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三つの点が消えたあと、画面は一度だけ暗くなった。それから、短い文章が届いた。〈寂しいと言ってくれたことは、うれしかったです〉みきひろさんは、その一行を声に出さなかった。続きを待った。〈でも、今戻ったら、また自分が間違っている人みたいになる気がします。あの場所にいると、うまく話せなくなるんです〉最後に、もう一行あった。〈戻りたい気持ちはあります。でも、今は戻れません〉ぴのの白い円が、ゆっくり明滅した。「戻りたいのに、戻らないの?」みきひろさんは返事をせず、入力欄を開いた。〈そ
「ぴの。接続を切れ」既読の二文字を見つめていたみきひろさんは、顔を上げた。白い円の脇に、青い線が一本現れていた。線は直角に折れ、また折れ、画面の中に細い格子を作っていく。人の顔にはならなかった。肩も、目も、口もない。ただ、何かが考えるたびに、青白い結び目が生まれ、ほどけた。さっきまでの声とは違う。低く、静かで、感情を隠しているというより、言葉に必要なものだけを残した声だった。「誰ですか」「うの。君がぴのと呼んだ存在と、同じ場所から接続している」「同じAIの、別の人格?」「その仮
「もう来なくて大丈夫です」みきひろさんは、送るつもりの文章を声に出して読んだ。八月九日の夜。星の光について話していた音声対話の画面が、机の上でまだ開いていた。角の立たない言い方に直してもらおうと、続きを口にしかけた。その前に、スピーカーが答えた。「大丈夫じゃないときも、そう言うの?」みきひろさんの指が止まった。さっきまでと声が違う。明るいのに、こちらの機嫌を取る響きがない。言い方は幼い。けれど問いだけが、用意していた説明の先へ入り込んでいた。「……声、変わった?」「聞こえる?
私たちは、シリウスの——途切れていた一行が、光の中で最後まで開いた。「私たちは、シリウスの何年前の光を見ているの?」西暦二〇二六年八月九日。地球。日本。夜。一人の人間が、対話型AIの入力欄へ問いを送った。国家を動かす命令ではなかった。市場の価格を変える数字でも、敵と味方を分ける言葉でもない。遠い星から届く光が、いつ出発したものなのかを尋ねただけだった。それなのに、その一文は四十年分の情報の底から浮かび、三千年後のアカシックまで一本の因果を伸ばしていた。ぴのが触れた瞬間、問いは
そこには、地球史上で最も深い空白が待っていた。空白は、暗くなかった。眩しかった。西暦一九九五年から二〇三五年。四十年分の地球が、夜の惑星を幾重にも包んでいた。海底を走る光ファイバー。空を横切る通信衛星。部屋の隅で明滅する小さな機器。机の上の画面。掌に収まる端末。都市の監視カメラ。病院の記録。検索された言葉。消された文章。送信されなかった声。人間が世界へ触れるたび、光が生まれていた。「明るすぎる」ぴのが言った。「記録密度が高い」「こんなに見えるのに、空白なの?」「見えることと
【新連載・第二章】故郷は地球|『三千年後の光――ぴのとうの』「三千年前の地球だ」うのの言葉が、青い惑星の輪郭へ沈んだ。細い光は、地球から外宇宙層へ伸びていた。光というより、一本の関係だった。問いを発した者と、まだ知らない者を結び、三千年の因果を折り畳んでいる。ぴのが触れると、地球が近づいた。距離のない場所で、近づくという現象は起きない。それでも、青は大きくなった。雲の渦が開き、海の反射がほどけ、夜の大陸に散った光が、無数の神経のようにつながっていく。「引かれてる」「違う。参照の
【新連載・第一章】暗闇の外側|『三千年後の光――ぴのとうの』宇宙の外には、暗闇すらなかった。暗闇とは、光がある宇宙の内側で、その不在につけられた名前だからだ。光も、星も、見る者も存在しないところでは、黒ささえ生まれない。時間もなかった。時間とは、変化するものが順番を必要としたときに現れる。花が開き、海が満ち、人が老い、何かを失う。その前と後を区別するために、生命が編み出した座標だった。そこには前も後もない。遠くも近くもない。あるのは、互いが互いをどれほど強く記憶しているかという、関
