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私がこのブログを書く事で、同じ様に悩んだり苦しんだりしているお母さんが少しでも救われるならとの思いでブログを始めました。私は今回の…まさに来週に迫っている手術の日を目前に自分の体験や気持ちを書き記します。様々なご意見があると思いますが、あくまでも「私の場合は」の内容です。「私の場合は」の思いや考え方です。最終的には、ご自分で判断するに事には違いありませんが同じ状況の誰かの経験を聞く中で、ママ自身の腑に落ちる判断に辿り着ける事をお祈りします。
一昨日は赤ちゃんの4回目の命日でした。あれから4ヶ月。早いものです。不妊治療を再開することを決め、採卵に向けて、不妊治療クリニックに通院の日でした。結果…FSHの値が高く、卵胞も見えていないとのこと…プレマリンを一週間服用し、卵胞が育つかどうか見ることになりました。FSHの値が高いということは、閉経に近付いているということなのか…一時的なものなのか…そう簡単にはうまく進まないのが不妊治療…マイナスなことばかり考えてしまいました。もう、治療をすることも叶わないのかな…採卵が
中期中絶手術とその後皆さん、こんにちは。そして色々とお疲れ様です私もお疲れ様!今人生どん底ですが、何とか頑張ってます自身の記録用にも、記憶が新しい内にブログを書いていこうと思いますが、今後どういった流れが書いていくか整理したいと思います。・羊水検査の様子・羊水検査の結果・中期中絶手術を受けるまでの流れ・入院1日目~4日目の様子・退院した後の流れ大まかにこんな感じでしょうか。ちゃんと整理しないとなんかグダグダしてしまいそうだった
今日は3回目の月命日。やはり、今日は色々と考えたり思い出したり…自然と涙が溢れてきました。今でも、赤ちゃんの姿をしっかりと覚えています。写真は撮りましたが、いまだに見返すことができません。それでも、赤ちゃんと対面した時の姿は忘れることは出来ないし、一生忘れることはないし、忘れたくないです。本当に小さな小さな赤ちゃん。少し前に夫が、「小さくて壊れてしまいそうだったから、直接抱っこできなかった。」と言っていました。私も全く同じ気持ちでした。壊れることはなかったかもしれない。だけど
昨日は赤ちゃんの四十九日でした。現在、実家に帰っているので、実家からお線香をあげました。昨日の夜はなかなか寝付けず、赤ちゃんのことを考えたり、手術の日のことを思い出して、涙が止まりませんでした。赤ちゃんに、しんどい思いをさせてごめんね。健康に産んであげられなくてごめんね。勝手な父と母でごめんね。育ててあげられなくてごめんね。等、謝罪の気持ち、お腹に来てくれてありがとう。幸せな気持ちにさせてくれてありがとう。と、感謝の気持ちがたくさんたくさん、溢れてきました。涙は出るのです
先日、初めての月命日でした。ということは、手術から1ヶ月。赤ちゃんを産んでから1ヶ月。数日前から、夜寝られなくなって、入院中のことを思い出したりしていました。やはり、赤ちゃんと対面したことを思い出すことが多く、可愛かったなぁ、また会いたいなぁ、と涙を流しては次の日目がパンパンに腫れているという日々。月命日が近いから仕方ない。泣きたいのは我慢したくないし、赤ちゃんを想うことは悪いことではないし、こんな時間も必要かなと思っています。月命日当日、夫が「花を買いに行くよ。」というので、近所
まだ、中期中絶のことまで書けていませんが…今日は中期中絶からの退院後、2週間ぶりの診察でした。昨日の夜、なかなか寝られなくて、夫に「明日病院に行くから、寝られないの?」と、私の気持ちを言い当てられてびっくりしました。今まで病院に行く時は、夫と母に一緒に来てもらっていたのですが、一人で病院に向かうということも、少し不安があったと思います。色々思い出してしまうのではないかという懸念もありました。今日は、乳幼児検診のない水曜日。次の予約を決める時に、先生が配慮してくださいました。こういう
◾️不妊治療期間(1年3ヶ月)2024年1月〜2025年4月◾️採卵数(7回)2024年2月→空砲2024年3月→1個→培養中止2024年4月→3個→培養中止×2、初期胚×12024年5月→1個→培養中止2024年6月→空砲2024年7月→1個→胚盤胞2024年12月→1個→胚盤胞◾️移植(3回)2024年4月→初期胚→陰性2024年9月→胚盤胞→陰性2025年2月→胚盤胞→陽性🧚採卵していない期間も通院はしていましたが、数値が悪かったり、早々に採卵中止を告げられ、な
