ブログ記事45件
<死ぬちゅうのも無償の行為かね?>大島渚監督『白昼の通り魔』創造社1966年白昼の通り魔Amazon(アマゾン)400円<妻は気難しい面もあって、夜に咲く食虫植物のようだった>リサンドロ・アロンソ監督『約束の地』アルゼンチン・デンマーク・フランス・メキシコ・アメリカ・ドイツ・ブラジル・オランダ2014年約束の地(字幕版)Amazon(アマゾン)300円<お前たちの離婚は孫悟空が空を飛ぶのよりも早いぞ>
ひとつ前の当ブログで書いたように、10月1日に『ワンダーウォール』(1968ジョー・マソット監督)を観ました。ジョージ・ハリスンさんによるサントラ盤は聴いていたものの映画自体を観たことはなかったので、念願がかないました。上映してくれたのは新宿の「K’sシネマ」。ここ数年、恒例になっている「奇想天外映画祭」にラインナップされていたのです。「K’sシネマ」は、元「新宿昭和館」のあったところ。「新宿昭和館」といえば、任侠映画や実録路線のメッカというべき名画座で、ここの3本立てを僕はよく観ていたので
英語版のサイトに"MishimaTaishaShrine"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/TravelDestinations/Chubu/MishimaShrine_E.html三島大社は歴史の古い神社で、758年(天平宝字2年)の資料に「伊豆三島神」という表記があるそうです。北条政子が献上した梅蒔絵(うめまきえ)手箱や、源頼家の自筆の書などがあり、見る価値の高い展示が多くありました。"MishimaTa
あと2週間で三島由紀夫が45歳で自刃してから51年になるが、三島が37歳の時に、或る雑誌に寿命に就いて語っているのだ。【彰武院文鑑公威居士没後51年】“遮二無二長生きしなければならない”そして“遮二無二生きる他ない”と結んでいるのだ、厳密に修辞法が好きな三島には珍しく二度も同じ文言“遮二無二”と書いているのだ、これは
なかなか、元の通りにならない世界。行きたい場所にも大手を振っては出かけにくい。それでも、最大の注意を払い目的の焦点を絞って、意を決して時おり出かけている…。昨秋からこの春にかけて、東京都現代美術館で開催された「石岡瑛子〜血が、汗が、涙がデザインできるか」展。この時も、早々に行きたかったのに、行ったのは会期終了の間際。多岐にわたる石岡さんの偉業の詳細をほぼ時系列に展示。あの迫力、あのパワー、あのボリュームに圧倒された。行くことができて本当に良かった
今日は、BUCK-TICK小ネタ特集です…といっても、残念ながらBUCK-TICK自体の小ネタではなくて(スミマセン)、BUCK-TICK絡みでいろいろやってみたけど、単独でブログネタにするには、私の腕が足りず…というものを集めてみました✾ハーゲンダッツ最近、いろんなとこでチラホラ見かけるBUCK-TICK柄のハーゲンダッツ私もやってみました…でも、センスのなさがもろバレで…何度も作り直したんですけどね…(;´∀`)しかも、うまくダウンロード出来ず、画像は全てスクショという情けなさで
さーて・・・、最後の仕上げに掛かるか・・・(汗)昨日も綴ったように、三嶋は、あの『東大・全共闘との討論会・・・』で、『自分たちには、天皇と云うJoker(=切り札)が有る・・・!』と、Nipponの最高学府に集う秀才学生たちを前に、不敵に嘯(うそぶ)く訳だが、それには、現行の『日本国憲法・・・』が謳って居るところの『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり・・・』(=第一条)と云う条項を、どうしても変えなければならない・・・。此処を、それ以前の
この作品のアートディレクターを務められた、『EikoIshiokaさん・・・』の語られるところでは、この映画をデザインするに当たって、Directerの『PaulSchrader氏・・・』からも求められた条件は、『Originality(=独創性)・・・』『Timeless(永遠性)・・・』『Revolutionary(革新性)・・・』の三つだったと云う・・・。その条件を適えるために、『EikoIshiokaさん・・・』が編み出したのが、『劇中劇の
この作品の、アートディレクターを担当された、『EikoIshiokaさん・・・』は、アメリカで活躍されて居た方だが、生前の三嶋にも幾度と無く会って居られたそうで、『私は、三嶋が嫌いだった・・・!』と、添えられた『MakingVideo』の中で語って居られた。その理由は、『彼は、俺が・・・、俺が・・・の目立ちたがり屋で、品の無い人間だった・・・!』とも吐露して居られたが、その人間性を、『ああ云う人たち(=作家とか芸術家等)は、複雑な人間性を宿して居るし、複雑で無けれ
