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京都花月昭和53年6月中席のポスター。京都では珍しく看板がWヤング、露乃五郎、月亭八方、阪伸・巨人と四組出ており、うめだのような番組です。トップにはこれが初舞台の横山ノック門下のアラン・ドロン。5年間活動しコンビ解散後にショーパブを経営して、そこからテンダラーや水玉れっぷう隊が芸人になったのは有名ですね。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成「花しぐれ」で、小づえ・みどりが出演。なぜかこのコンビはポケット出番も多くありましたが、さほどコントも上手くはなかったんですがねぇ・・・
京都花月昭和53年5月上席、ゴールデンウィーク興行のポスター。さすがはゴールデンウィークで、京都花月もそこそこのメンバーを揃えてます。看板はカウス・ボタン、桂小文枝、桂文珍。小文枝さんの横に小さい文字で書いてあるのは「日中友好に一役買って帰国」で、チャンバラトリオ共に国際交流で中国に行ったようです。よく小文枝さんが枕で中国ネタをやってました。笑ボックスの枠に小づえ・みどり、明石家さんま、B&B。ポケット・ミュージカルスは第13回上方漫才大賞を受賞したWヤングが主演。大河
京都花月昭和53年4月下席のポスター。トリには第13回髪型漫才大賞を受賞したWヤング。人気も実力もあったのに惜しいです。そしてあとの看板二組は落語で林家小染と月亭八方。笑ボックスの枠にいくよ・くるよ、ザ・ぼんち、そして昨年新聞沙汰になって生きていることが分かった明石家小禄。そしてトップには紳助・竜介。名前の並びが反対になってます。小染、八方、小禄、仁扇と落語が4つもあるのも時代ですね。ポケット・ミュージカルスは木村進主演で「木村進のワン・ツー・ジャンプ」(構成:松本俊介
昭和60年3月31日うめだ花月特別興行。うめだ花月の特別興行は、なかなかの豪華メンバーでして、私も春休みだったので日曜日で満員のうめだ花月へ、祖母と二人で見に行きました。開演が10時と14時の二回興行で、いつもと少し違います。●気分は毎度チャカチャンリン落語特集笑福亭仁鶴、桂文珍、月亭八方、桂勝枝など看板が揃い、落語・コント・大喜利と内容盛りだくさんで、読売テレビの収録がありました。●いしいひさいちコント劇場「忍者大阪戦争」脚本に紳竜の映画「ガキ帝国」の堰守。
京都花月昭和53年2月下席のポスター。看板がWヤング、露乃五郎、阪神・巨人、月亭八方と4組でいつもの京都よりも豪華な感じ。トップにはB&B。ショート・ショートの枠に笑福亭松之助、啓二・洋司、のりお・よしお。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「震度バット」で、由紀子・たか志、こづえ・みどり他。吉本新喜劇は木村進が座長で、松本俊介作・演出の「あんちくしょう」。マドンナに中山美保、専科は岡八郎。
昭和50年代に、漫才ブームという大革命が起こった。漫才ブームは単なる演芸ブームではなく、社会現象であり、社会の価値観を変えたという点では、革命といってよいだろう。当時の漫才ブームの主役中の主役は、西のやすしきよし(横山やすし、西川きよし)と東のツービート(ビートたけし、ビートきよし)となるだろう。しかし彼らが、その実力を、もっとも恐れた漫才師が存在した。初代ダブルヤング(平川幸雄、中田軍司)だ。ビートたけしをして、追い抜くどころか一生かかっても追いつけないと言わしめた大阪の実力バ
この人たちかつて人気絶頂吉本所属Wヤングこの人たちWアング
