ブログ記事28件
頚椎後縦靱帯骨化症に対する前方除圧固定術が、明日4月8日午前9時から手術開始予定となりました。術後は翌日までGICUに入るとのことで、今日入った病室に戻ってくるのは、早くても火曜日以降のようです。主治医からしっかり説明は受けていますので、どうなるのかは、ほぼシュミレーション出来ているのですが、気持ちのシュミレーションだけは本当に無理で…目が覚めて、下半身に力が入るか動かせるか、感覚があるかです。あると信じて明日の手術に向かいます❗体が落ち着いたら、更新しますので、どうかしばらくお待ちく
昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術、2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至る。1年経過を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。第一期2月8日入院から3月までの流れ2/8緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる2/9深夜0時~8時緊急大手術のちGICUへ2/10昼間麻酔より覚醒2/13口に挿
昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術。2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至る。1年経過を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。第一期2月8日入院から3月までの流れ2/8緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる2/9深夜0時~8時緊急大手術のちGICUへ2/10昼間麻酔より覚醒2/13口に挿
昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術。2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至る。一年経過を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。第一期2月8日入院から3月までの流れ2/8緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる2/9深夜0時~8時緊急大手術のちGICUへ2/10昼間麻酔より覚醒2/13口に挿
昨年2023年2月8日夜、路上で大動脈解離に倒れ武蔵野赤十字病院へ救急搬送。2月9日深夜0時から緊急大手術。2月10日GICUで麻酔から覚醒。3月退院。その後、5月に胸が腫れる感染性合併症を併発。9月と10月に2回追加手術を受け現在に至る。経過1年を機に「2023病院日記」と題して備忘録を書きます。第一期2月8日入院から3月までの流れ2/8緊急搬送にて武蔵野赤十字病院へ運ばれる2/9深夜0時~8時緊急大手術のちGICUへ2/10昼間麻酔より覚醒2/13口に挿管
昨年2023年2月8日夜、路上にて倒れ(正確にはうずくまり)、病院へ救急搬送され、2月9日深夜0時から8時間に及ぶ大動脈解離の緊急大手術を受け、2月10日にGICUで麻酔から覚醒しました。それから約1年になります。その後残念ながら、5月に胸が腫れて来るという感染性合併症(手術などの治療に伴ってある確率で不可避に生じる感染性)を発症してしまい、9月と10月に2回追加手術を受け、現在に至ります。日常生活はだいぶ普通に生活できるようになりました。この機会に、普通に生活していたら体験できなか
こんにちはスッキリしないお天気ですねいつもいいねフォローありがとうございます体調はまずまずですおっきな邪魔物が居なくなって便秘が解消されましたいつも左側で詰まってる感があったんですよね思わぬ副産物でした不思議体験術後GICUに一泊したのですがその時不思議体験をしましたうつらうつらしている時私の右側から可愛い女の子の声で「こっちよ」と呼ばれました咄嗟に背中を向けてしまいま
私(母)7階受付で、ICUから戻りどの部屋に移ったのか尋ねると、今夜もう1泊ICUだと。面会はICUで出来るようなので、そちらへ行ってみる。ICUのドアの前のベットに息子はいた。私を確認すると、わずかにまぶたが開く。ほんとにほんのわずか。瞳が動いたのが1度だけ見えた。大きな息子は、だらーとただベットの上にいるだけという感じ。たくさんの管が、体中に付いていた。管の数、2ケタ、いってるのかな?それと酸素吸入器。「しんどい」「しんどい」と、はぁーはぁーしながら小さな声で、ため息の
