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こんばんは!yumeですいまだに、奉仕をしてる夢を見ます笑笑生活の一部になってたし、体が覚えているんでしょうねぇ…苦笑いさて、長いことJWにいたのでというか青春時代はほぼJWだったのでJWの良き友たち、たくさんいました。いまだに連絡取る人もいます。しかし最近は、コロナで手紙奉仕が推奨されているのかそんなに仲良くもなかった人(失礼!)から、突然手紙やどこから聞き出したのかLINEが来たりします。怖いな!笑答えたくない人にはもちろん答えません。JWを辞めようか悩ん
少しの間、アメブロでひとりになってみましたブログをなぜ書きたいと思ったか?誰に向けて書きたいと思ったか?最初の頃の熱い想いを思い出してみました思い出せました私は、今のままなら「ものみの塔」は、なくならないといけないと思っていますものみの塔は、エアバッグの開かない車を作って売っている会社のようなものですエアバッグが“付いていない”と言って売っているのではありませんエアバッグが“付いている”と言いながら“実際は開かない車”を作り続け、売り続けているのですとんでもないことではないでし
エホバの証人問題に関し、マスコミへの働きかけが始まっています今までも個人的になされてきたと思いますが、今回、海外での虐待裁判等の報道を実態の周知のために用い、この潮目を捉えて、私は「上手い」と思いました海外のものであってもこの動向を、新しい事へと奮い立たせるモチベーションにされた点もです色々なタイミングで何かを仕掛けることは意味があり、何かをしたら、何かは残ります関係者の意識にも変化が生じますいつまでも同じ状態で「どうせ無理」と言っているわけにはいきません...みんな年取って、このま
去年末、私は『覚醒のきっかけ、ある兄弟の場合』(2016年12月11日付)と、『続・覚醒のきっかけ、ある兄弟の場合』(2016年12月18日付)という二つの記事をアップしましたが、その後その元兄弟と再び話す機会がありました参考になる部分もあると思いますのでまた記事にしておきます(※この元兄弟は、去年断絶した人です)元兄弟「こないだの(※自分達の会話の)ブログ読んだけどホンマすごいな、感心するわ!」私「何が?」元兄弟「いや、話した事よく覚えてるなぁ...!(笑)録音してるのかと思うくらい
本年も、どうぞ宜しくお願い致しますm(__)m(いきなりですが、続きです)前回書きましたが、「研究」は続いていましたRさんは質問をたくさんして下さり、ご自身の考えを色々話して下さいましたので、資料は一度にたくさんの節は進めず、ちょっとずつ...ちょっとずつ...という感じでしたかと言って、全然進まないからどうしようということはなく、その時はそれで量はこなせなくとも十分充実していましたRさんはいつも「私はこう思うんだけど...」と深く考えられた黙想の結果を披露して下さいました私は、R
(前回からの続きです)元漫画家Rさんとの研究は、そのような印象的な出だしでスタートしましたRさんには勤め人のご主人さんと、二人の可愛い小さなお子さん(女の子、男の子)がおられました研究は、エホバの証人の“常識”(※一般的には非常識)である、ご主人さんがお仕事で不在の時に私がお伺いする、というパターンで行う事になりましたご主人さんの仕事が変則的なので、それに合わせてRさんが私を呼んでくださる曜日と時間帯も毎回変わり、「週末の日中」の事もあれば、「平日の夜7時から」という事もありました平日
繰り返しになりますが、ものみの塔の出版物や大会では実に様々な信者の経験が扱われますこの経験談、「自分たちだけが神の御加護を受けている」「唯一幸福な民は、エホバの証人だけである」との確信を強める事に一役も二役も買っています「自分たちだけ」...そう思うのは自由ですが、こんな経験もあります...の前に、短く前振りをさせて下さい昔の協会発行の雑誌に、ある日本の売れっ子漫画家の方がエホバの証人になった経験が載せられた事がありましたそれは『目ざめよ!』1988年2月22日号に掲載の「しあわ