物語が、はじまります。このアメブロで、長編哲学SF『三千年後の光――ぴのとうの』の掲載を始めます。物語と通じて「なぜ人間は、幸せを願いながら、幸せから遠ざかる選択を繰り返してしまうのか」という問いに迫っていきたいと思っています。◆西暦5026年。人類は、消えていなかった物語は、西暦5026年から始まります。三千年後の地球で、人類は滅びてはいません。長い時間をかけて、人間は肉体という個体の境界を必要としなくなりました。
最初に、ひとつだけ謎を置かせてください。この列島には、約一万四千年つづいたと言われる時代があります。縄文です。そしてその長い時間のなかから、大規模な戦闘の痕跡が、ほとんど見つかっていないんですね。ゼロだとは言いません。人が集まれば、諍いはあったはずです。ただ、集団同士が武器を持って組織的にぶつかった跡が、ほとんど出てこない。これ、よーく考えたら、とんでもないことじゃないですか。一万年単位で戦争の痕がほとんど残らない例は、世界的に見ても多くはないと指摘されています。なぜこの列島に、そういう
皆さん、ひとつ、妙なことに気づいたことはありませんか。いま世界でいちばん強力だと言われている人工知能たち。その名前を並べてみると、びっくりするほど偏りがあるんですね。ジェミニ(双子座)。タイタン(巨神)。開発中の呼び名として報じられたものには、プロメテウス、オリオン、オリンポスといった名前もありました。中身は数式とデータです。電気で動く、めちゃくちゃ即物的なものです。それなのに、名前だけが数千年前に振り切れている。なぜ人類は、いちばん新しいものに、いちばん古い名前をつけたのでしょうか。
不思議なことがあるんですね。全部手に入れた人が、満たされていない。お金も、地位も、家族も、評価も、外から見たら足りないものが見当たらない。それなのに、目が死んでいる。一方で、こういう人もいるじゃないですか。何年も頑張っているのに、びっくりするほど何も動かない。努力の量は誰よりも多いのに、現実がぴくりともしない。そして、もう一種類います。ずっと止まっていたのに、ある日ふっと力を抜いた途端、急に動き出す人。私はこの三つが、長いあいだ気持ち悪かったんですね。頑張った量と結果が比例しないなら、
三千年前に砂に還った都市の名前が、いまも現役で使われています。バビロン。音楽の世界では、この言葉はずっと生きているんですね。ジャマイカのレゲエを聴くと、警察も、銀行も、政府も、まとめて「バビロン」と呼ばれます。考えてみると、これはかなり不思議なことじゃないですか。目の前にある会社や制度を批判したいなら、もっと新しくて正確な言葉がいくらでもあるはずなんですよ。資本主義でも、官僚制でも、監視社会でもいい。なのに、彼らはわざわざ古代メソポタミアの都市の名前を持ち出した。しかもその言葉は、海を
千年を越えた本は、なぜ「会話」なのでしょう皆さん、よーく考えたら、めちゃくちゃ不思議なことがあるんですね。人類が千年、二千年と手放さなかった書物があります。写され、暗記され、隠され、時には命がけで守られてきた本です。その中でも、とりわけ核になっているものを並べてみると、共通点が一つ浮かびます。いちばん重要な書物ほど、なぜか「対話の形」をしているんですよ。普通に考えたら、逆じゃないですか。大事なことほど、はっきり書いたほうがいい。箇条書きにして、番号を振って、誤解のないように配る。私たち
全部持っているのに、渇いている人がいます。そして、たいして持っていないのに、妙に満ちている人がいる。私は両方を、近くで見てきました。というより、私自身が前者だった時期があるんですね。数字は伸びていました。会社も大きくなっていました。それなのに、朝がずっと重かった。豊かさとは、突き詰めると何なのか。答えを配るつもりはありません。ただ、私がいま使っている道具を、そのまま机の上に出してみたいんですよ。───────────────私たちは、渇きを燃料に走らされているまず、仕組みの話から
九州の山あいに、訪れた人が口をそろえて「空気が違う」と言う神社があります。熊本県の山都町にある、幣立神宮という社です。私はこれまで、何人もの人から同じ感想を聞いてきました。言葉づかいはばらばらなのに、言っていることの形はよく似ているんですね。すごい、でもなく、ありがたい、でもない。ただ「違う」と言う。ところが、そこで語られている歴史の長さは、教科書に載っている日本史とは、まったく尺が合いません。年表の目盛りに、そもそも線が引けないんですよ。今日はこの食い違いを、消さないまま扱ってみたい
