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3月5日32w1dpm11:41男の子1816gpm11:42女の子1250g2人ともNICUに入院になり男の子は鼻チューブで女の子は肺の機能がまだ未熟だったので送還に。。それに黄疸も出てたから青ライトに照らされて。産んだその日はメガネくんだけが会えてあたしは次の日に会えました車椅子で看護師さんとメガネくんと3人で初めて会えた時嬉しさもあるけど「こんなにチューブとかついてて大丈夫なの?」「早く産んでしまったからこうなんったんだ。」とか色々責めてしまった💦でも
今朝も4時に目が覚めてしまった一度起きると上の子のこととか赤ちゃんの様子とか、夫のこととか気になって寝れなくて目がランラン。でも5時まではベットでおとなしくしてました胃酸が上がってくる話、週明けに栄養士さんと相談ってことになっていたのだけど、今日から分食っていうのにしてもらえた食事のごはんが小盛りになって代わりに1日2回のおやつが出ますさっそく胃酸が来ないぞ、調子いいです。しかもね、ちゃんとおやつっぽい。砂糖を欲してたのかな、いちご豆乳なんてすごーく美味しかったです。気になってた
くどいけど1日、1日の積み重ね。ドキドキ、ハラハラの日々。す、すごすぎる…🐈⬛💦助産師さん、曰くお腹の皮はまだ伸びしろあるらしいまだまだ大きくなるのか⁉️ベビ'sはよく動くガンバレ‼️また、えほんがふえました…🐈⬛…
午後急にMFICUへ移動するまでは一般病棟でのんびりしてました。今日のながれは7:30ドップラー8:00朝食10:00回診(5秒!)10:30NST11:00シャワーして初めての洗濯12:00昼食14:00MFICUへ引っ越し17:00ドップラー18:00夕食19:00ドップラーMFICUの個室、広くて窓もおおきい!でも気持ちは牢屋な気分。だって部屋から出られないんだもん。。■朝食豆腐と卵の何か(甘い)、カリフラワーと人参(マヨ別添え)、車麩とキャ
今日何故か突然MFICUへ移動になりました。出血もなく、お腹の張りもなく、心音も正常でなぜ!?でも一般病棟と生活変わらないから~と軽く言われたのでそのまま移動移動の際に車いすに乗せられて、ちょっと「あれ?」って思った。。移動後に、エレベーターホールの自販機へお水買ってきていいですか?って聞いたらNOもちろん病院1Fのコンビニへ行くのもNO病棟から出るのNO面会は1日1組までシャワーは午前中まで電子機器ダメ、PCで仕事しちゃダメ夜だって2時間おきに見回りにきますって看
妊娠21週と22週の間に大きなラインがあるんだって。知ってましたか?私もそうだったけど、フツーに妊娠期間を過ごしフツーに予定日近くに産まれる。フツーに。なので、知らなかったし調べたこともなかった。41歳で治療の末にしかも、3つ子を授かった娘に「フツー」などなくやっとたどり着いた22週。22週めからは心拍モニターを付けるそう。本来、MFICU(母体、胎児集中治療室)に入るらしいけれど病床が🈵らしい。まだ、娘は食事もとれるしシャワーもできる。ベビ'sは元気に
こんにちは!今日は出産直後から先に1人で退院するまでを振り返ってみようと思います。帝王切開中、自分の中身を見てしまったショックで大量出血しまった私。(なんと4.7リットルの出血でした!)先生も看護師さんも焦る様子もなく、淡々と輸血が運ばれ、お腹が縫われ、何事もないような雰囲気で処置が行われました。私自身、大量出血はしているけど、「なんか寒気がするな」くらいで落ち着いていました。手術チームの方が平静でいてくださったから不安にならずに済んだのだと思います。本当に感謝です。そして私はMF
昨日は22時頃寝たので4時頃からモゾモゾ背中が痛くて5時に起き上がりマンガ読んでました6時起床検温、洗顔、トイレ、体重測定子供と話して7:30朝食看護師さん巡回10:30再び看護師さん血圧、モニターやはり張っているようで先生と要相談→問題ないので午後の検査なし12時昼食シャワー&洗濯18時夕食先生の回診看護師さんの回診21時就寝ちなみに私のいるMFICUは危険度の高い妊婦さんらしく3Fの南側にあります基本2週間後には北側に移るのが多いそうです現在は面