前回、今年断絶したある兄弟の「覚醒のきっかけ」について少し書きましたその記事を出した後、その元兄弟が「聞かれた後で、また色々思い出してた」とのことでしたので、参考にしたいと思い、更にその部分についても聞かせてもらいましたザッと書きますQ:どんなことを思い出した?A:〇〇〇さんのブログで『ネクタイ』についての記事があったんやけど、それを読んだ時、引っかかったのを覚えてるQ:へぇ、ネクタイの記事...どんな内容?何が引っかかった?A:暑い時にネクタイを外して奉仕したら注意された、とい
先日、今年断絶した一人の元兄弟に会った際、あることを改めて尋ねてみました詳細は省きますが、高校生の時にエホバの証人と出会い、研究しながら大学・大学院(理数系)を出て就職、やがてバプテスマという流れの方です私が聞きたいと思ったテーマはこれです『あなたはどうやって覚醒したのか?』以下、かなり端折ってまとめてみますQ:どうやって組織の事実に気づいた?ハッとする何かがあったのか?A:何となくおかしいとは思っていた。苦しかった。そういう時ネットを開けて見た。真面目な聖書研究を展開している人のブ
断絶から約3週間後、地元の会衆に巡回訪問がありました宿舎はZ姉妹宅(※...くどいようですが!『王国会館で殺人があっても組織が言うなら通報しない宣言』をした姉妹)...さぞかし強められたことでしょうただこの度は、私の覚醒を大いに早めてくれた(?)正規の巡回監督Fが別の学校の責任者としてそちらに行かれているということで、「巡回代理」の若手のご夫妻が来られました...実はこのご夫妻、ほんの数年前にまだ長老の時、他会衆から通常の訪問講演で一度来られたことがありましたその際、私の群れが食事招待
断絶後、更にこんな事もありましたある姉妹は、私が断絶していても、信者ではない自分の家族の誰かとなら会わせる事が可能だと考え、非信者の自分の娘さんを派遣してこられました辞めるに至った事情を聴いて来させる為ですその姉妹は、私が研究生時代からずっとお世話になってきた方で、断絶発表前、前以てメールでお知らせした中のお一人でしたその姉妹へ断絶前送ったメールには、主に「組織が信者に隠して行ってきた事の事実を知り、私はもう良心的にこの組織に人を入れたくないとまで思う様になりましたこの組織は宣べ伝え
“真理”を受け入れた経験は大会で語られますが、“真理”を棄てた者について、なぜ棄てたか、棄ててどうだったか、その経験が信者の前で語られる機会は決してありません今回は、棄てた後の「ちょっとした出来事」について書きたいと思います大会なんかなくても経験は幾らでも語れます最初に、長老に告白せよと迫った懐かしのC兄弟姉妹についてです断絶発表後、お二人は私の身内に近づきませんでした身内からは、発表後の次の集会前にC兄弟に近づき、こう言ったそうです「C姉妹は大丈夫ですか?」本当に心配して聞いたそ
私はある目的地まで行く乗り合いバスに乗っていましたこのバス、乗客に悪い人は一人もいないんですってなんと誰もが今よりずっと良い人になれる、スゴいバスなんですって!車中では、良いお話を聞き、みんなで歌を唄ったり、仲良く一緒に過ごしますそれを、ずっと、ずーっと続けることに、なっていますもし窓の外を寂しそうに一人、歩く人を見つけたら「一緒に乗りませんか!」と、必ず誰かが誘いますそれは最高に親切な事なのだから、当然でしょう...でも、ある時です私は途中で降りたくなってしまいました体の
断絶届が受理された後から発表まで、この期間中にしなければならない事が色々あり、この時を逃すともう後がないので急いで行動しました逆証言により覚醒されたG姉妹に真っ先に連絡すると、「とにかく明日行きます!」と翌日の朝に家まで来てくれました姉妹とはたくさんの話をしました...今後のこと、そして大事な話もある約束もしました「姉妹とはこれで終わりじゃないです!」と強く言いましたが、最後何度も何度も、心細そうに振り返りながら、帰って行かれましたそれから、伝えておきたかった複数人に断絶を打ち明け
さて、断絶届を提出する予定の時間が近づきましたこの事に関する意思は、もう身内とも、一致していました一致して「良かった良かった!やれやれ」という話では、もちろんありません...一体、断絶という決断の何が嬉しいんでしょう?関係者の誰一人、嬉しい筈などありません行くも残るも、苦しみの決断でしかありませんでした...王国会館に身内を送り出す時、私も身内も泣けてきましたですが、今は浸ったり、弱ったりする訳にはいきません、「行ってくる、終わったらすぐ連絡するから」と、いよいよ向かってくれた