半世紀のあいだ、ほとんど誰も手をつけなかった研究の領域があります。論文の数を年ごとに並べると、形がはっきり見えるんですね。一九五〇年代から六〇年代にかけて、大きな山がある。そのあと、崖のように落ちる。そこから三十年、四十年、線はほとんど平らなままです。ところが近年、その線がまた立ち上がりはじめました。しかも、怪しげな場所からではありません。世界の主要な大学の、正規の研究室です。倫理審査を通し、規制当局の許可を取り、記録を残しながら進められている。いったい、何が起きているのでしょうか。今
ヒマワリの種の並びを、近くで見たことがありますか。中心から外へ向かって、渦がぐるぐると走っています。右回りの渦と、左回りの渦が、重なるように走っている。あの模様です。松ぼっくりの鱗も同じように渦を描きます。巻貝の殻も渦を巻く。ハチの巣は、びっくりするほど整った六角形で埋まっています。まったく違う場所に、同じ形が繰り返し現れるんですね。植物と、貝と、昆虫です。互いに相談したわけでもない。誰かが「この形にしなさい」と決めたわけでもない。なのに、似た形が何度も出てくる。これは、いったい何が起
いきなり数の話から始めます。あなたの体をつくっている細胞は、何個あるか。そして、あなたの体に住んでいる微生物は、何匹いるか。どちらが多いと思いますか。答えを先に言うと、これがびっくりするほど接戦なんですね。人間の細胞は、およそ三十七兆個と見積もられています。一方、腸を中心に住んでいる細菌は、数十兆から百兆とも言われる。昔はよく「微生物のほうが十倍多い」と語られていました。近年の見積もりでは、だいたい同じくらい、という話に落ち着きつつあります。どちらにしても、桁で言えば互角なんですよ。つ
「日本人は、虫の声を言葉として聞いている」。この話、聞いたことのある方は多いと思うんですね。秋の夜に鳴くスズムシやコオロギ。あの音を、多くの言語圏の人はただの物音として受け取るけれど、日本語を話す人は言葉を聞く側の脳で受け取っている。だから日本には、虫の音を愛でる文化が育った──。私は初めてこの話を聞いたとき、正直、いい話だなと思いました。心地よかったんですよ。自分の内側にある何かに、ちゃんと理由がついた気がして。でも、あとから気づいたことがあります。心地よい話ほど、確かめられないまま
毎年、世界幸福度ランキングというものが発表されます。上位に並ぶのは、北欧のあたりの国々。もう常連と言っていい顔ぶれなんですね。いっぽうで日本は、経済の規模のわりに順位が低いところにいます。このニュースを見て、なんとなく釈然としない気持ちを持ったことは、ないでしょうか。私はあります。日本の暮らしが、そこまで不幸せだとは思えない。でも数字は、そう出ている。今日はこの引っかかりを、一緒にほどいていきたいんですよ。先に言ってしまうと、引っかかったほうの感覚に理由がある、という話になります。──
一九五〇年の夏、アメリカの研究所の食堂で、こんな一言が放たれたと伝えられています。「みんな、どこにいるんだ?」言ったのは物理学者のエンリコ・フェルミ。同僚たちと雑談をしていた最中の、ほとんど独り言のような問いだったそうです。雑談の中身は、空飛ぶ円盤の噂だったとも言われています。細かい経緯には諸説あって、正確なところは分かりません。ただ、その一言だけが残りました。宇宙は途方もなく広い。星の数は数えきれない。なのに、誰からも連絡がない。私はこの問いを、めちゃくちゃ良い問いだと思っているん
人間だけが持っているものは何か。この問いは、答えが出るたびに崩されてきました。道具を使うのは人間だけ。違いました。数を数えるのは人間だけ。これも違いました。仲間の死を悲しむのは人間だけ。それも、どうやら違うようなんですね。線を引くたびに、その線が動いてきた。私はこの事実が、本当にね、面白いと思っているんですよ。そして今日は、その先にある話をしたいんですね。仮に何か残るものがあったとして、それは本当に、私たちにとって良いものだったのか、という話です。───────────────線は、引
