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町名豊岡キャッチフレーズコウノトリと共に生きる所在地兵庫県豊岡市最寄駅JR山陰本線豊岡駅訪問2021年9月江戸時代末期の大名は京極氏、一万五千石、外様野生のコウノトリが最後に住んだところとして有名な豊岡は兵庫県北部の山の中。古い建物も残っています。神武山の北側一帯が武家屋敷ゾーンでした(上の看板は南北さかさま)。とりあえず陣屋跡である図書館に行きました。目を奪う重厚な門が旧豊岡県庁正門。近くに看板があり、豊岡は大石内蔵助の妻りくの故郷だそうです。さらに目を引かれ
町名唐津キャッチフレーズ唐津焼、唐津くんち(国指定重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産)所在地佐賀県唐津市最寄駅JR筑肥線唐津駅訪問2022年12月江戸時代末期の大名は小笠原氏、六万石、譜代幕末史のなかで敵役といえば幕府老中小笠原長行(ながみち)が一番でしょう。幕末時には唐津藩主ではなく世子の立場ながら老中を務めましたが、第二次長州征伐で敗軍の将となり、しかも敵前逃亡をしたので『竜馬がゆく』でもひどい書かれようです。しかし功績もあります。文久三年五月に東禅寺事件・生麦
町名大野(越前大野)キャッチフレーズ天空の城所在地福井県大野市城町最寄駅JR越美北線越前大野駅訪問2022年5月江戸時代末期の大名は土井氏、四万石、譜代福井を根城に、日帰りで大野へ行きました。鉄道はバスより一時間遅く出発し、一時間早く戻り便が出るので止めました。ただし往路で線路が見晴らしの良いところを走るのがわかるにつれ「乗りたい」気持ちもむくむく沸きました。大野が早く済めば帰りは乗ってやろうかとも。またバスは普通の大きさなのに途中で田舎の隘路、「えっ、こんなところも行く
町名天城所在地岡山県倉敷市藤戸町天城最寄駅JR宇野線茶屋町駅(駅から2キロ程度)訪問2020年3月江戸時代末期は池田氏、三万二千石、岡山池田氏一族でありながら岡山藩家老となりました。なので大名ではありません。有料観光施設倉敷刀剣美術館観光案内所みあたらず参考文献岡山県史、藤戸町史この日は岡山県史に載っていた『天城陣屋町図』を参考に町歩き。茶屋町駅は岡山から宇野線で15分もかかりません。岡山県はJR各駅前に観光看板の新しいのが出ていることが多いですが、ここには駅名の由
鹿児島編も4回目です。今回も陣屋町でなく、幕末薩摩藩の交易活動に関係する湊町等をご紹介します。坊津(ボウノツと読みます)、志布志、都城(鹿児島県ではありませんが関係ありです)坊津薩摩半島東側指宿から西側の坊津までレンタカーで向かいました。途中で見えた開聞岳!坊津では貿易の話を聞くためにガイドさんをお願いしました。最初のレクで言われたのは「貿易の記録は海外にしか残っていない」自作の年表を見せていただきましたが、安土桃山時代には鳥原氏、近衛氏、山崎氏などが交易に従事したそうです。そこ
鹿児島3(幕末維新編)陣屋町ではありませんが、江戸時代あるいは幕末維新時に薩摩藩の活動に大いに関与した鹿児島県内の魅力ある町をたずねました。今回は山川と指宿です。調所広郷の改革以前からこの地では海外貿易が行なわれていたようですが、公式な記録が残らないので多くは推定でしかありません。山川(指宿市)鹿児島から指宿線に乗ると左側に海と桜島が見えます。桜島がオレンジの朝日をバックに美しい。写真を撮ってやろうと停車ごとに待ち構えたのですが、指宿線は単線で、駅によりドアが開く方向が変わるし、駅ではたい
所在地鹿児島県鹿児島市最寄駅JR鹿児島本線鹿児島中央駅訪問2020年8月江戸時代末期の大名は島津氏、77万石、外様加治屋町から鶴丸城めざしてゆくとその背後に城山が見えてきます。西南戦争で西郷が最後に隠れた場所です。意外に小高い。草ぼうぼうで隠れるところがあります。歴史センター黎明館は鶴丸城敷地内部にあり巨大な建物。良い展示がたくさんありました。奄美群島の習慣や祭りコーナーは興味深かったですが、写真撮っちゃダメで販売資料もない。展示で興味深かったのが、生麦事件の後、とくに英国
