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1980年代のイエス(Yes)再結成後の活動に於いて,新メンバーでありギター,ヴォーカル,キーボードのトレヴァー・ラビン(TrevorRabin)のイニシアティヴによって,徐々にコマーシャル化していったことに幻滅したヴォーカルのジョン・アンダーソン(JonAnderson)が,1988年にイエス(Yes)を脱退し『Fragile(こわれもの)』や『CloseToTheEdge(危機)』,『TalesFromTopographicOceans(海洋地形
1982年10月にスタジオ・アルバムとしては11作目の『WildThingsRunFast(ワイルド・シングス・ラン・ファスト)』をリリースしたジョニ・ミッチェル(JoniMitchell)は,アルバムのプロモーションを兼ねて,2月28日東京厚生年金会館公演を皮切りに,7月30日米国コロラド州はモリソンのレッド・ロックス・アンフィシアター公演まで,「WildThingsRunFastTour」を行います.このツアーは,日本公演からスタートする訳ですが
1977年3月の『WorksVolume1(四部作)』,および1977年11月の『WorksVolume2(作品第2番)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ね1977年5月24日ケンタッキー州はルイビルのフリーダム・ホール公演を皮切りに1978年3月13日ロードアイランド州はプロビデンスのシビック・センター公演まで,間にブレイクを挟みつつ継続的に北米中心に行われたエマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson,Lake&Palmer)の「Work
ジミ・ヘンドリックス(JimiHendrix)的な曲作りと良く似たブルージーなギター・サウンドからジミ・ヘンドリックスの再来とも比喩されるロビン・トロワー(RobinTrower)は,プロコル・ハルム(ProcolHarum)のギタリストとしてキャリア(1967年7月-1971年7月)を積み,その後自身のバンドを始動させます.因みにプロコル・ハルムの5thアルバム『BrokenBarricades(ブロークン・バリケーズ)』収録の”SongForADre
元スモール・フェイセス(SmallFaces)やフェイセズ(Faces)のベーシストであったロニー・レーン(RonnieLane)が,1977年に不治の病である多発性軟化症を患わったことをきっかけに,多発性硬化症の研究への行動(A.R.M.S:ActionResearchintoMultpleSclerosis)を支援する目的で,1983年9月20日英国はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて行われた「A.R.M.S.CharityConcerts」.こ
ザ・ローリング・ストーンズ(TheRollingStones)は,ミック・テイラー(MickTaylor)在籍時しか余り聴かないのですが,最近,初期の音源がリリースされ出しているので,購入したもの.本商品は,1970年8月30日スウェーデンはマルメのバルチスカ・ハレン公演を皮切りに,10月9日オランダはアムステルダムのRAI公演まで行われた欧州ツアーから,ツアー中盤で9月22日,23日,24日と3連続で行われたフランスはパリのパレ・デ・スポール公演から,中日に当たる9月23日の
1974年7月に『461OceanBoulevard(461オーシャン・ブールヴァード)』をリリースしたエリック・クラプトン(EricClapton)は,このアルバムのプロモーションを兼ねて,1974年6月19日スウェーデンはストックホルムのグローナ・ルンド公演を皮切りに「461OceanBoulevardTour」を開始します.このツアーはツアー開始時の北欧2公演に続き,6月28日コネチカット州はニューヘブンのイエール・ボウル公演を皮切りに,10月6
サイモン・アンド・ガーファンクル(Simon&Garfunkel)の初来日2公演目となる1982年5月8日大阪の大阪スタジアム(通称:大阪球場)公演のサウンドボード音源を収録し,2009年夏にZIONレーベルからリリースされていた『Eastbound(ZION-022)』,また商品を2組購入すると希望者に配布されるギフト・アイテムとして,2019年8月に同内容を収録したた『OsakaStadium1982(Gift2CDR)』として登場しているのですが,今
1972年10月に『Caravanserai(キャラバンサライ)』をリリースするサンタナ(Santana)は,アルバムのプロモーションを兼ね,10月4日カリフォルニア州サンフランシスコはウィンターランド・アリーナ公演を皮切りに本格的なツアーを開始します.先日,11月4日英国はウェンブリー・エンパイヤ・プール公演を皮切りに,12月5日ドイツはデュッセルドルフのフィリップスハレ公演まで行われた欧州ツアーから,終盤に当たる12月3日オランダはアムステルダムのコンセルトヘボウ公演
