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1991年JSPC第2戦・富士1000㌔スポーツプロトタイプカー世界選手権(WSPC)では一世を風靡していたポルシェに代わってジャガー、ザウバー・メルセデス、プジョーが上位を占めるようになってきた。全日本でも熟成され尽くされたプライベート・ポルシェ勢は力を付けてきた国産勢に太刀打ちできなくなってきていた時代背景がある。富士1000㌔ではサポートレースとしてF3、フォーミュラ・トヨタが開催されたが写真は撮っていないのか残っていない。愛車・スターレット・ターボ・リミテッド
1990年JSPC(と富士LD)開幕戦の武富士ポルシェ。ノーズのど真ん中にエアジャッキのコックがあるなんて、初めて知ったわ。思えばポルシェ…956ではたしか右側(運転席側)の給油口の下あたりにあったはずだけど、おそらく962Cでも同じのはず(知らんけど給油の際に邪魔にならないだろうからこの方がいいとはいえ、たしかこの位置はアルミモノコックの「〇〇〇」と穴が開いてる所なんで、移設もしやすかったのかな?ほいで、この武富士ポルシェってバーン・シュパン率いるチームなんですが、同じくチームシュパンの
Bardの説明(リリースタイトルで質問)エッソトヨタ92C-V“1992JSPC”は、1992年にトヨタのワークスチームであるトヨタ・チーム・トムスが参戦したグループCカーです。全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)で優勝し、ル・マン24時間レースでも総合2位を獲得しました。ハセガワ1/24エッソトヨタ92C-V“1992JSPC”プラモデル20640【6月予約】楽天市場ハセガワ1/24エッソトヨタ92C-V199
製品サイトの説明(お知らせや製品情報から掲載)シーズン前にテスト走行を行ったマシンを再現!ボディパーツカラーはイエロー。ChatGPTの説明(製品に関連する情報を得られた場合に掲載)NWBマツダ767Bは、1991年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参加したマツダのレーシングカーです。この車両は、マツダ・787Bの前身であり、その年のル・マン24時間レースで優勝したマシンです。767Bは、ロータリーエンジンを搭載しており、最大出力は630馬力を発
トヨタの94C-Vで一席設けようかな、と思いまして。ル・マンでずっとトップを走っていたのに、ラスト1時間というところでシフトリンケージが折れてストップ(それもホームストレート上で…)、乗っていたジェフ・クロスノフが修理してソロソロと1周してピットイン。修理後に猛追撃したものの結果は追いつけず2位に…。JSPCはその前に消滅してるし、94C-Vはル・マンと鈴鹿1000kmでしか見られず…なんかもったいないですよね。GA〇KT様のように94C-Vをみていたら…気づいちゃった。屋根切っち
北米IMSAキャメルGTシリーズに出ていた、アキュラ(ホンダ)スパイスです。ジャガーXJR-14のデザイン的流行から、リアカウル後端が改修されたあとのモデルですよね。改修されるまえがこちら。アキュラ(ホンダ)と名が付いているとおり、エンジンはNSXの3リッターV6を載せています。NSXのエンジンを載せているんなら、栃木の和光研究所とかのチームに開発を依頼したうえでJSPCに参戦してもよかったのに。時期的にもブリティッシュバーンなどグループC2クラスのマシンが増えてきていただけに、参戦し
1992年のJSPC最終戦美祢に現れた、ほぼノースポンサーのトヨタ92C-V。元々はこいつなんですが、88C-V以降TRDに開発が移されたために各チームのエンジニアたちは、自分たちで工夫して改善していくことが出来なくなりました。TRDの塩対応っぷりにブチ切れたトムスのエンジニアたちは、そこまで溜まっていた鬱憤を晴らすかのごとく大幅に手を入れ、パワーソースには手をつけなかったものの「200kg軽量化したモノコック」を投入。フロントフェンダー上面のエアアウトレットや、フロントウインドウ下面のエ
これ、ヨーストポルシェ962Cなんですが、ワークスポルシェとしての最終スペック版962Cだと言われています。たしか1993年のデイトナ24時間だっけな?主にリアカウルとボディー側面を中心に大幅にモディファイされてますね。目立つところでは、リアタイヤ前方のアウトレット(下にターボがあるのでその熱を抜く意味合いもあるかも)とフロントタイヤ後方のアウトレットですね。こちらがシーズン前のテスト仕様。フロントタイヤ後方のアウトレットが、小型のものしか無いですね。たぶんこれだけでは抜ききれなかったの
