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本日のドナルドんの1枚📸2024/05/08YS-11&TREKÉmonda所沢航空記念公園📸実物飛行機との写真はなかなか貴重な1枚✈️
日本航空機製造のYS-11です。日本製として作られた貴重な旅客機。手前が東亜国内航空で、奥のブルーの機体がエアーニッポン・・・だったかな?
ホテルエンディア岐阜に投宿します。201号室、エレベーターから一番遠いぃ部屋やん!ベッドは大きめ、ありがたい!眺望は、ほぼなし。お部屋で夕食!お昼におそばを食べたから、炭水化物制限中。食べてる途中ですが、サラダもワンパックきちんと完食しています。朝ごはんも炭水化物制限中納豆が欲しかったけど…。ホテルエンディア岐阜をチェックアウトし、名鉄岐阜へ!予定より1本早い普通犬山行きに乗車難読地名の一つ各務原市役所前駅へ!小学5年くらいの頃、
鉄道編からの続き♪外の鉄道から航空博物館に入る。ちなみに過去は、YS-11を組立てている時に訪問した。↓『200726-01(ザ、ヒロサワ、シティと言うパラダイス♪その2♪)』前回からの続き。10時チョイ前からYS-11の見学受付。倉庫?格納庫?前にエストレヤを停めて、しばし待つ。開門と、受付。4人づつ入場し、手の消毒と、連絡先を書…ameblo.jp広い室内は。過去に比べて整備されていて、機種も増えているねー。まずはビジネスジェットの半割り?てか胴体前方のみの展示(´∀
KIKIが差し出した3学期の通信簿お部屋の修理作業は、今週も続き、トンテンカンはほぼ終わり、コンパウンドだの、パテだの、見た目を良くする工程です。パテで成形して、コーキングで充填して、そしてやすりがけ、の繰り返して、最後の最後はリペイント。乾燥にも数日かかります。終盤戦とは言え、まだ先があり、間に合うかな。と言うのは、4月下旬からは、パパの日本出張に、KIKIとママも同行する予定で、家族一緒の日本旅行。数えてみたら、あと1週間ちょっと。お出かけとなったら
都内にいるとき、偶然OBと出会いました。懐かしいので当時の話しや、その当時の先輩のその後とかを聞きました。当時仲良くしていて一緒にアホしてた先輩とは共通の友人でもあったので、そのアホ先輩のその後の話しも聞きました。そのアホ先輩は故郷の宮城県に帰ってジャズ喫茶ならぬジャズ蕎麦屋をスマホの電波も届かないような山間へき地で営んでいるとか。それだけでも話しは充分盛り上がったのですが、一緒にいたもう一人の方が元自衛隊パイロットと聞き、話しはそこそこに切り上げて元パイロットの方の話しを伺いました。「
成田空港至近にある航空科学博物館ここのところ成田空港に行く用事が立て続いているのですが、せっかくなので空港近隣にある航空科学博物館に行ってみました。『見たまま投稿3月ダイヤ改正でなくなった八王子発「成田エクスプレス」』3月ダイヤ改正で廃止された中央線発着「成田エクスプレス」先週の出来事ですが、どうしても午前中成田空港に行く必要があり、3月ダイヤ改正で廃止された「成田エク…ameblo.jpこの記事から1週間後の出来事です。航空科学博物館は成田空港のA滑走路の南
4月1日の出来事803年(延暦22年3月6日)征夷大将軍・坂上田村麻呂に志波城の築城命令。さかのうえのしわまろさんが2013/10/13に公開「志波城物語~坂上田村麻呂とアヌシキの願い」予告編〔2min〕http://youtu.be/W3wZ_R4VmtY1772年(明和9年/安永元年2月29日)明和の大火。1853年インドのボンベイと郊外を結ぶ鉄道が開業。アジア初の鉄道。1865年南北戦争:ファイブフォークスの戦い1867年パリ万国博覧会開
