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捨てるのが苦手だけど、何も考えずに捨てているものもある、と気付いて、思い出してみた。例えば、カップラーメンの外装のビニールとか、カップラーメンのカップとか、(カップラーメンばかり・・・)お菓子の包装とか、精肉をパックしているラップ、などなど、特に食品の包装は、簡単に捨てている。何の躊躇もない。そこで、ひとつ考えてみた案として、自分なりでいいので、その「物」に、しっかりとした役目を与えること。付与すること。役割を決めること。そうして
こんばんは。今日も脱線記事で失礼します♡笑今日はお一人様dayでした。ずっと行き損ねていた免許証の住所変更しに行ってから映画を観に行ってきましたー♡作品紹介を見て気になっていた「モンタナの目撃者」私はアクション系というのかサスペンス系というのか激しいのが好きなのですが、なかなか好みの合う人がいなくてこのコロナ禍もあり数ヶ月前にお一人様デビューをしました。今日は2回目だったのだけどやっぱりお一人様最高です♡笑笑昔は映画を一人でなんて信じられなかったのですが今は一人の方がいい♡HSP
こんばんは。あゆみです。続き記事の途中ですがまた脱線します。笑今日は起きたら生理が始まっていて一日中ダルくお昼寝したりしてました。それでも今日は激しく疲れた1日でした。7月末から旦那さんの両親と同居し始めて、ラクになったところと自分的にしんどくなったことがあります。同居するという事は一緒に生活する人が増えるという事で、それはHSP気質の私にはしんどい事でもあります。もともと周りの人たちが気になってしまうのに義両親だと更に気になってしまうのですごく疲れます。もちろん、同居前に自分が
こちらの続きです♡私の場合ですが長くなったから続きは次回と予告しても1記事にエネルギーを注ぎ過ぎて力尽きてしまうのです。しかもそのエネルギーは純粋に書きたいと思っている事にではなく、人の反応を気にする事に対してエネルギーを使っているので無駄な労力をかけているだけなんです。だから続きを書きたいと思えなくなってしまい続きが書けませんでした。続きますとしているのに続きを書けないと、今度はそこを自分で責め始めます。自分責めってきっと大概の人がしている、もしくはした経験があるかなと思いますが私個
おはようございます。続き話の途中ですがちょっとよりみち♡脱線記事です!笑昨日はなんと!7記事も書いておりました!過去ブログ含めて私的には初めてのことで自分でもびっくり♡短い記事でもOK🙆♀️書きたいことを好きに書いてOK🙆♀️にした途端今まで堰き止めていたものがブワーっと流れ出したようです。今日は何記事書くとかそういうルールもやめたので楽になったのかもしれません。ルールを決めた方が捗る人もいると思うのでそこはもう人それぞれだと思います。私の場合キツキツに縛ると身動きが取
こちらの続きです♡ハードルを下げた事ごちゃごちゃ考えずに書きたいことを書く。それからもうひとつ。それは長く書かなくてもよいとすることです。以前の私は相手に勘違いされたくないと思うあまり言い訳めいたことをつらつら書いていました。なので必然的に長くなってしまい、要点がまとまらないこともしばしば。それに記事とはある程度長くなくてはいけないという思い込みもあったようで次に続くようなものではなく一度に書くようにしていました。そのため長くなり過ぎて2つに分ける時、力尽きて続きが書けない
こちらの続きです♡ブログ再開に動き出せた理由。スマホを新調したことでスマホを触ることが楽しくなったり使いやすくなったことのほかにもう一つ。ハードルを下げたことというのは自分の気質と向き合う中で気づいたことがあるからです。私はHSP関連の書籍は一冊しか読んでないのですがそれがこちら。「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本Amazon(アマゾン)1,100円この本の中で著者の武田友紀さんは繊細さん(HSP気質の人の事です)は「意見はあるけれど相手のニーズに
