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仕事によっては着物で、あるいは浴衣でというご要望をいただきます。先日も着物で歌舞伎の演目の解説をして、着物のまま浅草公会堂で観劇しました。着物を着る時は上の写真のように右の襟が内側、左側はその上から合わせます。これを逆にしてしまうと左前といって「死装束」、故人の着方になってしまいます。先日あるネット広告を見て驚きました。写っている人の着物が「左前」なのです。他の写真は正しく着られているのでこの1枚はおそらく自撮りをしてそのまま使ってしまったのだと思います。せっかく正月に合わせて
1995年1月17日の夕方、私はNHK神戸放送局に到着しました。朝呼び出され渋谷のNHKにいったん行ってから羽田空港へ、大阪方面の飛行機はまだ飛んでいなかったと思います。12時発の岡山便が目に入り、大阪便が飛ぶのを待つよりはということで岡山行きに乗り、予定時刻の通り岡山空港につきました。まだこの時点で一体何が起きているのか把握できていません。今のようにスマホで映像が投稿される時代ではありません。岡山空港で個人タクシーに乗って神戸に向かうことをお願いしました。おそらく運転手さんも何が起
1995年1月17日早朝、電話がかかってきました。その日、私は休みでした。上司が上ずった声で「水谷、こういうことだから」何がなんだか分からないままテレビの電源を入れました。発生直後は映像が入ってきませんでした。ただ画面に震度の情報が入っているだけ。それでも異常な事態が起きていることはすぐに分かりました。すぐに起きて、飛び出していきました。それがおそらく朝6時半から7時の間だったでしょうか。渋谷の放送センターに出勤し、すぐに羽田空港へ、昼過ぎ岡山空港に到着、午後6時ごろNHK神戸
「ガチンコ」という言葉をあちこちで聞きます。真剣勝負を意味して使われます。短縮して日常会話で「ガチで?」なんて使われ方をします。日常会話ならまだしも放送で「ガチンコ」だとか「ガチ」を使うのは避けて欲しいと思うのです。昭和50年代半ば、週刊誌が八百長摘発キャンペーンを始めました。元十両力士が八百長を仕組んだと告白したという記事でした。その時に使われた言葉のひとつが「ガチンコ」でした。八百長に対する真剣勝負を意味して使われた、いわゆる隠語でした。業界用語が表に出て使われることは多くあ
【日々好日】YouTuberの声…話し方新年早々に風邪を引いて部屋にこもった。YouTubeを見続けて…嫌になってきた(笑)🤭…嫌になった理由は声という「音」。声の高低とスピード。人との会話なら、聞きづらい時は「えっ?今何て言った?」とか、「もっとゆっくり言って!」と互いの「間」を調整できるのだが…相手はYouTube。朗読の心地好さ「心地が好い」声を求めて、久しぶりに朗読のYouTubeを聞いた。声や読み方に好みはあるが、多くの人たちに人気のある朗読者がいる。朗読者の声を聞くと
昭和64年の1月、大相撲初場所の中継のため私は出張で東京の実家にいました。1月6日金曜に打ち合わせが行われ、7日土曜は東京両国国技館で土俵祭りが行われる予定でした。その7日の朝、父が「陛下が亡くなったぞ」と私を起こしました。前年からご容体が心配されていましたがついにその日が来ました。すぐにスーツに着替えて放送センターのアナウンス室に行きました。といっても私ごときになんの仕事はありません。大相撲初場所は1日延期し9日月曜に初日を迎えることが発表されていました。先輩が居並ぶアナウン
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me三雲孝江さんのお嬢さんがNHKアナウンサー。親子で同じ職業。それも人気職種。お嬢さんの活躍を期待しています。byslim
