ブログ記事8件
ボラソナーロ登場‼️バラされたら困る事があるんでしょうねぇ~(˵՞͜ʖ՞˵)相当言論統制したいんでしょうねぇ~。
2009.2.7<本日の移動>10:15カリ→→ぺレイラ15:309:00にチェックアウト。朝食後タクシーでバスターミナルへ。ターミナルの入り口では、警官にしつこくしつこくパスポートチェックをされた。めんどくさいカリからぺレイラまでは5時間。バス代は20,000ペソ=約880円。5時間にしては高くない???そう思って「え~~。」って渋っていると、簡単に15,000ペソ(約600円)までまけてくれたバスを値切れるのは、外国人だ
【ここまでのルートをおさらい】神戸→→中国→チベット自治区→ネパール→インド→パキスタン→インド→バングラデシュ→インド→パキスタン→中国新疆ウイグル自治区→キルギス→カザフスタン(素通り)→ウズベキスタン→トルクメニスタン→イラン→トルコ→シリア→→イエメン→→ヨルダン→イスラエル→ヨルダン→エジプト→スーダン→エチオピア→ケニア→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ナミビア→南アフリカ→→アルゼンチン→チリ→ボリビア→ペルー→エクアドル→コロンビア(日本を出て1年11ヶ月目)2009.2.
全地球に猛威を振るう武漢肺炎で、極左ならず者マドゥロに統治されるベネズエラは静かだ。現在までたった14人の感染者しか報告されていない。隣国のブラジルが1万1000人以上の感染者を出していることを思えば、にわかに信じがたい思いだ(写真=マスク姿で会見するマドゥロと側近ども)。極小数のベネズエラ感染者数は実態を反映していない?これには2通りの解釈がある。1つは、経済封鎖で事実上の「鎖国」状態に置かれているため他国からの感染がないこと、もう1つは公衆衛生も統計も混乱し、本当の事
ルーブル美術館のアートが香りになった!?カーサブルータスこれは、〈ルーブル美術館〉と19世紀創業のパリの総合美容専門店〈オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉とのパートナーシップによって実現したもの。〈ルーブル...『7月6日はなんの日?』ルイ・アームストロングの命日没後48年ニコニコニュースそれ以降も多数のシンガーによってカバーされており、ベトナム戦争中、平和な世界を夢見て歌われた「この素晴らしき世界」は、発表から半世紀を迎える現在も、...三国志の英雄、曹操が詩
まとめ読売新聞大阪版2017-11-28国際面〔地雷の苦しみ消えずコロンビア和平1年〕◆コロンビア革命軍FARCコロンビアで1964年に社会主義政権樹立を目指して結成された、同国最大のゲリラ組織。最盛期には国土の1/3を支配。内戦により市民ら22万人が犠牲に。資金源:誘拐による身代金、コカイン栽培での麻薬取引の収入2002年ウリベ政権発足。ゲリラ掃討作戦を強化2012年サントス政権が和平交渉開始2016年11月和平合意成立…武器放棄、協同での地雷除去も内容に含む
コロンビアで半世紀に及んだ、コロンビア政府と反政府ゲリラFARCとの内戦、20万人以上の犠牲者を出し、やっと武装放棄、合法化に踏み出しました。国連監視団がゲリラ戦闘員の各種武器7132丁などの回収の完了を確認しました。これを受けてコロンビア議会は和平協定に基づき、FARCに上下両院5議席ずつ与えることになりました。和平合意は国民の不満からかなり遅れたものの、ノーベル平和賞を受賞した、サントス大統領は『この50年間で最も良い知らせだ』と和平実現の第一歩を強調。FARCロンド
今年2016年のノーベル平和賞を受賞したコロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領ですが、その後、FARCコロンビア革命軍との和平合意が、国民投票で否決され、大統領もゲリラも困った状態が続いていましたが……修正協議の結果、『FARCと新たな合意に達した』と発表です。サントス大統領は『前回の和平合意に反対した政党はじめ、多くの団体から意見を聞き協議した』……FARC側の申告に基づき財産没収し遺族の補償にあてることなどを新たに盛り込むとのこと。サントス大統領は『平和のため新
今年2016年のノーベル平和賞は、コロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領と、ちょっと意外な人物が受賞です。受賞理由は、半世紀以上に及ぶ反政府組織FARCコロンビア革命軍との和平交渉にこぎ着けたこと。サントス大統領は2006年以降、国防相に就任してFARCへの掃討戦を成功させ、飛躍的に治安を向上……その勢いで大統領に就任後、ノルウェー、キューバの仲介を得て約4年越しの交渉を行い、先月、和平合意にこぎ着けました。オヤジもこのニュースを記録しようと思いましたが止めました。
すべての国民の意思を問う直接民主主義の精華である国民投票とは、実は権力者には危険な賭けであることは、先のイギリスのEU離脱を問うた国民投票でも明らかになった。ハンガリー、コロンビアの国民投票の先駆けブレグジット投票当日、中部と南部のイングランドの悪天候もあって、「柔らかい」離脱反対派は投票に行かず、離脱否決が確実と見た一部反対派も棄権した。一方、賛成派が比較的投票に出かけたことで、直前の世論調査を逆転する微差での離脱賛成、となった。自身の政治基盤を固めるために、離脱否決を見込んで