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ロータリー業界で「神様」と称されるのが、チューナーとしての「神様」である雨さんこと雨宮勇美氏と、ドライバーとしての「神様」である片山義美選手ではないでしょうか?二輪のヤマハやスズキワークスで活躍後に四輪へ転向、マツダワークス入りを果たします。チーム木の実、片山レーシングなどありますが、基本的にずっとマツダ。オイルショック以降はマツダスピードのドライバーとして活躍されました。グループCジュニアから移行したグループC2の伸びしろに限界を感じたのか、マツダが上位C1クラスへの挑戦を目論みだした1
1982年のWECinJAPANのエントリーリスト。気になるのがゼッケン9「トヨタ・セリカ・ターボ」←ここで「9号車」とか言うような奴は観光バスかなんかと勘違いしてるバカなのでほっときましょう。人見隆作選手が記載されているので、確実にトラストからのエントリー(そもそも人見選手はトラストの社員ドライバー)。ということは…コレ?コレ?でも、確か1982年のWECinJAPANには…これ(左端)が出ていた記憶があるのよね。で、こういうときはJAFの公式記録をYO!check!
TRDの広告に載っていた40セリカ。フロントウインドウがアルミのステーで固定されていたり、左ハンドルだったり…おそらく日本で開発していたIMSA用のセリカなのかと。で、結局クーペとLBが製作されたのちに米ケントレーシングに引き渡されて、IMSAシリーズを戦ったようです。同型のLBといえば、これもなんだけど…こちらは全く違う内容です。深くは触れちゃなんねえよw「失敗作」だなんてw時代的にトスコから名称変更をしてTRDという名前を売りたかったタイミングでしょうから、こういう開発車両を使っ
日本人離れした風貌、クルクルパーマ、飄々とした態度。レーシングドライバーとしては非凡な才能を持っていた方でしたよね。京都出身、後から出てくる関西出身のドライバーの面倒見がよく、世代を問わず絶大な信頼を得ていました。モータースポーツファンも世代によっては「キャビンの広告」で覚えてる方も少なくないでしょうね。もともと松本恵二選手といえば、ツーリングカーレースでのクワハラスターレット(画像のマシンとは別物)やパブリカなど、トヨタ系のイメージでした。クワハラ自動車は京都ですから、同郷の松本恵
1984年シーズンに入る前の記事のようですが、どうやらトムス84Cのデザイン…にしては、ずいぶん違い増すね。むしろ前年比の83Cに近いかも。で、完成した84Cがこちら。全然違うじゃんw案外トムス内部では、このデザインを気に入っていたのかもしれないですね。それにしてもこのホイールを履いてるってことは、少なくともWECinJAPAN以前にデザインしていたみたいですね。なぜかって、そりゃ1983年のWECinJAPANでこの井桁ホイールを履いて走行中にホイールが破損→タイヤがバーストして大
1982年のWECinJAPANにやってきた、北米エレクトラモーティブから参戦の280ZX。日本では誰もやってなかった「L28をターボ化」というだけでなく、それを耐久レースに持ってきちゃう凄さですよ。この時、コカコーラ・マーチというGCマシンで出ていた「Z使い」の柳田春人選手はどう思ったんだろう?「本当はフェアレディZでシルエットに出たかった」と言っているように、フェアレディZへの未練を残しつつブルーバードでシルエットレースに参戦していましたからね。「どうせなら、これでスーパーシル
1983年のWECinJAPAN、そこまでトムスのみだった83Cが生沢徹率いるチームイクザワにも供給されました。あと、見崎清志選手のミサキスピードにも。ただ…本来写真が掲載されるべき雑誌に、イラストしか載ってないということは…。予選中に燃料配管のあたりから出火、全焼したので写真が無いんです。当時の雑誌にも出火直後のようすが。かろうじて残っていた記録が、これくらいでしかないようです。これがトムスの83C。ミサキスピードの83C。トムスとミサキスピードはリアウイングのマウ
まだまだ続きますよ!シルエットシリーズw今回は、僕個人的に好きなマシンの「マツダ855」です。もちろんベース車は、マツダのサバンナRX-7(SA22C)ですね。特徴的なのはストックボディーを残したままで、ぶ厚いスタイルのマツダスピード製マシンとくらべると…こちらはキャビン以外の前後がパイプフレーム製なので、めちゃくちゃ低い!カッコいい!ゴルシ様も理解されたようですwこんなカラーリングのときもありましたが、隣の白緑の253ベース?のとか、後ろのRX-7なんかとくらべても異様に低いです
とは言っても、マーチのシャ-シにマツダの13Bロータリーターボを載せたマシンなんですがw当時はこんな感じで記事になっていました。「ロータリーターボ?お前なに言ってんのさ。マツダはずっとNAだろJK」って言う人も多いでしょうが、84年のWECinJAPANにだけ参戦して決勝はエンジンブローでリタイアしたのでほとんど記録にも残ってないんですね。この頃のマーチシャ-シを使ったマシンといえば、これじゃないでしょうか?ちなみにこれは83G。マツダは翌年の84Gですね。あまり変わりないですがwあの