1992年JSPC最終戦美祢に出てきたトムス92C-V。グループC最後の年の最終戦です。色違いなだけだと思われがちですが…フロントウインドー下のICEBERGとブリヂストンロゴの貼ってあるダクトのところにご注目。こちらが従来型。ダクトが低いでしょ?1992年限りでグループCが終了すると発表されるやいなや、この92C-Vを独自にモディファイして製作する予定があったトムスは最終戦に間に合わせて「ターボCカー」に有終の美を飾らせることに。あいにく、ゼッケン36とESSOのスポンサーは新規格のT
こんにちは、MP935Tです今回は787Bの3カラーそろい踏みで並べてみました(アンフィニを忘れていた)前回のダブルCHARGEカラーこっちはマツダ100thロゴ入り!単体でもクオリティが高いですが、複数並べるとより楽しいです。ロゴなしではでは
こんにちは、MP935Tです本日はこちらTLVNEOのマツダ787B実はまだこの#002-No.55と#003-No.202は並べてなかったので軽ーくアップしておこうかなとフロントから国内スプリント仕様である#003と耐久仕様の#002ではまずヘッドライトの有無が分かりやすい違いですが、伴って左右のCHARGE/CIBIEロゴがマルっと移動しています。よく見るとキャノピー目の前のチャージロゴもカラーリングが反転しているのは今気づきました(笑)ここは比較的わかりやすいポイント
こんにちは、MP935Tです本日は写真のみの簡易更新で失礼しますではでは!
こんにちは、MP935Tです久しぶりのトミカリミテッドヴィンテージネオからこちらマツダ787B202号車です1991年全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権仕様というミニカーにあるまじきロングネーム(笑)でもこれが正しいので良いのです俗にいう#003とかJSPC仕様と言われるやつですね。ルマン優勝55号車と18号車、アンフィニ202の流れを汲んで今回のパッケージも水彩風?イラストが大きく正面を飾る所有欲を満たしてくれる出来です(笑)!『【TLVNEO】マツ
昨日は休みでゼファーさんあんな事しようとかバリオスさんこんな事しようとか考えてましたがその前に家の網戸の張り替えを仰せ付けられて結局なんもせず(T^T)そしたら……話題もない❗️( ̄^ ̄)なので昔の小ばなしを1つそれは多分1991年だったかと(←あいまい)当時人気があったJSPC5月連休の富士500㎞を観に行った時です当時はケータイなどもなくVHSのハンディカメラを持って行き30分のテープを3つ予備のバッテリー1つを用意してましたテレビに映らない
先日、片づけをしていると古いアルバムに行き当たった。アルバムは見つけてしまうとついつい見入ってしまう。1990年3月11日全日本富士500キロレ-スJSPC:JAPANSPORTSPROTOTYPECHAMPIONSHIP全日本スポーツプロトタイプ選手権@富士スピードウェイ通称Cカーと呼ばれる車両のレースは国内では1992年までで、以降はGT-R、NSXなどのGTレースに代わってしまっている。最近のレースカーは空力にこだわり過ぎていてどんど
11月28日今度はマウスの調子が悪くなってきた。赤いブルートゥースの方だ。動いたり動かなかったりするので、電池か?と思って交換してみたけどダメ。元々の有線のマウスを使うことにした。買ってこないとダメそうだ。きょうは部屋の片付けをすることにした。叔父さんちじゃない、自分ちだ。あれこれ整理しているとネガ・ファイルが出てきた。ネガがわかる世代は何歳くらいだろう?フィルムカメラで撮影したフィルムを現像したものがネガだ。写真屋などで現像されたフィ
鈴鹿サーキットで行われたサウンド・オブ・エンジンに2台の日産R92CPが登場。貴重なランデブー走行を披露した。鈴鹿サーキットで行われた「RICHALDMILLESUZUKASoundofENGINE2017」に、“元祖日本一速い男”として知られる星野一義が来場。現役時代に乗っていた日産R92CPでデモレースに出場した。昨年も同じマシンで鈴鹿サウンド・オブ・エンジンを盛り上げた星野。今年はこのR92CPが2台登場するとい豪華ラインアップ。毎回デモランなどに使われる1号車に