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昭和30年、私は短大を卒業し就職をしました。当時女子短大は人気があり、就職率は100パーセントでした。大手の企業や銀行など引く手数多で、そこで将来性のある若手のサラリーマンを見つけて結婚するのが一番と思われていました。現にそうなった人も多かったのです。私は前にも書いたように英語の教師になるのが夢でしたが、短大では2級免許なので取ってもしょうがない、と諦めてしまいました。教職課程のためには土曜日にもクラスがあり、休めないというのも理由の一つでした。後に40代になってから自宅で英語塾を始め
私の夫で3人の子どもたちの父親だった人は今考えてもすごい人だったなぁ、と思います。中学生の時から日曜日にはお弁当持ちで映画館へ行き、同じ映画を何回も観ては英語の勉強。当時は映画の全てのセリフが英和対訳で載っているプログラムを売っていたので、それを全部暗記してから何回も繰り返し映画を観れば確かに会話の練習になります。私も映画も英語も大好きでしたが、ただうっとり眺めているだけで、そんな勉強法など思いつきもしませんでした。辞書で単語を覚え、覚えたページは破り捨てていたそうです。周りの大人たちがみ
1950年代に米広報文化交流局(USIS)が日本の左傾化を阻止するために世論工作を行っていたことを示す報告書が米国立公文書館で発見された。京都大学の教授陣の反共工作や、アメリカが望む方向への世論誘導を行ったマスコミや出版物などをひそかに援助していたという。[共同通信・山梨日日新聞]姿なき占領―アメリカの「対日洗脳工作」が完了する日/ビジネス社¥1,575Amazon.co.jp