町名鹿児島所在地鹿児島県鹿児島市最寄駅JR鹿児島本線鹿児島中央駅訪問2020年8月江戸時代末期の大名は島津氏、77万石、外様長い歴史のある城下町鹿児島ですが、ここでは幕末維新~西南戦争に絞ってご紹介します。77万石はそれなりの規模がありますから、すべてを網羅することはとてもできません。九州新幹線終点の鹿児島中央駅から東へ少し歩くと甲突川があり、渡ると加治屋町です。大久保利通の銅像があります。加治屋町の甲突川沿いには「歴史ロード」と名付けられたゾーンが広がり雰囲気を醸し出して
町名網干所在地兵庫県姫路市網干区最寄駅山陽鉄道山陽網干駅訪問2021年7月江戸時代末期の大名、京極氏、外様、四国丸亀藩(5万2千石)の飛び地、また龍野藩の飛び地でもある幕末、播磨には河野鉄兜(てっと)という勤皇党で著名な学者がいました。医者で林田藩の藩校教授も務め、詩人かつ大酒のみで頼三樹三郎、松本奎堂、日柳燕石らとも交友がありました。その河野の生家跡があるので行ってみました。網干駅から自転車で15分、垣内本町に河野鉄兜生家の立て看板がありますが、周りの家がそうなのでしょうか
町名福井所在地福井県福井市最寄駅JR北陸本線福井駅訪問2022年4月江戸時代末期の大名は松平氏、32万石、家門実は旅行先で図書館によく行きます。現地ならではのローカル情報を得ようとするからで、福井県立図書館も行ったのですが、入口に大きな写真入りで由利公正(下の写真)と彼が起草した五箇条の御誓文の案文が看板になって提示されていました。やっぱり有名なんですね。あと驚いたのがコピーを取ったらペイペイ払いができたこと。そんな図書館は初めてでした。(そのくせ路面電車ではイコカが使えず現金
町名福井キャッチフレーズ恐竜王国所在地福井県福井市最寄駅JR北陸本線福井駅訪問2022年4月江戸時代末期の大名は松平氏、32万石、家門幕末維新の頃、政治の表舞台に出た諸藩は、皆それなりに藩政改革・財政改革などに成功しています。薩摩(島津重豪+調所広郷)・長州(毛利敬親+村田清風)・備中松山(板倉勝静+山田方谷)は有名ですが、越前(松平春嶽+横井小楠+三岡八郎)もそうで、その割にイマイチ知られてない。以前、幕末の長崎貿易を調べているとき、よく越前の物産会所が出てきて、そ
キャッチフレーズ鳥羽伏見の戦い所在地京都府京都市伏見区最寄駅京阪本線伏見桃山駅訪問2022年7月鳥羽伏見の戦いに興味があり現地を見に行ってきました。このイクサは有名な割に旧幕府側の資料がほとんどないため、きちんと解説した本は少なく、今のところ2010年に出た野口武彦さんの本が一番詳しいのではないかと思います。慶応四年一月二日(西暦では1868年1月26日)大坂城にいた旧幕府軍一万五千は京都めがけて北上を開始、その日は淀に宿泊。ただし川船を使った会津兵は夕方には伏見に到着
町名伏見キャッチフレーズ鳥羽伏見の戦い、伏見稲荷、伏見桃山時代所在地京都府京都市伏見区最寄駅京阪本線伏見桃山駅訪問2022年7月江戸時代、陣屋に匹敵する伏見奉行所があったところです。京都南郊に位置する川船の湊町。奉行所があったのも繁華な土地だったゆえ。大坂から京都に行く場合、船で伏見まで行き、残り10キロは徒歩というのがパターンでした。大坂~伏見間の宇治川・淀川約四十五キロを行き来する客船『三十石船』は、全長十七メートル、幅二メートル半の船体に客三十人を乗せ、下りは
町名松江キャッチフレーズ国宝松江城、日本三大和菓子処所在地島根県松江市最寄駅JR山陰本線松江駅訪問2014年3月江戸時代末期の大名は松平氏、18万6千石、家門18万石だけあり、大きな城下町です城の三の丸(南側すぐ)には島根県庁城の東側、右斜め前に見えるのは松江歴史館立派な長屋門は3800石の家老屋敷にあったものの復元。裏から見るとこうです。家老の家来と使用人が住んでいたそうです。堀をゆく遊覧船もあります。松江城下町で目を引くのはまず塩見縄手でしょう。繩手とは
町名清末・吉田キャッチフレーズ下関の維新史跡所在地山口県下関市清末陣屋、下関市吉田最寄駅JR山陽本線小月駅訪問2021年12月江戸時代末期の大名は毛利氏(長府藩5万石の分家、萩本藩の又末家)、一万石、外様下関市といいながら、観光客がイメージする下関からはだいぶ離れています。「小藩大名の家臣団と陣屋町2」に載っているくらいだから、遺構もだいぶ残っているはず。小月駅から少し距離があり、タクシーで回れるような身分ではないので、折りたたみ自転車を持って行きます。自転車を走らせ
