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かなりエネルギーを使うのだが、理由あって古いアルバムを探し出した。今から32年程前…ミュージカルミス・サイゴン日本初演現代と違い本番の映像など撮影していない配信すらない時代でありました。千穐楽のキャストの為の記録映像を撮影したのが、昨日のことのようです。本田美奈子.さんとWキャストで、キムを演じられれた入絵加奈子さん。楽屋前で、突然撮影したカット懐かしいです。オデコにマイクが見えるので、幕間ですね。入絵加奈子さんは、今ではベテラン女優さん。日本テレビ系「はじめてのお
元事務所同期の松田聖子のお母様のように元気で長生きしてほしかったが、母は、六年前に他界した。命日が近づくと紐解く記憶がある。亡母は、技術系の職についていた人間だ。その為に多忙で、保育園〜小学校〜中学〜高校…と一度も運動会や参観日などには、来てもらえなかった。しかし一緒にいる時には、理に適った教育をしてくれた女性だった。子供心になるほどと感じた事が多々あった。時を見極めなさい小学校低学年の頃、祖父の納骨の時だった。親戚縁者が、次々に墓石に水をかけて線香をそなえて手を
ピーコさんとさくらんぼピーコさんが鬼籍に入られたのを知り思い出すのは、ピーコさんの笑顔ばかりだ。80年代に芸能事務所を退社してフリーの写真家になりお世話になった編集者さんが、飲食店も経営されていてお客様でいらしていたピーコさんと親しくなられた方だったのだ。ピーコさんが眼球摘出手術をなされた時に入院中のピーコさんに代わりおすぎさんがお店に来る事になり「ピーコより気丈らしいから不安だ」と仰っていたその方から「合ったらおすぎとも仲良くなれたよ、やっぱり双子だね」と聞かされ
リブログしたひとつまえのブログに寄稿した西田敏行さんが桜田淳子さんの持ち歌歌唱時にパフォーマンスされた動画をYouTubeで見つけたので加筆して添付した。(番組のアップは鼬ごっこで削除されがちだが)消えないうちにご覧頂きたい。佳き昭和の大晦日が甦るはずだ。黒柳徹子さんの司会が完璧で以前にも寄稿したかもしれないが、現在黒柳徹子さんが唯一無二で信頼されているデザイナーの田川啓二氏が、ハウスマヌカンをなさっていた1984年に筆者は、客として出会い田川氏からのリクエストで、ユー
池中玄太80キロ1980年4月、松田聖子がデビューして筆者は、カメラマンとして同事務所に入社した。当時のカメラマンは、Nikon派かCanon派に分散していたが、筆者はアマチュア時代からCanon派だったのだ。1980年4月からスタートした日本テレビ系ドラマ「池中玄太80キロ」の主役西田敏行さんも出版社のカメラマン池中玄太としてCanonの一眼レフをドラマ内で使用していた。芸能界の二十歳の新人カメラマンだった筆者は、今で言うパワハラを事務所のあるセクションの中年男
ある方から生前戴いたプランターに花の寄せ植えをしてみたくなり…花を扱う近所の生協のような場所に行ってみたが…イメージしていた花が無くキバナコスモスの蜜を吸うヒョウモン張を撮影して帰宅した。気場へ連れ出して・・・ケアラーしている病床の旧友が、苛つきがちだったので、1か月ぶりに外に連れ出すことを促した。以前、大映テレビの人気ドラマにも出演していて東宝ミュージカルで撮影をさせて頂いた比企理恵さんが、パニック障害をパワースポット巡りで克服されたことを思い出した。旧友は
長きに渡りドラえもんの声優をなさっていた大山のぶ代さんが、鬼籍に入られた。合掌母が亡くなった時の悲しみのようだ。ドラえもんが、アニメ化されたのは、1979年。しかし小学館の学習雑誌で、連載がスタートしたのは、1969年だったのだ。その時代は、勿論主題歌もなければ漫画だから大山のぶ代さんのドラえもんの声もなかった。それなのにドラえもん=大山のぶ代さん…にいつの間にかなっていたのは、大山さんが、ドラえもんをこよなく愛されていたからに違いないと思ってしまうのであります。
