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交際相手と球場に行き、こ笛選手の年俸いいな。食事とか、家族は大変だけど。だから奥様は働いていない。彼税金で取られるから同じだよ。俺と結婚しても働かせて悪いね。みたいな言葉を聞きたかったのですか、しかし、そんなことをいう人は誰もいないだろうと気かつきました。自分はいつでも、障害のある自分と交際してくれてありがとうといつも謙虚に思っていたから、その時から悔しくて、いつも怒りで震えてました。何をやっても楽しいことはありませんでした。CTかMRI検査したら、脳が萎縮してま
さあ塞がった総胆管をどうするか?内視鏡的胆管ドレナージといって、口から内視鏡をおなかに入れ、十二指腸から胆管を経由、閉塞した部分を広げる処置を受ける。正直これは全身麻酔で行うので苦痛はない。ただ、これではうまくいかず、PTCDといって、脇腹からチューブを入れて肝臓→胆管と経由して塞がったところを広げるという手段をとった。これが痛い痛い。これも何回か失敗して5回目くらいに、成功。北斗の拳のケンシロウにたいに脇腹穴だらけになる。結局、また1か月ほど入院し、やっと、検査値も正
あまり書く気がしないなと思いつつダルくて痛くて苦しいのを理由に、一日ボーッと寝てると、もう生きていても辛いことしか待ってないや、早く楽になりたいなと思ってしまうので、体調を書くことにした。月曜のPTBD後、まず、便が出てない。実施する前は抗生剤で下痢だったのに。今も同じ抗生剤を入れてるのお腹が動いてない。よって腹部膨満、腹痛あり。苦しい…ドレーン挿入部の痛み持続。痛み止めのトラマール、ロピオン効果なし。寝てるときは痛くない。抗生剤入れても平熱にならない。下がっても37.2℃位が限
門脈同様、胆管の根っこが腫瘍で圧迫されて閉塞しかかってるんだと思う。僕の場合、既に膵頭十二指腸切除してるので、肝臓から外に出ている胆管の長さはかなり短いはずだ。そして、肝門部に転移となると、場所か近いから、胆管を縫い付けてある小腸も既に癌に殺られてるかもしれん。今怖いのは肝内の胆管が拡張してる、つまり、出口が癌で狭くなって胆汁が出ていかないので拡張してることだけどもし完全に閉塞して黄疸になったら、癌そのものの治療ができなくなるはずだ。というのも、黄疸をなくさないといけない。最初
腹水を抜いた日から7日目やはり朝から38℃発熱、、、胆管炎ではじめて発熱してから20日ほど。抗生剤を飲んで炎症を抑えるようしていましたがこの1週間は胆汁が全くチューブから出てこず、いよいよチューブが詰まってるなという感じでした。みぞおちの急な痛みも頻繁になってきていました。発熱の原因は胆管炎だとわかっているのでPTCDチューブ交換の相談をするために病院に行きました診察の結果今からPTCDチューブ交換しましょう❗️となり急遽処置室へ、、、まさかいきなり当日処置
昨日は娘との再会のあと相当凹んでしまいましたが一晩寝たらスッキリしてました病気が再発してから決めたこと。誰のことも羨まない、恨まない。再発する前に思い描いていた未来予想図は忘れる。過去にはできたことも忘れる。今を生きる、今を楽しむ。痛みがあったり入院が長引いたりするとついついネガティブな思考に支配されてしまう。そんなの、嫌だーーーPTCDのチューブが入ってる違和感も減り痛みも少なくなり皮膚が引っ張られる感じも慣れてきました。コンビニに降りて昨日と同じホットレ
この日は夫、娘、義母が病院に届けものに来てくれました。面会禁止ですので荷物の受渡しは病棟エレベーターで数分のみ、と決まっています。でも、久しぶりに娘に一目会えると思うだけで朝から嬉しい気持ちでいっぱいでした前日はフラフラでほぼ寝て過ごしましたががんばって1階のコンビニにドリンクを買いにいきました。甘酸っぱいホットレモンを飲んでエネルギーチャージしました午後に夫達が到着しました。娘は無邪気にわたしの点滴のついた腕を触ってママ、これはなーにー?ママ、ここはどーし
