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「そよ風のメヌエット」ポール・モーリアPetiteMelodie/PaulMauriat(耳コピ)★Electonecover(YAMAHASTAGEAELS-02C)(youtube.com)
自分の手元にある音源と同じオーケストラのを選んでみた。このジャンルは、しばらくご無沙汰してたかもね。結構持ってはいるんだけど、PC内のデータが見つけ難い状態になってる。マントヴァーニ・オーケストラ「Greensleeves」PaulMauriat「Amapola」PercyFaith&HisOrchestra「Themefrom"ASummerPlace"(夏の日の恋)」耳からだけではなく、+口からの癒し(=甘いもの)がいいんだけどね。今は品切れ中…。溶
今の自分のフィーリングに合う曲。Gazebo「ILikeChopin」(ARD-Wunschkonzert20.08.1987)この映像だと、せっかくピアノが目の前にあるのだから、もう少し弾いてもいいのにって思ってしまうのだけど…。Gazebo「ILikeChopin(SingleEdit)」PaulMauriat「IlikeChopin」はっきり言えるのは、私にとっていちばんなじみ深いのは、Gazeboのオリジナルではなく、ポールモーリアの演奏であるこ
ポールモーリアは、私にとっては子守歌のようなものです。物心ついたときには既にあり、レコードに針を落とし聴くことが自然で。下部、【閲覧注意】です。PaulMauriat「ゴッドファーザーの愛のテーマ」PaulMauriat-TheGodfatherゴッドファーザーの愛のテーマ※1972年のアルバム「ゴッドファーザー」より※1972Album「Godfather」※1972年アメリカMGM盤※Thesoundsourceisananalo
PaulMauriat—LoveisBluehttps://www.youtube.com/watch?v=qEUJBQ1uI4M『恋はみずいろ』L'amourestbleuピエール・クール(PierreCour)作詞、アンドレ・ポップ(AndrePopp)作曲。1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストでルクセンブルク代表として出場したヴィッキーが歌唱し、第4位を獲得した。ビートの効いたアップテンポの曲で、ヴィッキーがドイツ語を思わせる強烈な発音のフランス語で歌っ
ポールモーリアって言ったら、やっぱ「恋は水色」ですよね。これピンクでも赤でもないところがいいですよね。爽やかそうで(笑)PaulMauriat「LoveIsBlue」PaulMauriat「TheSoundofSilence」サイモン&ガーファンクルもかなり好きですけど、これはこれで大好きです。PaulMauriat「LoveStory」
こちらは確定!【東京は夜の七時(PizzicatoFive)】【大都会交響楽(PizzicatoFive)】こちらも確定~!!!【ElBimbo-オリーヴの首飾り(PaulMauriat)】【LoveIsBlue(PaulMauriat)】【Menuet(enrose)-薔薇色のメヌエット-(PaulMauriat)】こちらはダウンロード!!!【チキチキバンバン(QUEENDOM)
ToccataPaulMauriat昨夜買った和菓子清閑院のりんどうの花と芋かんろりんどうの花は、きんとん餡の中に白桃ジャム芋かんろは、もんぶらん風和菓子こちらをお土産にして、友人に会いに出掛けたのは神代植物公園ダリア、間に合いました「氷の女王」陽射しで白く飛んでますが女王らしく大きくて素敵こちらも大きい色もいい
LachansonpourAnna-PaulMauriat天使のセレナーデ-ポール・モーリア(フランスの作曲家、編曲家、指揮者)PetiteMélodie-PaulMauriatそよ風のメヌエット-ポール・モーリア(フランスの作曲家、編曲家、指揮者)ポール・ジュリヤン・アンドレ・モーリア(1925年3月4日-2006年11月3日)さんは、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本ではNHKラジオ第1放送などで頻繁にオンエアされ、
坂本さんを起点に、BGMを辿ってrichardclayderman