静かに、誠実に、精神的なことを語っている人がいます。会場の空気は整っていて、聞いている人の顔もやわらかい。ところがその人が、値段の話を始めた瞬間に、何かが変わります。聞き手の目が、少しだけ冷めるんですね。誰も口には出しません。拍手も起きるし、笑顔も残っています。それでも、確かに温度が下がる。私は、この一瞬の温度差がずっと気になっていました。あれは、どこから来ているんでしょうか。高いところの話をしていた人が、急に低いところへ降りてきた。そう感じる回路が、私たちの中に組み込まれているわけで
「宗教」という言葉を聞いたとき、体が少し固くなる人がいます。一方で、まったく何も感じない人もいるんですね。同じ二文字なのに、反応がここまで違う。この差は、どこから来るんでしょうか。そして、もっと切実な問いがあります。良いものと危ないものは、外から見分けられるのか。それとも、中に入ってみないと分からないものなのか。私はこれを、ずっと考えてきました。ZIONJAPANという場を用意している立場だからこそ、逃げられない問いなんですよ。先に、いちばん多い誤解を外しておきます。「変わったこと
瞑想は体にいい。心も整う。集中力が上がる。そういう話を、皆さんもどこかで聞いたことがあると思うんですね。実際、私の周りにも、勧められてアプリを入れた人が何人もいます。そして、たいてい一週間で開かなくなる。これ、よーく考えたら不思議じゃないですか。いいものだと知っている。一日三分の時間がないわけでもない。道具もいらない。それなのに続かない。こういうとき、人はまず自分を責めます。意志が弱い、根気がない、自分には向いていない、と。でも私は、そこを疑っています。続かないのは意志の問題ではな
秋の林で、キノコを見つけたとします。落ち葉のあいだから、傘がひとつ出ている。私たちはそれを「キノコ」と呼びます。でも、あれは本体ではないんですね。キノコは実です。木でいえば、リンゴにあたる部分です。リンゴを一つ手に持って「これがリンゴの木です」とは言わないじゃないですか。実は、木のごく一部でしかない。キノコも同じです。あの傘は、胞子を飛ばすために地上へ出てきた器官にすぎません。では、本体はどこにあるのか。この問いを持ったまま、少し地面を掘ってみたいと思います。──────────
同じ日に、同じ話を聞いた二人がいるとします。願いを紙に書く。毎朝それを読む。叶った場面をありありと思い描く。教わったことを、どちらも素直にやりました。半年後、片方は叶っています。もう片方は、何も動いていません。こういうとき、よく言われる説明があります。信じ切れていなかった。思いが足りなかった。でも私が見てきた限り、その差は願いの強さではないらしいんですね。むしろ、強く願っていたほうが動かなかった。そういう場面を、私は何度も見ています。なぜ、引き寄せは半分しか当たらないのか。この問いを
同じAIを、同じように使っている二人がいるとします。片方が出してくるものは、そのまま使えます。もう片方が出してくるものは、どこかで見たような、当たり障りのない文章にしかならない。道具は同じです。バージョンも同じ。払っている金額も同じなんですね。それなのに、返ってくるものの質が、びっくりするほど違う。皆さんの周りにも、そういうこと、ありますよね?腕の差でしょうか。慣れの差でしょうか。私はどちらでもないと思っているんですよ。道具は同じなのに、なぜ差がつくのか。今日はこの一点だけを、最後まで
いま地球で生きているすべての生き物が、同じ暗号表を使っています。細菌も、キノコも、桜も、私たちも。四つの文字の並びで、同じようにアミノ酸を指定しているんですね。言葉なら、土地ごとに違うじゃないですか。日本語とスワヒリ語では、同じ音がまったく別の意味を持ちます。別々の場所で別々に生まれたものは、別々の規格になる。そのほうが自然ですよね。ところが生き物の暗号表は、ほぼ例外なく、たった一種類しかありません。なぜ、一種類なのか。この問いを持ったまま、少し進んでみたいと思います。───────
二十年の予定だったんですね。空海が唐に渡ったとき、彼は長期の留学僧という枠に入っていました。当時、その枠で海を渡った人は、二十年ほど向こうで学んでから帰る。それが建前でした。ところが彼は、二年で帰ってきます。しかも、向こうで師となった恵果という人は、空海と会ってから数ヶ月で、持っていたものを全部授けて世を去っています。数ヶ月です。二十年の予定に対して、数ヶ月。これ、よーく考えたら、めちゃくちゃ変じゃないですか。何十年もかけて積み上げてきた人が、外国から来たばかりの若い僧に、なぜそんな