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先日、紹介しましたトゥームレイダーDEFINITIVEEDITIONをクリアしました。ゲームクリア度は70%でしたが、ストーリークリアまでの時間は、延べ12時間ほどでした。前回紹介していたアサシンクリードⅣで、ストーリークリアまで延べ58時間かかったことを考えると、トゥームレイダーは、かなりサクッとプレイできるゲームだと思います。ちなみにどちらもファストトラベル(エリア、町などの瞬間移動)は利用していません。アサシンクリードは、海洋移動で海賊稼業をしながらでしたので、その分時
ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後,初のアルバム『AMomentaryLapseofReason(鬱)』をリリースした新生ピンク・フロイド(PinkFLoyd)は,アルバム・プロモーションを兼ねて1987年9月9日カナダはオンタリオ州オタワのランズドーン・パーク公演を皮切りに,1989年7月18日フランスはマルセイユのスタッド・ヴェロドローム公演まで粗2年間に渡る大規模な「AMomentaryLapseOfReasonTour」
1976年12月の初来日での模様を収録した,オフィシャル・ライブ・アルバム『OnStage(レインボー・オン・ステージ)』を,1977年7月にリリースしたレインボー(Rainbow)は,1977年9月25日スウェーデンはストックホルムのコンセルサス公演を皮切りに「OnStageTour」と銘打ったアルバム・プロモーションの為のツアーを開始します.このツアーは,北欧~欧州~英国を回り,1ヵ月強のブレイクを挟み,ツアーの一環として再来日を果たします.本商品は9月
普段はあまり聴かない,ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後のピンク・フロイド(PinkFloyd)音源.ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後,初のアルバム『AMomentaryLapseofReason(鬱)』リリース後に行った1987年から1989年にかけての大規模な「AMomentaryLapseOfReasonTour」の一環にて,1988年3月2日から3月9日に3回目の来日を果たしました.その際,代々
1981年9月にアルバム『Discipline(ディシプリン)』をリリースした再結成キング・クリムゾン(KingCrimson)は,アルバム・プロモーションを兼ねて10月5日英国はバースのモール公演を皮切りに,翌年3月15日英国はロンドンでのBBCテレビ・プログラム「TheOldGreyWhistleTest(OGWT)」への出演まで「DisciplineTour」(実際のツアーは3月14日英国プールはウェセックス・ホール公演が最終)を行います.因
普段はあまり聴かない,ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後のピンク・フロイド(PinkFloyd)音源.ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後,初のアルバム『AMomentaryLapseofReason(鬱)』リリース後に行った1987年から1989年にかけての大規模ツアーにて,1988年3月2日から3月9日に3回目の来日を果たしました.その際,代々木オリンピック・プール公演に3日連続参戦したのが懐かしいです.ちなみに,
レインボー(Rainbow)の再来日公演(「OnStageTour」)終了の2か月後(1978年4月)にリリースされた3枚目のスタジオ・アルバム『LongLiveRock'n'Roll(バビロンの城門)』(録音:1977年5月~7月,12月)のプロモーションを兼ねて,1978年5月9日テネシー州メンフィスはミッド・サウス・コロシアム公演を皮切りに,8月24日ニューヨーク州はニューヨーク・シティーのパラディウム公演まで,約3ヵ月半に渡る北米ツアー(「LongLi
1980年6月にリリースされた『ThereAndBack(ゼア・アンド・バック)』のプロモーションを兼ねた「ThereAndBackTour」の一環で,1978年に続き,1980年12月に約2年振り4度目の来日を果たしたジェフ・ベック(JeffBeck).この時の来日公演は12月4日東京の日本武道館公演を皮切りに,12月18日同じく東京武道館公演(追加公演)まで都合11公演を行い幕を閉じました.本CDは,その来日公演から12月17日東京は日本武道