大雪のニュースを見ていると画面が次から次へと変わります。自分の赴任地3ヵ所が必ず入っています。福島、青森、金沢です。初任地福島には4年、青森には3年、そして金沢に4年勤務しました。つまりそれだけ各地の冬、雪を経験してきました。同じ雪に見えて降る時期、降り方やそして雪質はまるで違いました。福島市は東北地方でしたが雪国という印象はありませんでした。福島県内で雪というとやはり会津地方でした。「東北=雪国」というイメージを持っていた私は短絡的だと反省したものです。家族で赴任した
正月番組で三代目金馬の「藪入り」がカラー映像でよみがえりました。1961年といいますから昭和36年の東京落語会での映像です。カラー映像になった途端、今までと比較にならないほど身近に感じるから不思議です。三代目金馬の没は昭和39年11月8日。私が生まれたのはこの年の4月ですからもちろん高座は知りません。しかし母方の祖父の家にはレコードがあって聞くことができました。「居酒屋」「孝行糖」「三人旅」「お化け長屋」など小学生の私でも分かりやすくて面白く何度も聞きました。戦前は「居酒屋」の
箱根駅伝で4校によるシード権争いは手に汗握る展開になりました。上の記事は違いますがこの展開を「四つ巴」としている記事がいくつかあります。おそらく大相撲の優勝決定戦からこの言葉を使ったのだと思います。大相撲の優勝決定戦で3力士による優勝決定戦は「巴戦」と言われます。3力士のうちくじでまず二人が取り組みます。勝った力士は残った一人と対戦します。連勝した力士が優勝になるので誰かが連勝するまで巴戦は続きます。この「三つ巴」という言い方は家紋からきているのでしょう。さて「四つ巴」で
お正月の放送現場で重宝されたのは私が自分で着物、雪駄、腹掛け、股引きなどを持っていて、なおかつ自分で着られることでした。着物などがなければ当然衣装さんに発注しなければなりませんし、着られなければ着付けを頼まなければなりません。その手間がなくてすむわけです。(下の画像は昨年、浅草で新春歌舞伎の案内役をした時のものです)日比谷にあった芸術座で森光子さんの放浪記の案内役をつとめたことがありました。「お正月なので水谷さん着物でどうですか」と話があり、もちろん引き受けました。確か応接室の一
かつて正月の3日といえば私は国立劇場からBS「お茶の間初芝居」の中継を担当していました。約15年間、楽屋中継のリポーターをつとめました。メインは大先輩の山川静夫アナウンサーでした。山川静夫アナウンサーといえば子どものころ見ていた紅白歌合戦では白組の司会、また伝統芸能の番組でも長らく司会をつとめていらっしゃいました。そのほか様々な番組でメインの司会をつとめるスターアナウンサーでした。同じNHKアナウンサーと名乗るもおこがましい大先輩でした。新人時代初めて東京のアナウンス室でお会いし
去年の紅白歌合戦。南こうせつさんの「神田川」に胸が熱くなり、気が付けば一緒に歌っていました。下の写真はかぐや姫の南こうせつさん、伊勢正三さん、山田つぐとさんのサインです。日付にある通り1999年の紅白歌合戦にかぐや姫が出演された時に台本のメモ欄にサインをお願いしてしまいました。12月29日に出演者の皆さんと打ち合わせをします。その時にこうせつさんが伊勢正三さん、山田パンダさんに「こちら水谷アナウンサー、かぐや姫の大ファンなんだよ」と紹介してくださいました。アナウンサーになってよ
あけましておめでとうございます本年最初も懐かしい写真からです。元日、池之端長谷川は休みでしたが皆様お年賀のご挨拶においでくださいました。両親と共に写っているのは漫才の内海好江さん、そして奇術の松旭斎すみえさん。寄席の高座や放送の合間のお忙しい中なので衣装そのままでおこしになりました。お見えになった途端に店の中がとにかく華やぎました。なんとも贅沢なひとときでした。正月はかなりお忙しいのでしょう。好江師匠が「ごめんなさい、お腹すいちゃって」「何か召し上がりますか」「この衣装だ
