ブログ記事16件
お読みいただきありがとうございます(◍•ᴗ•◍)✾アラフィフ専業主婦✾上級ズボラー✾片付けられない女✾めんどくさがり✾ネガティブ整理整頓されていない、築38年の一戸建て、『Guchagucha-Boroboro』の家に住んでいるところからブログネームはGB。もうすぐ50歳。老朽化が著しいアラフィフ、どうしたら楽しく、心地よく暮らせるか模索中♫♪前回のブログ(◍•ᴗ•◍)✧*『【新宿へ行く】やはり都会は違う』お読みいただきありが
まだ、全部の検査結果が揃わず、引き続き、検査をしながら、リハビリしながら、今週も入院の見込み。ステロイドパルス、1回目は余り効果が感じられなかったので、追加でもう一回やる方向とのこと。今の症状メモ。3/4(火)・肩から下の腕の痺れ(痛みもあり)・首の後ろ〜背中が痛い(左側強め)・手の脱力感、スマホも重くて持っていられない・ペットボトルが開栓できない・足は、歩けるけど、ふわふわして力が入りにくい・真っ直ぐ歩いてる感覚が少ない・物理的な筋力低下もあるので、歩くとすぐ疲れる・疲
自分用経過メモです。追記していきます。※3/1血液検査の結果等を詳述。PR3-ANCAが高いです。ーーー2025年2月のお話。(前提として、昨年12月半ばから1月末にかけ、風邪→インフルエンザA→風邪→風邪と、断続的に体調を崩す。咳喘息にもなり(よくなる)、入院後の肺レントゲンで肺炎の跡があったとのこと)2/15(土)頃朝起きたら両足がピリピリ痺れる。電気が走る感じにピリピリと。2/17(月)手に力が入りにくいことに気づく。ペットボトルをうまく開栓できない。2/19(水
免疫抑制剤リツキサンの2回目投与の日。ANCA関連血管炎にリツキサン投与をするとステロイドの使用量を3分の1にする事が千葉大学の2021年の研究で分かったらしい。割と最近のことなのね。それまでは、難治性や再発組の人の2度目以降の免疫抑制剤としてエンドキサンの代替で使われる事が多かったみたい。血管炎成り立ての私は一発目から、リツキサン。でも、リツキサンがいいと思う。標的にする細胞の範囲が狭いから他を守れる。前処理の点滴と薬剤で副作用を防止してからの本体投入‼️点滴
言っちゃったよ。主治医、とうとう言っちゃったよ。笑「ある意味、ちょっとモルモット😃」By主治医私の質問はこう。↓「先生、不思議なんだけど血管炎の症状ないのに退院後も一生ステロイドの投薬する意味ってなんでしょうか?」まぁ、ステロイド減薬の過程で急には、薬止められないけど。すこーし、そう言う存在である事も気づいていたよ。やっぱりそうか!私の肉体は、いつだって実験台だ!ただ、私が知らなかった事がある。私の自己抗体PR3-ANCAの最高値は333(※街のクリニックで計
本当に多発血管炎肉芽腫症だとしてまだ実感湧かない、だって、その病気らしい症状ないから。診断のキーとなる自己抗体PR3ANCAは欧米人に多い自己抗体で日本人で、その抗体を持つ人間自体が少ないらしい。その抗体あっても症状でないと健康診断で調べない項目だから気づかない人も多いかも。多発血管炎肉芽腫症もナチスドイツのウェゲナーさん🇩🇪が見つけた事でウェゲナーと病名がついていた。でも、ナチスの人の名前の病名ってなんだろう?と名前が変更されている。イギリス🇬🇧の子供がなる事が多
腎臓のことばかりが気になってうっかり、スッカリ忘れていたけど私、心不全にもなっていたんだっけ。循環器の先生が血圧と体内の水分を小まめに観察して、利尿剤と降圧剤を連日調整を加え、心臓の機能を保とうしていてくれたのに腎臓に気を取られ過ぎて心臓の重要性をおざなりにしていた。ここで私の心不全の状態をきちんと評価しようと運動負荷心筋血流テスト、翌日に造影剤を使用した心臓カテーテルをする事に。造影剤は腎臓に負荷がかかるので循環器としては、待って待って待ってようやく心臓の機能を評価でき
歩けるようになってそこまでずっとほとんどベットで安静だったので少しずつリハビリを始める事に。始めは、面倒かなと思ったのだけど自転車にも乗れると聞いたので週3回行く事に。入院1ヶ月で体重は7キロ減り筋肉もなくなり体力も無くなっている。最初は階段を登るのもバンビのように脚がふにゃふにゃ階段を下がるのも危なっかしい。すり足で歩こうにも内転筋が減りすぎて上手くバランス取れない。積極的に骨盤底筋、大腿四頭筋、ふくらはぎの筋肉、肩甲挙筋や三角筋、体幹、腹筋の筋トレの方法を聞
