ブログ記事12件
[LasmelodíasinmortalescompuestasporMarioP.Gutierréz]8_GiraenEuropa(1)RuphaysuperólasdivisionesquesurgieroncomoconsecuenciadelasdificultadesdelaslargasgirasyllegóadarvariosconciertosdeéxitoenEuropa.[シリーズ投稿]マリオ・グ
[LasmelodíasinmortalescompuestasporMarioP.Gutierréz]7_ColaboraciónconlosHnos.Cavour(3)SerealizóunacoproduccióndiscográficadefactoconlosHnos.CavouryLosRupayconlaintenciónderecaudarpartedelosfondosparaunagiraeuro
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち6_カブール兄弟との共作・共演(2)(1972年頃)前回投稿では、1971年12月に開催されたコチャバンバ市のラジオ・コスモスのチャリティ・イベントである、フォルクローレ・マラソン演奏への出演を通じて、マリオ・グティエレスとカブール兄弟との縁が深まり、3枚のアルバムが生まれたことに触れたうえで、まずエルネスト・カブールとの共演盤を紹介した。今回は、弟の名ケーナ奏者、ルーチョ・カブールとマリオが共作したEP盤を紹介する。ちなみ
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち5_カブール兄弟との共作・共演(1)(1972年頃)前回までの記事で紹介したように、マリオ・グティエレスは、1968年にキンテート・ルパイを立ち上げて、1972年までに3枚のアルバムをリリースし、ボリビアの国内の数々のイベントやペーニャにおいてライブ活動を行っていた。1971年1月にはアルゼンチンのコスキンにも出演した。さらに、1971年9月から1972年2月までの間、マリオは、実はあの伝説のペーニャである「ペーニャ・ナイラ
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち4_ElQuintetoRuphay"Nosotros"(1972年6月6日発売/ボリビアLyra盤)このアルバムは、Ruphayのアルバムたちの中で最もHispano-america的で、当時のボリビアの一般聴衆をターゲットにした作品であると解釈できる。その意味において興味深い作品である。同じ1972年において、Marioは他の演奏家たちとのアルバムたちの中で、より革新的な作品を創造した。次の投稿でそのことが明らかになる
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち3_Varios"アンデスの祭りと踊りIndiosdelSol"(1970)公式のルパイのディスコグラフィに記録されていない、キンテート・ルパイの生演奏が「現地録音」盤に残されていた。それが本譜"IndiosdelSol"(1970)である。本譜は、フランス、日本など各国で発売されておりジャケット違いのバージョンがいくつもある(確認されているだけで4種)。しかし、中身は一緒のようだ。【Discogs情報】https:
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち2_QuintetoRuphay"EmbrujoAndino"(1969)(1969年12月6日発売/ボリビアLyra盤)本譜は"Quinteto"時代の最高傑作だと私は信じる。特にA面は他に類を見ない素晴らしい組曲である。ただ悲しいことに私の貧弱なスペイン語力では、歌詞の意味がほぼ全く理解できず、本譜の素晴らしさを本当には理解できていないのを大変残念に思う。マリオ・グティエレスは、1968年10月、「ASBORA
[シリーズ投稿]マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち1_前史とQuintetoRhupay"FolkMusicofBolivia"(1969)(1)前史MarioPorfidio(Porfi"rio"とするはずが、誤記のまま出生届が提出されたらしい)Gutiérrezは、1945年3月26日に、エストゥディアンティーナ楽団の演奏家だった父と、プカラニ村(ラパス県ロス・アンデス郡)出身のアイマラ族の父母を持つ母との間に、ラパスで生まれた。少年時代のマリオは、エルヴィ
早いもので9月になった。私が最も愛する演奏家・作曲家で革命的グループ「ルパイ(Ruphay/LosRupay/QuintetoRhupay/...)」の創設者だった、故・マリオ・グティエレスMarioPorfidioGutiérrez(本記事カバー写真右下の本の表紙で、サンポーニャを吹いている人物/1945年3月26日ボリビア・ラパス生、1994年10月4日ベルギー・アントワープにて逝去)の没後30周年まで、あと1か月である。「マリオ・グティエレス」といきなり口にして、分かっ
先日の「ボリビア盤レコードあるある」に引き続き、今日は、そんな一癖も二癖もあるレコードを嬉々として買っていたコレクター側に焦点を当てて、「ボリビア盤コレクターあるある」を綴らせて頂こう。昭和フォルクローレ老人として、軽めの(短いとは言ってないw)肩の凝らない昔話である。~~ボリビア盤コレクターあるある~~(1)所蔵アルバム目録を作成・更新しては悦にひたる当時、これ、やってました。ハイ。まだパソコンどころかワープロもあまり普及していなかった頃なので、レポート用紙に手書きで、A
今日は、前回からの続きである。引越しの際、うっかり誤ってこの世から消し去ってしまったボリビア盤LPレコードたちへの、ささやかな罪滅ぼしにとして、死んだ子の歳を数える心境で、それぞれについて感想を書き留め、もって手向けとさせて頂きたい。併せて、現在、今から買い直しができないかと探索を続けているのだが、その途中経過も綴りたい。1)QuintetoRhupay"MusicofBolivia"(1969年)(音盤情報:QuintetoRhupay–FolkMus
近所のカラオケボックスにお籠りして、入会したケーナ同好会の課題曲を練習する日々が始まった。しかし、そもそも楽譜を読むのが苦手なので、なかなか進まない。まず、YOUTUBEの動画や手持ちの音源を聴いてイメージを掴み、それからケーナ片手に、一音ずつ音符を拾って、おぼつかない足取りで楽譜を辿っていく。音の長さ、拍子、リズムがなかなか読み取れない(最低限の楽典から勉強しないとアカンなあ…)。慣れない作業で疲れが来るのも早い。多分要らない力が色々入ってしまっているので、練習を終えると、猛烈に肩が