大谷翔平選手表紙本日発売の「女性自身」昨今の週刊誌読者離れから各週刊誌で多発している合併号での発売であります。目次は、プライオリティの高い巻頭から順位のように配列され頁化されているのだ。8月末の豪雨被災から久々の仕事として10月1日に取材オファーをお受けした記事は、通常なら目次の一番下に掲載されている松田聖子記事である筈なのだが…今回は違うのだ。大手出版社編集部は、ファッション誌も芸能誌も複数の班で構成されていて記事の企画段階から編集部内でも班以外には企画を内密
花火は舞い上がり・・・昨年、7月…ユーミンの花火大会に行きたかったが、看護事情から断念した。かなり残念だったのだ。着物姿のユーミン出典サンスポそして今年、諸事情から間借り中のお宅の間近で、玉川の両岸から仲良く打ち上げられる玉川花火大会(たまがわ花火大会)を初めてスマホで撮影した。世田谷側は、二子玉川なのに対して川崎市側は、多摩川なので、世田谷側の花火大会タイトルが「たまがわ…」になっているのです。例年の人出は、なんと26万人駅から10分くらいの打ち上げ場所
このアメブロに以前寄稿した「あちらの方からです」(某ホテルのバーでBirthdayをバーテンダーさんと2人で祝っていた方に拍手したらグラスシャンパンを戴いた逸話)は、京王プラザホテル(新宿)だったのだ。新宿レクイエムレクイエム…は、ラテン語で安息を意味する。新宿には、ご縁がありすぎる自分なのだが…初めて新宿に来たのは、小学4年生だった。亡き父に連れてきてもらった小田急ハルクで開催されていた少年ジャンプ連載漫画家さんのサインであった。ど根性ガエルの吉沢やすみ先生(74)
遠方で、ご入院中の某歌手のご家族の方の心配に加えて先週からケアラー中の旧友も寝込んでいてほとんど食事ができない様で心配な毎日なのだ。更に9月から仕事が入らず不安に苛まれている。しかし何とかなるさ精神で頑張るしかない。諸事情から間借り中の身なので、人様の家で図々しく料理をすることが、憚れるので…安くなる時間にスーパーの弁当を買ってくる生活なのだ。(料理がしたい〜💦)一昨日の夜遅くにハンバーグ弁当をまさに今、食べようとしている時に病床の旧友が、トイレに起きてきて「美味しそうです
リブログしたブログから…早1年(゚∀゚)スマトラ島沖地震以降、地球の自転速度が、加速しているように感じてならないのだ。演歌女子🎤坂本みさとさん昨年の9月に演歌歌手の坂本みさとさんが、ご自身のFM番組にて筆者とのご縁を話してくださったのだが、昨日たまたま筆者が、Xアカウントにおいて…以前ステージ映像の撮影〜DVD制作のご依頼を頂いたシャンソンのシンガーソングライター米田まりさんのコンサートをBS12あなたに届ける音楽会でOAされたことをポストさせて頂き同番組のスタジ
大物は優しく信じてくださる添付した昨年のブログに心霊の執筆をしてきた経緯を書かせて頂いたが、思い起こすと事務所同期の松田聖子(以下聖子さん)もそうであった様に大物は、常に優しく人の事をきちんと見てくださり信じてくださるのだ。筆者の心霊芸能寄稿記事内で唯一校閲さんを兼ねていた編集者氏に「オカルトエリート」と加筆のキャチを付けられた45年来のファンであるユーミンこと松任谷由実さんも筆者が撮影をさせて頂いていた時代から優しく信じてくださる素晴らしい大物シンガーソングライターなの
家なき子紙媒体の担当記者さんと昨日ランチをした。丸3年もユーミンや松田聖子記事取材でのオファーをくださる記者さんと会うとどちらからともなく仕事の繋がりがある芸能人と遭遇したトークになりがちだ。出典スポニチ筆者が少し前に都内某所で、安達祐実さんが、息子さんと買物をしている所に出くわした話題を出した。筆者が事務所を辞めてからまだ子役(と言っても主役をハレる)だった安達さんが筆者の古巣に所属したのだ。1994年に社会現象をも引き起こしたテレビドラマ「家なき子」安達さん演
丸くいれば上手くいくピンポン玉のように咲く黄色い菊の花その名は「ピンポンマム」その小さな丸い形を見て旅の記憶を紐解いた。2000年代にNYベースでMV撮影していた時代、1週間ほどのオフをバハマ等で過ごしていた。ある年にプエルトリコに行く事にしたのだが…ラガーディア空港で搭乗手続きをしようとするとアメリカン航空が、ストライキ中だったのだ。かなりの欠航便が出ていて焦りまくった。サンファン(プエルトリコ)行きの直行便は、欠航していた。グランドスタッフの女性に怒鳴り散らす外
