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日比谷公園にある野外音楽堂「野音」とか「日比谷野音」とか言われ「ロックの聖地」「フォークの殿堂」と特別区の扱いがありました🎵正式名称は「日比谷公園大音楽堂」というそうです🎵その「野音」が改装のため10月1日を持って改装のため閉園しているそうです❣️ここに私が初めて来園したのが1971年4月のことロックフェスにPYGが出演するというので足を運びました❣️その頃PYGに対しては良いイメージがなく…その理由はタイガース解散コンサートの際に『新グルーブ発表会』の算段があ
9月12日大野克夫さん86歳のバースデーでした㊗️おめでとうとうございました🎉1日遅れてしまいましたが私はビートルズの影響もありバンドが好きな子供で日本ではザ・タイガースがデビューする前はザ・スパイダースに興味があってなかでも目がくりくりして愛くるしい大野克夫さんが好きでした❣️決して目立つわけではないけれど♪ノーノーボーイのスティールギターがジンジン胸に染みたんですね🎵かまやつひろしさんが「克夫ちゃんは天才!」と声を高らかに仰っておりました❣️
ジュリーにショーケン、PYG、井上堯之さん、麻生レミ、柳ジョージ、ジョー山中……お宝ポスターが満載!井上堯之バンドのポスターは、「太陽にほえろ!」のレコードを買った時に、おまけで貰ったものでした。懐かしい♪Vol.1は400ページ超で442図版掲載!Vol.2は捕逸で薄いんですけどね。お宝ですよ!これはノーチェックでした。ある方に教えて頂かなければ、手に入れることはなかったでしょね。ありがたや!心から感謝♪•*¨*•.¸¸♬•*¨*•.¸¸♪•*¨*•.¸¸♬•*¨*•.¸¸♪
NHKの大河ドラマを見ています。いつも日曜18時からのBSでの放送を見てるんですけど、大河ドラマの後の時代劇も結構好きで、そのまま続けて見たり、録画して見たりしています。現在放送中なのはこちら(NHKより)このドラマ、水戸光圀が主役なんですけどね、今日はドラマの話ではなく主題歌のお話です。これを見始めてからずっと、主題歌が気になっていました。こう•••なんていうか、懐かしいような、昔聞いたことあるような、声も聞き覚えがあるような、ないような、フォークみたいな感じの曲調で哀愁漂うよう
数日前の朝刊でも改修工事を予定している日比谷野外音楽堂の記事LINE仲間からネット記事が届いたけどそのときにふりかえることなくきのうのアフタヌーンティーでJULIE旅ミーティングのときにも話題にあがったけれど◇日比谷野外音楽堂の歴史初代は1923年7月その後、戦争があってGHQに接収されたり1954年に接収解除で2代目が再開1983年、老朽化にともない3代目が再開2代目の野外音楽堂の思い出1970年第3回日本ロックフェスティ
今回は、昨日、おととい大阪と京都二日間続けてライブに参加されてたジュリ友のMさんがグループLINEに感想を送ってくれました。そのお話しを書いてみようと思います😊あと、お騒がせしました「武道館」のハガキですが、月曜日に届きまして~無事申し込みを済ませました😘💚まずは大阪のライブの感想です。MCは長かったね~。11月18日の武道館のことから、またサイアリの事を😅「私がやりたいと言うたわけやない、出来るんですか?」言うたのに20000人のとこ
萩原健一さん萩原健一(はぎわらけんいち)本名:萩原敬三(はぎわらけいぞう)ニックネーム:ショーケン1950年7月26日生まれ、2019年3月26日、68歳没。埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身の俳優、歌手。元ザ・テンプターズ、PYGのリード・ボーカル(PYGは沢田研二とのツイン・ボーカル)。所属事務所はKR株式会社(2016年8月よりオスカープロモーションと業務提携)。妻:小泉一十三(1975年~1978年)いしだあゆみ(1980年~