夏休みを8/8からに設定し、弟が住む群馬に両親と小旅行を楽しみ呑気に1週間楽しんだ最後。8/14に微熱37.5度が出てエステのお客さんを念のためにキャンセルして翌日8/15日曜でお盆の中、市内で一件やってる病院に両親に頼んでPCRを受けにいきました。同居人さんは54歳でワクチンの接種があり、38度を1日前に発症している。熱以外の症状はないものの、会社勤務だから大事をとり互いに病院に行くと決めました。私は薬を細かく飲む性格なので、発症した段階でクラリス(抗菌剤と、カロナールを飲みました
今日は、潰瘍性大腸炎の記録を記します。少しだけショッキングな場面もありますので、苦手な方は、ここまでで・・・。2014年8月17日、夜9時過ぎ。テレビで、韓国ドラマ『奇皇后』を見ている時、便意がありました。(もう、奇皇后を見ている時点で不穏な空気あるでしょ?)トイレに駆け込み、用を足しましたがいつもと違う感じがしました。便器の中が真っ赤、いいえ、ワイン色でした。これは、尋常ではないので家族に出血が大変なものであるか確認してもらいました。(家族もいい迷惑よね。)
麻酔が解けてくると傷口の痛みとの戦いになってきた痛くて眠れないこれは痛み止めだこれがみんなに遠慮せずどんどん痛み止めをもらうようにって言われてた場面だと思い、痛みますか?と聞かれればすごく痛いですと答えてたなぁ痛みマックス10とするとどれくらいですか?の質問に10です、と即答の私これも麻酔効かせててくれれば良かったのにーと思うほど、耐えれない痛みズキンズキン傷口が痛む痛み止め点滴に入れてもらえば15分後には効いてくるけど、それまでが長い同じ姿勢で、管で体中繋がれているか
終わりましたよーリンパに転移なかったですよーという主治医の声だ目が覚めたあれさっき寝たばかりなのに、もう終わってるのワープだわ、本当にその言葉の通り一瞬で帰還しました痛みもなく、ただぼーっとしている多分ここ集中治療室だろうなぁ先生が何やら喋りかけているご主人にもお伝えしましたよ明後日にはこのバンド取ります手はなるべく動かしていきましょう物とかどんどん手を伸ばして取って行ってくださいねとか、、、、そしてまたここまでです、私の記憶。
痛み止め薬のお陰で何度となく目は覚めましたが痛み苦しむ事も無く朝を迎え看護師さんの朝の検温ですこれがまた一息苦しいのです体温血圧脈拍酸素量血糖値測定までは良し次に恐怖の身体拭き両足に装着された血栓防止のポンプとはここでお別れですポンプ外し締め付けソックスを脱いだ後の解放感が何とも言えず心地よしですありがたい事に全身をくまなく拭いて頂けることに関しては非常にありがたい事ですがなんせ前日開腹手術をしたばかりの体でありまして少
手術が終わったようで耳元で叫んでいる「〇〇さん手術が終わりましたよー」返事をする気力と体力は全くないので目だけは開けた覚えがあります元気よく「ハーイ!」と言いたかったのですが0・1%もそんな元気はありません次に目が覚めたのはGICUと言って主に術後管理の個室?術後回復室みたいな所です意識朦朧の中目を開けるとベットの周りに家族が囲み覗きこんでいる時間を聞いたら12時30分手術4時間掛かったんだーG先生から「問題が無ければ3、4時間で終わるでしょう
準備ができましたと呼ばれて、ぐったりしてる三男坊を抱っこして手術室へ自分が患者の時は入ったことあるけど第三者として手術室へ入るのは初めてだし、きっとこの後もないことだと思うなんだか言われるがままに色々サインしている間に三男は麻酔で眠ってじゃあお母さんはこちらへと言われて手術室から退室小児病棟の病室で待つことに事前に先生からは何も問題なければ1時間、腸の状態悪く切って縫合するとなれば2時間の予定と聞いていた待つこと2時間コンコンとドアが鳴り執刀してくれた女医の先生👩⚕️お母さん
子宮筋腫の記事です手術当日、2人目の手術らしいので、前の人が終わり次第呼びに来るという事だった寝る前に飲んだセンノシド(下剤)が効いて、排便はおっけーけど、念には念をという事で、あとで浣腸もするそうでちょっとげんなり…浣腸もすみ、親と旦那さんも来て、呼ばれる予定の1時間前に医療用の着圧ソックスを履き準備万端実は前の日の夜に、緊張と興奮からか微熱がでて37℃超えてしまって熱があると手術延期になるので、もしかしたら…とビビってました親が田舎から出てきて数日ホテルもとっているし、延期にな
今年この日は祝日だけど仕事の旦那は昨日のうちに夜中2時間かけて帰宅。朝9時過ぎに病院から電話、、一般病棟の件にしては早すぎる!何かあったのかと一瞬で頭の中ぐるぐるした。でも実際電話に出てみると、息子くんがママに会いたいって朝から泣いているので面会時間より早くきてもらえますか?だった!!!!こんな時までなんて可愛い奴なんだ!…とは思いつつ、術後泣かせないようにって言われてたので尚更早く行かなきゃ!って事で準備して病院へ。昨日の夜は完全に寝てた息子も意識はっきりとは