子供の頃、ラグビー少しやったけど痛くてサッカーに変えたお花屋さんのブログ始めます。しかし、学年で2番目くらいに背が伸びちゃってキーパーやらされ面白くないから中学でバスケに変えました。そんな感じで、子供の頃は学校の校庭でいつまでも飛び回ってましたが、子供心にこの曲が切なくて(笑)。放送委員会の女子が「下校時刻になりました。まだ教室や校庭で遊んでいる人は、速やかに帰りの用意をしましょう」的な事を流すんですが、その時はボリューム下げてるけど、コメント終わるとボリューム上げ、これが鳴り響くんですよ
PaulMauriat映画「ゴッドファ-ザ-」
3月25日金曜日〜その7(写真)『さよならTHANKSANDGOODBYE!PAULMAURIATJAPANTOUR1998』〜緊急対談「MerciPaul,AdieuPaui!−ありがとうポール・モーリア、さようならポール・モーリア−」北川隆一・山田篤「MERCIPAUL,LETTERAPAUL〜ありがとうポール、ポールへの手紙〜全国の熱心なポール・モーリア・ファン20名の皆さんから"さよなら公演"にあたり、ポールヘの手紙が寄せられています」岩手県照井伸尚/仙
3月25日金曜日〜その6(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATROMANTICTOUR1997』〜「生きて愛して」畑正憲「ポール・モーリア2001年に向って新たなる挑戦開始!」出席者:北川隆一/大島有人/渡辺輝/司会・構成山田篤「栄光の30年そして、さらに前進するポール・モーリア」上妻勝一(KYODO)を読む。(写真)前年に引き続いて、所属する吉本興業小野さんと、11月21日の18時15分にリーガグランドホテルのロビーで待ちあわせて、隣席するフェスティバルホー
3月25日金曜日〜その4(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR199620thAnniversary』〜「ポール・モーリアと私」森村誠一「モーリア70歳、ブルーどころかツアーに、レコーディングに」ビルボードフランス特派員エマニュエル・ルグラン「来日20回目を迎えたポール・モーリアの新たな意欲」大島有人(KYODO)も読む。(写真)前回に引き続き、此の公演も12月2日に拝見しています。少年時代はプレイガイドでチケットを買い求めていましたが、此の
3月25日金曜日〜その3(写真)河井夫妻に頂いたコンサートパンフレット『結成30周年記念PAULMAURIATJAPANTOUR1996』〜「来日の跡絶えた5年間…でも、ファンに"EMOTION感動"を与えてくれた。」北川隆一「私とポール・モーリア2」笹淵正一郎「ポール・モーリア・サウンドの魅力」小渕隆志「若かったあの頃〜ポール・モーリアに明け暮れた日々一枚のレコードとの出会いから、モーリア本人、そして多くの友人の輪ヘ」山田篤「P・モーリア45Sシリーズの思い出見上透(KYO
3月24日木曜日〜その610時半より13時45分まで三度寝。Luna味わいとコクのむヨーグルトを飲む。(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1990』座談会:「1990年代のイージーリスニングは?〜我らがポール・モーリアへの期待〜」出席者:北川隆一/小渕隆志/山田篤/見上透「私とポール・モーリア。」笹淵正一郎(KYODO)を読みました。(写真)河井夫妻に頂いた、此の一冊の中に15枚組『ポール・モーリアCD大全集』のチラシが入っていたのです。私の
3月24日木曜日〜その43時前、眠る。4時には目が開いてしまう。(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1988』〜「Remember1968.Already20yearsAgo…"LoveIsBlue"IsStillAndForeverYoungOnCompact-Disc.」ポール・モーリア・ファン・クラブ北川隆一「これからも日本公演をつづけてほしい。それは、これだけ愛されているポールさんの義務でもあるのではないでし
3月24日木曜日〜その3コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1986』〜「選曲のセンスの良さ、時代の流れをキャッチした音作りなど、どれをとっても彼の前に出る人はいません。」水野佐智子(KYODO)を読みました。此の年のコンサートには、1979年以来、フラリと出掛けて、当日券を買って入ったように思うのですが、日記帳を調べても其の記録が出て来ませんでした。11/23・24の厚生年金会館の23日はOFF。24日は岡山県津山市の国際ホテルのスケジュールが入っているの
