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昨夏、いるるは大阪府藤井寺市にある仲哀天皇陵の参拝に古墳カード目当てで行ってきましたこの古墳の参拝は2度目になります前回の記事はこちらをクリックしてくださいね仲哀天皇陵墳丘長242mの前方後円墳で、全国で17番目、古市古墳群内では3番目の大きさです。宮内庁によって仲哀陵(恵我長野西陵)とされていますが、出土した埴輪から5世紀後半の築造と考えられています。岡ミサンザイ古墳とも呼ばれています。冬には「まがも」が飛来し、市民の憩いの場として親しまれています仲哀天皇陵
昨年の夏にいるるは大阪府藤井寺市にある唐櫃山古墳の見学に行ってきましたとはいっても、古墳カード目当ての見学でしたので工事中のような古墳の前をチャリンコで通った時に写真をパチリと撮っただけあまり、長居はしませんでした唐櫃山古墳唐櫃山古墳は市野山古墳の南側に存在する全長53m、後円部径38m、高さ8m、前方部幅21mの前方後円墳です。しかし1955年以前に土木工事が行われ後円部は半分以上が消滅、現在は道路となっています。画像は手前側が後円部で、右奥が前方部です。主体部は竪穴式石
昨年の夏、大阪府藤井寺市にある宮の南塚古墳に古墳カードGETのための見学に行ってきました宮の南塚古墳宮の南塚古墳は允恭天皇陵である市野山古墳の陪塚(は号飛地)に指定されています。径40m、高さ9mの円墳と考えられていますが、前方後円墳であった可能性も示唆されているようです。古墳カードGETですなんともまあ、墳丘の頂点にちょこんとした木が目立つ可愛らしさ満点の古墳に癒されてしまいましたこの古墳の隣には、国府八幡神社という名の神社が鎮座されているそうで
昨年の夏、いるるは、古墳カード目当てで允恭天皇陵の参拝に行ってきましたこの天皇陵の参拝は2度目になります前回の参拝記事はこちらをクリック前回参拝に訪れたときは、拝所が分からず、拝所とは反対の方に向かって歩き、天皇陵をほぼ一周してしまったから今回は、前回の教訓を生かそうと思ったのですがやはり、また、同じ失敗を繰り返してしまったという…ホンマ、アホですわ允恭天皇陵允恭天皇陵(いんぎょうてんのうりょう)は大阪府藤井寺市国府にある古墳で、遺跡名としては市ノ山古墳(いちの
昨年の夏にいるるは、大阪府藤井寺市にある応神天皇皇后仲姫命中津山陵の参拝に行ってきましたこの天皇陵、とにかくデカいわ拝所に行くまでの階段が急で上るのしんどかったーーぁネットを使って、この古墳のことを調べましたが大きな古墳の割には、余りヒットせずどうやら、マイナーな天皇陵だったようですまあ、応神天皇の嫁が眠っていると言うことでこの天皇陵の説明は終わらせていただきます坂のような階段がきつかったですお馴染み、この看板を見ないと天皇陵に来た気がしませんどこの天皇
昨年の夏に古墳カードGETのための古墳巡りをしていた時に大阪府藤井寺市にある中山塚古墳の傍を通りましたこの古墳、中津山陵に行く途中にありましたただの通りすがっただけでしたが、古墳の形に引きつけられて写真に収めてしまいました中山塚古墳助太山古墳の東側に存在する一辺50mの方墳です。仲姫陵である仲津山古墳のい号陪塚に指定されており詳細は不明です。中山塚古墳どうも、この古墳、八島塚古墳と助太山古墳の間にあり3つの古墳が等間隔に並んでいることから「三ッ塚古墳」と
昨年の夏、いるるは大阪府藤井寺市にある鍋塚古墳の見学に行ってきました鍋塚古墳鍋塚古墳(なべづかこふん)は大阪府藤井寺市沢田に所在する古墳(方墳)である。古市古墳群に属しており、国の史跡に指定されている。仲津山古墳(伝仲姫命陵)の後円部に近接して築造された、一辺50メートル、高さ7メートルの方墳であり、濠があった可能性がある。内部構造は明らかでないが葺石と埴輪列が確認されている。円筒埴輪の他、家、盾、靫、蓋(きぬがさ)形の形象埴輪が用いられている。円筒埴輪には黒斑を有し、類似
昨夏、いるるは大阪府にある古市古墳群の古室山古墳の見学に行ってきましたこの古墳、めっちゃ大きくて、羽曳野市、藤井寺市、松原市にまたがる古墳でした古墳内にも立ち入ることが出来るのでお花見シーズン時にゴザとお弁当を持って癒されに訪れたいと古墳の一つです古室山古墳大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である。1984-1985年(昭和59-60年)に藤井寺市教育委員会による調査が実施さ
昨夏、いるるは大阪府羽曳野市にある誉田丸山古墳の見学に行ってきましたこの古墳、応神天皇陵の隣にあって、ちゃんと整備されていたのにただの通りすがっただけの、古墳カードをゲットするためだけに外景を写真に収めてしまい、手抜き見学をしてしまいました誉田丸山古墳誉田御廟山古墳の拝所(歴代天皇陵に治定されている古墳には宮内庁によって拝所が設けられている)の参道左手に所在する古墳である。宮内庁によって応神天皇恵我之荘藻伏岡陵の域内陪塚に治定され、墳丘への立入りは禁止されている。径5
今夏、いるるは、大阪府堺市にある百舌鳥古墳群の内の一つである塚廻古墳に見学に行ってきました塚廻古墳塚廻(つかまわり)古墳は、帆立貝形古墳であるとの説もありましたが最近の調査では、墳丘の西・南・東側で周濠を確認し、円墳であった可能性が高くなりました。濠からは埴輪が出土。明治45年には埋葬部の発掘調査が行われており、舟形の木棺が収められていました。木棺からは、銅鏡2面(変形四獣鏡・変形五獣鏡)、刀剣とともに、勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・棗玉(なつめだま)・臼玉(うす