最初にお断わりして措かなければならなかった話だが、この『MISHIMA:ALifeinfourChapters・・・』が、アメリカで公開されたのは、『1980[昭和60]年10月4日・・・』だったと、『Wikipediaくん』には在った・・・。つまり、三嶋の『没後、15年・・・』を経てから創られた作品で有り、振り返れば、『今から、41年も前・・・』となる計算だから、出演されて居る俳優&女優さん方が、随分お若いのも頷ける話では有って・・・(笑)道理で、
毎度のことで、勿体を付けた前振りが長くなってしまったが、本題(=感想)に入るとなると、『ウーン・・・、困ったな・・・!』と云うのが、本音である・・・(汗)先に白状して措くと、小生も、そこそこに本(=小説系・・・)も読ませては来たが、現代文学の、『一つの象徴・・・』とも謳われることも有る、『三嶋由紀夫文学(=作品・・・)』には、然程深入りして居ない、『門外漢(=ド素人)・・・』で有って、興味を覚えるのは、単に、あの『市ヶ谷台・演説&割腹自殺事件(=楯の会事件)・・・』
小生が、毎日、愉しみに読ませて頂いて居る『大阪育ち茨城出身埼玉在住の社長夫人・・・』さんの、7月8日の『日本では公開されない映画「mishima」と自衛隊・・・』(=リンク添付です・・・)と云うBlogを読ませて頂き、『これは、是非、観てみたい一本だ・・・!』と想ったジジイは、早速、『Amazon.com・・・』さんを、ご訪問・・・(汗)『日本では公開されていない映画・・・』でも、『TheWorldofAmazonさん・・・』には、しっかり売られて居た
1985年に映画化された日米共同合作映画「mishima」1970年に市ヶ谷の陸上自衛隊の駐屯地総監室に籠城、バルコニーから自衛隊の決起を促す演説をした後割腹自殺した、作家三島由紀夫氏を描いたものです(いわんでもわかる)フランシス・コッポラとジョージ・ルーカスが制作の総指揮主演は肉体改造してマッチョになった緒形拳出演者はすべて日本人、ナレーション以外のセリフも日本語その年カンヌ映画祭の最優秀芸術貢献賞を受賞それなのに、日本では上映もソフト化もされていない三島役
mishima:alifeinfourchapters1985年アメリカ・日本映画121分脚本・監督:ポール・シュレイダー脚本:レナード・シュレイダー製作総指揮:ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラ製作:トモ・ラディ、山本又一朗撮影監督:ジョン・ベイリー音楽:フィリップ・グラス美術:石岡瑛子衣裳:柳生悦子編集:マイケル・チャンドラー、大島ともよ出演:「1970年11月25日」緒形拳(三島由紀夫)、塩野谷正幸(「楯の会」学生長・森田必勝)、三上博史
やっと見つけました…👀【ゆかり】【あかり】【かおり】【うめこ】…👧🏻女の子の中に男の子が仲間入り…👦🏻【ひろし】なぜ突然【ひろし】なのかと思ったら、広島菜だからかっ☝🏻
去年の秋から、行こう行こうと思いながら、ようやく行ってきました🐾。割と近いし会期も長いので、いつでも行けると思っていて、こんな時期になってしまいました。※2020年11月〜21年2月14日まで(少し延長されたようです)、東京都現代美術館(江東区木場公園内)。1970年代から活躍されていた石岡瑛子さんの回顧展。「石岡瑛子血が、汗が、涙がデザインできるか」。ジュリーマニアには、とても身近で大きな存在の石岡瑛子さん。PARCOや『水の皮膚』、MISHIMAで…
『MISHIMA:alifeinfourchapters』昨年の11月25日は三島由紀夫の没後50年だった。三島に関連する本や番組もたくさん作られた。三島に関連する映画も多い。昨年公開された『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』は、とてもエキサイティングなドキュメンタリーだった。この他にも三島由紀夫を題材にした作品では『11・25自決の日三島由紀夫と若者たち』も見応えがある。三島作品の映画化も多い。何度も映画化されている『潮騒』を始め、『金閣寺』『午後の
さらに「石岡瑛子展」を観に行った話の続きです。『ミシマ』(1985ポール・シュレイダー監督)の見事な美術で、初めて映画に関わった石岡瑛子さんは、次いで『ドラキュラ』(1992フランシス・フォード・コッポラ監督)の衣装デザインに起用されます。何でも、『地獄の黙示録』(1979フランシス・コッポラ監督)の日本版ポスターをコッポラ監督がえらく気にいって、オファーが来たそうです。この『ドラキュラ』で、石岡さんは第65回アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞するのですが、その衣装も展示されていました