3月23日水曜日〜その11コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1985』〜「PAULMAURIATINTERVIEWOctober1985」「ツアーで触れた素顔のポール・モーリア」山崎肇「ポール・モーリア15周年記念公演によせてパリの香りとともに15年…」ポール・モーリア・ファンの会田中至(KYODO)を読む。(写真)H8年2月9日、大阪新聞連載コラム「菊水丸がゆく!」の取材で、フェスティバルホールでのコンサートの楽屋にポール・モーリアさんを
3月23日水曜日〜その10(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1984』〜「エッセイ」森村誠一「来生たかおとの共同作業は私にとって大きな喜びでした。」ポール・モーリア「自分のアルバム作りと変わらぬ情熱で協力してくれた。」来生たかお(KYODO)を読む。14時より16時まで三度寝。ヤクルトミルミルを飲む。
3月23日水曜日〜その4(写真)河井夫妻に頂いた、コンサートパンフレット『PAULMAURIATJAPANTOUR1983』〜「ポール・モーリア雑感」白石浩一「親愛なるポール・モーリア像」三宅捷彦「ポール・モーリアと素晴らしき歌手人脈」永田文夫(KYODO)を読みました。
3月22日火曜日〜その14(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATLoveSounds'82』〜「ポール・モーリア・サウンド分析表現力豊かなヴァイオリンが支える華麗なラヴ・サウンド」森岡賢一郎(KYODO)を読みました。
3月22日火曜日〜その13(写真)コンサートパンフレット『PAULMAURIATLoveSounds'81』〜「イージー・リスニングの頂上に君臨するポール・モーリア」服部克久「カテゴライズされないイージー・リスニング」加古明光(KYODO)を読む。此れは、R元年11月23日、河内音頭記念館で河井哲治・琴美夫妻よりご寄贈を頂きました。詳細は同日のブログに記しています。
PaulMauriatGrandOrchestra[雪が降る]-TombeLaNeigeポール・モーリアさんは、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本ではNHKラジオ第一放送などで頻繁にオンエアされ、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセルらと並ぶイージーリスニング界の著名音楽家となった。親日家。ウィキペディアより
1968年全米1位(イージーリスニングチャートでも1位、ミリオンセラー)、全英12位。日本(オリコン)では18位。いうまでもなく、PaulMauriatの代表曲であり、イージーリスニングの定番中の定番のナンバーですが、前回の"IWillFollowHim"("Chariot")とは異なり、PaulMauriat自身の作品ではありません。もともとは、1967年のユーロヴィジョン・ソングコンテストに出場したVickyLeandrosが歌って4位に入賞したもので、そのときは
1963年4月全米1位(R&Bチャートでも1位。私がこの世に生を受けたときに全米No.1だった曲なのだ)。さらに、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでも1位。この曲がBillboardHot100のトップに立ったときPeggyMarchは15歳1ヶ月で、最も若くして全米No.1を獲得したアーティストになりました(この記録は同年8月"Fingertips-Pt2"で全米No.1を獲得したStevieWonder(13歳8ヶ月)によって破られたが、
今日の一曲はこちらPaulMauriat"LoveIsBlue"onTheEdSullivanShow1967年にVickyLeandrosが発表、原題はフランス語でL'amourestbleu。直後に発売されたポール・モーリアオーケストラ版インストゥルメンタルも日本を含め様々な国でヒットしました。日本でも、あべ静江さん、森山良子さん、天地真理さん、由紀さおりさん石川ひとみさん、チェリッシュなどなど数多くのカバーが発表されています。恋はみず