店の鏡餅の飾りつけは私の役割でした。三宝の上にウラジロやユズリハ、ホンダワラなどをどのような順番でのせていくかは祖父から教わりました。店には大きな棚がありそこにはすげる前の下駄や草履がずらりと並んでいました。その最上段に神棚があり、その横に鏡餅を供えました。かつて私の町会では年末になると頭(かしら)が出店を出しそこで正月飾りを売っていたものです。今でも上野浅草界隈で出ているところもあります。頭に頼んでおけば一通りのものを揃えておいてくれたものです。紅白歌合戦のラジオ実況をしてい
やはり気になってしまうのが「元旦」と「元日」の混同です。CMで「元旦から営業」と放送しているものがあります。元旦は元日の朝のことです。「旦」の字は地平線の「一」から太陽「日」が昇る様子からできた字です。確かに元日の午前中から営業しているなら間違いではないのかもしれませんが元旦と元日を同じ意味で使っていると気になってしまいます。元旦の朝とか元旦の夜などと聞くと訂正したくなってしまうのはアナウンサーだからでしょう。私の父は年賀状を元日の午前中に書いていました。年賀状に「○○年元旦
【日々好日】「独り言」と「会話」SNSには「つぶやき=独り言」と、「会話」とがある。発信者たちはその違いの認識があるのだろうか?「つぶやき」から始まったSNSは、個々人が独り言を、世界に向けて発信し始めた。それが双方向となって、メディアのようになってきた。独り舞台の独り言しかし、「つぶやき=独り言」のクセがとれないままに「会話」になってきて、独り舞台の会話が続いているように見える。「解説」風SNSも、自己満足の押し付けっぽい。YouTuberの課題発信者たちは次の段階を迎え
まだまだNHKアナムチムチニットが広まる時代ではないか・・と思いましたがオリンピック直前取材に現れた杉浦アナ取材先が寒い地域のせいか・・・コートの下は見事なムチムチニットを着こんでいまして(^ω^)・・・広さを実感するために(^ω^)・・・ムチムチニットダッシュ!!最後はマッサージ機に寝そべりYC(^ω^)・・・お次は(^ω^)・・・もちろんコートの下は(^ω^)・・・ムチムチクビレニット・・(^ω^)・・・YC(^ω^)YC(^ω^)・・・2018年そろそ
てっちぃは全都道府県行ったことある
今日は父の命日です。15年前の12月24日、丁度77歳の誕生日に亡くなりました。戸籍上は1月8日ですが本当の誕生日は12月24日だと言っていました。昭和ひとけたですから当時は普通にあったことなのでしょう。息を引き取って病院の霊安室に移ったところに父の妹、つまりおばがやって来ました。あれこれ話しているうちにふと「あんたのお父さんもね、本当ならNHKに行ってたのにね」と言い出しました。「どういうこと⁉」と思わず聞き返しました。「あら、聞いてないの⁉」今度はおばが驚いた様子でした。
北九州の事件って、緊急性はないのか。民放は、ディズニーやへらへら芸人笑っている。東京で事件おこらないと危機感ないねえ。NHKアナウンサーはさすが対応。いろいろと疑問ある。—伊和千晶(@iwa_7g3)December19,2024
とにかく乾燥しています。朝起きると普通に声が出るか心配になります。まだ年内にナレーションの仕事がありのどを万全にしておかなければなりません。ただ声が出るだけではなくて自分独特の感覚があります。「声が響いているか」「のどが開いているか」「ざらついた声になっていないか」どういうことか説明しにくいのですが自分なりの感覚なのです。おそらくアナウンサーやナレーターはそれぞれこうした自分のチェックポイントがあるはずです。私は紅白歌合戦のラジオ実況を担当した時、うがい薬を携行して外に出て家に
年末になると今年1年を振り返る番組が多くなります。最近のことばの使い方でよくみかけるのが「神」の多用です。印象に残るいいコメントを発すると「神コメント」お客様や取材に対してひときわ丁寧に対応すると「神対応」ドラマなどで非常に印象に残る放送があると「神回」サッカーで素晴らしいゴールは「神ゴール」まだまだあるでしょう。これはこれで流行なのでしょうが神輿を担いだり神事に参加したりすることの多い身からするとずいぶん神様も安く扱われているものだという気がして仕方がありません。