ワイングラスにじゃあねして通りの赤い靴の通りをてくてくして角をまがって地下の階段降りて久しぶりのシネマリン2015年の映画「スライ・ストーン」追悼上映スライ・ストーンの訃報を知った時にPYGやソロになってからのJULIEがカバーしていたスライ&ザ・ファミリー・ストーン♪IWanttoTakeYouHigherの原曲と繋がって過去映像もまぜながら波乱にみちたスライ・ストーンの人生をドキュメンタリーでふりかえってジミ・ヘンド
沢田研二さん沢田研二(さわだけんじ)出生名:澤田研二ニックネーム:ジュリー由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため。1948年6月25日生まれ、77歳。鳥取県鳥取市生まれで京都府京都市育ちの歌手、俳優、作詞家、作曲家。ザ・タイガースのメンバー(ボーカル・タンバリン)。前妻:伊藤エミ(元ザ・ピーナッツ)妻:田中裕子1967年2月、ザ・タイガースとして「僕のマリー」でデビュー。その後、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」など、
PYGを知ってるライブ仲間からの訃報スライ・ストーン82歳でPYGのころJULIEがカバーしてた♪ハイヤー(Iwanttotakeyouhigher)を歌っていた人AIに訊いてみたら♪ハイヤー(Iwanttotakeyouhigher)を最初に聴いたのはウッドストック・フェスティバルの2年後1971年ジャズ喫茶のPYGのステージで客席から「higher!」と叫んでステージと掛合いして音源が残っているのはPYGの田園コロシアムそ
「ソロ名義でのデビュー曲「君をのせて」(71年11月発売)から、「灰とダイアモンド」(85年8月発売)まで、ポリドール在籍時代のシングルのA面曲を発売順にすべて収録した44曲入り3枚組(86年6月発売)。あらためて聴いてみても、初期の、加瀬邦彦の作曲になる「許されない愛」(72年3月発売)、「死んでもいい」(72年9月発売)、「危険なふたり」(73年4月発売)、絶頂期ともいえる70年代後期の大野克夫作曲の「時の過ぎゆくままに」(75年8月発売)、「勝手にしやがれ」
るそんべえです。今日で、井上堯之が亡くなって、7年が経ちました。井上堯之は、ザ・スパイダースの結成当時は、コーラス&ダンスグループのひとりだったそうです。その後、ギターを独学で学習し、サイドギター、リードギターとポジションを確保していき、曲によっては、ボーカルも取るようになっていたようです。スパイダース解散後は、沢田研二、萩原健一の両看板のバンドPYGに参加。PYG解散後は、井上堯之バンドを結成して、沢田研二のバックバンドとして活動開始。それと並行して、PYGでもうひとりのボーカ
1971年4月23日金曜日ジュリーPYG時代に単独で司会番組を担当❣️「ドレミファ学園」日本テレビ19:30〜30分ワイルドワンズとシュークリームが共演クイズ形式でゲスト歌手が唄うタイトルや歌手名を当てる❣️と優勝賞品と賞金がもらえるというコントもありのバラエティ❣️写真がもうブレているのとこれしかないのが申し訳ありません🙇この前身番組が1970年10月30日開始の「紅白対抗ドレミファ大作戦」まだザ・タイガース時代に単独で司会をしたのですがその間にザ
昭和43(1968)年4月。週刊明星(集英社)5/5特大号の新聞広告。独占3大特報大ショック!そんなに仲が悪いのか?−−として、タイガースvsテンプターズ伊東ゆかりvs小川知子西郷輝彦vs島和彦の遺恨を煽りまくっている。SNSによる当事者の反論が可能となった今では、そうでもなくなったが、少し前までは有名人同士の不仲や喧嘩は、週刊誌やスポーツ新聞にとって美味しい餌だった。ここから3年後(昭和46年)には不仲であるはずのタイガースとテンプターズのエース的存在にあったジュ
わたしは6つの時から9歳までに母と離されること3回目(短期を含むと4回目)2年に及ぶ居候生活をしている。5つ年上の気の強い従姉は学年でも屈指の成績。ほぼ絶対のチャンネル権がある。それでみせられていたのは「ハレンチ学園」「金メダルへのターン」「好き好き魔女先生」「おなさ妻」「気になる嫁さん」「お荷物小荷物」「プレイガール」など。この従姉が塾や友達との交流で不在の時、あるいは対策にテスト対策に勤しむ時のみ、2つ年下の従弟が自由にできる。それが「仮面ライダー」「帰ってきたウルトラマン」など?
