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「あなたの飼い主で本当にしあわせだ」何日か前に、実験的にそう意識してから私は犬(コウ)の散歩に出かけた。実際、そうなんだ。コウが居てくれることで、私が感じられる日々のしあわせは深く広がっている。けれど、日常の忙しなさに追われ始めると本来、抱いている「純粋な思い」は、あっけなく、片隅に避けられて、そっけなく、
先週起きた悲しい事件に、身も心も停止する感じがあって自分につなげていた、ありとあらゆる「情報」プラグを一旦ぜんぶ引っこ抜いてから、黙って横になる時間が私には必要になりました。・起きた出来事は変えられないけれど、その起きた出来事を受けてその後、自分がどう在るのか、この人生をどういう意図で生きるのか、ということについては自分で選択して、(選択も、責任を
主戦場を絞りましょう。ギュッと少なく、すくなく。自分のために。そうでないと、どこでもかしこでも、負けてはならぬ自分が出てきます。「ここは、私の主戦場ではありませぬ。」そう心得ていられることは、負傷する回数を減らしてあげられるのです。そこを主戦場にして戦っている誰かにそっと道を譲ってあげられるのです。あなたの主戦場は、あなたがどうしても譲れないくらいに大切にしているところ。そこに於いて、湧いた怒りや、悔しさや悲しさについては、是非責任を持って、熱く戦ってあげて
私は、あいさんが言ったとおりに、レースを身体に纏いあごを引いたり、上げたり、遠くを見たり、視線を落としたり、していた。部屋の中には、あいさんと私の二人だけなんだけど、どこか私は一人でいるようで、あいさんも一人でいるようで、時々二人で笑うから、やっぱり二人でいたりもして、内側と外側の、水面スレスレを行ったり来たりしているような、なんとも不思議でなんともあっという間に感じる撮影だった。カメラ目線はやっぱり苦手で、やんわりと微笑をたたえることは難しすぎて、笑うとし
本当は、こんな風に言ってほしいなって「言葉」があったから。こんな風に表現されたらうれしいのになって思う「愛」があったから。それ以外の、思ってたのとちがう「言葉」で言われてしまうとそれ以外の、思ってたのとちがう「表現法」をされてしまうと、がっかりもして、悲しくもなって、「私は愛されていないのかもしれない」という誤変換をし
こころの姿勢は、「愛」か「怖れ」のどちらかしかない。私たちの本質は、あたたかいこころ(愛)である。ということを数年前に学び、ものすごく腑に落ちて以来、私はこの考え方が好きで、この考え方を採用している。こころの姿勢を「愛」にしたときに感じられるのは、ポカポカとしたあたたかいこころ。そうでないものはすべて「怖れ」。・この行動を起こす時のきもちは、「愛」を起点としているか?「愛」にピンを刺して、この思いを誕生させようとしているか?・起点となったこころの姿勢と同じ成
約10日間、ブログ更新があいてしまいましたが、私は日常に身を置いて、元気に穏やかに暮らしています。今日も、私のブログにご訪問いただき、ありがとうございます。梅雨の合間の青空。「7ヶ月」+「7ヶ月」。これは何の期間かというと、東京から福岡へと生活拠点を移し、一番最初の家に暮らした期間。7ヶ月。ここが、「最も」フィットしている。もちろん、そう感じて選んだ物件で、まさか7ヶ月後に再び引越しを行うことになるなんて、福岡にやってきたばかりの私は、1ミリも想像していなかった
あの人はこう思っている(にちがいない)。こっちで想像し、勝手に決めつけたことで私が作った、私の頭の中にある、あの人の「反応」。あの人は、まだ何も「反応」していないのに。あの人の「反応」は、まだ確認もできていないのに。自分で作った、あの人の「反応」に自分が「反応」して、やりたいことをやらなかったり、(本当は)やりたくなかったことをやってみたり、言いたいことを引っ込めてみたり、(本当は)言いたくなかったことを言ってみたり、ひとしきり、可能性を摘みきって、一人だけでし
