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【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。創建当初、社地は天王森(近鉄恩智駅と国道170号(旧道=東高野街道)の中間ほどの場所)にあった。旧社地は「天王杜」と呼ばれて当社の頓宮があり、現在もムクの大
WHATISSHINTO(神道SHINTŌ)?神道とは何か?現在、全国の神社数は約8万社と言われています。実際には宗教法人格をもっていない神社もあり、これらの神社は除かれます。また、神道協会という形態もあり、全国の性格な神社数はわからないのが現状です。神社は、祈りや人生儀礼を通じて絆を深める場所であり、都会の中においては「鎮守の杜」という自然を持ち、連綿と続く日本の伝統を次世代へ伝える「生きたタイムカプセル」です。人々との絆の尊さ、自然への畏れ、地域に根付いた伝統文
隠れキリシタン(かくれキリシタン)とは?隠れキリシタン(かくれキリシタン)は、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けたキリスト教徒(キリシタン)信者である。以下の2つに分けられ、かつては両者を区別しなかったが、現代では前者を「潜伏キリシタン」と呼ぶことも多い。強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。1873年(明治6年)に禁教令が解かれて潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カ
◆神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。日本で仏、菩薩が仮に神の姿となったとし、阿弥陀如来の垂迹を八幡神、大日如来の垂迹が伊勢大神であるとする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化としての両部神道が発生するが、神道側からは神道を主、仏教を従とす
【日本神話に見る日本人の和の心】JAPANESE’S“WA”HEARTSEENINJAPANESEMYTHOLOGY現在、全国の神社数は約8万社と言われています。実際には宗教法人格をもっていない神社もあり、これらの神社は除かれます。また、神道協会という形態もあり、全国の性格な神社数はわからないのが現状です。神社は、祈りや人生儀礼を通じて絆を深める場所であり、都会の中においては「鎮守の杜」という自然を持ち、連綿と続く日本の伝統を次世代へ伝える「生きたタイムカプセル」です。人々と
大阪妖怪伝説【姥が池】(うばがいけ)東大阪市東豊浦町この池は昔から『姥が池』(うばがいけ)と呼ばれていました。それは、今をさかのぼること約600年前の出来事「悲しい姥の身投げ伝説(物語)」に由来しています。姥(うば)とは?年とった女。おうな。老女。老婆のこと。能面姥(うば)その伝説(物語)とは?「枚岡神社」の御神燈の油が毎夜なくなり、火が次から次へと消えていました。妖怪変化の仕業と不気味がられていましたが、その
八尾神社(やおじんじゃ)来栖神社(くるす神社)【八尾神社】(やおじんじゃ)について『延喜式神名帳』河内国若江郡の「栗栖(くるす)神社」に比定され(式内社)、社格は旧村社。旧若江郡西郷、木戸両村(現八尾市本町5丁目の北側、本町6,7丁目、東本町3丁目あたり)の氏神。近世には「牛頭天王社」と称していたが、明治維新後に『延喜式』に従って「栗栖神社」に改称し、1908年4月15日に更に現社名に改称しました。祭神は、宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)、品陀和気命(ほむだわけのみこと
【恩智神社秋祭り】2021年11月28日大阪府八尾市恩智OnjiShrineAutumnFestivalinYaocity,Osaka,Japan(28/11/2021)⛩️恩智神社御祓祭御渡り古くは、おはらい祭と言います。三韓征伐の功により住吉大明神と恩智大明神の親交が深まり、夏祭を共に行い(旧6月27日)神輿の渡御が執り行われました。途中摂津平野と河内との境界の蔵作村の南(現在の大阪市平野区加美春日町)春日神社に御旅所があり、そこで1泊留り、住吉大明神より
【八尾天満宮】(やおてんまんぐう)大阪府八尾寺内町の鎮守。「八尾の天神さん」といわれ親しまれています。祭神は、八尾天満宮の祭神は、天穂日命と菅原道真公。菅原家は天穂日命の子孫。慶長年間に片桐且元が創建したといわれています。■天穂日命アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた男神で、天忍穂耳命の弟神となる。記紀によると、高天原から葦原中国平定のために大国主命の元に遣わされたが、大国主命を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。任務を遂行しなか