TOHOシネマズ6本見たら1本が無料で見れた制度が変わってしまうのね…つまりはTOHOシネマズ内でお金を落とせってことなんだと思うけど...僕はパンフ買うのももったいないんでヤメちゃってだいぶ経つし、グッズとかも買わなきゃ飲み食いもしないので、ほとんど映画代金以外にお金使わないからなぁというか、お金がないんで使えないからなぁ。で、僕の場合、シニア料金だからこうなると損なのかなぁ?、とはいえ、富山市での映画館TOHO以外はもっとサービスないからねーフリーパスがあった時代がもう夢のようであ
男のォ心はァほぐれるものさァ~というわけで、昨夜見た夢のお話です。(夢が違うって!)ジュリーがPYGを歌いまくる夢を見ました。「戻れない道」とか「祈る」とかね。もっといっぱい歌っていたと思うのだけど、記憶に残っているのは、この2曲だけ。「花・太陽・雨」や「自由に歩いて愛して」は歌われなかったですね。ああ、もっと記憶力を鍛えておけばよかった!!!それとどーせ夢なんだからさ、堯之さんやショーケン、原田裕臣さんと共演して欲しかったぞ!
FBに上がってきた楽しそうにカラオケされている3人の方々が歌っているのが♪♪♪花太陽雨〜♪♪♪山本恭司さんが上手なのはわかるけどおふたりはどなただろう?VOWWOWのファンだったらわかるのかしら?とにかく上手過ぎ!コーラスも最高!カラオケ屋さんもびっくりされただろうなぁ。レコード聞かなくちゃ!その前にプレイヤー買わなきゃ!
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1978年9月号の表紙は森進一さんでした。7月30日にハワイのシェラトンホテルでカクテルショーを開いた布施明さんがグラビアで紹介されています。アグネス・ラムさんが特別ゲストでした。がNEWDISKでは園まりさんの8月25日発売の新曲「流されて」も紹介されていて新譜情報では「舞酔坂」「流されて」をメインにした久々の書き下ろしアルバムが10月発売目指して製作進行中と書かれていますが、このアルバムは実現しませんでした。ヤングジ
いつも以上に?B.ジャック感のあった本編よりも、舞台挨拶でのやり取りの方が泣けてきた...素が出てたね一徳さんがいつから俳優を始められたかはよくは知らないけれど、映画では「鮫桃」(*1)での浅野忠信さんとのやり取りが好きなんだなあ✨サリー時代からのいちファンとしては(*2)、スクリーンに、あるいは、TV画面にとその姿を拝することが出来るのは何とも嬉しいかぎり✨リピートを除けば2024年に観た最後(FINAL)の映画劇場版Doctor-XFINAL[舞台
あっ、そっちのサリーの話ではありませんでした。名優にして名ベーシストのサリーのお話。かつては岸辺修三、今は岸部一徳。タイガース、PYG、井上堯之バンドで、スンバラシイベースと超低音のコーラスを担当されたお方♪役者としても、とってもスンバラシイお方ですね♪そんの岸辺さんの、今日はお誕生日!ハッピッピーハッピバースデイ飲めよ!歌え!思いっきり~ホイジュリーと共に、いつまでもお元気で♪
1971年クリスマス前の今頃、1月24日ザタイガース解散後、PYG結成とまだ1年にも満たない時期にジュリーは初のソロコンサート『沢田研二リサイタル』を日生劇場で開催しました🎵日生劇場は階段までも赤いビロードの絨毯が敷き詰められて、格調高い劇場と印象あります❣️パンフレット表紙とその時のチケットです12月20日に観に行きました❣️表紙をめくると、これになります↑企画構成が村井邦彦さんだったのですね〜後に3枚目のジュリーのアルバムとしてこのリサイタルライブ録音が発売されます
