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1970年11月三島由紀夫自決直前、親友のドナルド・キーン氏(DonaldKeene日本文学研究者、2019年96歳没)宛に、正に遺書とも言うべき手紙を書いていた。この手紙は三島が直接キーン氏宛に郵送したのではなく、三島の自刃後に、瑤子夫人から直接手渡されたのだ。此の手紙には11月とあり日付は書いて無かった。『前略、小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました(中略)小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思ってゐました』末尾には『この夏下
2008年に文化勲章を受章したドナルド・キーン(DonaldLawrenceKeene、1922-2019年)は、米国生まれの日本文学研究家、コロンビア大学名誉教授、彼は真珠湾攻撃から間もない1942年、カリフォルニア大学バークレー校の海軍語学校に志願、その後は海軍情報士官としてハワイの海軍翻訳局に赴任した。【紀尾井町の福田家で対談中の二人、1964年】三島由紀夫とは1954年に知り合って以来親交を深めた。ドナルド・キーンの日本語名「怒鳴門
Helloeveryone!先日、アメリカから日本に帰郷中の翻訳業に携わる友人に誘われ、横浜で開催されている『生誕100年ドナルド・キーン展』へ行ってきました。語学や文学の仕事に携わっていなくても、ほとんどの日本人はこの方の名前は知っているはず。ちなみに、東日本大震災後に日本に帰化した彼の漢字名は「鬼怒鳴門」。1922年にニューヨークのブルックリンで生まれたキーン氏は、飛び級で奨学生として16歳の時に米国の名門コロンビア大学へ入学。そこで出会った中国人学生の影響を受けて漢
ドナルド・キーン(DonaldKeene、1922-2019年)は、2008年に文化勲章受章。米国生まれの日本文学研究家、コロンビア大学名誉教授、彼は真珠湾攻撃から間もない1942年、カリフォルニア大学バークレー校の海軍語学校に志願、その後キーンは海軍情報士官としてハワイの海軍翻訳局に赴任した。【1964年虎ノ門の福田屋での対談】中央公論新社提供三島由紀夫とは1954年に知り合って以来親交を深めていった。ドナルド・キーンの当て字で「怒
三島由紀夫の研究者としても知られていた文芸評論家であり文学者の故ドナルド・キーン(DonaldKeene平成31年96歳没)、は昭和31年に近代能楽集『班女』の翻訳を通じて知り合って以来、二人は交流を深めて行った。【二人は昭和31年以来の交流】【三島由紀夫が提案した漢字名】昭和16年12月、キーンは日米開戦に伴い米海軍日本語学校に入学し、正式に日本語教育を受け情報士官として海軍勤務し、太平洋戦線で通訳官を務めた。彼は後