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世の中には「資格コレクター」と呼ばれる属性があります。私もそのような呼ばれ方をしたことがあるのですが、持っている資格を数えてみると50くらいでしたので、まだ序の口といってもよいでしょう。私が知る資格マニアは、ほぼ毎週のように何か受験しており、正確な数はさすがに存じ上げませんが、何百か持っておられる事と思います。そんな私ですから、資格コレクション道はその道の達人にお譲りすることにして、そのうえで、資格コレクターにもいくつか属性があるように思います。大きく
インターネットが普及する前から、世の中には「嘘つき」という属性がいました。詐欺師もいますし、日常生活で見え透いたウソばかりつく人もいます。幼稚園や小学校くらいから、その属性が、たしかに、可視化されていくのではないでしょうか。私が小学生くらいの時はインターネットなどは普及していませんでしたが、そこですら、様々な嘘つきがいました。嘘つきの多くは、それで自分を良く見せたいのではないかと思います。しかし、見え透いた嘘で、ろくに相手にされない奴が、たしかにいま
「おそ松くん」という6つ子が主人公の漫画があります。その6つ子が大人になった作品が「おそ松さん」です。これが随分流行ったために、ネットスラングとして生み出されたのが「嘘松」というものです。要は、(ネット上で)ウソをつく。つまりデマを流すということです。デマも、様々なものがあります。作り話もあれば、自分を良く見せたいため、武勇伝のようなことを「自分語り」することもあります。しかし、客観的なデータ、2ちゃんねるでよくいわれた「ソース」などを参照すると明白なウ
人は、努力などをして一定のレベルで収まるとそこに、ある種の心地よさを感じてしまい、それ以上は努力や苦労はしないといった傾向が確かにあるようです。いい学校、いい会社に入った場合や、特定の世間で、相応の社会的地位に就いた場合などがまず考えられます。その結果、昔は苦労や努力をしており、謙虚になっていた大人が、悪い意味で性格が変わってしまうことがあります。そうならないため、どうすればよいでしょうか。1つは、世の中には上には上がいることなどを自覚して、謙虚に努力や研
私の趣味でも猛威を振るう、ユーチューバーなどの自分語り系配信ですが、私は大抵はまともに視聴していません。鉄道が趣味なのですが、車窓や、車両など本人が口を挟まずに、淡々と見せてくれた方がありがたいのです。私が興味あるのは、車両や風景の方であり、配信者個人には興味ないのです。もし配信する個人に興味を持つなら、その知見に一目置くところがあり、人間性など魅力がある場合です。著名な芸能人などにそのような器がある人物もいますが、素人に毛が生えた程度のそれではまったくとい
現在の司法試験は間違いなく、法科大学院が出来る前の時代と比べても、試験が簡単になってしまいました。現行の制度では、予備試験というエリート選抜といってもよい別ルートがありますが、そこを経由していない、法科大学院出身の弁護士になると、能力などが担保されないといってもよさそうです。昔の試験が東大の試験なら、現在の試験は問題は東大レベルでも、ボーダーラインは、地方国立大学くらいではないでしょうか。新興系と呼ばれる弁護士法人のHPなどを見ていますと、ご丁寧にも出身高校ま
法科大学院という政策は失敗という意見がみられます。私もそう思います。こんな私も、かつて旧司法試験は受験していましたから、当時の司法試験のむずかしさを思い出すと、最近の司法試験に合格した(若手)弁護士のノリの軽さのようなものに違和感を感じることがあります。試験が易しくなったことは確かなようです。その試験問題自体は、現行の試験であってもよく考えられており、現在の私のような、試験を受けなければいけないわけではない立場の者であっても、現代社会に生起する様々な問題を法