病み上がりなのに有り難い紙媒体でお世話になってる記者さんから…LINEでこの先の聖子さん記事のオファーを頂いた。立て続けに母校の後輩である俳優から「近くでロケしてます」とLINEが入った。30代役者でベスト10に常に入っているのが、自分事の如く嬉しいのだ。しれっと🙂顔出ししたら相変わらず硬派で非の打ち所ない所作だった。情報解禁前のドラマの夜間ロケだから㊙️だが、この画像だけは👌を貰えたのだ😄浸水被害受けた身だが、ドラマで雨を降らせる散水車は昔から見ているから抵抗は無い
鈴木君代筆ありがとう!20年前の大怪我以来、人生2度目の入院は…生まれて初めての豪雨避難勧告の被災所から担ぎ込まれたかたちでありました。💦おまけにスマホを忘れて水没させてしまいかろうじてアメブロのパスワードだけは…アメブロが頻繁にログアウトしてしまう事で、記憶していた為32年来の親友であり弁護士の鈴木君にPCから代筆を頼んでおりました。🙏避難所に持参していた自分が、作詞させて頂いた曲の譜面と共に中山圭以子さんの新旧CDをそのまま病室に持参して腰の痛みとクラクラ目眩
昨日十五時にときはるさんのお見舞いに行きました。少し話しているとテレビを観ていいかな?とときはるさんに言われたので病室のテレビをつけました。リブログ機能で貼らせて頂いた美川憲一さんがご出演の番組でした。その番組の終盤で放送されたシャンソンの歌い手さん珠木美甫さんご出演の場面を観たかったとのことでした。ときはるさんが見せてくださったクリアファイルに珠木美甫さんのディナーショーのチラシと銀座ボンボンさんにいらしたときの珠木美甫さん直筆らしき座席アサインメモが大切にファイルされていました。
避難所に残ってくれてる親友弁護士にお願いしてブログ〜Xアップを今夜もアップして貰います。🙏避難所を抜け出して大切な旧事務所での仲間中山圭以子さんのBirthdayLiveに行ってきました。6月から駆けつける約束をしていたLiveですので、台風で延期や中止にならない限り絶対に駆けつけると決めていました。親しくさせて頂いてるシンガー琴音さんが、お母様(俳優で歌手の江川真理子さん)のお繋がりで幼少時代からギターの並木健司さんにお世話になってるとのまたまた芸能界の不思議なご縁
還暦を過ぎ人生初の河川氾濫による避難指示を受けて昨日避難所に入った。筆者の片腕として30年力を注いでくれた元アシスタントでドライバーで監査役の旧友が避難前に階段から落ちて怪我をした。肘をザックリ切ってしまっていたのを応急処置してから避難所に入り…本日も消毒した。玄関から一階が浸水したお年寄りの方が、多いので自分らの応急処置くらいは、ササッとやり食料を配ったりの手伝いに走り回っている。スマホが無くてペンしかないのでコロナ禍で大幅に遅れている筆者がオファーをお受けした松田
心折れるほどにこれまでにない難解な闘病中の旧友のケアラー(単身看護)。不適切かもしれないが、寝たきりならまだケアラーが円滑かつ完璧にできるがしかし旧友は外出は皆無なのだが、デスクワーク可能な為に転居後の諸々の手続きを自らしているのだが、確認障害な為健常者が5分くらいで終了する確認に1時間近くかかるのだ。頭脳明晰だけに考えすぎる事により不安に苛まれて確認が継続する様で自身で納得しなければ他者が、大丈夫だよと言っても納得し
執筆も作詞も撮影も全ての仕事が入らぬ為意を決して幾多のアイドルを撮影した一眼レフを買取り査定に持参した。90分待ちで出された額は…まさかのCD(アルバム)すら買えぬ4桁だった。愕然として自宅に持ち帰った。天国におられる二人の師匠林秀次郎氏と武藤義氏から「写真家をも続けなさい」と言われた気がしてならない。今でも評価される撮影をする自信は失っていないが、仕事が入らないのです師匠…。
某企業の方からのお誘いでこの先の大切なイベント打ち合わせを兼ねてランチをご一緒させて頂いた。撮り忘れたが、ランチだとほぼほぼアイスティー(レモンティー)を頂く。エビとアボカドのパスタ🍝病床の旧友にお見舞いのカステラを頂いた。九州出身の旧友…カステラは福砂屋派だという。ケアラーを抜けての打ち合わせだった為お気遣い頂いたカステラを旧友は…「美味しいです」と食べてくれたが、2時間ほどして発作が起きてしまった。難病を抱えていると安心できないのだ。ケアラー中だっ
