ブログ記事14件
1976年、前年の最下位からの巻き返しを図り、トレードで張本選手、加藤投手が巨人に加わりました。そしてリーグ優勝。1976年は、後楽園球場が人工芝に、ユニフォームの背中には名前が付きました。王選手はOH砲を示すかのようにOHが。
小川直也さん小川直也(おがわなおや)本名:小川直也リングネーム:小川直也キャプテン・オージュードー・オーハルク・オーガンニックネーム:暴走王キャプテン・ハッスル1968年3月31日生まれ、57歳。東京都杉並区出身の元プロレスラー、元総合格闘家、柔道家。元柔道選手(五段)、バルセロナオリンピック銀メダリスト。全日本柔道選手権優勝7回(5連覇、2連覇)は山下泰裕に次ぐ歴代2位。明治大学経営学部経営学科卒業。筑波大学大学院人間
おはようございます。薄皮シリーズ5→4個に減量、つのりです。実に分かりやすいと言うか(苦笑)。県外にいるムスメ宛にブリヂストンからお手紙が。何でもチャリンコがリコール対象🚲新しくなるのはよかよか?私の車も10万キロ手前でエンジンOHされて絶好調の巻。だがしかしOH砲は一切関係ございません!結びまーす🍙今日の“四字熟語”はリコールにする。サクッと新品に替えていただきますよぉおおおお!!■今朝の体重:53.1kg■12月の目標進捗状況①水曜と日曜は酒を断つ□
おばんですぅ~最近肌がカサカサなさっとですども11連休も折り返し地点今日で6日休んで特に何ってしてる訳でもないけどめっちゃ早く感じる~仕事してる時は1時間めっちゃ長く感じるのに・・・そんな6日目、肌寒い1日でしたがいつも通りにランニング肌寒かったので上はジャージで下は昨日しまむらで購入したトレーニングウエアーのハーパンにアンダータイツを履いて1時間半走りましたよ今日も良い感じに汗かいたぁ~気温が低い時の方がエネルギ
OH砲が本格始動したのは2001年冬。当時は穏やかではなかったにしろプロレス界にはまだ余力が残っていた。あれから3年の月日が経つ。すっかり様相が変わってしまったプロレス界の中において、OH砲もまた自らの方向性を見失い、業界内の影響力も往時に比べればだいぶ小さくなってしまったように感じる。もはや既存のプロレス界をどうのこうしようとかの改革どころではなく、まず目の前の箱を埋めなければ、興行を形にして次に繋げることがOH(特に橋本)の急務であった。これは筆者だけかもしれないが、実のところOH砲に対
PRIDEグランプリ2004開幕戦。初戦の相手はステファン・ブリッツ・レコに決まった。何の因果かレコは大晦日のイノキボンバイエにて小川の弟分であった村上和成を1ラウンドKOで葬っており、またVT戦の実力は未知数ながらも関係者の間ではミルコ級のポテンシャルを秘めているのでは?と噂され、下馬評では小川不利の声も聞く。かたやプロレス側では久しぶりにPRIDEへ出撃する小川を俄然応援すべく全面バックアップの体勢をとって…とはならなかった。どういう訳か(紙のプロレスは別として)ゴング、週プロはPRIDE
かつての両国国技館。海外武者修行を終えてこのリングに降り立った若者は力強くこう宣言した。「約2年間の修行を終えて帰ってきました。と同時に自分の生き方も決めてきました。自分は人生を長く生きようと思ってません。とにかく最強の男になろうと思っています。よろしくお願いします。」…あれから十数年の月日が流れた。若者は破壊王の称号を得て数々の栄光を手に入れ、さらに紆余曲折の末に自分の城を持った。そして2003年7月6日、破壊王橋本真也は再び両国の地へ、右脚の負傷をおして自分の城ゼロワンを守るためにリング