輪島市内から40分ほど走り、空港に着きました。が、まだ時間があったので、近くの道の駅に寄ることにしました。小さな道の駅でした。この画を撮って、中に入った瞬間にガタガタと建物が揺れ始めました。と同時に、自分のも含めあっちこっちから緊急地震速報が鳴り響きました。すぐ建物から出て、揺れが収まるのを待ちました。ここは能登半島の内陸部で、少し高い場所でした。おそらく震度4くらいだと思われます。揺れは大したことはなく、すぐに平常に戻りました。が、数分後にまた揺れが先に来ての、緊急地震速報。
久留米からの帰り。始めて、佐賀空港に寄りました。近くに来ると、雲仙岳が目の前に見えます。間近に見ようと場所を探していたら、なんと懐かしい旅客機が展示されていました。YS-11Aプロペラ旅客機。私が京都の立命館大学に通っている頃、伊丹空港からの帰省に使っていた飛行機です。タラップが付いているので、機内も見れるかと思ったのですが。ドアは、塗り潰されていて、入れませんでした。機体に「AIRNIPPON」、垂直尾翼に「ANK」の表示がされています。かつて全日空の子会社として存在していた「エアー
今日は西の方角へ走ってみましょう。筑後川沿いを走り大川市で昇開橋をバックにパチリ📸筑後川昇開橋展望公園次は佐賀空港公園へYS-11とパチリ📸公園の隣の「佐賀県防災航空センター」では救助訓練が行われてました。暫く見てました。訓練ご苦労様です。そのまた隣に菜の花畑がありました。帰り道に久しぶりの佐賀の「エッフェル塔」(笑)からの道の駅吉野ヶ里今日は雲仙見えないっすねいつものおやままで戻りコーヒータイム。半日でしたが楽しい一日でした。Trip115.3kmOdo82,
某日ちょっと先まで足を延ばす。行先は紫峰の頂を10kmほど東南に見る古い街の郊外。広大な敷地にゴルフ場や美術館、キャンプ場などが設けられ、今回歴史的な乗り物を集めた博物館がオープンしたのだ。入口をはいると新幹線やSLがお出迎え。傍らに建つ館に入ると「YS11」の量産型1号機が正面にそして左側にお目当ての!!複座に改造された零戦21型。以前この機体は東京科学博物館に展示されていたが、この地で再び展示されることとなった。本来練習型を除き単座機である零戦
カテゴリーに「飛行機」って有るのに全然書いて無かったのでup。昔はマメに飛行機の写真を撮ってたので昔の写真をアップして記事を捻り出す。今はお目にかかれない日本エアシステム。若かりし頃に行った鹿児島のYS-11、その時すでに骨董品。これまたヤングな時に岐阜で撮影したT-1B。当時すでに用廃(≒廃車)が進んでました。T-2/F-1、古ぅ。旧カラーのP-3C機体と自分の年季を感じましたwww
2016年、、ある目的で厚木基地に来た不審者。。しかし目的のものは、うんともすんとも言わず、、代わりに元気に飛び回っていたのが、、入間を拠点にする航空自衛隊飛行点検隊のYS-11FCだった。厚木基地はアメリカ海軍の基地ではあるが、管制は海上自衛隊が行っているためかに空自のFCが飛んでくる。何度か周回してILSやPAPIなどの検査を終えてビヨョョョ~ンと独特な甲高い音を立てて基地へ戻っていく、、点検終了の合図は「ありがとうございましたぁ」とお互いのお礼の交信です。そんなわ
YS-11戦後初めての国産機1962年から就航しています。2006年には旅客機としての役割を終えました。その後海上保安庁の機体も引退し、現在は自衛隊のみで運行しています。高松空港への最終フライトは1998年1月私は上京する際には鉄道ばかり使っていたので結局一度も乗ることがありませんでした。土日は機体の中に入って見学することができます。現役の飛行機に比べようもないけど昭和を感じますね(笑)コックピットも見学できますよ。