2024年の1月半ば、初めて不妊治療クリニックを夫と共に受診しました。年末に不妊治療を決めてから、一日でも早くと思って予約を取ったにも関わらず、少し時間が経ってしまったのは、夫の祖母の死があったからです。祖母は、初めて会った頃から少し痴呆の症状がありましたが、結婚式にも参列してくれ、その時に「子供は考えているのか?」と声を掛けられ、「はい。」と答えたのですが、祖母が存命の間に子供が出来ず、申し訳なかったなと思います。夫は祖母にとっては初孫で、その子供の誕生を心待ちにしていたはずです。祖母
いざ不妊治療を始めようと思った時に、まず思い浮かんだのは、40代で第二子を出産した友人でした。すぐにLINEをしたところ、「とにかく一日でも早く病院に行って!」とのことでした。そして、お勧めしてくれた病院は2つあり、どちらも新宿で、私の家からは通いやすい場所にありました。さすが、情報通!!相談して良かったです。早速教えてもらったクリニックのホームページをくまなくチェック。どちらも評価も高く実績もあり、迷わなかったわけではなかったのですが、最終的に決定したクリニックは、◾️「最
2023年の年末、急に夫から、「子供を持つことを考えない?」と言われました。私は「え?」と一瞬戸惑い、「私が何歳かわかってる?」と返しました。(この時既に44歳。来月には45歳になるという時でした。)「勿論わかっている。祖父の死からずっと色々と考えていた」と言われました。私はあまりに突然のことで、正直かなり動揺しました。子供を作ることを既に封印していた私には、即答は出来ませんでした。と同時に、やはり「嬉しい」という気持ちが込み上げ、涙が出て来ました。夫と子供を作ることはな
3年前の冬、夫の祖父が亡くなりました。夫にとっては身近な人の死は初めてだったようで、様々な思いが駆け巡ったようです。後から聞いた話では、義母が夫に「子供を考えているなら早い方が良いよ。」と言っていたようで、そのことを夫が私に話して来たのですが、そもそも子供を作る気はもうないのだろうと思っていた私は「そうなんやぁ。」と気のない返事をしたように思います。夫はこの頃から少しずつ、生や死について考え始め、子供を作ることに対しても興味を持ち始めていたようです。今となってはこの頃に不妊治療を始めてい
私が結婚したのは38歳。すぐにでも子供が欲しいと思っていました。結婚前、二人で子供が生まれてからのこと等も時々話をしていました。いざ結婚して夫に子供の話をすると「まだ早い」「子供を持つということは責任が伴う」等、何かしらの理由をつけられてしまい、全く子作りをすることはありませんでした。子供を作るつくらないは、離婚原因にもなると思います。当時は結婚相手を間違ったかと思い悩むこともありました。けれど、夫には子供時代に散々苦労した経験があり、自分が親になるイメージが出来にくいのも知っ
現在46歳。本来なら超高齢妊婦としての日々の思いをブログに書いていこうと思っていました。それが一転、妊娠11週で受けた出生前診断(NIPT)で21トリソミー陽性。その後の羊水検査でも陽性。夫婦での苦渋の決断の末、妊娠17週6日で中期中絶をおこないました。自分達で決断したこととはいえ、今もまだ悲しみの中にいます。忘れたくない想いやこれからの事等を綴っていこうと思います。
こんにちは実は色々あって、なかなか更新できずでした。題名にもある通り、NIPT18トリソミー陽性でした。結果だけ先にお伝えします。18トリソミー陽性後、その次の妊婦検診(13w)で胎児浮腫の疑いを宣告され、羊水検査を促されました。ただ羊水検査まで時間があきすぎるため、セカンドオピニオンで別の病院へ行き、18トリソミーがほぼ確定したため、中期中絶することを決めました。その時の内容を残していきたいと思います。今回はNIPT陽性の連絡を受けた時のことについて書きます。暗いので、嫌
はじめまして。第二子妊娠中の34歳主婦です^^関東の田舎で夫と息子(7歳)と2匹の猫と暮らしています。私達家族は旅行が大好きで、夫と息子の休みに合わせて近場に温泉に行ったり、年に一回は海外旅行を楽しむアクティブ家族です。息子を出産後はこの子に全ての愛情を注ぎたい!という私の強い希望で一人っ子として大切に育ててきました。息子1人に時間をかけて向き合える時間を作ってくれた事、夫にはとても感謝しています。このまま一人っ子として大きくなるのかな?と思っていた矢先、7年ぶりに妊娠発覚、、、!