私が訴えている脾臓周りの痛みが実は胃や腸の問題かもしれず胃カメラへ。人生初の胃カメラ。検査室に行って胃カメラって鎮静剤を使用して楽に受けられると聞いた。でも、私は何も知らなかったので鎮静剤が用意されていなくもう!早く教えてください、先生。知っていたら鎮静剤を用意してもらったのに。超ビビりながらグェッ、グエッ途中、息が詰まりそうになりながら、胃カメラ。結局、何ともない。検査後にお部屋に戻るのにヘルパーさんが迎えにくると言うから、車椅子で待っていると尿の管から、私の尿
ステロイドを飲み始め瞬く間に元気に。尿に管は入ったままだけど大きな大学病院の建物、どこへ行っても良いと言われた。さっそく、一人で尿を溜め居ている袋を点滴棒に下げた状態で院内を歩き売店に行く。売店デビュー。私が垂れ流している尿がひと目に触れるのだが、そんなの関係ねぇ。少し歩くのもウキウキ。ウキウキ。歩ける。歩ける。そんな時、超音波検査があって昼食抜きにされて、早めに終わったのでこっそり売店でおにぎりでも買っちゃおうかなと売店を覗く。タケノコおにぎり、タンパク質10グラム
もう、利尿剤と降圧剤だと持たない何らかの治療を始めないといけないと言う事で腎生検と骨髄穿刺が終わった事もあり腎不全、ネフローゼの症状に合わせてステロイドのメドロール11錠44mgから始めることに。メドロールは、心臓の悪く、水分代謝が悪い人に使用されるステロイドの一種なんだって。ここまで、断続的に輸血もしているし数字は少しずつ悪化傾向。検査結果が出るまで待てない。検査結果出すのは1ヶ月は最低でもかかると伝えられる。腎生検の速報で「腎臓の状態は、焼け野原です。」だそうだ。焼け
腎生検の後、骨髄穿刺へ。開腹オペしたばかりで傷も痛むのにここに骨髄取るの?骨髄取るの痛くないの?怖い、怖い。でも、私の病気がもしかしたら骨髄腫であるかもしれなくて可能性を消すためにどうしても必要。開腹オペは全身麻酔だから眠ちゃうから怖さないけど骨髄はうつ伏せになって意識あるから、非常にこわい。外来の措置室に呼ばれると沢山の医療関係者がいた。2名の医師と白衣を着たおそらく採取した骨髄を検査室に運ぶために保冷容器のようなものを抱えている女性と奥には沢山の研修医がいた。
一般病棟へ移ってからの2週間。とりあえずエクモも気管挿管も人工マッサージも透析にしないで済んだ。ゴールデンウィークを挟んでしまって検査進まず。尿の管はつけっぱなしで人生2度目の大人のオムツデビュー。赤ちゃん以来だわ。こんな年齢でオムツを履く事になるとは思ってなかったよ。検査が進まないために治療にも入れず利尿剤と降圧剤のみで2週間。腹水と胸水、肺水を抜く事だけに専念。お腹に溜まった水は恥骨の上に乗っかりそこだけハンプティダンプティかビールを飲みすぎた中年みたいに前に
入院直後からものすごい本数の採血されているが検査結果を怖くて見れない。ひたすら、ドクターが来るたびにお願いだから、透析になるのだけは避けてと訴えつづけていた。入院時の私の血液検査の数字はPR3-ANCA333アルブミン2.4(低栄養状態)eGFR17.2クレアチニン2.51ヘモグロビン6.9(通常、7台になると輸血)私、食事には本当に気をつけていたのに私が低栄養状態??腎臓の機能は、もう17%しか残ってないの??ほんの数週間前はeGFR=腎臓の機能はまだ50
自分にこれまでと違う何かが起きそうだと気づいたのは、正確には去年の7月。とはいえ、2021年にも膠原病科に検査入院しているので警戒はしていたのだがもしかしたら、何もひどい事は起きずに、このまま終えることが出来るかなとも思っていた。2021年のeGFRが90越えだったのが、2022年の7月以降、78→58と少しずつ下がってきていた。2023年の1月に蛋白尿が出るようになった。その頃、朝目覚めると背中に何か張り付いたような重さと背中に猛烈な痒みを感じで毎朝、背中を掻きむしるように
夜の8時過ぎに、仕事を終えてタクシーで自宅まで帰り夕飯も食べずに入院で必要になりそうなものをスーツケースに突っ込んだ。その日の朝から全く尿が出なくそして、10メートル歩くのもやっとになり、洗濯物を干すとか、食材をスーパーで購入して自宅に持ち帰るみたいなものがほとんどできなくなっていた。身体は、むくみで膨らみ、脚は記憶にある太さの2倍以上の太さになっていた。手を脚につけると、手形が脚についた。その日は仕事をしていたのでいったいどれだけの最後の気力を振り絞って動いていたの