切迫早産で緊急入院になった経過、詳しく書きましたが、ここからは箇条書きで経過を書いていきます。★31週でMFICUに入院★入院時点で、子宮頚管11㍉★子宮頚管が短い以外、症状無しマグセント24時間持続点滴(何アンプルかは忘れてしまいました)10ml/1時間個室にて、個室内歩行可トイレ可、シャワー毎日可ご飯も座って食べてオッケ~それ以外はベッドで寝たきり切迫早産という言葉を聞いたこともないくらい、何も知りませんでした😳ネットで調べたら、余計不安になると思い敢えて、何
31週、フツーーーーに妊婦健診に来たのですが、М先生から『内診しましょうか』と言われ内診台にあがった直後М先生『‥‥切迫早産です。このまま即、入院です。』『お腹の張りの自覚はありませんか?!??!』え?入院?お腹の張り?なんも感じたことありませんΣ(゚Д゚)着の身着のまま、とはこーゆーことか、とそのままMFICU(母体胎児集中治療室)へ緊急入院となりました。※MFICUとは妊娠中から何らかのリスクが予想され、治療や経過観察が必要な妊婦や胎児への対応に特化した部屋
やっと先週29Wなりましたが…点滴してるのに軽く陣痛の波が来て…点滴量が上がりマグセントとリトリデン…副作用ひどく…嘔吐とムカムカほてりまったく食べれない日々…陣痛室で過ごしたり手術室いたり色々回されまたWFICUに戻ってきました本当今まで入院とかなかったし…波強くなったら緊急帝王切開まで一昨日は言われたり泣きたい日々を過ごしてましたblog更新どころじゃありませんでしたまだ、お腹いてねと願うばかりです…。
張りは収まりつつ行きたかった…卒業式赤ちゃんの為頑張ろうと思いながら点滴の副作用や痛みを我慢しつつ子供達にやり残したことあったのになってずっと考えてる日々本当にごめんねと思いながら1日過ごしているお腹も双子だから動くのも大変だけど来週辺りエコーするかなと楽しみにしてる性別は、2人とも男の子です
⭐︎記録用に⭐︎27w一卵性の双子を妊娠しています1週間の間で頚管長が2.8cmから2.4cmと短くなって自宅で張り止めを飲んで様子みてましたが、20日の昼頃、腹痛と張りが薬飲んでも落ち着かなかった為、産科の救急外来にTELし状況をなどを説明したら受診して下さいと、念のため入院セット持ってきてと言われたので持参し旦那に病院に連れて行ってもらいました。救急外来窓口から案内され子宮頚管など診てもらい1.8cmまで短くなっていて、切迫早産の疑いがありますと入院なりますが…もともと来月末管理入
管理入院15日目32w1dNSTしてる最中少し張ってるねーって言われたけど本人は全くわかってませんでした笑笑え?張ってましたか?!ってぐらいにいつもより長めにしてくれた昼も穏やかに過ごしてのんびりあつ森してなんだかんだ落ち着いて過ごせて入院生活を満喫してたの夜9時過ぎ、いつも寝ながらゲームするからたまには座ってしようかなー寝たままだと頭痛くなるしなーって事でベッドの上で座ってあつ森💓💓元からオリモノの量が少し多いからなんとも思わなかったけど座ってる時にちょろって
管理入院14日目32w0d朝から看護師さん達とたわいもない会話シーツ交換もあったから長々話してしまった!MFICUに入院する人達は基本軟禁状態だからみんな部屋で何をしてるのかとか。エコーアルバム作ってたりSwitchしてたり寝てたり動画見てたりみんなそれぞれだから私も、エコーアルバム途中で止まってたからまた再開しようかなー名前も決めたんですか?って聞かれたから決まりましたー🥰って話したらここの病院では名前聞いたら産まれちゃうからまだ聞かないどきますね!って恐ろ
