー支社長、阿部さんからの突然のお誘いだった。「今度の日曜日、お時間ありますか?」との阿部さんからのメッセージに二つ返事で「あります!」と即答。私は物理的に不可能な場合とスカイダイビングなどの恐怖体験以外は全て「Yes」と答える、母からYesmanと呆れられる性格だ。その後、阿部さんから詳細を聞いた際には、西郷輝彦さんとのディナーという予想外のイベントに心底驚いた
「いいこと沢山ある」西郷輝彦さんとご婦人の明子さんがシドニーを経つ前に下さったカードに綴られた私へのメッセージ。今では西郷さんが日本の全ての人々へそう伝えている気がする。大変な時期はもうすぐ終わるよ。これから先、いいことが沢山待っているよ。だから大丈夫。もう少し。日本のみんな、頑張れ!この2年間、コロナ禍に皆が共に苦しみ抜いた。西郷さんは癌との戦いに最後まで屈することなく立ち向かい、果敢に挑んだ。そして2月20日、新世界へと旅立たれた。