町名広島所在地広島県広島市中区最寄駅JR山陽本線新白島駅訪問2022年2月ほか江戸時代末期の大名は浅野氏、43万石、外様観光案内歴史関係のみどころは広島城で四十三万石の巨大な城下町なのに、原爆のせいで古い建物がまったく残っていません。平和公園はだだっ広い土地になっていますが、かつては本町・材木町などと呼ばれ、たくさんの建物が並んでいたそうです。ひろしま美術館あたりは幕末に広島藩執政を務めた辻将曹の屋敷地で、目の前に馬場(馬を走らせるところ)がありました。駅から紙屋町に向か
町名大村(Omura)所在地長崎県大村市最寄駅JR大村線大村駅(駅から城まで約1.5キロ)訪問2021年4月江戸時代末期の大名は大村氏、二万七千石、外様『竜馬がゆく』ファンなので、大村藩と聞くとまず渡邉兄弟が思い浮かびます。弟の昇は、桂小五郎の通った江戸練兵館で桂の後釜で塾頭になったほどだから剣の達人。またそこへ通う多数の長州藩士と懇意だったため、坂本龍馬から「長州へ行って薩長連合について説得してくれ」と頼まれ、実現に尽力しています。兄清は慶応四年四月、江戸城明け渡しについて
町名岩村キャッチフレーズ重要伝統的建造物群保存地区(商家町)、朝ドラ「半分、青い。」ロケ地、女城主の里、日本百名城・日本三大山城(岩村城)所在地岐阜県恵那市岩村町最寄駅明知鉄道岩村駅(駅から約1キロ)訪問2020年7月江戸時代末期は譜代松平氏、三万石JR中央本線恵那駅はJRと明智鉄道の駅が並んでいます。JR待合の長ロッカー\600、明知鉄道が同じ大きさで\400。明智鉄道はICカード使えず昔ながらの硬い切符。名前のとおり、この年の大河ドラマ「麒麟がくる」の地元。有名なのは
町名土居廓中キャッチフレーズ重要伝統的建造物群保存地区(武家町)所在地高知県安芸市土居最寄駅ごめん・なはり線安芸駅(駅から約1.5キロ)訪問2021年7月江戸時代末期は土佐藩24万石山内氏の家老五藤氏の知行地。知行高1100石中世の土塁で囲まれた領主の館を中四国ではお土居と呼んだそうです。土佐藩では広い領地の治政上、こうした拠点に家老を配し、地方行政の要としました。ここ安芸市のほか佐川町・四万十町などにも土居町は形成されました。ここは戦国期に築かれた安芸城を基礎とし、江戸
町名出石キャッチフレーズ重要伝統的建造物群保存地区(城下町)、出石皿そば、但馬の小京都所在地兵庫県豊岡市出石町最寄駅JR山陰本線の「豊岡」「江原」「八鹿」駅からバス30分。訪問2021年9月江戸時代末期の大名は仙石氏、三万石、外様兵庫県北部の山間の『古き良き』城下町。城は町の南側の山すそに位置し石垣を残します。その正面平地に観光バス駐車場・豊岡市出石支所・辰鼓楼・家老屋敷と主要なスポットが並びます。このときは車で訪れたのですが、最初の印象はそば屋ばっかり。出石名物『皿そば
町名倉敷・早島キャッチフレーズ重要伝統的建造物群保存地区(倉敷)所在地岡山県倉敷市、岡山県早島町最寄駅JR山陽本線倉敷駅、早島は瀬戸大橋線早島駅訪問2014年3月江戸時代末期、倉敷は天領、早島は旗本戸川氏の知行地で、それぞれ陣屋がありました。倉敷は岡山県屈指の観光地、重伝建(商家町)の町並みはいつも観光客が多く華やいだ雰囲気があります。江戸時代は天領で陣屋があり、代官が住んでいました。幕末の倉敷で有名なのは慶応二年四月に起こった陣屋焼き討ち事件でしょう。第二次長州征伐が
町名日田キャッチフレーズ咸宜園、天領、重要伝統的建造物群保存地区(商家町)、近世日本の教育遺産群(日本遺産認定)所在地大分県日田市豆田町最寄駅JR久大本線日田彦山線日田駅訪問2020年6月江戸時代末期は天領で近隣17万石を支配したそうです。現在は歴史の町、水郷の町、温泉の町として有名。幕末頃について書かれた本に『咸宜園(かんぎえん)』がよくでていて、ずっと気になっていました。教育方法が面白かった、学生数が日本一だった、大村益次郎も卒業生だとか。日田は古くから交通の要衝で江
