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英語版のサイトにShitaragaharaBattleFieldのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html設楽原古戦場は、愛知県東北部、三河の山あいにある古戦場です。武田信玄亡き後、武田家を継いだ武田勝頼が徳川家康の拠点の城、長篠城を攻めたことから、織田・徳川連合軍との間で全面戦争になった戦いです。時は1575年(天正3年)5月21日、太陽暦では6月29日の事です。丘陵地の間を流れる小さな連吾川を
本編のホームページに、山陰本線の乗車記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html前回の山陰本線豊岡-浜坂間に続き、今回は浜坂から鳥取までの乗車記を紹介します。山陰本線の豊岡-浜坂間の乗車記はこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/JR0/Sanin.html#Toyooka浜坂から鳥取にかけては、特急列
本編のホームページに、山陰本線の乗車記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html山陰本線は、京都から日本海に沿って山陰地方を縦断し、下関の手前の幡生に至る全長673.8kmの路線です。この山陰本線の乗車記は、区間ごとに紹介しています。今回は、2012年5月に乗車した兵庫県の豊岡から浜坂間の乗車記を紹介します。2012年5月は、朝に京都丹後鉄道の夕日ヶ浦温泉から豊岡に向かい、出石や豊岡市街
英語版のサイトにZoujyojiTempleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html増上寺、正式名「三縁山広度院増上寺」は浄土宗のお寺で、その歴史は古く、1393年(明徳4年)に開山されています。江戸開府にあたり、将軍家の菩提寺になり、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公をはじめ、将軍の子女や夫人、側室の人達もここに葬られているそうです。ZoujyojiTe
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月も少々遅れての更新となりました。その今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、奈良県飛鳥寺の飛鳥大仏です。2017年6月に撮影しました。日本最古と伝わる仏像です。お寺の仏像を写真に撮るのは禁止されている事が多いのですが、飛鳥寺では許可されています。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handeja
本編のホームページに、豊岡城址の登城記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.htmlこの日は、豊岡陣屋跡を散策した後に、その南側にある豊岡城址を訪れました。豊岡陣屋跡の登城記はこちらです:http://shanehashi.html.xdomain.jp/Jinyameguri/Kansai/ToyookaJinya.html豊岡城址は、いまは神武山公園として整備されています。麓から階段
英語版のサイトにRuinsofNishioCastleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html西尾城は愛知県の三河平野の南部、西尾市の中心部にあります。西尾城の歴史は古く1221年(承久3年)に遡るそうです。江戸時代には6万石の西尾藩の藩庁となっていました。櫓や城門が復元され、往時の面影を取り戻しています。RuinsofNishioCastleのページへどうぞ:http://han
英語版のサイトにHistoricalsitesinKiraのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html吉良は、愛知県の南、三河湾に面した地域です。赤穂浪士の討ち入りで暗殺された吉良上野介の所領があったところです。赤穂浪士の討ち入りで悪役となった吉良上野介ですが、地元では名君で知られています。そんな、吉良の史跡をいくつか紹介します。HistoricalsitesinKiraのページへどうぞ
英語版のサイトにTheRuinsofOgyuCastleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html大給城は、現在の豊田市の南東部、松平郷に近いところにあるお城です。松平宗家三代目の信光が攻略し、三男の親忠が城主となり、その後、親忠の次男・乗元が城主となっています。主郭の端に物見岩と呼ばれる大きな岩があります。物見岩からは遮るものが無く、遠く名古屋の高層ビル群も見る事が出来ました。TheRu
英語版のサイトにTheRuinsofUedaCastleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html上田城は、真田昌幸が1585年(天正13年)に築城したお城です。真田昌幸が徳川軍を二度にわたって撃退した事で知られるお城です。TheRuinsofUedaCastleのページへどうぞ:http://handejapan19.html.xdomain.jp/TravelDestinatio
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月もうっかりしているうちに3月も3日となりました。その今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、大阪・大川の様子です。2018年3月に撮影しました。このころ、大阪で勤務しており、会社帰りに天神橋から京橋方面を眺めた様子です。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handejapan19.html.xd
常日頃、チェックしている訳ではないのですが、先日ちょっとブログのアクセス数を確認してみたら、3週間ほど前からアクセス数が急増していました。それまでは、日に多い時で10~20でしたが、それが今では10倍ほどになっています。普段、帰宅も遅く、平日は1時間ちょっと程しかPCに向かうことが出来ず、PCに向かっても疲れからうたた寝をすることも多くなって、なかなか記事の作成が捗りません、、、12年近くにもなる在庫を消化するのに汲々としていて、頂いたコメントの返事もタイムリーには出来ていない状況です(汗
英語版のサイトにSuzakaHistoricalDistrictのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.htmlSuzakaHistoricalDistrictのページへどうぞ:http://handejapan19.html.xdomain.jp/TravelDestinations/Chubu/Suzaka_E.html日本語版では、下記のページで紹介しています:http://shanehsm
本編のホームページに、天橋立の散策記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html天橋立は、日本三景の一つです。天橋立は、京都府北部の宮津湾に細く突き出た砂礫です。天橋立をなす砂嘴の長さは3.5km以上もあります。宮津湾をほぼ仕切ってしまう程の長さとなり、西側の阿蘇海は湖のようになっています。2012年4月、京都丹後鉄道に乗車した後、天橋立駅前でレンタサイクルして、天橋立を縦走しました。
英語版のサイトにKawanakajimaBattleFieldのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html川中島は越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が戦った古戦場として知られています。両者の戦いは1553年(天文22年)から1564年(永禄7年)の12年間にわたり、5度の合戦が行われています。1561年(永禄4年)の第四次合戦が最も規模が大きな戦いで、謙信と信玄が直接太刀を交えたとも伝わります。Kawan