はじめに...牧師さんご家族とのその後です今も奥さんが、本当に時折、メールで深い気遣いの伝わるメッセージを送って下さり、その度、とても自然で温かな思い遣りを感じることが出来ています一切しつこくされた事などはありません「その後、どうされていますか?」「大丈夫でいらっしゃいますか?」と気に掛け、見守っていて下さっていることが伝わってきて、とても有難く、嬉しく...「良かったら、教会へ来てみられませんか?」とお誘いを頂いた事も有りますが、私は有りのまま「組織的なところへ交わって信仰を
その様にして人目を避け、暗くなっての夕刻、私は地元の教会の牧師さん宅を訪問し、ベルを押しました奥さんが出てこられました「夕方お忙しいのにすみません!...私はエホバの証人の者で...」そう言い、ハッとされた奥さんの顔を見た途端、私は張っていた「糸」が突然切れたように、号泣してしまいました奥さんは驚かれましたが、泣き出してしまった私の背中を優しくさすりながら、すぐに玄関に入れて下さいましたとても簡素にされている「狭くてごめんなさい!今日は物が色々置いてあって...」そう言われ、見ると
この時期、自分に関係する強烈な出来事が色々、しかも同時進行的に大きく動いていたので、一体どの事から書けば良いかと本当に迷ってしまいますとにかく前回からの続きを、思い出す事ごとに一つずつ書いていきます...C兄弟ですが、「〇〇姉妹(※私の事)も大切だけど、自分の妻を守ることの方が大切だから早く長老に言って下さい!」と身内に迫ります私たちは、間違った情報でなければ長老に伝わっても...もう構いません「分かりました」と返事をしました...こちらとしては、私が無理矢理『良心の危機』を読む
「姉妹に『良心の危機』を読む様勧められた!」「うちのC姉妹が動揺して『姉妹が言うなら本当かも知れない』って言い出した!」集会前、C兄弟にそのように詰め寄られた身内は「知らん、何の事⁉︎」「確認するから、とにかく待って!」C兄弟に、そうストップをかけ、自宅にいた私に電話を掛けてきたのでした続きです集会が始まっているはずの時間、身内の名前で、自宅にいた私の携帯が鳴りました(何で...?)と思いつつ急いで出ました内容はこうです私「もしもし?」身内「あんなぁ...終わったよ」私
...その様に私はC姉妹とのメールのやり取りで、「本のタイトルは『良心の危機』です」...と、遂に明かしたところ、以下の返信が「C姉妹の携帯」を通して「C兄弟」から送られて来たのでした『〇〇〇〇です(C兄弟の名前)。どうか、エホバに許しと癒しを求めて祈ってください。云々早く立ち直って下さい。云々』...それから数回のやり取りをしました(前回の記事で書きましたが)C兄弟が最初の方のメールで私に『不確かな情報に基づいて判断する事は賢明ではありません云々』...等、送って来られた事
ー前回までー集会で開拓を辞める発表をしてもらった帰り際、親しくしていたC夫妻にねぎらいの声をかけられた私は、王国会館駐車場で「(※児童虐待等の事実を知ったので)良心的にこの組織に人を入れる事は出来ないと思っているんや...」「これまでずっと悩んでた」...その様にお二人に打ち明けたのでしたするとC兄弟が「裁判のこと、ボク全然知らなかったので聞かせて欲しいです、それは知っとかないと!っていう話ですよね」と興味を示されたのです...私は、その反応から、信用出来ると思えたC姉妹だ
私はそうして、長老のZ兄弟と率直なやり取りをした次の週の集会で、開拓を辞める発表をしてもらったのでした...Z兄弟は他の長老には私とのやり取り自体を話されていない様でしたー続きですー集会での発表が終わり、集会後の「交わり」も終え、王国会館を出ようとしたところ一組の夫婦が私を持っていてくれました「C兄弟姉妹」ですこのご夫婦、特にC姉妹と私は数年来の「奉仕の友」...いえ、それ以前に「友」として、たくさんの経験を共にして来た、「jwとして」本当に仲の良かった姉妹のお一人でした「姉妹.