こんにちは。あゆみです。こちらの記事で意外な自分の本音にHSPを通して気づくことが出来たとお話させて頂きました。HSPに限らずではありますが私は自分の気質を知ることは自分を知る上でとても重要だったと思っています。今回ブログでHSPの事を書こうと思ってから実際に書き始めるまで2ヶ月程要しました。引っ越しなど物理的な理由に加え、自分の気質と向き合う事にかなりエネルギーを使った事も理由です。実際今も気質を受け入れる作業の真っ最中であり、インストール完了したわけではありません。それでもブロ
続きです♡私の中にあった私に気を遣え!という感情。たしかにあるのだけど果たして知らない人たちに求めているのかと聞かれたらそんな事はなく、不特定多数の人たちに対してではなく極々身内、というかもう単に旦那さんに向けてでした。笑もうもうドンピシャで旦那さん。笑というかもう旦那さんだけに向けての気持ちだったのです。自分の中に気を遣え!私を理解しろ!というどす黒い感情があったことにも衝撃でしたが旦那さん一点集中だった事にも衝撃を受けました。逆に言えば私は旦那さんに理解してほしいし
こちらの続きです♡HSPは単なる気質であって障がいや病気とは違います。なので一緒にするなと言われるかもしれませんがどちらがどうとかいい悪い、上下ではなくていろんなものが存在していて自分が当てはまるもの以外のこと、特にマイノリティな事に関しては知らないものが多いですよね。全てを知り理解する事は難しいです。でも自分の気になったものに対して知ろうとしたり、知ってもらおうとすることは出来るかなと思います。なんだか少しズレてしまいましたが、とにかく私はそういう経緯でブログに書いてみることにしまし
こちらの続きです♡この芸能人の方がHSPだという事に勝手にモヤモヤした私ですが、この方が嫌いだった訳ではなくむしろ好きでした。なのになんで!という感じですがHSPだとカミングアウトすることは周りに気を遣わせる事だという認識が私の中にあったからだと思います。実際にHSPではない一般の方でHSPの本を読んでとても不快に感じたとブログに書いていたものを読んだ事があります。ですのでHSPなのにHSPであることを公表し周りに気を遣わせるなんてありえない!と勝手に怒っていたのです。なのになぜ今回公
おはようございます✨あゆみです^^こちらの続きです。私はHSPということに少し抵抗がありました。HSPについてはまた後日お話したいと思いますが今回はそのままいきますね^^私はHSPという言葉が出始めてしばらくした時にある芸能人の方がカミングアウトしているのを聞いてすごくモヤモヤしました。その時すでに自分がHSPであるかもと自覚し出していたのですがそのある芸能人の方がHSPであると聞いて思ったのは「この人がHSPだなんてありえない!」「HSPだとカミングアウトするなんてありえな
ご無沙汰しています。あゆみです。前回の投稿から早3か月経とうとしていますが私は元気です^^引っ越し準備からの各手続き引っ越してからの荷物整理に各手続き他にも子どもの習い事だったり学校関連や仕事など物理的に忙しかったのもありますが何よりも引っ越しという大きな変化の中で葛藤があったり自分自身の気質についてとても考えることが多くなかなかブログを書くゆとりがありませんでした。ブログタイトルにあるように私はHSPです。数年前から自分がHSPである事に気づいてはいましたがそれだけで詳しく
【繊細さんへ】HSPの悩みにすべてお答えします!|VLOG※動画の内容をシェアしてくださる場合は、チャンネル名やリンクを記載していただると嬉しいです🥺▼HSP彼女の生活あるある7選https://youtu.be/dLrWQTta1Lw▼HSP彼女と上手く付き合うポイント7選https://youtu.be/7FQVXuBVm0A▼HSP彼女の生活あるある9選http...www.youtube.comHSP(HighlySensitivePerson)ハイリー・センシティブ・パ