京都花月正月二の替わり興行(1月中席)のポスター。人気のWヤングに、若手実力派の阪神・巨人が看板で、他は結構ベテラン揃いの番組。笑ボックスの枠に、こづえ・みどり、B&B、そして最近生存してたと話題になった明石家小禄(五所の家小禄)。師匠の笑福亭松之助も同じ出番。イチカ・バチカは秋田門下で、解散後に神田が大阪笑ルームを結成。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成の「初姿喧嘩纏」。露乃五郎、由紀子・たか志、若柳吉佐登他。吉本新喜劇は中村進作・演出「スプリングハズカム」
12月放送分と1月新春特番分の収録をいたしました。佐藤武司さん(元Wヤング)がゲスト!岡山スタジオにて…対面でひさしぶりに行わせていただきました。B食にも行かせていただきました。食後は…ONSAYACOFEEにて濃いめの珈琲☕️を…今後ともよろしくお願いいたします🙏
京都花月昭和52年12月中席のポスター。年末になり芸人も忙しい時期で、トリのWヤングも多忙だったことでしょう。それ以外は演目的にはバラエティーな感じはしますが、ちょっとしんどいメンバーです。笑えるのはWヤングだけですね。トップには紳助・竜介。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「北北西の風」。新爆笑軍団は海生宏彦構成で「王手飛車」。新喜劇の由利謙、やなぎ浩二、池乃めだか、藤里美他。吉本新喜劇は間寛平を座長に、専科から平参平で、松本俊介作・演出「寒さ知らず」
うめだ花月、昭和53年7月下席のチラシ。夏休みながらも看板は渋い面々で、幸朗・幸子、桂小文枝、Wヤング。「ワイド50」というのは4組で50分という意味ですかね?ザ・ローラーズ、由紀子・たか志、ザ・パンチャーズに、コンビ結成1年目の紳助・竜介。屋号が逆になってますね。パンチャーズのナンバ四郎は今のMr.オクレ。番組の案内役として、滝あきら。ポケット・ミュージカルスは海生宏彦構成の「南南西の風」。新爆笑軍団も海生宏彦構成で、由利謙主演で「サマーウォーズ」。他にやなぎ浩
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和48年1月中席二の替り興行の予告です。やはり正月中席は豪華メンバー継続で、幸朗・幸子、笑福亭仁鶴、カウス・ボタン、Wヤングが揃います。コント110の三田マサルは鳳啓介の実弟で、京唄子の三人目の夫。B&Bは初代で、洋七がまだ洋一と名乗っており、団順一は現在放送作家の萩原芳樹。吉本新喜劇は中村進作・演出で「気軽な人生」。船場太郎が座長で、専科から花紀京、桑原和男。マドンナに山田スミ子。
未公開写真、第13弾。昭和63年8月下席うめだ花月Wヤング。コンビ結成して4年ほど経って結構面白い漫才になってきましたが、まだまだマル兄が平川さんに気を使い倒してた頃ですね。昭和63年8月下席うめだ花月コメディ№1。すでに全盛期は去ってましたが、確実に笑いの取れるコンビでしたし、やはり客は坂田さんを見ると喜ぶんですよね。どちらも相方が亡くなってしまったのは残念ですね。
前回のチラシの裏面で、なんば花月昭和53年8月上席の予告です。演芸の看板はベテランから若手まで揃ったバランスの取れた編成で、トリは人気絶頂のWヤング。若手のスター阪神・巨人、落語は桂小文枝、月亭八方。ベテランの三人奴。そして「ワイドショウ」というくくりになってますが、実際はポケット・ミュージカルスで、藤井賢構成の「ビッグ・サマー・バラエティ」と題し、漫才、コント、歌、曲芸、ジャズ漫画とボリュームのある内容だったようです。由紀子・たか志。のりお・よしおらが出演。新喜劇に入団間も
