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Myfavoritebook!!アンパンマンの本を自分で選んで、持って行きました。上手く説明出来たかなー。
縁があり私は絵を見る機会が割と多い。だけれど絵が好きか嫌いか問われたならば、実はあまり好きではない。嫌いと断言する程ではないのだが、まず第一に絵を見ていると疲れてしまうのだ。その次に理由をあげるなら見てもよくわからない。画廊や美術館に行き「わからない~~わからない~~」と唸りながら見ている人がいればそれは私だ。作品点数が多い時なんかは逆にサーッと駆け抜けてしまう。もう少しタイトルにヒントを盛り込んでくれれば素人の私にもわかるかもしれないのになあ…と思ったりする。無題の作品に
ようやく3つ目に辿り着いた。3、”双子”という表現が出てくるこれはそんなに重要ではないと思ってきたけど、でもなぜか引っかかるものがあった。『千と千尋の神話学』の中で作者は、行ったら戻ってくることができないと言われている沼の底から千尋が無事戻ってこられたのは、沼の底に自分の分身(=カオナシ)を身代わりとして置いてきたからだと言っている。ロドリゴがもし自分の分身(=フェレイラ)を置いてポルトガルに戻れていたら、社会的地位は剥奪されても基督(キリスト)教の神髄を体現する人物になって
聞こえなかった神の声が聞こえるようになった。この変化が”どこかに行って戻ってきた”から起こり得た、とするなら、ロドリゴはどこに行ったのか?そこはきっと「沼の底」。銭婆(ゼニーバ)はいなかったと思うけどね。沼の底とは一体何なのか?現実世界を”表”とするなら、異界は”裏”。「異界の異界=沼の底」とは”裏”をもう一度ひっくり返した”表”ということになる。『千と千尋の神話学』の中で沼の底とは、「現実には存在しない非在の世界、つまり失われた現実」「現実の日本の中には、いまとなってはどこ
二つ目の共通点。2、『沈黙』も異郷訪問型(というか千と千尋~と同じ)プロットを辿る「狐狸庵先生天才…」と思う一つがこの本の視点を”異郷を訪問する形”にしたところだ。『沈黙』は・まえがき・Ⅰセバスチャン・ロドリゴの書簡・Ⅱセバスチャン・ロドリゴの書簡・Ⅲセバスチャン・ロドリゴの書簡・Ⅳセバスチャン・ロドリゴの書簡・Ⅴ・Ⅵ・Ⅶ・Ⅷ・Ⅸ・長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記より・切支丹屋敷役人日記という構成で
昨夜TVで久しぶりに『千と千尋の神隠し』を見た。宮崎駿はきっと『沈黙』を読んでいるよね。沈黙の中でフェレイラは「この国は沼地だ。」と言っている。フェレイラが棄教した理由を突き詰めれば、日本と日本人論に行き着く。「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった。」宮崎駿は遠藤周作の考えを踏襲し、更にその先(=沼
スタジオジブリのアニメ『千と千尋の神隠し』は一種の異郷訪問譚であるといえる。異郷訪問譚とは大雑把に、1、異世界に行く2、そこで何かの体験をする3、異世界から戻る4、すると主人公が変化しているというプロットで成り立つといえる。日本神話では海幸山幸や、イザナギがイザナミに会いに黄泉の国を訪れる話が当てはまり、昔話では浦島太郎やかぐや姫が、世界的にはオズの魔法使いや不思議の国のアリスなどが当てはまるそうだ。(参考文献:「千と千尋の神話学」/新典社新書/西條勉)私が『沈黙』
『沈黙』遠藤周作(生:1923/3/27~没:1996/9/29)新潮社初版:1966年正直言うとこの本は私にとって鬱本だった。以前一度読んだ時は、内容のあまりの重たさにページを捲る手がなかなか進まず、まるで苦手な食べ物を鼻をつまんで一気に食べるかのように気力で一気に読み切った感じだった。なぜ再読したのかというと、マーティン・スコセッシ監督が映画化したからだ。ちなみに映画は明日から公開される。再読だったので心に余裕もあり、あとがきや書評を読んだ上で読み返すと「なる