快晴の土曜日。6年生、娘の小学校最後の運動会だった。・先週開催された、息子の中学校の体育大会は、3年生の保護者のみの参観が認められていた。だから、2年生保護者の我々は、事前に外から校庭が見えるフェンス越しの場所を探し、息子の出番の少し前の時間に合わせてその場所に到着した。派手な砂けむりが立ちのぼっているのが見えた。そして、始まったのは、息子の出番の次の演目だった。砂けむりは、2年男子のプログラムがちょうど終わった、「余韻」のけむりだったんだ・・・。予定より
新幹線に乗って、山口県にある私の父方の祖父母のお墓参りに行ってきた。最後にお墓参りに行ったのは、私が30歳くらいの頃、父と二人で行ったんだ。山口県に行くのは、それ以来。東京からではなくて、福岡から向かったのは、今回が初。パートナーと二人で訪れるのも、初めてのこと。(思ってた以上に、福岡県と山口県が近くて驚いた。)命を繋げてきてくださった、ご先祖さまの誰かひとりが欠けて、誰かひとりの人生が1秒でもズレていたら、この「身体」として、今ある私のいのち、今ある私の生活
特にこれといった「予定」がない日も、大事な大事な「予定」がある日にも、限りある、24時間。持っている時間は有限で、自分の内側から湧く「声」を真ん中に据える。意識して、気をつけていないと、私たちは、あっさりと自分の外側で起こっている事にプラグをさしてそのブラグの先で流れている電流にあっけなく、巻き込まれ感電していく。どこにプラグをさして生活していたいのか。スマホに触れる時間、スケジュールする予定、クローゼット、下駄箱の中、会話の中身、目に入る景色。どんな
先日、家族の協力を得てありがたいことに一人で東京に行かせてもらった。「せっかく」来たのだから。「可能な限り」会いたい人に会いに、行きたい場所は行ける範囲の遠くまで、買いたいものは買えるだけ、滞在時間のすべてを、私のHPのすべてを、以て(もって)して使いきる。がんばったらできること。だけど、それを、今回はしなかった。つまり、がんばらなかった。私にそれができる「器(キャパシティ)」があるなら、そうしたいのだけど、実際のところ、残念ながらそのキャパシティは驚
「まきちゃんは、(言わなくても)わかってたでしょ?」「え、私、わかってなかったよー。」・昨晩、パートナーとそんなやりとりをすることがあった。なんの話が発端になったのかは、忘れてしまったのだけど、言わなくても私は「わかってるだろう」と思った彼と、私は「わかってなくて」、動いたことが、たまたま、彼が思い描いた通りの何かの結果になった、そんな出来事を振り返ってのやりとり、だったと思う。「私は、基本的にあなたのことをわかってない、という前提でいるし、実際、聞いてみ
「やりたい!」と自分に湧いたことを、自分が自分にやらせてあげて、「やりたくない」「やめたい」と思ったことを、自分がやらなくてもいいようにする。一人で完結できないことならば、それを実現させるために、身近にいる大切な人たちに協力を求める。その際に、勇気を出さないと無理・・・と感じるならそのための勇気は出しきる、出し惜しみしない。・・・昨日は、弾丸日帰りで千葉県と茨城県へ。初めてPeach航空の飛行機を利用したのだけれど、なんだかとっても斬新なエアラインで感動した
朝、外に出たらなんだかとても、急(せ)いていて、がちゃがちゃとした空気を感じたし、私の日常においても、朝からイレギュラーが生じて予定がはなから狂っていって、頭もこころも、生活も、忙(せわ)しなく過ぎていこうとしていた。・出たかった講座にも出られず、聞きたかったVoicyもまだ聞けてない。そんな時。あえて、今日はそれを視聴しない。ギチギチになったところに、わざわざ、それらをぶっ込まない。その代わり、手の空いた時間で、私は「そのうちやろう」と思っていた、諸々