町名高取キャッチフレーズ日本一の山城と薬の町、高取城は標高583m、壷阪寺は西国札所第六番所在地奈良県高取町最寄駅近鉄吉野線壺阪山駅訪問2020年11月江戸時代末期の大名は植村氏、2万5千石、譜代この日、そもそもの目的地は壷阪寺と明日香村でした。壷阪寺は山の上なので、飛鳥駅で電チャリを借り、万葉を想起させる景色を楽しみつつ、グーグルの案内で少し細い道に入り、アレと気づくとなまこ壁の巨大な長屋門がありました。庄屋のにしては立派すぎる。街並みも素敵でしたので、帰りにまた来るこ
町名郡上八幡キャッチフレーズ郡上おどりの城下町、重要伝統的建造物群保存地区(城下町)所在地岐阜県郡上市最寄駅長良川鉄道郡上八幡駅訪問2020年7月江戸時代末期の大名は青山氏、四万八千石、譜代郡上八幡といえば『郡上おどり』。7月中旬から9月上旬まで約2か月の間に三十数夜にわたり繰り広げられる日本一ロングランな盆踊り。特に旧盆の8月13日~16日までの4日間は数万の踊り子が夜を徹して踊りあかすそうです。(ただ、この年は中止でした。)山城のふもとに町が広がっています。城は三階
町名小松(愛媛県)キャッチフレーズいよ小松文化の里をめざして所在地愛媛県西条市小松町最寄駅JR予讃線小松駅(駅から約500メートル)訪問2021年7月江戸時代末期の大名は一柳(ヒトツヤナギ)氏、一万石、外様この日は別子銅山~西条陣屋~小松陣屋と車を走らせました。ナビで近くまでは来ましたが、住宅街で道が細く、『近藤篤山旧邸』という看板は目につきますが肝心の陣屋跡がわからない。車をフラフラ走らせていると『小松温芳図書館』というただならぬ名前の施設を発見し、そこへ停めました。
町名浜田所在地島根県浜田市最寄駅JR山陰本線浜田駅(駅から城下町まで約1キロ)訪問2016年12月江戸時代末期の大名は松平右近将監家、6万1千石、家門(ただし慶応二年まで)観光案内所有島根県は東西に長く、県庁所在地松江は一番東側。西へ行くと出雲大社の出雲市、岩見銀山の大田市、それから浜田、益田と来て一番西が津和野です。浜田は日本海に面し西側の小山に城、西側は湾になっていて廻船問屋が並ぶ様子が萩(山口県)と似ています。第二次長州征伐のとき、浜田藩軍は石州路を進撃してく
町名三隅キャッチフレーズ三隅山荘(村田清風旧宅)は国指定史跡所在地山口県長門市三隅最寄駅JR山陰本線長門三隅駅(駅から2キロ)訪問2018年11月江戸時代末期は萩藩の領地でした。観光案内所有(村田清風記念館)今回は村田清風旧家のある三隅をご紹介します。(いわゆる陣屋町ではありません)数年前、山口県内各所で「古地図を片手に、まちを歩こう。」というツアーがありました(今はどうでしょう?)。長州藩の財政を立て直した村田清風に興味がある私はこれの『三隅地区』に参加してみました
町名足守キャッチフレーズ岡山県『町並み保存地区(陣屋町)』、緒方洪庵生誕地所在地岡山県岡山市北区足守最寄駅JR吉備線足守駅訪問2013年8月江戸時代末期の大名は木下氏、二万五千石、外様観光案内所有岡山市の北西、倉敷の北に位置し、隣駅が備中高松駅。豊臣秀吉の水攻めで有名なところです。(いきなり余談になりますが本能寺の変を聞いてここから京都まで駆け戻るのは、やはり尋常ではありません。)足守駅前に立っている案内看板は素敵なのですが、目的地が駅から4キロあまり離れているため、
町名佐賀キャッチフレーズ明治維新の際に薩長土肥(肥前=佐賀)といわれるほど、多くの人材を輩出したことで知られる。所在地佐賀県佐賀市最寄駅JR長崎本線佐賀駅訪問2020年6月江戸時代末期の大名は鍋島氏、36万石、外様観光案内所有地図を見るとわかりますが、町じゅうに水路が縦横に張り巡らされているのにまず興味を惹かれました。川船好きなので。町はうらぶれた感じで歩行者も車も少ない。そのぶん人は優しくて、信号わきできょろきょろしていると青信号なのに車が止まってくれました。セブン
町名三日月キャッチフレーズ物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、現存する陣屋の物見櫓としては、全国的にも希少で大変貴重な建築遺構であると評価されています。(佐用町HPから引用)所在地兵庫県佐用町乃井野最寄駅JR姫新線三日月駅訪問2018年3月江戸時代末期の大名は森氏、一万五千石、外様観光案内所無以前に平福(佐用町の宿場町)を訪問した際、『三日月町史』という本を目にし、陣屋があったことを知りました。ネットで調べたら兵庫県の山間部で、昔の建物が復