元フリー(Free)のヴォーカリスト:ポール・ロジャース(PaulRodgers)とドラマー:サイモン・カーク(SimonKirke),元モット・ザ・フープル(MottTheHoople)のギタリスト:ミック・ラルフス(MickRalphs),元キング・クリムゾン(KingCrimson)のベーシスト:ボズ・バレル(BozBurrell)の4人によって結成され,1974年にデビューしたブルースを基調とするハード・ロック・バンド:バッド・カンパニー(BadCompany
1972年10月に『Caravanserai(キャラバンサライ)』をリリースするサンタナ(Santana)は,アルバムのプロモーションを兼ね,10月4日カリフォルニア州サンフランシスコはウィンターランド・アリーナ公演を皮切りに本格的なツアーを開始します.本商品は,北米ツアーに次いで,11月4日英国はウェンブリー・エンパイヤ・プール公演を皮切りに,12月5日ドイツはデュッセルドルフのフィリップスハレ公演まで行われた欧州ツアーから,終盤に当たる12月3日オランダはアムステルダムの
ドナルド・フェイゲン(DonaldFagen)とウォルター・ベッカー(WalterBecker)は,バンドとしてレコード・デビューするために旧知のミュージシャンを呼び寄せ,スティーリー・ダン(SteelyDan)を結成.1972年10月にリリースした1stアルバム『Can'tBuyAThrill(キャント・バイ・ア・スリル)』は,プラチナ・ディスクを獲得し,シングル・カットされた「DoItAgain(B面:FireInTheHole)」,「R
ジェフ・ベック(JeffBeck)は,1975年3月にアルバム『BrowByBrow(ブロウ・バイ・ブロウ)』をリリース後,そのプロモーションを兼ねて,4月24日ニューヨーク州はバッファローのニュー・センチュリー・シアター公演を皮切りに,7月30日ハワイ州はホノルルのホノルル・インターナショナル・センター(NBC:NealS.BlaisdellCenter)公演まで北米ツアーを行い,その後,「WorldRockFestivalEastland」(ワールド・ロック
ジェフ・ベック(JeffBeck)は,1975年3月にアルバム『BrowByBrow(ブロウ・バイ・ブロウ)』をリリース後,そのプロモーションを兼ねてニューヨーク州はバッファローのニュー・センチュリー・シアター公演を皮切りに,7月30日ハワイ州はホノルルのホノルル・インターナショナル・センター(NBC:NealS.BlaisdellCenter)公演まで北米ツアーを行い,その後,「WorldRockFestivalEastland」(ワールド・ロック・フェスティ
久し振りにオールマン・ブラザーズ・バンド(TheAllmanBrothersBand)のアイテムが登場.1969年3月の結成・初ライヴから40周年を迎えた2009年3月に「40thAnniversarryTour」と題して,3月9日ニューヨーク州はニューヨーク・シティのビーコン・シアター公演を皮切りに,10月21日フロリダ州クリアウォーターはルース・エッカード・ホール公演まで40周年記念ツアーを行うオールマン・ブラザーズ・バンド(TheAllmanBroth
レッド・ツェッペリン(LedZeppelin)のライヴ・ドキュメンタリー的な『TheSongRemainsTheSame[永遠の詩(狂熱のライブ)]』の映像,およびサウンド・トラックが収録された,1973年北米ツアー千秋楽のマディソン・スクウェア・ガーデン3夜連続(7月27日~29日)公演.1973年北米ツアーは,5月4日ジョージア州アトランタのアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム公演を皮切りに,6月3日カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラム公演まで,
ザ・ビートルズ(TheBeatles)最後のライヴ・パフォーマンス(1969年1月30日)として知られ,英国はロンドンのサヴィル・ロウにあったアップル・コアの屋上で行われたルーフトップ・コンサート(TheRooftopConcert).丁度,50周年となる2019年1月には,当時流通していた音源を駆使した『TheRooftopConcertDefinitiveEdition(NoLabel)』(通称:黒ジャケット)が,同2月には『TheRooftopCo