「芽が出とる!」その建物で働く従業員と思われる男性が、建物の脇に置いてあるプランターを見て、うれしそうに弾む声で言った。見ると、プランターの中からは何かのお花の芽がいくつも顔を出していた。「昨日は出とらんかったもんなぁ〜」一緒に出てきた女性がそれに答える。・ウチの犬よりも随分と貫禄のある柴犬が飼い主の初老の男性と一緒に前から歩いてきた。貫禄柴を意識して、ウチの豆柴が止まる。「今、何歳くらいなんですか?」尋ねた。犬を飼っている飼い主同士では、よく交わされ合っている
「体調、大丈夫?」東京から手伝いに来てくれている母が、布団に横になっている私に尋ねる。「うん。だいぶ良くなってきたよ。ありがとう。お父さん、大丈夫かな。ちゃんと食べてるかな。」「大丈夫だよ。適当になんかやってるでしょ」「なんか、迷惑かけてごめんね。あ、そうだ。お母さんに言ってなかったんだけど、私、今日14時から『徹子の部屋』に出るんだよね。収録するだけだから、今日のテレビじゃないよ。言うの忘れてたわ。」「え!そうなの?まきこ、部長になったの?「なってないし、
相手と感じ方がちがうこと、相手とちがう意見になること、イコールそれは、「終わったー…」と、かつての私は捉えることが多かった。相手とちがった意見になったなら、私の「望み」は叶わない(あきらめよう)とか、じゃあ、○○(相手の望み)でいいや、とか、望みを言って損した、望みを言ったのに、とか、ちがう意見を持つ人と私は合わない、とまでも、思ったことがある。自分とは異なる「望み」に寄せたら、どちらかの「望み」だけが叶って、どちらかの「望み」は叶わなくなる。それは、当
今日は、突如クローゼットの中身を代謝させたくなって、きもちの鮮度を大切に、私はすぐに取り掛かった。思った時が、その時だ!あの家から、あの家へ、そしてまたこの家に、引越すたびに連れていくかどうか迷い、「きっといつか着る日がくるだろう」そう思って運ばれてきて、一度も袖を通さなかった服は思いきって手放した。自分を整える(アップデートする)ためは、定期的に代謝をする(巡らせる)必要がある。それが身近にあることで、私のエネルギーは満たされている?身近にあるそれに対し、私は
人間である私たちは、日々、一つの感情だけではなく同時に複数の感情、ピンクも、グリーンも、ブルーも、感じられるように、できている。愛を感じながらも、不安や心地の悪さは同居できるし、その愛を軸にしたいなら、心地悪さをどうやって解消できるのか?という頭の使い方を選択することもできる。一方、心地悪さをなかったことにして、その愛を感じ続けようとするとそれは執着に変わり、結果、最初に感じていた心地悪さが拡大することになっていく。・日頃から、今、私、どんな気持ち?と
目の前の画面に映し出される自分の口の中、歯の写真。「これが、私の現在地」福岡に引っ越してきてから、歯医者に行っていない。通わなくなればなるほど、「痛い」と自覚する歯がないほど、歯医者からは足が遠のく。けれど、日々の自力に頼る歯磨きだけでは心許(こころもと)ない、思いっきり笑うことにためらいが生じることも、わかってる。一年以上、歯医者に行っていない口の中を見ず知らずの歯医者さんに診てもらうのははずかしくて、こわいからイヤだvs口の中を整え、清潔にして、美
朝、カーテンを開けて青空や陽の光が目に入ると私は、家中の窓を開けたくなる。おじいちゃんが、むかーし、冬休みに遊びに行った時朝起きたら片っ端から家の窓を開けていて、こんなに寒いのにおじいちゃんはどうして窓を開けるんだろう?って思ったことを時々思い出す。気を入れ換えたくなるんだ。循環させたくなるんだ。(今なら、わかるよ、おじいちゃん。)子供たちが、通常モードで学校へ出かけると私は家中の掃除機をかけたくなるし、晴れていたら、布団を陽に当てたい。特に、月曜日はそ