1980年6月にリリースされた『ThereAndBack(ゼア・アンド・バック)』のプロモーションを兼ねた「ThereAndBackTour」の一環で,1978年に続き,1980年12月に約2年振り4度目の来日を果たしたジェフ・ベック(JeffBeck).この時の来日公演は12月4日東京の日本武道館公演を皮切りに,12月18日同じく東京武道館公演(追加公演)まで都合11公演を行い幕を閉じました.本CDは,その来日公演から12月16日神奈川県は横浜市
ピンク・フロイド(PinkFloyd)の1975年北米ツアーは,1975年4月8日カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーのパシフィック・ナショナル・イクシビション・コロシアム公演から,4月27日米国はカリフォルニア州ロサンゼルスのサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ公演までの1stレグ.1ヶ月強の間をおいて6月7日米国はジョージア州アトランタのアトランタスタジアム公演から,6月28日カナダはオンタリオ州ハミルトンのイボール・ワイン・スタジアム公演までの2ndレグ
こんにちはー、ライズのムラカミです今日はドライバーズ神栖さんで別のスタッフがイベントしにいっております。良かったら足を運んでみてください。今日はCLIKMOUNTの最後、プレミアムをご案内します。プレミアムの最大の特徴は…このアームです。90度起き上がります。これの何がいいかと申しますとクリックマウントはバーに装着する際に工具を使用して固定します。そのため、バーの位置を固定するとアームは回転しかしません。固定すると微調整もなかなか難しい。でも、このプレミアムだったら固
こんにちはー、ライズのムラカミです昨日に続いてクリックマウントの二つめ、アクションカムプラスをご紹介します。この機能は素晴らしいですよ(自画自賛)スマホをマウントして、更にアクションカム(ゴープロなど)を取り付け出来るのです。1台2役。走行動画を撮影する方も増えております。ヘルメットマウントなどもありますが、出来ることなら頭の重量を増やしたくない。スマホホルダーと一緒にアクションカムマウントがあればスマホでナビしながら、走行動画も撮って、なん
こんにちはー、ライズのムラカミですTwitterでもお知らせしましたが、今月25日はイベント参加です。バイカーズパラダイス南箱根で、バイク女子部ミーティングというイベントがあります。バイク女子向けに試乗会などがあります。当社もSUGARRIDEZブランドの製品を持っていきます。普段はなかなか女性ライダーが集まる場所もないのでこのような機会はとても貴重です!詳しくは「バイク女子部」で検索してみてください。さて、昨日入荷したスマホホルダーの新製品CLIKMOUNTクリックマウ
おはようございます、ライズのムラカミです昨年の製品紹介の記事です。シリコンのシューズカバーは今日みたいな雨の日に活躍しますよ!今日は入荷だーーー後程紹介します、新製品のスマホホルダーです。それではまた明日RIDEZ|ライズオフィシャルサイトRIDEZInc.のオフィシャルサイトです。ヘルメットやアイウェアのプロテクションギアメーカーであり、ライダースジャケットやデニムをはじめとするアパレルも年々アイテムを充実させています。バイクが共にあるクー
1979年11月に,アルバム『TheWall(ザ・ウォール)』をリリースしたピンク・フロイドは,そのリリースに伴うプロモーションの為,年が明けた1980年2月7日の米国はカリフォルニア州のロサンゼルス・スポーツ・アリーナ公演を皮切りに,ニューヨーク州のナッソウ・コロシアム公演,英国はロンドンのアールズ・コート公演,そして翌年に当たる1981年には,独国はドルトムントのウェストファーレン・ハレ公演,英国はロンドンのアールズ・コート公演と,1980年~1981年にかけて,4都市で「
ピンク・フロイド(PinkFloyd)の1975年の北米ツアーは,1975年4月8日カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーのパシフィック・ナショナル・イクシビション・コロシアム公演から,4月27日米国はカリフォルニア州ロサンゼルスのサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ公演までの1stレグ.1975年6月7日米国はジョージア州アトランタのアトランタスタジアム公演から,6月28日カナダはオンタリオ州ハミルトンのイボール・ワイン・スタジアム公演までの2ndレグ.