2005年頃だったかな。高等部の時の修学旅行で宝塚歌劇団チームでは無く、吉本新喜劇チームで行った時、あの時は良かったな。桂文枝(桂三枝)、宮川大助・花子、Wヤング等見ました。一番は辻本茂雄さんの辻本爺さんだった。それから話題の中心に辻本爺さんだったな。あの時が懐かしいですぅ。でもコロナ禍だから無理だろうな。
『知り合いの食欲は凄いわ』30日から知り合いが高松からうちの家ローモンキーに、泊まりに北乃きいで、31日の大晦日はおせち料理多部未華子で、大体、この知り合い、高校の教師なんで菅義偉、も…ameblo.jp
大晦日はこのオッサンと…https://ameblo.jp/niote/entry-12718734549.html
準レギュラーで出演いただいています。
うめだ花月昭和53年8月下席のチラシです。トップに紳助・竜介、次にザ・ぼんち、そしていくよ・くるよが続きますが、まだまだ売れっ子になる前です。そう思うとコンビ結成3年目で阪神・巨人のこの位置はスゴイことです。紳竜の屋号の島田と松本が逆になってますね。ショート・ショートは林家染二司会の民謡特集、新喜劇座員の新爆笑軍団は海生宏彦構成の「スマイルギャングで」由利謙を筆頭に、やなぎ浩二、佐藤武司、藤健一、藤里美、大井文子。ポケット・ミュージカルスは「ゆかいなガンマン」で、間寛平が主演
11月21日日曜日〜その6遅れ馳せながら、先月17日にお亡くなりになった、元コメディNO1の前田五郎師匠を悼んでの思い出を綴ります。吉本興業を離れられた、晩年の10年間は接点が有りませんでした。S55年8月11日、旧なんば花月で初舞台を踏んだ頃、楽屋で怖れられていたのは、横山やすし師匠、前田五郎師匠、平川幸男師匠のお三方。やすし師は舞台を終えれば直ぐに外出され、Wヤングの平川師は相方を亡くされたために劇場出番から暫く外れる中、楽屋麻雀が許された時代、五郎師はスケジュールに余裕があれば、ずっと卓
京都花月昭和50年4月下席の車内吊りポスター。トリは洋之介・喜多代で、トップには弟子のいくよ・くるよでデビュー5年ですが、まだまだ売れるまでに5年かかります。人気のWヤングや、落語特集として桂小文枝、露の五郎が鳴物のネタを。弟子のきん枝も出てますね。この席は比較的後年まで活躍した芸人が多く出ており、歌謡浪曲の朝日丸・日出丸、奇術の一陽斎蝶一、漫談の滝あきら、音楽コントのザ・ダッシュ。ポケット・ミュージカルスは竹本浩三構成で、砂丘姉妹に木村進、間寛平。吉本新喜劇は杉本士郎作
即興的なギャグではなく、長く引っ張れるギャグというのを香川登志緒は評価しているようである。舞台を持たせるためには重要だと。基本的には平均20分だが、誰かが遅れたりとばしたりしたら、その分を埋めないといけないので、40分や1時間になることがある。そのためには、単純だが長い時間引っ張れるものがあった方がいいということだろう。そういう点で、長く引っ張れるギャグは芸とみなしているようだ。そういや、さんまの形態模写も、仁鶴が遅れてきた時の前説でやったのが最初とのこと。遅れた人の分をつなぐ
今回の舞台写真は、うめだ花月の穴場席である2階サイドからの写真です。この席は舞台全体が見えて、客席も良く見えるし、今の祇園花月の桟敷席みたいな感じですね。全て昭和62年9月下席での撮影で、昼の部は1階席で見て、夜の部は2階席で見ました。岡けん太・ゆう太(現おかけんた・ゆうた)。当時はダウンタウンを筆頭にした2丁目ブームで、けんゆうも割と人気がありましたし、ネタも面白かったですね。今はもう・・・。Wヤング。コンビ結成3年目ぐらいで、まだまだ平川さんに主導権があり