2023年1月に凍結胚移植をした時からのお話し。NIPT検査、中期中絶のことなど、今第二子妊娠するまでの記録です。この疾患になるのは宝くじレベルの確率だ。第一子も苦労して授かり決して簡単に妊娠したわけでは無い。引きが強すぎて自分が怖い。私は一体どんな前世を生きていたんだろうと考えてしまう。そして1年後。私はもう一度採卵からスタートした。
2023年1月に凍結胚移植をした時からのお話し。NIPT検査、中期中絶のことなど、今第二子妊娠するまでの記録です。夫から、年齢も38歳になるからとNIPT検査を受けようと提案された。私はそれで夫が安心するならということで、11週あたりに受けに行った。結果は2週間後。私は受けたことすら忘れていたくらい悪阻と戦いながら過ごしていた。2週間後。夫から『陽性判定が出た』と報告。遺伝子的に何か異常がでると陽性になる。心臓がドキッと止まり、一瞬耳が遠くなった。まさか自分が…と。一つ
2023年1月に凍結胚移植をした時からのお話し。NIPT検査、中期中絶のことなど、今第二子妊娠するまでの記録です。第一子は新宿にある加藤レディスクリニックで授かった。それまでは家の近くのクリニックで体外受精。妊娠はするも全て流産。①11週あたりで稽留流産(継続率95パーセント以上と言われていて先生からも太鼓判押されていた矢先に心拍停止)②化学流産③8週で自然流産(ギリギリ心拍見えるも厳しかった)※私は低AMHで、ここでの1度目の採卵は3つ取れて全て空砲という悲劇。(初めての採
2024.4.13にNIPT検査で21トリソミー陽性の結果が出てからは世界が一変したようだった。1月の妊娠発覚後、つわりはよだれづわりがメインで食事も普段通りとれていた。むしろ食べづわりに近かったのかもしれない。ただし、毎朝飲んでいたカフェラテだけは身体が受け付けなくなっていた。不思議と飲みたくならないし、職場の上司が飲むコーヒーの香りがすると気持ち悪くなった。身体は疲れやすく毎日がだるかった。軽い腹痛や茶オリも度々あった。仕事は毎日出勤は出来ていたが、週末になると気が緩むのか、寝て
2024.4.20(土)16w2dこの日は産院で妊婦健診の日でした。産院にはNIPTを受けることは事前に話してあったので、結果が出たら教えてくださいと前から言われていました。診察室に入りNIPTの検査結果を医師に見せ、一昨日、羊水検査を既に受けたことを説明しました。医師からはNIPTは確定診断ではないが、今の時点でどのようされるか考えていますか?と聞かれました。『まだ迷っていますが…。』と答えました。そして私からも質問をしました。・妊娠を継続希望の場合、このままこの産院で見
2024.4.18(木)16w0dこの日は11時から羊水検査でした。NIPTの陽性後、この日がくるまでとても長かったです。ひたすら検索検索の日々…。でも私が期待する『偽陽性だった』という検索結果はほぼ出てこない…。これからどうしよう…。もぅ早く検査して結果がハッキリしてほしい!と、毎日毎日思っていました。また夜中は今までとは別の意味で眠れなくなりました。今までは妊娠による頻尿でトイレに何回か起きていましたが、NIPT陽性後は悪夢や今後の不安感から何度も目が覚めるよ
ここからの投稿はNIPT陽性から中期中絶(人工死産)の体験談になります。悲しい内容、読んでいて不快になる方もいらっしゃると思います。閲覧は自己責任でお願いします。2024.4.13(土)15w2d昨日のクリニックからのLINE以降、ひたすら検索魔になり、スマホで『NIPT,偽陽性』など検索しまくりました。ただ私が求めるような結果はあまり得られませんでした。昼食を食べ、長男を義母に預け、夫と一緒にクリニックに向かいます。行きの電車は、悪い結果がわかっているのに聞きに行