「不良債権」といいますと、回収不能、もしくは回収が困難な債権という定義づけがされます。それが、人に対する評価として用いられることがあります。要するに、お金ばかりかかって、生産性がない人間のことです。昔から、ごく潰し、無駄飯食いという蔑称もたしかにありました。お給料をたくさん貰って仕事をしない人や、仕事ができない人もいるでしょう。そして、家計という観点で見た場合、結婚恋愛といったところで、不良債権に出くわす事があります。恋愛市場は、何かと女性優位で
近年「自分語り」という言葉が用いられることがあります。インターネットなどで、自分の境遇など延々と語るようなところがあります。他人はそれをどうでもよいと感じていても本人が、それをひけらかしたくて仕方がないといった印象を受けます。私の趣味に関することでも出てくる、最近の自分語り系配信者ですが、なぜ私が、これに違和感を感じるかといいますと、贔屓目に見ても、その知識や専門性、外見から感じる人間性が中途半端だからです。それ故、独創性に欠けることがあげられます。
指定校推薦が蔓延し、名門私立大学にかつてのレベルの高さを維持できなくなっているところが出ているようです。私が住む関西でも、推薦入学の枠を増やし過ぎたために、わざわざ一般入試を苦労してまで入るほどの価値がなくなり、阪大などの国立大のすべり止めにすらされなくなってしまったような私学があります。推薦入学は、学校経営という観点では、入学者確保のほか、内容によっては寄付金などを募ったりすることでお金も入るので経営上は有利と言えるのかもしれません。しかし、正当な努力とは無
人のことをあまり言える立場ではないとは思いますが、差別化というのは、変なものを引っ張ってくることではないと思います。小難しい御託をたれればよいわけでもないでしょう。あたりまえのことをきちんとしていたら、差別化できるはずなのです。学校でも、成績がオール5であれば、それは立派なことです。私は、高校時代の評定平均は4でした。4ばかりで、たまに3と5があった程度の成績です。いちおうは中の上くらいだったわけです。実際のところオール5に近い成績といえば余程
このところ、私が申し上げていることは、自由という幻想に囚われ、かえって自由ではなくなる言動をする大人がいることです。このような大人とかかわらないほうがよい理由として、幻想に囚われると見境がなくなり、他人を巻き込むことがあるからです。投資など儲け話を誘うのも、その典型かもしれません。本人は詐欺のつもりではない場合でも、その見通しなどがまるでできていないため、当然のように失敗します。そして、その金銭などを他人から借りたり共同で事業をやるように持ちかけます。詐
どうも天下りで悪名高いプロバイダ企業の回線がよく障害を起こすみたいです。当方の地元では、ご当地ケーブルテレビの回線だったのが、いつの間にか天下り企業に契約先が変わってしまいました。その天下りと指定校推薦はわりと似てると思います。連中はどちらも、「努力をしたから」今の自分があるという物言いをするようです。内輪受けすることを媚び売ってまで行うことなど、努力ではありません。外部で評価される、客観的な能力ではなく、身内に甘い評価を受けるため、安めを売る行為を、努
起業の成功体験の話にもよくある事例に実家や配偶者の世話になっているのに、自力でやり遂げたように吹聴するものがあります。お金や縁故などがなくては、大抵うまくいかないはずです。私の知る、自称起業家の中には、実家が事業で成功しており、その地盤を継いでいたに過ぎない事例もあります。別に本人がゼロから何か成し遂げたという訳ではないのです。お金持ちの子供はすごくずるいという俗説があるようですが、私も、それは是認するところがあります。お金持ちの自称成功者の中
自由になりたいといっても、その思考が不自由という人たちもいます。意識高い系と呼ばれるような、本物の意識高い人とは似て非なる連中がそれに該当すると思います。書店のみならずコンビニにも売っている自己啓発書ばかり読んで、本当に啓発されるのでしょうか。これらの本は、速読を身に着けている方ならものの5分や10分で読めてしまうでしょう。内容も当たり障りのないものばかりで、本物の読書家であれば、さすがに飽きてくるものかもしれないのです。そこには、自由が個人の生き方の確