ウドー音楽事務所が企画した『ROCKUPATIONSPECIALスーパーギタリスト#1』として1976年12月に初来日を果たしたレインボー(Rainbow:当時は,リッチー・ブラックモアズ・レインボー:RitchieBlackmore'sRainbow)は,12月2日の東京体育館公演を皮切りに,12月16日日本武道館公演まで,追加公演を含め6都市10公演の初来日公演を行います.そして,この初来日の模様(#)は,オフィシャル・アルバム『OnStage(レイン
ピンク・フロイド(PinkFloyd)の1975年の北米ツアーは,1975年4月8日カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーのパシフィック・ナショナル・イクシビション・コロシアム公演から,4月27日米国はカリフォルニア州ロサンゼルスのサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ公演までの1stレグ.1ヶ月強の間をおいて6月7日米国はジョージア州アトランタのアトランタスタジアム公演から,6月28日カナダはオンタリオ州ハミルトンのイボール・ワイン・スタジアム公演までの2ndレ
コロナ禍のせいで、現在、洋楽コンサートは全滅状態なので、今日は過去のコンサートの音源について書くことにします。私の一番敬愛するバンドはLedZeppelinなので、彼らの残したライブ音源はかなりコレクトしております。その中で、最近改めて感心しているのが、’77.4.28にOhioで行われたショーの素晴らしさです!アナログ時代から、’77ライブと言えば、(Badgeholdersも知名度はありましたけど、)いわゆるCleveland2daysが圧倒的に有名でした。実際の開催場所は、同じO
ジミ・ヘンドリックス(JimiHendrix)的な曲作りと良く似たブルージーなギター・サウンドからジミ・ヘンドリックスの再来とも比喩されるロビン・トロワー(RobinTrower)は,プロコル・ハルム(ProcolHarum)のギタリストとしてキャリア(1967年7月-1971年7月)を積み,その後自身のバンドを始動させます.1973年3月に『TwicrRemovedFromYesterday(ロビン・トロワー/過去よりの再起)』,1974年4月に『Brid
普段はあまり聴かない,ロジャー・ウォーターズ脱退後のピンク・フロイド音源.ロジャー・ウォーターズ脱退後,初のアルバム「AMomentaryLapseofReason(鬱)」リリース後に行った1987年から1989年にかけての大規模ツアーにて,1988年3月2日から3月9日に3回目の来日を果たしました.その際,代々木オリンピック・プール公演に3日連続参戦したのが懐かしいです.ちなみに,このアルバムに対してロジャー・ウォーターズは「非常に精巧に作られたピンク・フロイドの贋作
過日(2016年7月),1971年9月28日の”BlackDog"のサウンドボード音源が西新宿柏木公園そばのBLINDFAITHからリリースされましたが,遂に9月28日の全容が陽の目を見るようです.BLINDFAITHも,年末商戦で出してきましたね.値段が非常に気になるところです.画像はネット上からの頂き物.[2019-12-12追記,2019-12-21修正]リリースはクリスマス前後で,完全版ではないようです.⇒リリースは1月央頃.
レッド・ツェッペリンのドキュメンタリー的な『TheSongRemainsTheSame[永遠の詩(狂熱のライブ)]』の映像,およびサウンド・トラックが収録された,1973年北米ツアー千秋楽のマディソン・スクウェア・ガーデン3夜連続(7月27日~29日)公演.1973年北米ツアーは,5月4日ジョージア州アトランタのアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム公演を皮切りに,6月3日カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラム公演まで,18公演が行われたファースト・レグ.
ピアノの響きの中心は、響板です。I'lltellyouaboutwhathadtheotherday.ThatwaswhenIwastuningthepianoasusual.AbignoisehappenedGooGoofromlikeinsidethepiano.Ididn'tknowwhathappened.ButafterawhileIcouldfindthereason.Thepianowas
1974年11月4日スコットランドはエディンバラにあるアッシャーホールを皮切りに,12月14日ブリストルのヒポドロームまで行われた,冬のブリティッシュ・ツアー(通称:BritishWinterTour1974).そのツアー内で11月14日~11月17日まで4連続公演が行われたロンドンはウェンブリーのエンパイア・プール公演から,3公演目に当たる11月16日の公演が公式に収録され,翌1975年1月11日にBBCRadio1のアラン・フリーマン・ショー(:AlanFre