胆管炎で絶食の時は絶食しているのにまったく体重が落ちませんでした。逆に水分点滴で身体中がブヨブヨしてる感じでした。PTCDの処置前から利尿剤を毎日処方されている影響か今回の絶食が始まってからどんどんどんどん骨と皮の感じになってきていますエネルギーがないからか身体も省エネモードになっていてベッドから降りてトイレに立つのもすごく時間がかかります。歩くのもフラフラします。この日は本当に身体が動かなくて午前午後ともほとんどベッドで寝ていましたこの休息が早い回復に
前日の夜は痛くて眠れなかったので痛み止めのお薬(トアラセット)を飲んでから寝ました。やっぱり夜中にウッッッイテっっっとはなりましたが前日に比べると1割ほど痛みはマシかも。痛みがあるとマイナス思考になってしまいます。この日は引越のことを考えていました。今の家は狭いので介護ベッドを置くのは厳しそう、通院のことも考えると病院の近くに引越したいな、、、どこでどんな風に最期を迎えたいかな、、、介護ベッドは広いリビングに置いてリビングの窓からは柔らかな日差し家の中で
内外瘻できたとの吉報でよく眠れそう、、、と思いきや痛み止めが切れたのか夜からだんだん痛みが増してきました。飲水のみOKでしたが水を飲むと痛い、ベッドで身体を動かすたびに痛い、ウッッッイタっっっできるだけ声を抑えてましたが同室の方は迷惑だったと思います痛み止めをもらってもイマイチ効かず辛いまま朝を迎えました。朝ごはんが出ました。一口食べると内臓が動いて痛みが走ります、、、何なんだコレは、、、痛すぎて数口で食べるのを諦めましたお昼前に先生が来ました。今朝の
主治医との面談の翌日内科の先生が来て言いました。今日の午後にしますのでこの同意書にサインしてくださいとのこと。びっくりしました。昨日の夜に希望を伝えたところで内瘻化の処置ができるのは早くても今週末くらいかなーと思ってたので先生、めっちゃ仕事早いですね〜と言ったら嬉しそうに照れ笑いしていました。午後、検査室に呼ばれました。ステント中止事件の時の先生が処置内容の説明に来てくれました。あの時は事件でしたが穏やかで安心感があってでもスゴ腕の匂いもする方で直感的に好き
PTCDをした翌日の早朝グルグル、、、ゴニョゴニョ、、、ひっっっさしぶりに内臓の蠕動を感じました横になっていても胸が苦しかったパンパンに張ったみぞおちがへこんでいるのを感じましたなによりも毎晩悩まされていたあの痛みが昨夜は襲ってきませんでした痛みがないって最高胆汁バッグにどぼどぼ流れて溜まっていく黄色い汁を眺めながらこんなことならはじめからPTCDしてくれたら良かったんじゃない?など身勝手に考えていました管が刺さっている部分は午前中は痛み止めの点滴を
PTCDの処置は呼吸をすると肺が動いて胆管を狙えなくなるので痛み止めの点滴と局所麻酔で行います。途中で息止めしたり医師の指示に従ってくださいね。そのように事前説明を受けました。え、、、、鎮静剤なしめっちゃこわくて朝からずっと緊張していました。極端すぎますが処刑台に呼ばれるのを待つ心境でしたが。結果から言うと全然大丈夫でしたいや、正解には痛かったですよ。意識があるなかでみぞおちに針金がささっていく感覚もありめちゃくちゃ怖かったですよ。局所麻酔はチクッとし
カンファレンスの結果PTCDをしましょう、となりました。そのように主治医からの説明を聞いて目の前がサァッと暗くなるのを感じました一般的な処置のひとつだと知っています。PTCDをしながら生活をしている方のブログも読みました。でも、私は、、、ステントで解決すると思ってただけに方針の変更に納得できない。ひょっとしたら死ぬまで胆汁バックを下げての生活なの娘はまだまだ手のかかる年で抱っこもしてあげたい走り回るのを追いかけたい一緒にお風呂も楽しみたい(PTCDをすると基
IVRとは。。X線(レントゲン)やCT、超音波などの画像診断装置で体の中を透かして見ながら、細い医療器具(カテーテルや針)を入れて、標的となる病気の治療方法である。こんにちは、採血失敗されたtomomiです血液検査の結果、肝臓数値が一気によくなったみたいなので、明日退院になりました今日帰りたかったけど、さすがに今日はダメだったせっかくなので、あともう1日入院生活を楽しみたいと思います(胆汁の処理とかしてもらえるのラクやし)前置きが長くなりましたが、今日は予告通りIVR室での出来事をし