張り止めの点滴が開始されてから動悸身体の火照り手の震えなどが副作用としてあるらしく私は手の震えだけきました👋🫨文字を書くにも、箸でご飯食べるのもこんなに震える?!ってぐらい震える笑笑寒いのかなー?って思うぐらい。ご飯はフォークも貸せるって言われてたけどいける!って思って借りなかったからちょっと後悔、、でも、こんな経験ももしかしたら2度とないかもと思うといい思い出なのかもしれんそれに動いてしまうから、点滴の針もずれて液漏れさせちゃうしと本当に申し訳なかったな💦ナ
日頃なんだかんだウロウロしてたからゆっくり寝れるのは正直ありがたい。看護師さん達も気さくだしみんな仲良さそうだった初めは緊張したけど話しかけてくれるから話しやすいしいつまで入院かもわからんからありがたい💓ただ管理入院だから食事が質素🍽️8時に朝ごはん12時に昼ごはん18時に夜ごはん18時〜8時までが長すぎてお腹鳴る麦茶飲んで気を紛らわすしかない。シャワーにも気にせず入れるし、、、って思ってた矢先血圧が高いし、貧血の数値も悪くなったので3日に1回のシャワーになってし
看護師さん達がだいたい2時間おきぐらいに見回りにきてくれる。『寝れますか?』って心配されるけどメガネさんと電話とかしてると気がついたら4時回ってたりしてて💦安静にしとかないといけない部屋だから、自分の部屋から出ることも出来ず楽しみがご飯とメガネさんとの電話ぐらい。1日100歩も歩かないから体力が有り余って寝付けない⚡️初めてNST(ノンストレステスト)とやらをしてみた。双子だから心拍探すのも大変そうなのにピタリとわかる看護師さん達が素直にすごい!って思ったそれにしても
2月20日30w1d昼前から健診だったから飲み物はなしだったけどスタバに朝から並んで欲しかったリユーザブルカップをGETしてきた🫶ずっと欲しかったけどやっと買う決心がついてねスタバに行って、こうゆうのに入れてもらうだけで資源の節約って事で22円割り引いてくれるGET出来た所で、病院にlet'sgo🏥はい。入院になりましたよー血圧と尿タンパクでね妊娠高血圧腎症だそうな最後にスタバ飲みたかったけど飲んだらもっと数値が悪くなってたかもしれんって思えば飲まなくてよかった😮
今でも思うことそれはあと1日頑張って二人の名前を戸籍に残したかった何らかの形に残してあげたかっただからこうやって今もブログを書き続けている。わたしは残したくて、忘れたくなくてずっとずっと想ってる。なっちゃんの名前は「夏蛍」夏の蛍のように儚いりんちゃんの名前は「凜夏」凜く夏を耐えしのいだそんな二人の名前です。ずっとわたしの自慢の娘。☺️🌷
産後は鬱になってしまい二人を想う気持ちとうつの気持ちが相まって眠れなくなり遺書を書いたり重すぎる事実に誰にも本音を話せず誰の前でも泣けずにタブーな話しのようになったりもうそれはそれは辛くて真っ暗で。『地獄すぎる』お腹は軽くて動きやすくて寝やすくてもう本当に空っぽで一人の体に戻ってしまったんだと常に痛いほど実感させられる。家に帰っても何もかもが違うこんな広かったっけ?こ…ameblo.jp毎日、上の記事の気持ちだった。退院するときも「1年は辛いと思ってください。大切な人
火葬当日わたしの家族と夫の両親が来てくれたみんな、なっちゃんとりんちゃんを見て明らかに悲しんでいたかわいいって思ってもらいたかった無理なのは分かっているけれど。悲しかったけどわたしは幸せだったんだよって伝えたかった。骨は小さいから残らないと言われていたけどふたりとも割としっかり残ってくれた死ぬ程泣いた体の水分こんなにあったのかってくらいこんなに悲しいことある…?って口から出るくらいみんな泣いていた誰にも気を遣えなかった火葬が終わってわたしの家でみんなでご飯
二人を生んですぐに火葬の手続きが始まった。慌ただしかった。悲しかった。記憶に残らないほどに。残っている記憶は「赤ちゃんの骨は残らないので一番小さな骨壺と双子なので少し広めの棺を用意しましょう」だった気がする部屋に戻るとなっちゃんとりんちゃんが服を着てかわいく帰ってきていた。服とおそろいのバッグもあった。看護師さんは「このバッグはひかりさんが持ってて良いんですよ」そう言ってくれた。不思議なことに何時間でも二人の姿は見ていられた。幸せな気持ちになった。出産したら