今日は雲の多い一日です。早朝よりは、雲が少なくなって来たけれど、スカッとした青空のほうが気分的にも違いますよね!今回も、所沢航空記念公園散策の続きです日本庭園から出て、1911年に初めて飛行場ができた所沢飛行場の跡地を見に行きます。手前の広場が滑走路だったところです。戦後アメリカに接収され、地域の皆さんが何年もかけて取り戻して現在の公園の姿になった歴史の深い場所です。これでも公園の散策はまだ半分なのです。梅林もあったのですが、まだ全然咲いていなくて、更には奥の方に行
2月11日(日)の予定でしたが諦めました?長い間休んでた筑西市の「ザ・ヒロサワ・シティ」内の「ユメノバ」ですが、11日の日曜日にオープンが決まってました‥‥見学出来るのを首を長くして待ってたのですが、入場料が2500円との事なので見学を諦めました、それほど我が家は超貧乏なのです(笑)一番に見学を予定していた理由は「科博廣澤航空博物館」に展示してある二人乗りの零式艦上戦闘機で、レプリカではなくラバウル北西のニューブリテン島沖から引き上げられオーストラリアで修復した機体、国立科学博物館に寄贈
雪が降ってきました警報級の大雪って、どんなことになっちゃうのでしょう?お願いだから、大雪にはならないで~今回も、所沢航空発祥記念館の続きです霧ヶ峰式はとK-14型グライダーハンググライダー高原に行くと飛んでいるのを見たことがありますが、高所恐怖症ではなくても怖くて乗れそうもありませんまたまた自衛隊機に戻ります。HU-1B(ベル204B)こちらは、入間基地が近いので、たまに飛んでいるところを見たことがあります。高い所を飛んでいると、そんなに大きく見えないのに、
まずは2枚の画像を見てみる。。こちらは入間基地で撮影されたYS-11P。当時、美保基地に配備されていた人員輸送機。急患搬送にも従事していました。誰が言い出したか「空自の旅客機」です。そしてこちらは、厚木基地で撮影され、上と同じく当時美保基地に配備されていたYS-11です。一見すると同じ機種にみえますが、、実は異なる機種です。この機の形式はYS-11NT。自衛隊の航空航法士の訓練教育のための機材です。今回はそんなそっくりな2機の模型の紹介。。まずはこちら。。模型化されたのは
皆様ちょっとお久しぶりですしばらく更新をさぼっておりましたが、本日より再開です。先日成田空港に所用があり、以前から一度行ってみたいと思っていた航空科学博物館に初めて行ってみました博物館があるのは2本ある滑走路のうち長い方の34Lの南側で、第1ターミナル南ウイングが一番近い位置にあります!住所的には千葉県山武郡芝山町岩山という所にあり、成田ではなかったりします成田の観光は成田山新勝寺くらいしか思いつきませんがはにわが有名なようです・・・平日に訪れたので人はまばらでした屋外展示は無料
こんばんは!今日も午後から、航空自衛隊入間基地へ行ってしまいました❗絶滅危惧種のC-1、EC-1、YS-11を中心に撮影。EC-1021電子訓練機空気が澄んでいて綺麗じゃないか!TouchandGo!!R/W35↑↓↑C-1輸送機030迫力あるなぁ!YS-11159お尻フェチなので後ろから失礼!青空に映えます!T-4練習機719エグい捻りを見せてくれました❗C-2輸送機213C-1輸送機の後継機!カッコいい🎵青空を泳ぐ鯨❗ぴったり。通
こんばんは❗今日は午前中に八王子陸運局でバイクの名義変更をしてナンバーを取得。まだまだ修理しないと乗れない!ゆっくりやりましょう🎵さて、午後から航空自衛隊入間基地で撮影!C-2輸送機能登半島地震の時に、東京消防庁の車両を輸送しましたね!絶滅危惧種のEC-1電子練習機通称カモノハシカッコいい‼️年内には退役するのかな。こちらも、絶滅危惧種YS-11まだ、見れるとはラッキー!T-4練習機戦闘機パイロットを目指し日々訓練してます。
成田出張のついでに来ました、航空科学博物館。昔は成田に来る度に空港に寄って、巨大な行き先表示器を眺めては、旅に出たいと嘆息していたな。芝山町は古墳・はにわの町らしく、埴輪オブジェが博物館駐車場にもあったが、今回は割愛。ジェットエンジン実物。中々の迫力。ジャンボジェット機の断面で、下段貨物室のカーゴは、キチンと入るように左右下角が斜めになっている。たまご。フライトデータレコーダー(ブラックボックス)。実物は初めて見た。実際には事故の際に見つけ易いよう、オレンジ色らしい。ファーストクラス