去年の夏からピラティスのパーソナルレッスンに週に一度、通っている。自分の身体の状態は先週とはちがうし、レッスン前とレッスン後、同じ日の1時間後の自分だって全然ちがうって感じる日もある。今日は短めに、ピラティスの先生とのやりとりを通して帰り道にふと気づいたことを書いておこうと思う。・・私はもともと、股関節の動きがよくない。圧倒的に固いのだ。だから、先生は毎週、股関節の可動域を広げていくメニューを取り入れてくれている。今日は、家でもできるカンタンなメニューをお
美しく盛り付けをされて運ばれてくるお皿の一品、一品。口に運ぶごとにその素材の味がおもいっきり自由に広がっていく。「生命のおかげの生命です。」ランチョンマットに書かれていた言葉をもう一度、読み直す。ステキな言葉…ごぼうにはごぼうの、新じゃがには新じゃがの、玉ねぎには玉ねぎの、そらまめにはそらまめの、それぞれの「持ち味」があって、その「持ち味」が十二分に発揮されるように手を尽くして調理された一皿。「持ち味」のちがうもの同士、互いに邪魔せず、生かし合い、調和
日曜の昼下がり、前から自転車に乗った女性が近づいてくる。たまたま、私はその歩道を歩いていた。買い物帰り、一人で家に帰るところだった。そのまま行けば、私たちは、ただすれちがうだけの歩行者と自転車、の予定だった。すれ違うほんの少し手前で彼女の表情は一変して曇り、すぐに自転車を停止させて自転車から降りた。彼女の履いていたロングスカートが、自転車のタイヤに巻き込まれたことが見てわかった。地面に座り込むような形になった彼女に
それはまるで、家族旅行、全員分の荷物の準備をするみたいに。酔い止めは持ったかなバンドエイドは小分けにしておこう洗剤も一応入れておこうかな小物干しもあると便利だな保険証はジップロックに入れてみたいに、瞬間的にどんどん脳から指令が飛んできて、指令の通りにテキパキと身体が動き、普段出せる実力以上に、冴えている感覚。去年の春まで遡って、この春までの一年は、数々の変化を成し遂げてきた、自分でもそう思う。生活拠点を東京から福岡へ移すことで発生した、母子三人での引越し、
たとえば、親子の関係で。母なんだから、子供に「○○してあげなきゃ」が起点となって、届けた忘れ物部屋の掃除読み聞かせる本正そうとした姿勢の悪さは、まもなくして子供が「してあげる前の状態(元いた場所)」に戻ると、○○してあげたのに!○○してあげてるのに!にあっけなく変身してしまいやすい。だから、シンプルに「私が」○○してあげたい○○させてほしい○○したい、愛が起点のエネルギーで動こう。そうすると、また忘れ物したって部屋が再び汚くなったって読んだ
なんの目的もなく、ただ、ろうそく数本に火を灯して数十分。窓からの風もなく、火はまっすぐ天井に向かってほわほわ、ぼわぼわと揺らめく。息子が話すと、一本のろうそくの火が、ユラユラと揺れた。私は、ろうそくを黙って静かに観察していたかった。だから、そのまんま、そう伝え、協力してほしいとお願いした。また、火が微かに短くなって揺れる。それでも、息子は私に話しかけてくる。こころの中に、苛立ちが発生する。さっきまでの、私のこころに何も起こっていない時、まっすぐ上に向い
この場合の、私の本音は一体なんだろう?とこころに近寄ってみた結果、立ち止まってみたものの、細かく、難しく、考え過ぎてしまって余計にわからなくなることも、ある。子供が宿題をやってないとか、そんなことを発見した時。私はどうしたいんだ?本音はどこだ?どんな言葉が、一番まっさらでクリアで子供に届くんだ?とか、考えてたら、どんな言葉が、子供をうまくコントロールできるだろう?みたいに本音から遠ざかっていく一方だ、、、みたいな、そんな時。自分の本音がわからなくなるこ