ICU(集中治療室)というと、救急車で運ばれた患者さんが入るイメージですが、計画的な手術後も、ICUに入ることが多いです。救急のほうをEICUというのに対して、GICUといいます。EmergencyとGeneralの違いですね。私は、全身麻酔で手術を受けたことが5回あります。①歯列矯正のための抜歯②IgA腎症治療のための扁桃腺摘出③子宮筋腫と内膜症(チョコレート嚢胞)の腹腔鏡手術④右胸乳がん温存⑤左胸乳がん全摘この中で、手術直後に関して一番つらかったのは、子宮筋腫でした。GIC
予定より30分早く手術室へ呼ばれた。手術室のあるフロアへ、看護師さんと一緒に歩いて行く。その間、緊張を解そうと優しく話しかけてくれた。手術室のフロアへ着くと、物々しい雰囲気に、少し怖くなり、涙が出そうになった。手術室の手前で、アレルギーの確認を受け、紙の帽子を頭に被る。そして、手術室へ。手術台の上に上衣を取って横になる。麻酔の点滴を入れ、酸素マスクをつける。麻酔科の先生が、少し咳き込む感じがあります、とか少しずつ麻酔が効いて行きますと話しかけていて看護師さんが手
朝9時に手術へと旅立ったなぎは夕方5時すぎに帰ってきました!手術は成功☆たくさんの点滴や管に繋がれて眠っていました。パッと見、数えれたのが15本くらいそれ以上あるかも…中を開けてみないと正確にはわからないと言われていたけど、心房中隔欠損は20ミリくらいになってて予想どおりほぼ壁がない状態でしたこれをパッチで塞ぎましたあとは心臓の入っている袋にも穴があいてたらしい(手術中にわかったこと)そのため普通はドレーン2個で出血を外に出すそうですがなぎは脇腹にもうひとつドレーンが
朝になりました。まともに寝れず疲れ切っていました。朝に採血がありました。相変わらず痛かったです朝のニュースを見ながらぼんやりとしていると、先生と看護師さんが来ました。確かはじめに水を飲むテストをしました。ドキドキしながら一口飲みました。「飲めた!!!!痛くない!!!!」と飲み込むと少し違和感はあったものの、すごく嬉しかったです。たくさん水をもらいましたが、昨日から喉がカラカラだったわりにあまり飲む気にならず、一口飲んでおしまいにしてしまいました。そして鼻からカメラを入れて声帯
麻酔がかかった後、次に目が覚めたのはGICUでした。すごく大きな声で名前を呼ばれて、無理やり現実に引き戻されたような感覚でした。(ああ、終わったんだ)って思いました。足元で慌ただしく看護師さんたちが何かしているのがわかりました。(エコノミー症候群防止のため、足にマッサージ機みたいなものをつけたり、手術中に足に湿疹が出来たため、その確認をしていたようです。)すごく眠くて寝てしまいそうになりながら、ナースコールを手にバンドで固定され、しっかり押せるか確認をしました。そのあとはしばらく寝
GICU生活は地獄のようなもんで、看護師さんが『テレビが見れますよ〜』と、リモコンをベッドに置いてくれたのだが、普段からあまりテレビを観る習慣が無いからから、暇を持て余してテレビを付けるも、うっとおしいだけだった。そんな中、ドイツで15年以上⁉️か何年か忘れたが、ピアニストとして活動している弟がopeの知らせを聞いて日本に来てくれた。私が入院する一週間前まで日本に滞在していて、日本でコンサートなどやってたらしく、ドイツへ帰ってまたすぐ日本へ来る羽目になったみたいで、なんかこんなしょうもない
目を覚ました時はカプセルの様な部屋にいた。G.I.C.U総合集中治療室だ。ここでは1日1リットルの水分のみの生活で私の場合、血中酸素値がかなり低くかったので、徐々に強力な酸素マスクに変えられた。最終的にはえらいごついマスクで、少し息をするだけで大量の酸素が入ってくる。口から食道辺りまで常にカピカピになり、『水を下さい…』と、頼むと『今日は後250ccです、どのくらいもってきますか?』ここでの今日とは、朝の6時から翌朝の6時までだ。ふと時計を見るとまだ15:00とかザラ
朝早く、妹から電話があり、義弟が急変したからすぐ病院に来て下さいって。私は突発性難聴再発で、最悪に聞こえないので安静にしてなきゃやし、今日はまこぷんも用事があって病院に行けないので妹は、甥っこと一緒に病院に向かい仕事に行ってる姪っこは仕事先からすぐにかけつけました。朝、嘔吐してその嘔吐物が、詰まって呼吸状態が悪くなったようです。また人工呼吸器に戻りました。嘔吐した原因がなにか?何かの感染症を起こしたのか、血栓ができてるせいなのかまだわからないらしくって。。。水頭症ってのも起
手術が終わったのが6月17日の夕方。今日はGICUで過ごし、明日のお昼くらいに病室に戻るという予定。GICUにいる間は、尿の管や酸素マスクなど、すべての管がくっついてる状態。そして、身体じゅうが痛い痛い。自分で身体を動かすなんてのはムリ。時々、看護士さんがやって来て、身体の向きを変えてくれます。(片側の背中の下にバスタオルを丸めたようなものを入れて持ち上げてくれる)このGICU、窓もなく、医療装置がたくさんあって処置室といった感じの個室。時計もなく(自分の見える所には)昼なのか夜