5月31日月曜日~その8カセットテープ『太田登美子半生記』~「東大阪市名所唄い込み音頭」「幼年時代」「芸能界デビュー初舞台」「出合い」「和歌山づくし」河内家菊水丸(S61年菊水丸音楽事務所※限定100本)をモニター。(写真)Wヤング・平川幸雄師匠に弟子入りされた太田さんの結婚披露宴での引出物の一つです。★外題・17★小品・3★まくら唄・9★甚句・2
6月のゲストは…偶数月〜佐藤武司さん(吉本興業元Wヤング)7月のゲストは…大衆ソウルシンガーのインディさん(白塗り芸人奈良在住)8月のゲストは…上方落語協会の桂七福さん(徳島在住福団治師匠のお弟子さん)とプロの芸人さんに華を添えていただきます。個人的におつきあいが続いている方々とのトーク…出会いからその後…そして今後のつながりについて〜思う存分語り合います‼️乞うご期待✨これからも番組を応援して📣くださいね。よろしくお願いいたします🙏
昭和47年3月下席、京都花月のチラシです。音楽ショウのあひる艦隊は、メンバーの入れ替わりが激しかったですね。前年に新喜劇から離れて谷しげると井上竜夫が漫才コンビざ・どっきんぐを結成しましたが、すぐに解散し新喜劇に戻ってます。笑福亭松之助が、ジョージ多田・リンダ藤本や朝日丸・日出丸より位置が下とは。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「春の波紋」。淀川吾郎、伴大吾、梅田ひろしらが出演。漫才の看板は、幸朗・幸子とWヤングですね。吉本新喜劇は原哲男で、三原和人作・演出「サヨ
3月30日火曜日~その10(写真)続いて聴いたのは、浪曲LP盤『柳沢出世譚/鼠小僧治郎吉各務ヶ原の巻き』先代広沢晴海(ローオンレコード)です。此れは先日、カトープレジャーグループの加藤友康社長にご寄贈頂いた一枚。スポーツニッポンの連載にも書きましたが、加藤社長の御尊父は、ローオンレコードの創立者加藤精一会長です。(写真)「鼠小僧」は、S62年9月16日~19日に滞在した岐阜県各務原市が舞台。『昭和62年度敬老のつどい~温もりと安らぎのあるまちづくり』が開催された各務原市民会館での興行を
漫才の元Wヤング、現在吉本新喜劇の佐藤武志さんとなんばで…次回のゆめのたね放送局✨タッチの熱視線の収録(7月)の打ち合わせを…カラオケ🎤を交えて…させていただきました。朝マックから始まり…お昼はお蕎麦〜丸福珈琲に…そしてTOHOシネマズに‼️『パラサイトモノクロ版』を観ました❣️夕食は梅蘭に‼️名物・梅蘭焼きそばに餃子🥟青椒肉絲を…いただきました。7月はトークだけではなく…コーナーもしっかりと設けたいと思います。充実した一日を過ごさせてもらえたことに感謝いたします
1960年1月中席、うめだ花月。知らないことは調べてみるものであると、つくづく思う。前回意味深な終わり方をしたが、単にそこで行が終わっただけ。西川ヒデオが、Wヤングの中田治雄(本名:中田軍治)だったと。Wヤングとなると、平川幸男。こちらもヒノデショウでの西川ヒデ若。ここから来ていたのかと、今さらながら。このコミックショウで共演した姉弟子と弟弟子は、後に売れっ子に。しかし、終焉は望ましくないものであった。中田治雄(ヒデオ)は、1979年に自殺。華ぼたん(サ
ブログにご訪問いただきありがとうございます。「自分で人生を創造し、自分の夢を生きる」実践プロジェクト主宰の「きむらよしまさ」です。いつも当ブログをご愛読いただきありがとうございます。あなたは、自分の人生を創造していますか?あなたは、自分の夢を生きていますか?私は自分の夢を生きるべく日々行動し、その結果を楽しむ人生を送っています。その過程や過程の中で気付いたことをブログに書きとめ、お伝えしていきます。よろしくお願いいた