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。新年早々は、初日の出の写真を掲載していましたが、7日となりましたので、いつもながら過去の1月の写真の中から、表紙の写真を選びました。その今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、徳島・大山寺です。2017年1月に訪れました。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handejapan19.html.xdom
英語版のサイトにRuinsofMatsushiroCastleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html松代城は、武田信玄と上杉謙信が川中島で戦いを行った際武田方が前身基地として築いた海津城が、その発祥です。1622年(元和8年)に真田信之が上田より移封され、以降明治に廃城となるまで松代藩真田家の居城でした。RuinsofMatsushiroCastleのページへどうぞ:http://h
このブログは、本編のホームページに、旅行記などをアップした際に更新しているのですが、その本編のホームページが、昨日24周年の記念日でした。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html毎日のようにパソコンに向かい、日本各地(かつては海外もですが)に出かけた時の様子を記事にまとめる事を、よくもコツコツと24年間も続けててきたものだ、と感慨も深いです。その間、生活環境も、仕事も変わり、ホームページを始めた時
英語版のサイトにNakatsuCastleTownのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html中津は、戦国末期に秀吉の軍師・黒田官兵衛によって中津城が築かれ、江戸時代に中津藩が置かれています。街中には多くのお寺が集まる寺町があり、その北側に慶応義塾大学の創立者、福沢諭吉の旧宅もあります。NakatsuCastleTownのページへどうぞ:http://handejapan19.html.xdom
今日は、本編のホームページに、大垣の散策記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html2回目の今回は、船町港跡から圓通寺の様子です。第一回目の様子はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12821962285.html美濃街道は京口門跡から水門川に沿って南に下ります。南に向かうと、船町港跡があります。ここは水門川の川湊だったところで、
今日は、本編のホームページに、大垣の散策記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html大垣は、濃尾平野の北部に位置し、岐阜県第二の都市です。揖斐川と支流の杭瀬川に囲われた土地に市街地があります。江戸時代には大垣藩が置かれ、美濃街道の宿場町もありました。明治以降は関ヶ原を控え、鉄道の要衝地としても栄えています。2012年3月に養老鉄道に乗車し後に大垣を訪れ、大垣城と大垣の街を散策しています
英語版のサイトにRuinsofNakatsuCastleのページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html中津城は、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛が、秀吉の命により1588年(天正16年)に築いたお城です。江戸時代に入り中津城には中津藩の藩庁が置かれ、細川氏、小笠原氏、細川氏が中津藩主となりましたが、1717年(享保2年)に奥平昌成が中津藩主となります。以降、明治になるまで、奥平氏の居城となりました。奥平氏は、
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、大沢の池の畔の大覚寺心経宝塔と護摩堂です。2018年10月に訪れました。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html北海道余市の福原漁場(2016年10月)と伏見稲荷大社(2018年10月)で
英語版のサイトに"FormerHokkaidoGovernmentOffice"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html北海道庁旧本庁舎は、1888年(明治21年)にアメリカ風のネオ・バロック様式で建てられました。当時は鹿鳴館と並ぶ建築物だったようです。"FormerHokkaidoGovernmentOffice"のページへどうぞ:http://handejapan19.html.x
英語版のサイトに"SapporoClockTowerinSapporo"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html札幌市は北海道の道庁所在都市です。東京、横浜、大阪そして名古屋に次ぐ日本で5番目の人口を有する大都市です。明治になると、北海道開拓使が置かれ、本州各地から多くの人たちが移り住み碁盤の目状の街並みが作られました。今日は札幌の観光名所の一つ、札幌時計台を紹介します。札幌の中心街、目抜
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、鉄道博物館(さいたま)のC57蒸気機関車です。2019年8月に訪れました。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html青森県の三内丸山遺跡とねぶた祭の様子です。こちらも、2019年8月で
英語版のサイトに"NinnajiTempleinKyoto"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html仁和寺は888年(仁和4年)に落成した、京都でも有数の古刹です。吉田兼好法師の徒然草で、仁和寺のある法師でも知られています。国宝の金堂をはじめ、14棟もの重要文化財指定の建造物があるそうです。世界遺産にも認定されています。"NinnajiTempleinKyoto"のページへどうぞ:h
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html写真は、パリ・ノートルダム寺院のステンドグラスです。2016年3月、最後の海外出張で訪れています。2019年4月の火災から、復興は進んでいるのでしょうか。。。こちらは英語版のホームページの写真です:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.h
英語版のサイトに"GioninKyoto"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html祇園は広く知られた京都の歓楽街です。元々は鴨川まで八坂神社の境内で、江戸時代には八坂神社が祇園社と呼ばれていた事から、八坂神社の西側の地域は祇園と呼ばれるようになったようです。白川沿いの白川筋と新橋筋は、当時の祇園の様子を今に残しています。1976年(昭和51年)に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。"
英語版のサイトに"RuinsofMakabeCastle"のページをアップロードしました:http://handejapan19.html.xdomain.jp/index.html真壁城は、真壁長幹によって1172年(承安2年)に築城されています。以来、真壁氏が城主を続け、1602年(慶長7年)に真壁氏の主君・佐竹氏が秋田に移封となると、真壁氏も角館に移りました。その後、1606年(慶長15年)に浅野長政が5万石で入城しますが、1622年(元和8年)に笠間城に移ると真壁城は廃