沢田研二萩原健一他『PYG!オリジナルファーストアルバム』PIGじゃないけど、ジャケットはブタと思っていたら、グループ名は「豚のように蔑まれても生きてゆく」に由来するようです。SMAPの『BOO』もちろん、歌詞にブタは全然関係ありません。まだ森君のいる時代SMAP/BOO[CD]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}PYG![PYG]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【国内盤CD】【新
タローさんブログがお昼に更新されました♥昨日、ドクターXの試写会があったのは知っていましたが、そこにタローさんも行かれたとのブログでした❣️涙を誘われたようで、涙もろいタローさん自然体で好きです❣️今日になって、PYGや井上バンドで活躍された原田裕臣さんが、お亡くなりになっていたことを知り、絶句でした…ジュリーファンは『土を喰らう十二か月』で共演された火野正平さんの訃報に群がっていましたが、私は何回の共演の方よりジュリーの初期を支えてくれた原田さんにショックでした。まあ、ジュ
京都ぷち散歩から1週間以上も過ぎて昨年も足を運んだ日仏学館のレストラン今年は実の季節に訪れてまた来年も来れたらいいねってランチのあとはずっと前から足を運んでみたかった場所京都大学吉田キャンパスにある歴史を刻んだ瓦屋根の西部講堂現在もいろんなイベントスペースになっていて自由に入れて色褪せた大屋根は大きな木の後ろに見えて講堂の横には修理が必要そうな自動車やタイヤが積み重なって不法投棄厳禁なんて看板も車を修理している学生に訊ねようかしらと思ったけどおばさん
作品No.01餅食べすぎて腹痛いし揚げカスは酸化して自然発火するし…この星はいったいどうなっちまったんだい?作品No.02僕は嘘はつきませんよ、でも気が変わることはありますね…よく作品No.03病院帰りで疲れてたらうたた寝してしまい今さら寝付けなくてPYG聞いてる作品No.04豚が頭から離れない作品No.05身から出た錆じゃまた。
1970年になると、ザ・タイガースはジュリー単独出演が増えてきます🎵以前も載せましたがTBSの『虹のお祭り広場』(たしか、この年に開催された大阪万博にそんな広場の場所があったと記憶しています)これは、4月2日から6月25日、ジュリー22才の誕生日まで🥰ちあきなおみさん、藤岡琢也さんがレギュラーでした❣️ジュリー単独テレビ出演がはじまれば、同時進行でザ・タイガース解散説の声も大きくなります🥺8月22日には田園コロシアムで大きなコンサートが開催されましたが、私的には、これが最後
部屋の片付けをしていたら、しばらく見ていなかったお宝発掘!深夜放送ファン別冊「JULIE」!発行元は自由国民社。ジュリーのグラビアとタイガース、PYG、そしてソロになってからのジュリーの作詞作曲した曲を中心に歌詞とコードが36曲収録7ページに渡る「JULIELIFESTORY」は、1948年の誕生から1972年の「危険なふたり」までのジュリーの歴史を詳細に紹介♪読み応えあります!ファンクラブの代表者のお名前と住所が39団体42名が掲載されているのは、時代ですねぇ。3ページに渡っ
3つね。井上堯之さん(沢田研二、萩原健一含むので、PYGと言い直してもいいな)、伊福部昭さん、菊池俊輔さんだな。ここ御三方の音楽なしでは、私は生きていけないぞ。
大野克夫(おおのかつお/1939年9月12日~)は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。1939年9月12日、大野克夫は、京都府京都市下京区四条堀川町にあった呉服屋の5人兄弟の末っ子として生まれる。実父が尺八の師匠、実母は琴の奏者という音楽一家であった。実父の尺八は呉服を扱いながらのアマチュアであったが、作曲家、箏曲家である宮城道雄とツアーを行った経験を持つ。姉はピアノを嗜み、兄はジャズが好きで、小学校入学前から兄が洋楽レコードを買いに行くのによく付いて