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フォトブックを利用して、5冊づつ作った小説を本にすることができました。「潮騒が聞こえる」は前編と後編です。英国留学から館山に帰ってきた主人公が、赤山の戦跡で大きな地震とともに終戦近くの米軍が上陸してきた1945年の館山にタイムスリップしてしまう。館山の事実上の歴史の中で彼の見てきたものは何だったんでしょうか。「1970」は1970年代に弓道家の祖父に頼まれて、弓道のライバルであり親友だった人に祖父の手紙を届ける物語。1970年の九段下、門前仲町、北千住、中野のあたりの街が繰り広げら
11月にある館山城里見まつりは観光の為の祭りとしてできましたが、そのときに、館山城までひかれてきた那古・船形の山車です。鎧の巨人堂之下by.sionecafe大型欅の巨人大塚by.sionecafe豊国の巨人東藤by.sionecafe
切り絵は11月の里見まつりのものです。まつりシリーズはこれでおわりです。また制作したら、アップしますね。出陣三軒町by.sionecafe進撃の鳳凰六軒町by.sionecafe進撃の鳳凰怒涛六軒町by.sionecafe
おかげさまで、最後の待合室も終了しました。およそ70名の来場者があり、うれしかったです。ありがとうございました。
問い合わせがあって今週まで続けていましたが、最期の待合室の切り絵展。。。です。17日(土)、18日(日)一応10時から開けておきます。池田歯科医院館山市長須賀337お天気どうかな?
アイスコーヒー
最近は房日新聞さんがコーナーを作られて、館山湾の船を高価なカメラで撮っている方たちがふえましたがv、僕は平成元年からデジカメで撮って、船の名前を調べていました。その頃作った館山湾で見られた船図鑑です。これは渚銀座の同級生のお店でも見られます。自衛隊OBの方が見ているのを見るとうれしかったです。表紙は護衛艦編は、ASY91特務艇はしだてこの船は、優秀な料理人が任務に就き、来賓客への接遇が行われていますが、災害時の派遣、広報活動も行っています。右の表紙の帆船は航海訓練所の日本丸で
館山の海岸で撮りためた写真たちですが、この題名「想い出の渚」と聞いてワイルドワンズの歌を思い浮かべるのは昭和生まれ?。。。それでいいんです♪あの頃の幸せな素朴時間を楽しみましょうね。それでは一部公開します。某医療機関の待合室にそろってます。機会があったらご覧ください。
右は大正期の六軒町、白浜の親分が廃業して千倉の一力さんに縄張り譲渡となり、その子分60人がかたぎに戻って、人力車の車夫となって各地域への足となってくれたそうです。当時駅周辺は田園地帯で、駅ができてから駅周辺に店舗が移動して駅中心の街となりました。戦時中は兵役に赴く若い人が駅で送られていたそうです。中央は、大正13年に三浦平之介氏を師範として館山に結成された弓道倶楽部、六軒町の御主人たちと国鉄の有志がメンバーで、道場はアークスの辰野道場。辰野、池田が中心となった。その後、弓道場が8~
街中商店街は昭和、海岸通りは西海岸
大正時代、館山に鉄道がやってきました。海路中心だった東京への汽船から、蒸気機関車で東京へ行けるようになり、館山駅(当時は安房北条駅)中心の街づくりになりました。左の「大正昭和の写真に見る館山」はSIONECAFEがかき集めた写真で構成されています。右の「なつかしき情景館山桟橋」は、現在渚の駅たてやま横の、多目的桟橋の横に残るかつての館山桟橋を昭和から平成の木造桟橋を撮り続けたものです。昭和40年代には舟型の釣り堀がつけられて、小サバがよく釣れました。
南房総、館山市の奇跡的な写真たち。。。3部作(CANON製)残念ながら非売品です。SEASIDEBLUEROSES[TATEYAMA]TATEFORNIA[TATEYAMACITY]PARADISEVIEW[MINAMIBOSO]SIONECAFE写真集は、某医療機関の待合室にありますよ。機会があったらご覧ください