英語のTweetを読みながら、ふと思ったこと。当たり前のことだけど、「言葉」って、想いを伝えるためにあるんだよな、と。当たり前のことが、急に現実感を持って感じられて、急にどうした?と思った。英語の勉強の成果のひとつかもしれない。「想いを伝える」を他に言い換えるとしたら、例えば、「考えを表現する」とか。英語でも、他の言語でも、「言葉」だということを忘れないようにしないと、と思った。言葉を発した人は、発したい気持ちがあって、そのた
「連帯責任」とかいうやつって、ずるい!と思っていた。責任を感じやすい人は、他人のやったことで、すごく落ち込んで、反省もするけど、責任を感じるのが嫌な人は、ひとり分の責任が軽くなったような気がして、気が楽になるだけじゃん!と思っていた。今でもそう思うことがある。理想的な筋書きとしては、例えば、目標に届かなかった人を仲間で励まし、助け、引っ張り上げて、全員で目標を達成する、というものを想像する。でも現実は・・・というか、実際の「連帯責任」と
みなさんはHSPという言葉を聞いたことありますか?ハイリー・センシティブ・パーソンHighlySensitivePersonとは(頭文字をとってHSPと呼ばれています)アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した「繊細な人」「敏感すぎる人」「とても敏感な人」「繊細さん」という概念を持つ人を指すワードです。(HSCはChild「繊細な子供」を指すワード)「生まれつき繊細な人」は5人に1人は存在するそうです。(日本人だけならもっと多い気がし
文字を読むとき、頭の中で音声にして読んでいるときと、言葉の意味だけを飲み込んでいるような(比喩)ときがある。例えば、「~が起きたに違いない。」という文章を見て、作者の声を適当に想像して、その声で読んでいるときと、声無しで読んでいるときと、がある。知らない単語とか人の名前の場合は、声無しで読むと、頭に何も残らない感じがする。頭に残すためには、少し時間を掛けて、ひとつひとつに、注意を払わないとならない。
5年ほど使っている、私のパソコンの漢字予測変換。「かさ」を変換しようとすると、第一候補に「火さ」と出て来た。2、3回、それを繰り返して、今、ここに入力してみたところ、第一候補に「傘」と出るようになった。5年くらい我慢していたけれど、いよいよ我慢ができなくなって、文章打ち込み専用の新しいパソコンを買った。アメリカの会社のパソコン。今もしっかりお世話になっている「火さ」のパソコンは、日本の会社のパソコン。何が違うのか、気になる。パソ
街の人出が減少していることは、テレビや記事などの報道で知るわけだけど、もっと褒めるような表現してくれたらいいのに、と思ってしまった・・・。多くの人たちががんばって気をつけている結果なんじゃないのかな、と思うと、なんかもっと、言葉の選び方はないものか、と。それとも、私の受け取り方の問題なのか。「客足減少」と言われると、申し訳ない感情が湧いてきてしまうのは、確かに、私の性格のせいかもしれない。過剰適応っぽい。他人に求める前に、自分で自分のことを褒めて励
感動的な話ではなく。洗濯機に洗剤を入れようとしていたところに、電話が鳴った。手を止めて急いで出てみると、セールスの電話。まさに、畳みかけるように話す方だった。こちらの相槌はひとつも相手に引っかからない感触。「立て板に水ってやつだ~。」と思いながら、私はだんだん涙ぐむ。何が悲しいのか。まったく会話にならない相手との電話。洗濯機が回せていないこと。私の時間が、見知らぬ人によって奪われている感覚。失礼ですよね、とも言えず、話を
畑でせっせと草むしりをしていると、アブが寄って来る。怖いので、無視したい。手で追い払って、万が一触ってしまうのも避けたい。できるだけ相手にしたくない。草むしりが中断されるのもいや。手で追い払う労力もいや。というのが基本姿勢。そんなことで、行き着いたのが、声で追い払う。例えば、「あっち行って!」とか、「うるさい!」「どいて!」とか。でも、これらはあまり言いたくない言葉なので、最近は、「ごめん!」とか。そうす