三沢航空科学館に行ってきましたーホンダジェット高くて買えないwYS-11F-16F-4EJ改15に比べると操縦はかなり難しいらしいです!!フック付は艦載機仕様?戦闘機はカッコいいよねーフライトシュミレーターとかあって楽しめましたよー飛行機好きにはオススメですよ♪
ねがいごと新年から辛いニュースが続きました。地震や事故に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。行方不明の方が、どうか一刻も早く見つかりますように…年越しの深夜は氏神様にお詣りしましたが、今日は日本で一番古い天神様とその隣のお稲荷さんに参拝しました。様々な有り難さに感謝して、欲深いですが健康など少しお願いもわが家には航空機おたくの元航空管制官が好きな様々な機種、大きさの模型があるので、航空機をいつも身近に感じて生活し
12月28日(木)前回の投稿から2週間以上経ってしまいましたが、一応元気に過ごしていましたただ仕事がとても忙しかったので、週末はほとんどのんびり過ごしてまして、散策・写活に出たのは一度だけそれも皆さんにお見せしたいと思える写真がほとんどなかったので”お蔵入り寸前特集”さえも企てられませんでした…そんな中、今年最後の満月コールドムーンをコールドカラーで仕上げたので一応載せておこうかとさて今日は所用もあり、電車で所沢市の航空公園駅にやって来ました🚃私はこの
みなさん、こんばんは。今日で仕事納め、明日から長い正月休みです。ただ今度の三が日は、自由に動けないんだよなぁ~さて、高松空港で友達と合流し、さぬきこどもの国へやって来ました。元・エアーニッポンNAMCYS-11-A-500(JA8743)アンクのYSを撮らなければなりません。ただ出発機のPBBが離れていたので、プッシュバックして動くまで時間が有り、その間に急いで撮影に行ったので、正面からの画像はオアズケです。全日本空輸B7
テーマ機が『戦わない翼』となってゴミ山?から引っ張り出してきたのがハセガワ1/72のイロコイと、ホークのテキサン。これらは大昔手を付けたまま放り出していたものを成仏させるのを目的とし、あわよくば来年のJAJAコレクションにも出展しようという魂胆です^^;それに対してバンダイ(旧今井)1/72のYS-11と、ハセガワ1/72のMU-2Aは未開封で、前2つの進捗状況によってお出ましいただくつもりです。さて、どちらのスクラップから手をつけましょうか。クリアパーツが紛失したイロコイか?バ
え・・もう生産終了?!昼過ぎくらいに、話題になってたんですが、いろんな情報が錯綜してて、よく解らん。まぁ・・海の向こうでは2007年頃から運用が始まっているから「軍用機」って括りで考えるとそろそろ量産ライン止まってもおかしくない頃かな・・と。それとは別に・・来週の百里、地上展示機の予定に入ってたんですが現状、厳しいかな・・と。まずは、原因究明が先ですねxx本題----------------------------------------------------
1962年に初飛行し1965年から就航した国産旅客機・YS-11。180機という決して多くはない生産数ではあったが、そのなかでも多くのキャリアで運行された。輸出された機体も多く、お隣、韓国の大韓航空では日本への国際線に投入していた。また、YS-11の輸出先として有名なところに、アメリカのピードモント航空があった。そんな輸出先のひとつには、、日本から遠く、地球の反対側、、南米はブラジルにもあった。。ヴァスプ・ブラジル航空(JCWingYS-11A1/200スケール)1960