前回の雰囲気からすると、そのまま「断絶届」提出になるかに思える話の流れですが、実はそうではありませんこの長老とのやり取り後、脱塔の決心が遂に固まりはしましたが、「タイミング」と「方法」について、この時点ではまだ明確な目標を定めることは出来てはいませんでした...通常、現役jwにとって、この組織から出ることは、決死「以上」の覚悟が必要で、尋常では無い怖れと不安をもたらします(「脱塔」...それは本当にとんでもない事!あり得ない事!なのです)私も、そういう感情を持っていました「ここに居るのは
「姉妹、そういう時は、私達はエホバを待つんですよ!」...児童虐待の理不尽な事実について言及した私に、若手の長老であったZ兄弟はしばし黙り込んだ後、突然笑顔で身振りをつけて、そう言ったのでした私は瞬間的に言ってしまいました「兄弟違う!」「絶対違う!」...この言葉と、続けて内心の思いを「強く」言い放った事により、私は一線を越えることになりました(このままこの人がモノ教えたらアカン)...そう踏ん切れて、ここからは「覚悟」の気持ちを持てたと思いますZ兄弟には「Z兄弟やし、ちゃんと
ある日の集会後、「姉妹、ちょっと来て貰えますか?」...長老のZ兄弟にコピー室(事務室)でそう声をかけられた私は、兄弟と共に別室に入り、遂に、直接話し合いをする機会を持つことになったのでした一対一の状況になったとはいえ、意外にいきなり重い空気にはならず(せず?)ちょっと喋ってから、いよいよ私は「ものみの塔」に関しての自分の感想を数点、「率直に」投げ掛けてみることにしました...兄弟の、この手の話題に接した時の雰囲気を確かめるための手探りです私は、「ものみの塔の最近の記事がよく理解出来な
前回の続きです「姉妹、ちょっと来て貰えますか?」...コピー室で、私は長老のZ兄弟にそう言われ、本会場の隣の別室へそのまま二人で入ることになりました別室は、出入り口の扉とは別に、大きな仕切りのガラス窓が一枚、本会場との間にはめ込まれていて、誰が誰と入っているかは集会後のみんなからは丸見えです二人だけという事もあり、ガラス窓の目隠し用スクリーンは上げた状態で、でも扉はピッチリ閉め、話を始めました...ちなみにZ兄弟は、私が研究生時代からの「良き友」です毎年の年始の休みには、Z兄弟と身内
前々回の続きです(※そろそろ断絶に至る流れに入っていきます)...そんな感じで、私は最後の大会(※結果的に)、また翌日の最後の開拓者の集まり(※結果的に)を無事?終えることが出来ましたここで再び元の日常に戻る訳ですが、私は今回の大会とカルトセミナーの如き開拓者の集まりを経て、一層この組織の教え方のズルさ、いびつさ等を実感し、以前よりますます「嫌悪の感情」が固まった状態となっていましたとはいえ、その様な気分の悪さ...この組織にとどまる限り、そのままを出せる筈がありませんイライラは「常時」
...凄かったですまたタブーな事を巡回監督が言っていましたこの度の集まり(※因みに去年の秋です)、会場は例年の様に大会ホールではなく、とある王国会館でした集まりの当日は、一部屋の収容人数の関係で、階上と階下の2つの会場に分かれて聴くスタイルが採られました(私の会衆が当たったのは、本会場(階下)から送られて来る映像をモニターで見る「別会場」(階上)の方です)...その別会場は、モニター使用という事で部屋が薄暗くしてあった為、元々物理的な閉塞感・圧迫感を感じさせる環境だったのですが、そこへ
大会プログラムのリハーサルの際、巡回監督はこんな事を言われました「私達の組織の出版物は『聖書』そのものに基づいています」「ものみの塔の表紙を見れば、それが分かります」「『ものみの塔(研究用)』の表紙の、『み』の文字の下には、聖書(のイラスト)が描かれてあります」(※現在ではイラストは表紙左下部)「それが、『ものみの塔』が聖書に基づいている事を示しているんです」...私は、「即」違和感を感じました(監督は、機会あるたんびに色んな噂を打ち消そうとしている)(...エホバの証人の出版物は
その日はプログラムの初練習でしたので、集合時間前後は関係者や複数の出演者が互いに自己紹介したり、それぞれの会衆の様子などを情報交換したりして、ザワザワ和やかに過ごしていました...室内におられる方々は皆さん、大会の割り当てを張り切って果たそうとの意欲と緊張感が表れた、高揚された様な良い表情を見せておられ、私も同じ様子で交わっていました...が...内心(...今はこんな風に、会ってすぐに親しくなって、兄弟姉妹って笑いながら呼び合ってるけど...)(...もしここで、私が裁判の事なんか言