筆者の写真家時代の師匠武藤義氏撮影の岡田有希子アザーカットを貼り付けてユッコちゃんデビュー40周年記念寄稿32本目をnoteにアップさせて頂きました。https/:note.com/yahimon2023決して無理なスケジュールを強いられていた訳ではなくて頭脳明晰で他人の気持ちを考えすぎる優しい彼女が、心療内科が当たり前でない時代にスターになったことが…まわりが護りきれなかったことが、ずっと悲しいけれど…嘆いていては彼女が辛くなります。デビュー40周年を祝うこと
一昨年のブログに神田沙也加さんを寄稿した「リラックマ」の展示を撮影したりはたまた…一つ前のブログにリブログしたSuicaのペンギン「スイッピ」の撮影のことを昨今『ぬい撮り』と言うらしい。ぬいぐみを様々なシーンで撮影する事だと言う。さすかに還暦すぎた男だからたまたま携帯電話会社の仕事で、17年くらい前に戴いたスイッピくらいしかぬいぐみは無いしそのスイッピすらもはや行方不明だ。💦ということでJRの某駅に飾られていたスイッピを「ぬい撮り」してみた。私物以外でも「ぬい撮り」か?は
タイトルを「刃物失せ物忘れ物」にするつもりだったが…お盆でもあるし😅亡き母に登場してもらった。幾度となくブログ画像にも登場していた生前の母から貰った果物ナイフ。二十歳で芸能事務所に入社した際に一人暮らしを始める時に貰った物だった。44年も大切に使ってきたのだが、旧友の転居の際に忘れてきてしまった。😢旧友が闘病していた家は、以前筆者が、社屋に借りていた賃貸で、コロナ禍に筆者が転居した後に旧友が入居したが、大家のお爺さんが痴呆になられて寝たきりの旧友に因縁をつけたり
山の日で書きたくなったカテであります。ユーミンのファンになり…光栄なことにステージ撮影をさせて頂き41年その間に筋金入りのファンでなければ行かないであろうユーミン楽曲に纏わる場所アカプルコやカトマンズなどを旅した。しかし曲先でオリジナル楽曲を作る松任谷由実の凄さは、アカプルコなどユーミン自身が行っていない場所をまるで訪れたかのように作詞する事だ。海外のみならず、日本でユーミンが訪れていない場所・景色を見事なまでに描いた楽曲がある。1984年12月1日にリリースされた『
ケアラーをしている旧友の新居とご近所さんになったことで、筆者の部屋に眠っていたお宝を旧友に寄贈させて頂いた。幼少期から絵画や美術品制作を評価されていた旧友なので、闘病中でも何かしら作品制作をしてくれると鑑みての寄贈だった。故青江三奈さんが邸宅で使われいた鏡のフレーム虹の橋を渡った筆者の愛犬のマネキンこの2つを旧友の新居に置きケアラーし帰宅した翌日に旧友の新居を訪れ良い意味で驚いたのだった。玄関を入って2階へ上がる階段の横に然りげ無く置かれた鏡(のフレーム)の
ケアラー事情から現地に行けなくなって数年…ユーミンの苗場LIVEを配信にて巨大スクリーンで毎年観せて下さる音楽関係者の方が、昨夜仕事後に旧友のシャンパンフルート等の梱包に来て下さった。筆者以外の普段会わない方と会話すれば、病床旧友が穏やかになれるのでは…?の筆者の読みが的中した。旧友と心地よいキャッチボール会話をして下さり梱包もプロ並みで有り難い限りだった。🙏僅かな時間に自分の部屋に帰宅できた筆者が、自室で探し物をしていると19年前に虹の橋を渡った愛犬の遺影が出てきた。あ
病床の旧友の転居支度が残り僅かになった昨日、闘病が続くために旧友が選んだ寝具等が届く予定であり…固定電話の工事日でもあった。完璧性がゆえにメンタルの薬も多く処方されている旧友が、転居日から快適に闘病できる様に寝具や電話のモジュラー位置を直に工事の方にリクエストする為にタクシーで旧友の転居先に旧友と共に向かっていた。久々に乗るタクシーには、昨今問題になっているカスハラ防止のステッカーが、貼られていた。旧友自ら「障害者割引でお見せする障害者手帳は今ですか?」と聞くと感じの良いド