―2016年読んだ本―『小さな赤いビー玉』/ジョゼフ・ジョッホ/訳)角山元保/ホンヤク出版社『暦で読み解く古代天皇の謎』/大平裕/PHP文庫『片腕をなくした男』(上)(下)/ブライアン・フリーマントル/訳)戸田裕之/新潮文庫『顔をなくした男』(上)(下)/ブライアン・フリーマントル/訳)戸田裕之/新潮文庫『魂をなくした男』(上)(下)/ブライアン・フリーマントル/訳)戸田裕之/新潮文庫『窓を開けますか?』/田辺聖子/新潮文庫『暗黒のまつり』/コリン・ウィルソン/新潮社『生誕1
『小さな赤いビー玉』/ジョゼフ・ジョッホ/訳)角山元保/ホンヤク出版社(『UNSACDEBILLES』/JosephJoffo)1977/5/10初版<表2見開き文>-子供たちの幸せ願って書く-原作者ジョゼフ・ジョッホいまやパリ文壇の寵児原作は1973年10月出版され、数多くの賞を獲得、たちまち50万部が売れ、フランス出版界の話題を独占した。その後映画化され人気が再燃、未曽有のロング・ベストセラーを記録した。1931年4月2日、8
『スズメバチの巣』/パトリシア・コーンウェル/講談社文庫『ディナーで殺人を』(上)(下)/創元推理文庫『警察署長』(上)(下)/スチュアート・ウッズ/早川書房『村上海賊の娘』(上)/和田竜/新潮社『ファイアスターター』(上)(下)/スティーヴン・キング/新潮社『ナイトフォール』(上)(下)/ネルソン・デミル/訳)白石明/講談社文庫『ペンギン・ハイウェイ』/森見登美彦/角川文庫『スマイリーと仲間たち』/ジョン・ル・カレ/早川書房『旅のラゴス』/筒井康隆/新潮文庫『
2014年読んだ本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『スクールボーイ閣下(上)(下)』/ジョン・ル・カレ『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』/ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』/ジョン・ル・カレ『懐かしい殺人』/ロバート・フィッシュ『お熱い殺人』/ロバート・フィッシュ『スクールガール殺人事件』/ウィルソン『別れを告げに来た男』/フリーマントル『賢者の石』/コリン・ウィルソン『ち
もうひとつ、日本書紀を読み始め今日になってようやく理解できた事。読み始めた時、「これは誰が書いた日記だ?!こんな日記が日本のオフィシャル・ブックなのか。」と思っていた。その一つの理由が、天気の情報が多かったから。●月●日、長い星が南の方角に見えた。人々は箒星だといった。●月●日、日蝕があった。夏●月、長雨があって洪水になった。という具合に。今朝目覚めかけのぼやけた意識の中で、「ああそうか。あの当時、天候は重要な情報だったんだ。」と理解できた。そうな
このブログを再開した頃から、日本書紀を読み始めていた。といっても、上巻は飛ばして下巻から。『全現代語訳日本書紀(下)』/宇治谷孟/講談社学術文庫奈良旅行に行く直前ある個所でつまずいてしまい、読み進める事ができなくなってしまった。つまずいてしまった箇所は、次のところ。ちょっと長くなるが、『全現代語訳日本書紀(下)』からその部分を引用する。この中に「大佐平知積(たいさへいちしゃく)」という人の名前が2回出てくる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
厩戸皇子(厩戸豊聡耳皇子)を追いかけて表題の本を読んだら、とんでもない所に連れていかれてしまった。*表題の本*『隠された十字架-法隆寺論-』/梅原猛/新潮文庫前回のブログを書いた直後あたりから読み始め読み終わったのが3日ほど前だったから、およそ1か月近くかかって読んだ。だけど4分の1まで読んだところで衝撃を受けるのには十分だった。「この著者は何てことを言っているんだ!」と思いもう一度表紙に戻りはじめ書きを読んだら、冒頭の5行でちゃんと忠告していた。―はじめに
昨年末の忙しい中、夜寝る前の数十分間を使いイギリスの作家ネヴィル・シュートの『さすらいの旅路』を読んだ。秋に同作家著『渚にて』を読んだ後3日間どんより沈んだ気分が続き、何て後味の悪い本を書く作家だ…と感想を持ったばかりだった。だけどそれほどの心理作用を及ぼす本にこれまで出会った事はないぞ、と心の片隅で感心していた作家さんだった。無類の本好きなお客様にその話を話題にあげると『さすらいの旅路』を貸してくださる流れになったのだ。『渚にて』の印象があったのでなかなか本に手をつけられなかっ