JR草津駅から近い住宅街にある小さな祠、稲荷宮です。渋川2丁目に鎮座する「伊砂砂神社」の境外社になります。石碑には、「伊砂砂神社(いささじんじゃ)」の御旅所とも記されています。場所:滋賀県草津市渋川1丁目3稲荷宮(伊砂砂神社御旅所)の周辺👇稲荷宮(伊砂砂神社御旅所)の最寄り駅はJR草津駅東出口👇草津駅(滋賀県)-Wikipediaja.wikipedia.org伊砂砂神
小汐井神社(おしおいじんじゃ)は、滋賀県草津市大路に鎮座する神社。中山道第一の宮として旅人からも厚い信仰を受けてきた。周辺の氏子からは、安産の神としても信仰されている。社名の「おしおい」とは、古代、人が神を祭祀するにあたり、まず海中に入り、海潮により潔斎し、その後神事に臨んだ事を指す言葉を指す。「小汐井(おしおい)」村は、「大路井(おちのい」村となり、地名の判読が難しかったため住居表示の改正により「大路(おおじ)」村に改められた。祭神:田心姫命タキリビメ(タギリヒメとも)は、日
立木神社(たちきじんじゃ)滋賀県草津市草津御祭神:武甕槌命(たけみかづちのみこと)御本殿三間社流造間口三間・奥行三間立木神社の創建は古く、縁起によると今から約千二百数十年前の称徳天皇(しょうとくてんのう)(第48代)神護景雲元年(じんごけいうんがんねん)(767年)のこと、御祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の鹿島神宮を白鹿に乗り旅に出られ(古来始めて旅立つ事を鹿島立ちと云うのはこの縁による)、諸国を経てこの地に到着さ
【赤坂上之山神社】(あかさかかみのやまじんじゃ)は、河内国錦部群の総社として奈良時代に行基菩薩の発願により、今から1250年前の神護景雲元年(西暦767年)に創建されたと伝えられています。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祭神とします。正八幡宮の社名のもと、人々には上宮(かみのみや)と呼ばれ産土神として尊崇されてきており、本殿は江戸時代の文化年間に建てられたもので、応神天皇の御遺髪が埋められているとの言い伝えがあります。隣接する興禅寺と共に神仏混淆の遺構が現在も完全な形で残され
由緒等詳細わからず。場所は大阪府河内長野市上原町684【高向神社】(たこうじんじゃ)大阪府河内長野市(1/2)-kazu1000のブログ/社寺仏閣巡り【高向神社】(たこうじんじゃ)大阪府河内長野市祭神は、当初、素盞嗚尊、蛭子神、天児屋根命、保食神、白山姫命、菅原道真。現在は近隣の神社から武甕槌命、経津主命、比咩大神、大巳貴命が合祀されている。創建年は不詳。本殿は1608年(慶長13年)の建立で三間社切妻造。本殿と18...kazu1000.murago
【白山神社】(はくさんじんじゃ)奈良県平群町福貴【御祭神】・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)摂社祭神天児屋根命(あめのこやねのみこと)北福良集落の西方谷向かいの丘陵麓に鎮座する旧指定村社で、伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る。本殿は素木の流造・檜皮葺。付近は往古福良寺の塔頭三明院の跡と伝えられ、今も境内に弥勒堂が残存、明治以前の神仏習合の面影が遺っている。当社の左上約10数メートル山手に、福良寺の開祖と伝えられる
豊地神社(とよちじんじゃ)三重県松阪市嬉野下之庄町275この神社は、伊勢自動車道・嬉野PAの北1km程の辺り、下之庄町の街外れに鎮座しております。御祭神:建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)・猿田彦命(サルタヒコノミコト)・伊豆速振命(ハヤタマオノミコト)・豊受大神・速玉男命・伊弉冊命・事解男命・軻遇突智命・大日孁命・五男三女神・大山祇命・波迩安姫命建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、日本神話に登場する神。由緒について大正四年四月調査の『豊地
【率川神社】(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社三座」と記載される式内小社。推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したとされ、奈良市最古の神社という。仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている。治承4年(1180年)12月、平重衡の乱によって社殿が消失]。中
【漢國神社】(かんごうじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社である。式内小社(論社)、旧社格は県社。園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る。延喜式神名帳で宮中宮内省に祀られ名神大社に列すると記される園神社・韓神社は当社からの勧請であると社伝では伝える。推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミシラツツミ)が園神を祀ったのに始まると伝える。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したと