一部の金持ちの子供たち(成人も含む)を見ていますと、自分の成功は、自力での努力や苦労の成果という錯覚をしているようです。実家や身内、縁故がものを言っていたはずですが、そうでも思い込まないと、自尊心が保てないからなのかもしれません。そのような人たちは、元々能力はそんなには高くないですが、プライドだけは非常に高く、他人を見下すといったことをします。根性などで、貧しくとも苦学して同じような地位に上り詰めた人物とは雲泥の差があるといってよいでしょう。伝統的に、東京
自由に憧れているようですが、その自由をかなり都合のいいようにとらえており、かえって不自由になる言動をする人たちがいるのです。不動産ですと、経済的自由という幻想に囚われかえって不自由になることをしたがる人たちがたしかにいます。多額の借金をしてでも、収益性のある1棟ものを所有出来たら、不労所得が入り、自由になれるというような思考や行動をします。しかし、はたして、そんなにうまくいくものなのでしょうか。連中は「金持ち父さん」みたいな本を本気で信じ込んで、アメリカ
FPのお勉強は「金持ちの子供はとてもずるい」「大人になればより狡猾になる」という事例を机上で学ぶことではないかと考えます。ライフプランや相続のお勉強では、たいして仕事ができなくても、太い実家から高額な財産をもらえる事例の「お勉強」をします。バブル期に、ある暴力団の組長が、なぜ極道に入ったかというと、標準的な会社員では家一軒まともに所有できなかったからという趣旨の発言をしていました。また、そこの若頭は、生まれ変わったらお金持ちの息子になりたいというのです。生活費を稼ぐ
人は、何か成功すると、それを他人に自慢したくなる習性があるようです。自慢話となり紙媒体などになって出回るものとして合格体験記があります。私は、合格体験記は、その内容を鵜呑みにはしない方が良いと考えています。その内容自体が虚偽ではないにせよ、何らかの意図があって、事実を脚色している可能性が非常に高いからです。まず、承認欲求や自己顕示欲による脚色です。自分はすごいと言いたげに、話を盛っている可能性があります。特に難関資格一発合格の体験記は、気を付けたほうが
じゃりン子チエという漫画には、作中で名言がいくつもあります。ひもじい、寒い、もう死にたい(アクションコミックス5巻より)というものがよく紹介されますが、私が気に入っているのは、この名言を言ったチエちゃんの祖母が、自分の孫が溜まっていた宿題を処理していた時の様子を見て言った、セリフです。勉強して、賢くなるタイプと、そうでないタイプがいる(アクションコミックス34巻より)自分の孫は、賢くなるタイプではなかった、と言いたげです。実際のところ、学歴があ
私には、この夏は異常気象で、体力を奪われ、年を取ってきた(もう若くない)ことを認めざるをえなくなってきました。基礎体力も身につけたいところです。コロナ禍もあって運動不足がたたり、体力も落ちてきたように感じています。そして、今さら基礎教養も身に着ける必要があると考えているのです。昨今乱世になっております。こういう時代にはいい加減な言説を言いふらし、注目を引こうとしたり、金儲けする連中が跋扈するのです。暴漢から守るために護身術を身に着けるように、いい加減
よくビジネスでは「差別化」と呼ばれることをします。他所と自分で、こういうところが違うということを示すのが差別化といえそうです。特定の資格を自分だけ持っていたら、それも差別化の一つと言えます。もちろん、仕事ができないと意味がないと言われるのですが、資格がないと、その仕事すら、やらせてもらえないことがあります。宅建などはその典型です。一方で、FPは名称独占資格ですから、それがなくても、できる仕事はできてしまいます。それは、能力のほか、法令などで無資格者の