私がブログを書くのは、言葉になる前の思いがあふれた時が多い。あふれそうな思いがどんなものなのか自分でもよくわからないから、パソコンに向かってひと言ひと言を見つけ出していく。今日も早速言葉を紡ぎだしていこう。発端はアイススケート。YouTubeでアイススケートの羽生結弦君が最高得点を獲得した演技を見たら、2010年に高橋大輔選手がニーノ・ロータ「道」で滑った演技が見たくなって、何度も再生して見入ってしまったのだ。そのまま荒川静香選手がトリノで金を獲ったスケートを見てしまい、夜中
先日、宿坊体験をしてきた。仲の良いお客様から情報をいただきその方は介護があって外泊ができないので、「私が代わりに潜入捜査してまいります!」という流れで行くことになったのだ。宿坊ランキング1位!それがなんと奥秩父(関東)にある。←東京から近い。15:30にお寺に入り、翌日の10:00頃までの間、写経・読経・説法・座禅・精進料理が体験でき、1泊\8,500。場所は申し分なかった。だけど私にとっては非常に後味の悪い宿坊だった。その理由は、多分ご住職にある。お寺が掲載された雑
私にしては珍しく、本日は続けてブログを書きます。なぜだか9月はとても忙しく、今日は入っていた予約がたまたま日程変更になり一日OFFになったので。私にとって文章をひねり出すのは容易ではない。このブログも何時間もPCの前に座り、絞り出すかのように言葉を紡いでいる。先月マインドームコーチという資格を取得するために仲間内でプレゼンの練習をした時のこと、私は自分のある癖に気が付いた。「私は人の話を聞く時は左脳を使い、自分が話す(書く)時には右脳を使っているのではないか?!」前後がつ
以前『溶解と削除』というタイトルでブログを書いた事がある。汚れを落とすには洗剤を使って溶かした方が楽だし時間短縮になる。削除するには力が必要となり、労力と時間がかかる。今日の午前中に伺ったお客様は、月に2回お掃除に行っているお宅だ。お客様から「アレルギーが出るので洗剤は使わないでほしい」というご要望があり、今日は中性洗剤のみで頑張った。これまではお風呂の排水溝カビなどは強い塩素系の洗剤を使い、楽にピカピカに汚れが落ちたのだけど、今日は洗剤が使えないので細かい格子状の隙間にブラシ
元々お芝居が大好きだ。物心ついた小さな頃から沢山のお芝居を観てきた。私が見てきたのは、ほとんど台本のあるお芝居だ。たまにアドリブのある芝居があって気に入ると同じ芝居を2度3度繰り返し見に行っては、「今日はどんなアドリブするんだろう。」と楽しみだった。台本の無いお芝居があることを知ったのは2006年くらい。Improvisation(即興芝居)と呼ばれ、インプロの講師をされる今井純さんの本『自由になるのは大変なのだ』を読んで、その存在を初めて知った。「自分を大きくするには、
私の人生は私のものではないことを思い出してしまった。どんなに理想的な計画を立てても、無駄な抵抗なのだということを思い出してしまった。だからといって計画を全く立てなくて本当にいいのだろうか?私はどちらかというと計画・企画を立てるのが好きだった。計画がある方が安心できた。しかし「人生の計画を立てる」とは、つまり「人生を型にはめる」事なのではないだろうか?だから下手な計画を立てれば、下手な人生で終わる。齋藤孝著/『声に出して読みたい日本語』/草思社の中に千利休が書いた『四規
久しぶりにブログを書きます。今日は本を3冊購入。そのうちの1冊は、和田竜さんの『忍びの国』。今年の正月休みに読んだ同作者著『のぼうの城』は、面白くて面白くて叫びだしたい程ドキドキ・ワクワクしながら一気に読んだ本だった。”のぼう”とは、「でくのぼう」の略だ。石田三成2万の軍勢にたった2千で立ち向かった忍城(おしじょう)の総大将である成田長親は、身分の低い農民たちから「のぼう様」と呼ばれていた。時代小説は興味がなくて読んだことがなかったけど登場人物たちが実