先日、ニュースの読みに関して、視聴者の指摘に対するアナウンサーの返答が話題になりました。それは広島でのニュースで「市町」を「しまち」と読んだことに対し、視聴者から「市町をしまちと読んでいるようでは困りますな」という投稿がありました。これに対しアナウンサーが『しちょう』と読むと『市長』と混同するので「しまち」と読んでいると投稿し「なるほど、そういうことか」と反響が多く集まったということです。広島には「村」がないので「市町村」にはならないという事情もあります。私の最後の赴任地石川県も同様
空気がカラカラです。ノドがいがらっぽくて困ります。朝起きるとまずいつもの感じで声が出るかつい確認してしまいます。冬と言うとすぐ「乾燥」と発想してしまいますが最後の赴任地金沢では全く逆でした。週間天気を見てもらうと分かりますが10日間ずっと雨マークか雪マーク。つまりずっと湿気と付き合うのです。部屋の窓はずっと結露でした。ノドにはいい環境だったと思います。もうひとつ季節感が正反対のものがありました。それは「雷」です。関東の人に「雷の季節は?」と聞けば「夏」とこたえます。
私がNHKに入った頃、毎週土曜日の午後3時から6時まで「FMリクエストアワー」という生放送のローカル番組がありました。リスナーのリクエストにこたえてレコードをかけていく番組で若手アナウンサーが担当します。まだレコードの時代です。私も福島放送局に赴任して来年度は担当することになるので先輩の放送を見学にいったものです。そんなある日、中山美穂さんが電話インタビューに出てくれるという話がきました。まさかトップアイドルが電話とはいえローカル番組に出てくれる!とスタッフが興奮しました。当日、
以前もこの色のニット&ピタパンで中継していた気がしますが(^ω^)ムチムチ人妻の保里アナ・・・相変わらずのクビレライン(^ω^)お尻が大きいイメージですが、YCもなかなかですね・・(^ω^)・・・たまりませんな(^ω^)・・・う~~ん・・(^ω^)YC(^ω^)(^ω^)・・・ノやっぱムチムチサイコ~~(^ω^)・・・ノ
きのうは浅草の釜めし店「江戸定」で講談師神田阿久鯉さんをお招きして講談と鰻の夕べ。江戸定の店主と私は高校の同級生にしてなんと父親同士も同級生と言う間柄。こちらの広間を会場に神田阿久鯉さんとご一緒しました。神田阿久鯉さんは6月NHK総合テレビ「熱談プレイバック」で講談と映像で大横綱千代の富士の土俵人生を読み上げました。その後ラジオでも放送することになり、その際の相手として阿久鯉さんが私水谷を指名していただきました。私が千代の富士全盛時代に相撲放送に関わっていたこと、NHK講談大会の司会を
どうも妙なことをふと思い出すことがあります。NHKに入り福島に赴任し、ある年の12月1日の気温がやけに高かったというのを思い出しました。今は便利で福島地方気象台の過去データで調べることができます。私が福島に赴任していた1987年から1990年の12月1日の最高気温を調べてみました。1987年は0.6℃福島に赴任して初めての冬。この日は最高気温が0.6℃ですから相当寒かったわけです。1988年は9.0℃1989年は8.7℃だいたいこのくらいの気温が平年でしょうか。そして・・・
昭和63年九州場所。連勝街道をゆく千代の富士は6日目に陣岳に勝って45連勝。ついに昭和の大横綱大鵬の連勝記録と並びました。この日のテレビの解説が大鵬親方でした。周囲の興奮をよそに淡々と千代の富士をたたえていたのが印象的でした。そして翌7日目。大鵬の記録を超えるというこの日、大鵬親方はラジオの解説でした。大相撲中継の打合せの場でディレクターからある提案が出ました。千代の富士が大鵬の記録を超えたその瞬間、大鵬親方の表情、そしてラジオでどんな解説をするか、テレビに流せないだろうかと