不動産関係の仕事をしていますと、自由というものに変な幻想を抱き、それこそ自由とは「真逆」の行動をとる事例を見ることがあります。自由になりたいのに、かえって不自由になることばかりやるわけです。不動産投資で成功すれば、たしかに経済的自由を得られる余地は確かにあるでしょう。しかし、そのために成功をした人は一体どれくらいの割合でいるのでしょうか。正確な統計を取った訳ではありませんが、事実上、起業をするわけですから、実際、成功割合はあまり高くはないでしょう。たしか
不動産業では、顧客が「夢を語る」ことがよくある業態と言えそうです。まず、家を買う時です。マイホームを夢と捉えることがありますから、その夢が実現できるお手伝いをすることも、不動産業の業務の一つです。近年では、何の根拠があるのかわかりませんが「経済的自由」などを夢見て投資をしたがる一般人が増えてきました。ここであえて一般人としたのは、機関投資家や従来より不動産賃貸業などをやっていた訳ではなく、労働基準法でいう労働者でありながら、専門的な知見もなければ、資格も持
私はかつて、大学受験で複数年も浪人をしたせいなのか、私なりに、日本の学歴に関する独自の見方は持っているとは思います。しかし、それが絶対とはいえませんし、事実学歴とは無縁の世間も、この国にはたしかにあります。実際に宅地建物取引士として仕事をしても、まず、中小零細の不動産屋さんで学歴を話すことは、まずありません。同じ資格で仕事をする分には、平等なのです。学歴で待遇に差をつけること自体意味がないのでやらないでしょう。匿名掲示板やSNSなどでは、学歴に関する無用
基礎学力という用語は、一般的に、学校で教わる内容のことを指すように思われます。高校くらいまでに教わる内容のことは、社会において、それがわかっておかないと、仕事、生活などで支障をきたすこともたしかにあると思われます。中学や高校で教わる内容のものは、幾分高度になり、義務教育ではない高校では選択科目といった形で、必ず履修しなくてよい科目もあります。大学受験を意識する場合は、文系や理系、国公立や私立といった入試区分もあり、意図的に学習を避ける科目もあります。
日本経済が絶頂期の時に幼年時代もしくは少年少女時代を迎え、社会に出る年ごろには労働経済一つとっても不遇をかこってきた私たちのような氷河期世代は、今となっては若い人たちにとって、あまり評判がよろしくないようです。それもそのはずで、現在会社や組織で仕事をしていると、中間管理職くらいに居座るのが私たちの世代だからです。氷河期世代はリーダーシップなどを発揮しない無能が多いとする指摘もあるようです。同年代として考えられそうなのは、この世代は労働経済で冷遇されたために、社
人生の中で、いつが全盛期、もしくは絶頂期であるかは、振り返ってみないとわからないのかもしれません。子供のころや、若いころなどを人生でいちばん楽しかったころとみる人が割といるように思います。まだ社会に出る前の年頃は、まだ責任もなく、大人の庇護のもとでいられましたから、楽しいことばかり意識しておけばよかったのかもしれません。大人になり社会に出ると、何かと責任がついて回ります。そのように考えると、人生で最もよかったとされる時期は、社会的な責任や負担を意識せず
今の子たちは、たしかにバブルのころの日本や世界を経験しているわけではないといえます。日本の元号が昭和から平成に変わるころの日本は、経済などで絶頂期にありました。そのころ、わたしはまだ子供でしたが、その時代を確かに生きていて、浮かれた世相であったことは感じ取っていたように思います。とにかくこのころの日本は、何かと「未来」などという用語で、科学技術の発展などを夢見ていたような空気があった様に思います。ところが、浮ついた空気は、5年、10年で一気に暗くなっていきま
私がFPのお勉強で、特に気に入らないと考えるものの一つが「計画表」です。利回りを考え、現在価値で将来必要となる資産の総額を計算すること自体は重要であるとは思います。しかし、その内容自体が、きわめて都合がよく自営業や中小企業勤務などの経済基盤が強いといえない人たちからすると、甘すぎるといってよい内容の計画表の作成を強制されます。組織に居続けるだけで、毎年1パーセントはお給料が上がるという会社が、はたして、令和時代の日本にどれほどあるのでしょうか。景気の変動も