今月のこと、だと思う。英語の勉強を、YouTubeの先生のおかげで、少しずつながらもなんとか継続していたところ、あるとき、なぜか、ふと、「日本語と英語は、別のところを使わないといけない。バイリンガルの人はそうなっていると聞いたことがあったような気もする。今、一緒になっている。だから、覚えられない。(記憶容量が一杯だし、日本語の口で話そうとしても、それはどうしたって日本語になるわけで・・・)別のところを使おう。」ということを思った。
V6、今までも好きだったけど、これからも、好きです。今までの応援スタイルが、こんな感じなので、きっとこれからも変わらない感じで、応援していくと思います。浸かれない性質なのは、今生の悩み事のひとつなので、許してください。V6が解散すると知ったときは、自分でも意外なほどショックを受けた。憧れの先輩たちが、とうとう卒業してしまうような感覚。遠くから見ているだけだったけど、先輩たちのまわりは、いつもキラキラしていて、
人の話を聞くことの大変さを、心の底から共感してくれるに違いないと信じられる人物は、今のところ臨床心理の河合隼雄さんしか、知らない。このお方は、とうに亡くなられている方なので、著作を読んで、こちらがそう受け取ったというだけのことに過ぎないけれど。私が目にする、耳にする、関わり合いのある人、ない人、すべての人を含めて、そう信じられる、今に生きている人を、今のところ知らない。そんな感じなので、そういう部分においての孤独感は、
左脳と右脳の役割については、いろいろな見解があるということを見聞きするので、専門家ではない私は、そういうものなのか、と思っている。そんな私の実体験メモ。あるとき、端切れを使って何か作れないかと、頭の中で展開図を作っては、指先で紙を折ったりを繰り返して、何が作れるかと考えていた。そんなときに痛くなるのは、頭のてっぺんを境にして、右側の頭皮。押すと痛い。また、あるとき、本を読んでいた。一般向けの本だけど、
性格を変えることについて悩んだ頃があった。HSPの概念を知ったり、心理学をかじったり、本を読んだり、いろいろと悩み尽きて、年も取り、今のところ、一番近い気持ちとしては、「まあ、いいや。」それでも、悩みグセは変わらず。最近、声の出し方や話し方を変えてみて思ったことは、他人にとっての私の性格は、ある程度コントロールできるっぽいな、ということ。声を高く、明るくしゃべる、とか。人の話を余裕を持った顔で聞く、とか。
表現することは、ある意味では不自由になること、かもしれないと感じたことがあった。心の中、頭の中、想像の中ではあんなに自由に思い描けていたことが、いざ自分の中から外に、表に、出そうとすると、もんのすごく小さい。表現力を習う、つける、鍛えることの大事さを想った。表現することで自由を感じられる人が、もしかしたら、アーティストとか芸術家なのかなあ。
私個人の、「3」の不思議。広い世界の「3」の不思議ではなくて。私が極端に苦手なことのひとつとして、「どっちがどっち」を覚えることが苦手、というのがある。例えば、「右はりんごで、左はぶどう」とか。「表は白で、裏は黒」とか。「1は右手で、2は左手」とか。全然うまく説明できないけれど、とにかく、混乱する。例えるなら、頭の中で対応表を作るんだけど、なんでかバラバラになる感じ、というか。もっと正確な感覚としては、例えば、右
不良、というより、不調。例えば、食器棚のガラス戸にコップを投げつけたくなる衝動、とか、お茶碗をガチャンと壊したくなる衝動、とか。消えたい衝動ともまた違う。実際に行動に移さずに済んでいるのは、そういう衝動よりも、ガラスが壊れる音が嫌だ、とか、家族が「どうした」という顔をして目の前に出てくるのが面倒くさい、というのを想像するから。抑止力になっている。でも、行動を抑えられても、衝動とかイライラはなかなか鎮まら