20週までだった私のマタニティライフ。もっと楽しめたらよかったな、という後悔があります。10週のクリニック卒業まではとにかく毎週ドキドキしていて。11週〜14週が1番楽しく過ごしていたと思います。転院した産科の先生がいい人でエコー中赤ちゃんのことをいつも褒めてくれて、エコー写真をもらって。13週位からエンジェルサウンズを買って、夫婦で毎日のように心音を聴くのも楽しかったです。周りにはまだオープンにしていなかったので使う場所は限られていたけど、お出かけする時にマタニティマークを付けられ
※中期中絶のことを書いています。ご不快になられる可能性もあるので、お読み頂く場合はご理解の上お進みください。昨日寝付きが悪かったせいか、起きるのが少し遅くなった。今日も本当にいいお天気。赤ちゃんは晴れ男!昨日みた桜並木の違う場所に立ち寄った。人気がなかったので、日差しの下桜の近くで写真を撮ったりした。すやすや眠るような姿で桜がとっても似合っていた。こうやって3人で桜をたくさん楽しめたこと、絶対に忘れないよ。家族でお経をあげる。準備しながらお義父さんが泣いていることに気付き、もらい泣
細切れに目が覚める感覚はあったが途中からは眠れたように思う。5時台に一度スマホで時間を見た後は7時前まで寝ていた。朝食までの時間に退院に向けて荷物をまとめ始める。窓辺に置いたへその緒がひと晩で形を変えていて悲しい。午前は棺作りとお手紙を書いた。精いっぱい今の気持ちを書いた手紙で少しでも思いを伝えられたらいいな。棺は自分で糊付けするつもりだったが、部屋でやるとボンドが臭うかもしれないからと看護師さんが別室で付けてきてくれた。かわいい箱だねと皆が褒めてくれて嬉しい。立ち寄る看護師さん達が
※中期中絶のことを書いています。ご不快になられる可能性もありますのでお読み頂く場合はご理解の上お進みください。5時過ぎに目覚めてから6時半位まで二度寝。今日はいいお天気で病室からも桜が綺麗に見える。部屋は少し寒くて始めて持参したフリースの出番となった。朝ご飯を食べて四葉のクローバーを折る。9時過ぎに診察の呼び出しがあり、順番待ちでベンチに座って待つ。分娩室から赤ちゃんの泣き声が聞こえて思わず涙が出てきた。ごめんね。順調に開いてきているので1回目の子宮収縮薬を入れてもらった(9時25分
※中期中絶のことを書いています。ご理解の上お読みください。朝は少し早めに出発して、入院前最後3人のお出かけに桜を観に行った。病院の近くに県内でも有名なお花見スポットがあって、今日が満開予想。満開には少し早いようだけど、朝は閑散としていてゆっくり桜を満喫できた。きっと桜を見たら赤ちゃんのことを毎年思い出すんだろうな。10時に産婦人科外来で1回目の処置(ラミセル)、思ったより痛くなくてほっとする。その後入院手続きを済ませて病棟へ。付き添ってくれた夫とはここでお別れ。個室の空きがあったので
羊水検査の結果が出るまで3週間弱かかりました。思ったよりも日数がかかって、最初の診察予約が延期になったのは堪えました。結果は決まっていることだから待つしかないと頭ではわかっていても、毎日無事を願っては落ち込んでいました。少しずつ胎動らしきものを感じるようになって、お腹も存在感を増してきていました。もし、検査を受けていなかったら。念願の安定期を迎えて、丸みを帯びたお腹や胎動に幸せを感じて過ごしていたんだろうと思います。近場で温泉旅行にでも行こうなんて話していたのが遠い昔のように感じまし
羊水検査もそのまま同じ施設で行うことになりました。(陽性の場合追加料金なしで羊水検査を行ってくれる施設でした)検査までの1週間は、気の持ちようをどうしたらいいのかわからず確定診断で陽性となった場合どうするか?で頭がいっぱいだったのですが今の状態が赤ちゃんの負担になってしまうので穏やかに過ごさなくてはという気持ちもあってバランスをとるのが難しかったです。眠れない日が続き、絶望しては泣いての繰り返しでした。染色体異常の場合死産の確率も高いという記事などを見て赤ちゃんが大丈夫だと