【浮見堂】(うきみどう)奈良市高畑町奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。春日大社より浅茅が原の林をぬけていくとつきあたります。住所:奈良県奈良市高畑町1194JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄
【天神社】(てんじんしゃ)奈良市高畑町「奈良町天神社」とも呼ばれる。北天満の天神社。祭神は、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)「菅原道真公」。略縁起では、承保5年(1078年)の草創とされている。後に、元興寺禅定院鎮護の社、興福寺大乗院の鎮守社となった。祭神はもともと少彦名命であるが、この神は手間天神(てまのあまつかみ)という別名を持つことより、一般にてまてんじんと呼ばれた。後に奈良のゆかりの菅原道真公を相殿に祀るようになった。社伝によると、道真が祀られたのは平安時代、白河天皇の御世であ
瑜伽神社(ゆうがじんしゃ)は、奈良県奈良市高畑町の瑜伽山に鎮座する神社。社伝によると飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという。もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。『大乗院寺社雑事記』明応3年(1494年)12月30日の条に、「一後智恵光院殿御建立之分(中略)今宮殿御殿同拝殿仮葺也」とある「今宮」は本神社のこととされ、飛鳥の元宮に対して今宮と呼ばれ
東大寺二月堂は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をも
餅飯殿(もちいどの)商店街に鎮座する餅飯殿弁財天社の歴史は古く、814年に弘法大師は南都皇城の守護神として興福寺南円堂の南岸に吉野天河大弁財天社より御分神を勧請、窪之弁財天社を建立鎮座をしました。この地は餅飯のお供えを調え17日の法要をお供えしたところ、この事が後の「餅飯殿町」の由来となったとされています。同年、この地へ吉野天河大弁財天社より七弁財天神を勧請、鎮座を給わりました。神殿には、当町の町家でお祀りされていた御六座を奉祀申し上げ、残り御一座は当町内の町家に現在も奉祀しています。
【氷室神社】((ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。奈良朝7代、70年余りの間は
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。本尊は中金堂の釈迦如来。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番となっている。また
手力雄神社(たぢからおじんじゃ)は、奈良県奈良市橋本町にある神社。春日大社境外末社。三条通北側東端築地の上にあり、後方は築地塀を挟んで興福寺会館。古くはこの地に楊柳の大木があったと伝わり、奈良坊目拙解には以下のように記されています。有楊柳大木手力雄社内枝葉繁茂而覆道路謂手力雄柳近世大風折損過半今僅存株餘焉1895年(明治28年)6月、三条通の拡幅時に、奥行き1間6分が切り縮められ道路に編入された。同年8月、石壇整備などを進め、社殿も少々移転。神社の位置は意識して探さない限
【西大寺】(さいだいじ)奈良市西大寺南町奈良市西大寺芝町にある真言律宗の本山。高野寺(たかのでら)ともいう。南都七大寺・十五大寺の一つ。本尊釈迦如来。平城宮の西方に位置し,東大寺に対して西大寺と称せられた。当寺の創建は764年(天平宝字8)9月に起こった恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の鎮定を祈願して,孝謙上皇が銅造7尺の四天王像の造立を発願したのに始まり,765年(天平神護1)に四天王像は完成し,四王院(堂)に安置され,伽藍の基が開かれた。767年(神護景雲1)2月から768年2月に及
柏村稲荷神社夏祭り・新型コロナウイルス感染終息祈願2021年7月16日下記太鼓台は昨年度の秋祭りの際の写真です👇
【全興寺】(せんこうじ)の地獄堂【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり、「大阪のおもろい寺
【大宝神社】(だいほうじんじゃ)<栗東八景〜青麦の薫風〜>JR栗東駅から北西へ約0.5km、旧中山道沿いにある神社で「方除・厄除・健康」のご利益があります。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)です。この地域は、芭蕉が「へそむらの麦まだ青し春のくれ」と詠んだと伝えられるところで、句碑があります。広い社域、老樹の合間に神殿が立ち、4月上旬に桜並木が満開になると、神社と美しい調和をなします。大宝神社には社宝とされる2対の木造狛犬(こまいぬ)があり、このうち1対が平