シェーネングーテンターク、あんです!検査入院中です。それにしても、入院する度に外国人看護師やスタッフやらが増えていきます。病棟スタッフの7割はもう外国人ではと思うほど🧐ソビエト系、ユーゴスラビア系だけじゃなくトルコやらコンゴやらベトナムやら…ロシア語などのスラブ系母語の人のドイツ語は比較的聞き取りやすいのですが、アジア系の方のドイツ語は本当に難しい😞発音体系が全く違うので。自分の発音もなるべく気をつけようと思いました。★トランスポーターはもう98%が外国人🤠普段のスモー
一時退院してから1週間経ったくらいに激痛があり、急きょ病院に😱エコーで見るとドレーンの先端が腸にぶっ刺ささってたみたいで歩くにも支障が出てました。ドレーンの入れ替えをしてさあ帰ろうとしたら娘の担任から連絡。『娘さん、休み時間にうんていから落ちて両手首ケガしました』と。こんな時に何をやってんだか( ̄▽ ̄;)要するに出来もしないくせに、うんていの一番高い所から開始ししようとしたために耐えきれずズドン😱おしりをつく前に両手首から着地したせいで両手首の骨を縦に骨折。懐かしい写メ残ってました
平成15年3月17日からPTCD(経皮経肝胆管ドレナージ)開始。簡単にいえば、直接ドレーンを入れる場所に局所麻酔をしてどこにドレーンを入れるかガイドラインを入れてドレーンを大腸まで入れて胆汁パックが常にお友達になります。私の場合は初回2本のドレーンをみぞおちからと右胸脇側に入れました。このガイドラインの後のドレーンを入れられる激痛がまた地獄なのです😭😭😭年月の経ったしかも疾患を持って硬くなってる肝臓。元々、細い胆管にサイズを変えて段階を踏んで胆管に押し込まれるドレーン。痛くて騒ぐ人がい
5月29日(水)、入院16日目。とうとう入院生活3週間目に突入しました。一向に退院の目処、今後の目処、立っておりません。朝まで拘束ベルトでベッド上安静だったここちゃん、汗びしょびしょなので起きてすぐ拘束解いてもらう。朝ごはんからスタート、一旦胆汁返還はなしで経過観察しますとのこと。いつもの私なら、今後について話がしたい(=文句が言いたい)から先生を呼んでくれ、と言うんだろうけど、もうこの先生たちになにか話しても意味ないかも、とまで思ってしまっているので呼び出す気力も湧いてきません!
5月27日(月)、入院14日目。今日は内ろう化の手術の日程の目処がつくと言われていたのだけど、結局まだわかってません。ここちゃん、チューブがずれてしまい明日急遽外ろう化のためだけの緊急手術になりました。どこまで苦しめれば気が済むんだ。地獄だなここは。昨日の17時からぴたっと排液が止まってしまっていて、嫌な予感とモヤモヤが晴れないまま朝になったんだけど、朝になっても排液は完全に止まってしまっている。ここちゃんもいつもより元気ないし、ごはんもほとんど食べない。いやここのごはん合わな
5月25日(土)、入院12日目。この日は主人方のじじばばが東京まで出てきてお見舞いにきてくれました。入院やら手術やらで義実家には帰れていないのでここちゃんは会ったことあるのは数回だけど泣かなかった!うちのばぁばにもとってもよく懐いているし、看護師さんや先生にもばいばいしたりニコニコしたりするように。入院中の成長はどうなってしまうかとても心配していたのだけど、あっという間に走り回るようになりおむつは自分でゴミ箱に捨てに行くようになりお部屋戻ろうと言うと自分から戻るようになりこの2
5月23日(木)、入院10日目。開腹のオペを避けるためにしたオペで結局開腹になるかもしれないと言われ、なかなかにダメージを受けて心身ともに疲れてしまって、この日は主人が有給をとってくれたので2人看護です。明日金曜日に採血とエコーがありその結果次第では一時退院もできるとのことだったので、看護師さんに・チューブの管理方法・廃液バックの交換方法・縫合部のパッド張り替えの方法・お風呂前のパッキングの方法・胆汁を濾す方法を教えてもらってそれがマスターできれば今週土日の退院でもよいと。
5月19日(日)、入院6日目、術後3日目。この日は主人と昼の付き添いバトンタッチ。久しぶりにあったかいごはんを食べられたし少し休憩もできた、けれど、家に帰ってもやることは同じ、ひたすら検索ばばぁwithWi-fi環境下。PTCD後に白色便になった場合とかPTCD失敗とかPTCD2回目とかいろんな検索ワードで検索したけどなかなかヒットせず、それもそう、PTCDの平均実施年齢60代後半とのこと、ブログをやってる人なんてほとんどいない!調べたところによりますと胆管拡張がない胆管への穿刺