「新日本にいた頃は守るべきものばっかり背負ってたから、はっきり言って最後の方は面白くない橋本真也だった。そんな俺が繋がれてた足かせを外したのが小川直也なんだ。」「あのまま新日本の中で腐っていたら、小川と行動することもなかった。不思議といえば不思議な縁だけど、あいつも自分の人生の転機を賭けてプロレスに来たんだから、お互い同時期に運命が動き始めたんだ。」「この橋本真也に恥をかかせることのできた小川直也というオンナをモノにしなかったら、嘘やろ!」診断結果は右膝十字靭帯損傷及び半月板外側断裂、右脛
試合は中盤に差し掛かかる。橋本の強烈なミドル、振りかぶった袈裟斬りチョップが武藤、小島を襲う。スピードの乗ったラリアットにも真正面から袈裟斬りで迎撃してみせる。これでもかと橋本のラッシュが続くが、それらを苦悶の表情ながら受け切ってみせる小島。一切スカすことなく、目をそらすことなく正々堂々とした受けっぷりをみせてくれた。思えば新日本時代は攻め一辺倒のスタイルでラリアットプロレスと揶揄され続けたイメージだったが、全日本への移籍が小島を変えた…川田、渕、天龍との邂逅が確実に血肉となっている。反撃のラ
その一撃が勝敗を決めた。伝説の名をいただいたUFOドーム大会。全戦ガチンコ、格闘技世界一決定戦、プロレス復興といった壮大なフレーズな並ぶなかイマイチ実態の見えないまま過ぎ去っていった8.8のこの日、筆者は旅先の温泉旅館のテレビでたまたま生中継を目にすることができた。そう、この日は日本テレビでゴールデン生中継。メインに立つ小川は勝敗のほかに視聴率、観客動員数、そして試合内容といった様々なハードルを課せられていた。ましてや相手は正体不明の極致、未知の強豪マット・ガファリである。ドームに鳴り響く
「オレごと狩れ」聞けばなかなか頭から離れないインパクト抜群の技名だ。周囲の反響に気を良くしたOH砲は、タッグの完成度を上げることより先にこの技名にちなみとんちを効かせた商品「オレごとカレー🍛」のパッケージを完成させる。お味はチキン&ポーク味と、どっちだよ!とツッコミたくなるところだが、実はこの呼び方の発祥は先の5.2闘魂記念日で対戦した天山であることは意外と知られていない。内容量は500gと、このボリュームといいインパクト大の商品も1年前に発売された破壊王弁当に続くかと思われたが、話題の
2002年といえば、5.2東京ドームの新日本プロレス30周年記念大会-闘魂記念日-にもふれていきたい。このドーム大会について印象深いことをいくつかピックアップしてみる。すこし遡って2000年4月、悪夢の橋本真也34歳負けたら即引退スペシャル以降、たびたびゴールデンタイム中継されてきたドーム大会だが、新日はこのチャンスを活かすことができずにプロレス人気を復興させるどころか、お粗末な顛末も多く…ついにこの闘魂記念日をもってしてゴールデンタイム撤退というまことに残念な結果を迎えることになった。さら
チキンスープはおいしいけれど、格闘チキンは箸のもと…?これは師である自身の命に背き、橋本の元へと離れてしまった小川へ向けた猪木の悪意溢れるポエムである。猪木軍の大将格である藤田が、K-1軍先鋒のミルコにまさかの敗戦を喫したことで、いよいよ始まる本格開戦(大晦日の猪木祭り)を控えてK-1軍が用意するバンナ、ピーター・アーツに対抗し得る存在は小川!という機運が高まる中、12月21日、小川は猪木祭り不参加を正式表明した。これまで猪木の秘蔵っ子、UFOのエース、挙句の果てに猪木の操り人形とまで比
猪木に別れを告げた橋本は新しい景色を目にする。様々な喧騒のなかで9月1日、最も熱い男を決める戦い改め「火祭り」リーグ戦が開幕。大日本プロレスより参戦を直訴した関本大介、フリー参戦の田中将斗、UPWよりサモア・ジョー、そして6月の真撃第1章でゼロワン入団の佐藤耕平ら熱い男達が一念発起。リーグ戦提唱者である大谷の期待通り、戦いは燃えに燃えた。ピンチは同時にチャンスでもある…生かすも殺すもレスラーの熱があれば逆境をはねのけることができることを体現してみせたゼロワン。同月15日、下馬評を覆し決勝へ勝