東京都現代美術館に「石岡瑛子展」を観に行った話を続けます。第1部の展示を抜けると、『地獄の黙示録』(1979フランシス・コッポラ監督)の大型日本版ポスターが2枚お目見え。そこを抜けると、ついに!僕がこの展覧会に来た最大の目的としたものがついに目の前にドーン!と現れました。金閣寺のセットです。これは、映画『ミシマ』(1985ポール・シュレイダー監督)の中で使われたセットを再現したものです。今、『ミシマ』と書きましたが、三島由紀夫さんの遺族からの許可が出ず、日本では公開されなかった作品なので
MypreferedtouristyspotthatIliketogotoiswherethere'snotsomuchcrowd.MishimaSkywalkisjustthat.Thisisarelativelynewplace-to-gowhereyoucanenjoyadventureandbeinginnatureatthesametime.Thebestpartis,thespacei
Oneofmydreamactivitiesistoseeasunflowerfieldinperson!Onetime,GeradandIfoundourwaytoMishimaSkywalkandmyeyesgrewlargewhenIsawthisrowofsunflowers.Igotsoexcitedandrantowardsittotakeacloserlook.WhenI
こんばんは。今しがたバラバラと俄雨が降り、いくらか冷えるかな、と期待した者です。まぁオイラの期待には応えてくれなくても、ケロちゃんにとっていいお湿りになったでしょう。さて、ちょっと前ですが、マニア向け専門店の通販でポチッたDVDをご紹介。ひと月ほど前にご紹介したものの「続編」です。まさしく同じレーベルの同じシリーズ、「TheBeatlesinColourVol.2」と「TheBeatlesWashingtoninColour」。↓ジャケは「Vol.1」同様にキャピトル盤
やっと食べました。これですかね?もう。マイケルったら。三島のゆかりぢゃないの。そりゃ、おいしいよね!!しそごはんといえば、このゆかり。おいしいもんね。昔、L.A.のsawtelleblvd.のミニモールにMISHIMAのうどんレストランがあって、週2で行ってたん。今はもうない。。。なくなってダイブ経つ。。。学生だったからそないに外食もしなかった
I’dlovetolinkzenkyotoD’sutteranceaboutrelationin“MishimaYukiovsTodaiZenkyoto”to“NoTalkingJustHeads”bytheHeads.
IreadaboutMishima’sintroversiononpp.41-42of“HeibonPanchinoMishimaYukio”byShiineYamato(Tokyo:ShinchoBunko,2009).
先日いつもお世話になっているMISHIMAさん主催のセミナーにお店の代表として行って来ました🌟MISHIMAの社長の話や(株)アルテホールディングスの吉原直樹さん、(株)OCEANTOKYO中村トメ吉さんの講演を聞いてきました^_^半端ない❗️情熱を感じてきました☀️講演会の後は…各テーブルに分かれてのコミュニケーションパーティーがあっていろんな美容室の人と話もできたりしました🎶そして終盤に景品があたる抽選があるんですけど…なんとうちのスタッフも当たりましたー👏👏👏おめ
IreadthequotationfromtheconversationbetweenHidekoTakamineandYukioMishimaonp.152of“HeibonPanchinoMishimaYukio(平凡パンチの三島由紀夫)”byYamatoShiine(Tokyo:ShinchoBunko,2007).SheremindsmeofBiruOtsuka.
おはようございます。あれから丸6日、どうやら火事の恐怖が薄れてきたように思える者です。昨日は隣の駅エリアのイタリアンの店にカミさんと行き、昼メシを食ってまいりました。店に着いて、久々だね、などとカミさんと話しポイントカードに記された日付を確認したら、ふた月半振りでした。それまでは2ヶ月に3回くらいのペースで通ってたのに。そんなに開いてたんだ…。オイラ自身、腰の調子が悪く、あまり元気に過ごしてなかったせいでしょうか。さて、去年から、購入しても観ていない映画のディスクが何枚かあり、こりゃい
‘’MISHIMA‘’さんはアテレコとか歌とかナレーションとか色々できるマルチなタレントさんなんです北関東某県の地方局の制作で週いちで放送されているTV番組では進行役を担ってたりします関東ローカルのラジオ番組にも定期に出演していてある番組では観光特使のような立場でその某県の魅力を伝える役割を果たしていましただからてっきり北関東某県出身のタレントさんなんだっておもっていたのですが…ほんとはMISHIMAさん都内出身で某県とは縁こそあるようですが出身地ではなかったことを