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今日の写真は日本エアシステムのMD-81です。羽田空港でのショットになります。今の2タミがある辺りですかね。JALとの合併が発表された後なので2003~2004年頃ですかねぇJA8498はテイルコーンが丸い初期導入タイプです。1986年6月から2010年6月まで24年活躍しました。JASのMD-81は地方路線用の機材だったため、羽田での便数は少なかったんですよね~名古屋や鹿児島の写真は多かったのですが、羽田でのショットは数枚しかなかったです。。。
今から30年くらい前、冬の北海道に出かけた時の思い出話。搭乗機は日本エアシステム(JAS/JD)のMD-81(機番不明)。画角が少々変なのは、「やったー、飛行機っ!」と当時はまだ“若手”と呼ばれていたこぶ~と同僚たちが、はしゃいでピースサインとかしている恥かしい部分をカットしたため(笑)厳冬期の道東観光モニターツアーに、職場で参加した際の記念写真なのでした。1991年に砕氷能力を持つ網走・知床観光船、「おーろら」が就航した頃でした。JASのMD
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言は解除されましたが、自由に海外旅行が出来るようになるのは、まだまだ先の事。6月19日から、県を越えての行き来の自粛が解除されましたので、久しぶりに新千歳・福岡・沖縄にでも飛行機撮影に行ってみようと思っている今日、この頃です。「空旅」すくらっぷ・ブックを始める前は、「気分は高度40,000ft」と云う備忘録を2011年1月4日からスタートしました。その時は、2010年12月10日~12日に香港国際空港で撮影した飛行機写真を掲載しました。飛行
アーカイブズⅡでは、86/87年にドイツ在住中、フランクフルト、チューリヒ空港で撮った写真をまとめている。今回は、2002年に倒産してしまったスイス航空のダグラスDC-9とMD-81。撮影地は、チューリヒ空港。時期は、86年か87年。DC-9-32最盛期には20機の32型を所有していた。この頃には5機で、88年にはすべて退役している。MD-81スイスエアは、この他にDC-9-51も保有していたが、32型同様に88年に全機退役。一方でMD-81は、1981年から導入し
JCWings200スイス航空MD-811/200
BBox200日本エアシステムMD-811/200かつては日本第3位の航空会社で、国内ローカル線を中心に運航。主要株主は東急電鉄や日本航空でした。経営は芳しくなく損失を出し続けていました。羽田空港の発着枠が欲しかった日本航空に吸収合併されましたが、そのあと日本航空がチャプター11になりました。
こんばんは。七夕だった昨日・・・スッカリ記事に書くのを忘れてました~コッパミジン。。。その昨日はナントカ晴れましたが、今日は曇りのち雨。。。七夕、ギリギリセーフでしたね梅雨は明けたと勝手に思い込んでたけど、やっぱり未だだったみたいです。。。もしかして、このままズルズルと来年まで梅雨が続いたらどーしよう。。。(謎)新開発の身体ドライ装置、水取ゾウさん50連スペシャルのタスキじゃ足らん。。。(謎)そんな心配してる暇があったら、低気圧除去装置を開発して・・・
日本エアシステム(JAS)マクダネル・ダグラスMD-811990年伊丹空港1981年~2010年に就役。席数がそれなりにあったので、MD-87より長く使用された。日本エシステム(JAS)マクダネル・ダグラスMD-811998年松山空港松山の路面電車を撮影に行った時に、撮影。JASDC-9-81とMD-81旧羽田空港DCとMDの違いは、1983年にダグラス社がマクダネル社と合併したために、合併後に製造した機種表記がMDに変更になったというもの。上の写真のD
先日地図検索をしていて、羽田空港が目にとまりました。普段あまり気にも留めないのですが、何かが微妙に違っているような気がします。拡大してみると、D滑走路がまだ建設中です。現在の国際線ターミナルも建設中です。第2ターミナル南端の、旧国際線ターミナルが使われています。この飛行機の色からすると、アシアナ航空機と大韓航空機みたいです。現国際線ターミナルとD滑走路の供用開始は、2010年の10月だったので、この画像が撮影されたの
本ブログも、お陰様で開設より一年を迎える事が出来ました。これもひとえに、ご訪問いただける皆さまのおかげと、深く感謝申し上げます。また今、この記事を書いている時点で、38,400名もの方にご訪問いただき、2,190ものコメントをいただく事が出来ました。重ね重ね感謝申し上げますm(__)m思えば一年前、ブログを始めようと思ったきっかけは、この飛行機の退役でした。1993年4月撮影、MD-81(機番不明)羽田空港。2010年9月30日MD-81(JA829