一方りんちゃんはなかなかおりてきてくれなかった。でもお腹にいてくれることがまだわたしは嬉しかった。けど先生がもう母体が心配だから、と言われて出産に挑んだ。何度、力んでもなかなかりんちゃんは出てこなかったさすがに疲れた、きつい、そう思った。先生も全身を使ってわたしのお腹を押す医師二人と看護師さん3人がかりでお腹を押したり大変だった。そして、「ギャー!!」と聞こええっ…?と思ったらりんちゃんの産声だった。みんなびっくりしていたこの週数で産声なんて珍しすぎる、
そして、お昼ごろになり主治医とベテランの担当看護師さんが来て遂にわたしはお産になった。なっちゃんのは胎砲脱出して足が出ていたコで10数回の踏ん張りで、スルンっと出てきてくれた。看護師さんは素早くなっちゃんをタオルに包み、わたしの腕の中へ連れてきてくれた。なっちゃんはとっても温かかった。そして、生きて、動いていた泣くより先に「なつほ!生まれてきてくれてありがとう!ごめんね、本当に、本当にありがとうがんばったね、ありがとう!」と数分間、声をかけ続けそのままわたしの
夕方に陣痛止めを外してから精神薬で少し落ち着き、夜中にやっと数時間寝付けた。二人を失うまでのカウントダウンが始まったそう思うだけで恐ろしくて怖くて怖くて看護師さんに「生まれたら二人に会いたいですか?会わない人もいますよ」と言われて「絶対に会いたいです」と即答したわたしが最後に二人にできることそれは出産して看取ってあげることだったそれだけそれだけだった。二人の名前を夫に連絡しながら決めた。そして個室には移動したのでお腹にずっと話しかけていた「ごめんね、本当
夫が来て、話し合いが始まった先生から「多分もう2日も保たない。炎症反応も上がってきている。まだ22wだしもし生きて産まれても脳性麻痺など重い障害が残る」わたしは「もう耐えられない。もうだめだって分かっているのにこれ以上頑張れない。」と答えた頑張る意味がもう見えなかったこれが本音だったそして、「生まれたら延命措置しますか?」と聞かれた。わたしは脳性麻痺の方たちがたくさん入院されている病院で働いていたので脳性麻痺がどんなものなのか普通よりは知識があった。
そしてその日の夜なんか、お腹が痛い…?気がした。それが定期的に来る。測ってみたらちょうど5分おき。血の気が引く。あれ…?これ、陣痛…?と思ってナースコールを押した。お腹にハリを見る機械をつけた。そして夜勤のドクターや看護師さんたちが続々と何人も来て陣痛止めの点滴量をマックスにされる。やばいことになっているそう感じた。ハリ止めをしてからお腹の痛みはなくなった。けど、副作用は物凄いものだった。全身が痛くて、顔なんか触れるだけでかなり痛かったからずっと保冷剤みた
MFICUはとにかく夜が長い。夜が来るのが本当に怖かった。良くない何かが起きてしまう気がした。朝を迎えられない気がした。いつも誰かが泣いていて、看護師さんたちが付き添っていた。わたしは陣痛止めの点滴が始まった。毎日、子どもの心拍を確認してもらう度に嗚咽が出るほど泣いてしまっていた。二人は生きてるのに…生きてるのに。わたしのせいでって思って泣いても泣いても罪悪感が足りなかった。二人の心拍の音は違ってそれぞれ、生きていた。そんなことを確認させられるたびに胸が張り裂け
そして、理由もわからないまま車椅子に乗ったまま大急ぎで個室に運ばれた。これからコロナの検査をして大丈夫だったら大部屋へ移動と告げられた。もう頭が付いていかない妊婦健診に来たのに何でこんなところに?そんなに大事なの?無理ってこと?二人は生きてるよ?今も動いてる。そんなことをぐるぐる考えながら一人で個室で震えていた。コロナの検査をする研修医が来て「今ひかりさんの子宮頸管を縛る手術をするかどうか先生たちで話し合っています」と告げられ「手術…?」また聞いたこともない