1968年(昭和43年)、日本で一番高い超高層ビルとして、東京霞ヶ関に地上36階の霞ヶ関ビルが誕生した。でも、1970年(昭和45年)に東京浜松町に貿易センタービルができるまでの2年間で二番目に高いビルになってしまいました。さて、霞が関ビルですが、ビルができた1968年、ビルの足元にある虎の門ホールでTBSこども音楽コンクールに館山小学校音楽部は東関東決勝大会に出場していたので、ぼくは出来立ての霞ヶ関ビルを、この時に見上げいるんです。1972年(昭和47年)、アポロが
先日の「館山の祭り展」につづき、新たな生活のある東京の大学の切り絵です。昭和の頃、お茶の水駅から駿河台下に向かうと右側に見えてくる明治大学の校舎でした。今は高層ビル校舎に変わっています。お茶の水聖橋口から池田坂を下ると、左側に見えてきた中央大学駿河台校舎。いまはなくなりましたが、御茶ノ水駅聖橋口の改札です。駅横の立ち食いソバ屋さんのトッピングのコロッケは甘くて夢のようにおいしかった。池袋の立教大学ですね。草のからまるチャペルに♪学生時代という曲がよく似合うあこがれの光景で
館山の北条海岸の立教大学キャンプストアは半世紀を超える歴史を持つ。そんな関係から立教のイメージは館山のキャンプストアですね。切り絵の世界の立教大学です。by.sionecafe館山北条海岸の旧立教大学キャンプストア戦後、孤高の空手家、極真空手の創始者、大山倍達氏は南房総清澄山での修業を終えて、館山に居を構える。そして、映画の撮影企画で、このキャンプ
小説「1970」も残せたよ。1970年代の街並みが目に浮かぶ物語です。九段下の亞砂呂を覚えて入る人はいるのかなあ?おいなりさんやお雑煮がおいしかった大野屋さん、餃子会館、アジャンタ、北千住の旭町商店街。。。
館山小説が、本に出来ないかなあ?と思っていて、自己満で2冊づつ作りました。私設SIONE文庫ができそうです♪
館山の昭和は、遠くなりました。「SIONE文
CANONさんがブックサービスを辞めてしまうので、これらが最後の個人用のブック政策最後になりました。次回からはフォトバックさんに戻ります。
20ページの個人の為の写真集から、今回は「御茶ノ水から神田」。これは古~い御茶ノ水駅ですね。そして、昭和の頃の明治大学と主婦の友社。水道橋駅の東京歯科大学血脇会館、長嶋が活躍していた頃です。最後にいまは無き御茶ノ水駅の聖橋口へ続く通路。あ~、あの頃剣道部で鍛えられたなあとか、まだ先輩教師が鉄槌を使っていた頃です。
canonさんが個人的なブックを作ることを辞めてしまうようなので、急いで作りました。。。中学から東京にいた僕の想い出の地ばかりですが。九段下から飯田橋です。20ページの中の一部をご覧ください。1964年の東京オリンピック柔道会場、日本武道館の建築。」九段坂の歴史、靖国神社、地下鉄東西線の工事。。門前仲町から九段下で東西線で通学していました。飯田橋駅前にあった警察病院、その前には店頭でさばいていた鰻屋さん。日本医科大学の飯田橋病院、竹橋のリーダーズダイジェスト社。歴史も建物も
この文庫は自分の観賞用に1冊だけ作っているものなので、販売はしていません。門前仲町にいた僕には銀座は近くの憧れでした。日劇ウェスタンカーニバル、都電の走る銀座、1970年代の三越1階のマック1号店。あの頃ホコテンが初めて銀座で行われたけど、みんな歩道を歩いていて、道路に出ていく人はまばらだったんだよね。
館山の街は、今夜まで「やわたんまち」ですね。お化け屋敷テントも建ってます。
夏だからTシャツもつくろうかなあ。。。2023年06月
今年は祭りが実行されるとして、雄姿勇ましい2地区をご紹介します。この2地区は男気を感じる地区ですね。8月1日、2日の館山地区の祭りではあらい地区の御船が勇壮です。そして、9月の八幡の祭りでは六軒町ですね。「
販売はしてないのですが、いつかお目にかかる日もあるかな?
1997年の夏、館山市布良の浜には民宿ダイヤモンドヘッドのオープンセットが建てられていた。6月に台風が房総半島に近づき9月に再び台風がやってきた。台風がもたらしてくれた異次元の空間がビーチボーイズの館山ロケでした。僕らはあのドラマに魅了された。海都は一流企業を辞めてきた、広海は自分の海を探していた。少年の心に戻った彼らの夏が始まった。それを見つめる高校生の真琴の夏。。。心に響く名言は、「最後から2番目の恋」に引き継がれていく。散りばめられる岡田惠和ドラマの世界。マイク社長、春子さ