5月15日(水)、入院2日目です。点滴なしの入院はハジメテなのですが、プレイルームに行ったり廊下を散歩したり意外と自由がきくのでここちゃんもそこまで退屈しないで済んでます。さて、今日はとうとうエコーと術前説明。うじうじぐずぐず、不満と不安をたくさん抱えながら、放射線科の先生と葛西術から見てくれてる話しやすい小外の担当医とお話ししました。わたし今この担当医の先生をかなり信頼していてダイスキなので今後はK先生とします。結論から書きますと、PTCD手術は確定です。だけど、昨日より全然前向
とうとうこの日が始まってしまいました。こんなにもやもやぐるぐる、頭の片隅には万が一のことがよぎり、心もずーんと苦しい毎日を送ったのは葛西術前のあの日々ぶりだなってぐらい毎日魘されまくるナーバス全開のわたしです。それにしても弱い。我ながら打たれ弱すぎる。仕事でかなり心を鍛えてきたと思ったけどまだまだ甘いな。いや子どものことは別物か。今日は主治医がいないそうなので、ずっと疑問に感じていた今回の手術の緊急度合いについては直接聞けなかったので担当医と看護師さんには不安な気持ちをお伝えしました
4月17日、1年前の今日、ここちゃんは生まれました。まさか自分の子が病気だなんて思いもしなかったしその1年後に移植を考えて誕生日当日に病院にきてるなんてことも、思いもしなかったな。というわけで行ってきました、セカンドオピニオン。国立成育医療研究センターは想像していたより遥かに大きな病院で今通っている大学病院も充分広いなとおもっていたのにそれを遥かに凌ぐ広大さ。受付を済ませて待っていると、このブログを通して知り合った同じ病気で同じ名前の子をもつという親近感しか湧かないママさんがちょう
4月15日(月)入院11日目、微熱も鼻水もなく、とても元気。いや、あの、まさかすぎるのですが、タイトルの通り、急遽明日退院になりました。朝の採血後、相変わらず先生はこないので看護師さんに駄々こねて呼んでもらう、と、いらっしゃったのは例の信任?の移植チラつかせ先生。採血結果今回/前回D-Bill…〈0.1/〈0.1AST…62/80ALT…161/286GGTP…918/1109ALP…2593/2964CRP…0.10/0.38
4月14日(日)入院10日目、ここちゃん鼻水たらりで風邪疑惑。微熱は続いていますがめちゃご機嫌です。この日は朝から主人と付き添いを代わってもらい、わたしは10日ぶりに家に帰ることに。一度家に着いたあとに鍵がないことに気付いてまた病院に戻るというハイパーイライラタイムを過ごしたけどやっぱり家で過ごせる時間はありがたい。病院はWi-FiがないのでKindleにおかあさんといっしょといないいないばぁと子供向けの映画とを色々ダウンロードしまくって、3ヶ月ぶりに髪を切って、ここちゃんの誕生日の装飾
4月13日(土)入院9日目、この日から離乳食も開始!泣きながら食事を開始させてくださいと頼んだり泣きながらセカンドオピニオンをしようと思うと勝手に決めたり四六時中先生を呼び出して話をしていたりするもんだからモンスターペアレント化しているのか、ここ2、3日先生も看護師さんもすごく優しくフォローしてくれる。いや元々優しかったんだが尚のことというか。このババァほっとくとうるせーぞってなってるのかな。でもたくさん話せると安心するからなんて思われててもいいやてへぺろ。朝、主治医が来て
4月12日(金)入院8日目。ミルクが100ミリに増える。ここちゃんご機嫌!よく笑う!涙今回の入院は慣れたこともあるしある程度覚悟が決まっているからか前回よりは日が経つのがはやく感じるなぁ。…いやこれからが本番か。早朝、点滴のアラートで起こされて部屋の外を散歩でうろちょろ。部屋の外といってもせいぜい20メートルない廊下までしか出れないので、そこを点滴抱えて行ったり来たり。外の空気吸いたいなぁ。…と、そこに教授が来てくださいました。相変わらず優しい方でここちゃんをあやしながら話をし