昨年12月にザ・ビートルズ(TheBeatles)関連の商品が多数リリースされたことに伴って,商品を2組購入すると希望者に配布されるギフト・アイテムとして,1966年の日本公演関連の映像を収録したアイテムが登場しました.その映像は,ネットを参照すると,多分,2018年10月頃に商品としてリリースされており,昨年の6月30日にもザ・ビートルズ(TheBeatles)の日本来日公演日に合わせたのか最後の20セット入荷との告知があった『LiveAtBudokan1966
ザ・ビートルズ(TheBeatles)が1969年1月に行ったセッション(GetBackSession)と,最後の屋上でのライヴ・パフォーマンス(RooftopConcert)の模様を記録した,ビートルズ最後のドキュメンタリー映画『LetItBe(レット・イット・ビー)』が,リバプール・ゴーモン(LiverpoolGaumont)で1970年5月8日(日本公開:1970年8月25日)に公開されてから,昨年で丁度50年を迎えました.本商品は,50周年という事では無
ジェフ・ベック(JeffBeck)は,1975年3月にアルバム『BrowByBrow(ブロウ・バイ・ブロウ)』をリリース後,そのプロモーションを兼ねてニューヨーク州はバッファローのニュー・センチュリー・シアター公演を皮切りに,7月30日ハワイ州はホノルルのホノルル・インターナショナル・センター(NBC:NealS.BlaisdellCenter)公演まで北米ツアーを行い,その後,「WorldRockFestivalEastland」(ワールド・ロック・フェスティ
ジェフ・ベック(JeffBeck)は,1975年3月にアルバム『BrowByBrow(ブロウ・バイ・ブロウ)』をリリース後,そのプロモーションを兼ねてツアーを行います.そして,北米ツアーから「WorldRockFestivalEastland」(ワールド・ロック・フェスティヴァル)の一環で1975年8月にベック・ボガート・アンド・アピス(BBA:Beck,Bogert&Appice)時代(1973年5月)に次いで2度目の来日を果たし,その後の9月
1971年9月23日~9月29日にかけての衝撃の初来日公演を終了し,帰国したレッド・ツェッペリン(LedZeppelin)は,暫しのブレイクを挟んで4thアルバム『レッド・ツェッペリンIV』リリース直後の,11月11日タイン・アンド・ウィア州ニューキャッスル・アポン・タインのニューキャッスル・シティ・ホール公演を皮切りに,12月15日ウィルトシャー州ソールズベリーのシティ・ホール公演まで冬の英国内ツアーを行います.本商品は,この英国ツアー序盤に当たる,11月16日サフォ
レッド・ツェッペリン(LedZeppelin)は,1970年1月7日バーミンガムのバーミンガム・タウン・ホール公演を皮切りに,2月17日エジンバラのアッシャー・ホール公演まで行われたUKツアー,2月23日フィンランドはヘルシンキのクルトゥーリタロ公演を皮切りに3月12日ドイツはデュッセルドルのフラインハレ公演まで行われた欧州ツアーに続き,3月21日カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーのパシフィック・コロシアム公演を皮切りに,4月18日アリゾナ州はフェニックスのアリゾナ・コロシ
「軽井沢100記念」事業の一環で1986年6月1日に長野県は軽井沢で,軽井沢町協力の元サントリー・ビール主催で開催された「SuntoryBeerSoundMarket’86InKaruizawa」(サウンド・マーケット’86イン・軽井沢).軽井沢プリンスホテルの野外特設会場で開催された,このイヴェントは,ジェフ・ベック(JeffBeck),カルロス・サンタナ(CarlosSantana),スティーヴ・ルカサー(SteveLukather)が共演し
1970年英国に次いで欧州ツアーを3月まで行ったピンク・フロイドは,4月9日ニューヨークはマンハッタンにあるフィルモア・イースト公演を皮切りに,5月16日ルイジアナ州はニューオーリンズのウェア・ハウス公演まで第一次北米ツアーを,また9月26日ペンシルベニア州フィラデルフィアのエレクトリック・ファクトリー公演を皮切りに,10月25日マサチューセッツ州ボストンはボストン・ティー・パーティー公演まで第二次北米ツアーを行います.第一次北米ツアーは,当初6月6日まで予定されていましたが,キャン
ネットを参照すると,多分,2018年10月頃にリリースされていると思うのですが,ザ・ビートルズ(TheBeatles)の日本公演日に合わせたのか6月30日に「★最後の20セットです」との告知が....そして告知に踊らされて購入してしまった商品が『LiveAtBudokan1966DefinitiveEdition(NoLabel)』です(笑)そして完売!「7/1★ビートルズ「LIVEATBUDOKAN1966DEFINITIVEEDI
1976年12月の初来日での模様を収録した,オフィシャル・ライブ・アルバム『OnStage(レインボー・オン・ステージ)』を,1977年7月にリリースしたレインボー(Rainbow)は,このアルバムのプロモーションも兼ねて1977年9月から「OnStageTour」と銘打ったツアーを開始し,1976年12月の初来日から,ほぼ一年後の1978年1月に,ツアーの一環として,2度目の来日を果たします.1978年の再来日では,1月11日名古屋市公会堂公演を皮切りに,17
1970年6月(:1969年10月~1970年4月録音)にアルバム『InRock(イン・ロック)』をリリース後,1970年6月4日英国はベッドフォードのベッドフォード・フットボール・グラウンド公演を皮切りに第二期ディープ・パープルの最終公演である1973年6月29日の大阪厚生年金会館公演まで,長くても1ヵ月程度のブレイクを挟みつつ継続的に行われるツアー.その間,1971年7月(:1970年9月~1971年6月録音)には『Fireball(ファイアボール)』を,197
当時,未発表で1973年3月にリリースとなる『DarkSideOfTheMoon(狂気)』のプロト・タイプを引っさげて,1972年1月20日のブライトンはザ・ドーム公演を皮切りに,2月17日~20日の4連続のロンドンはレインボー・シアター公演で幕を閉じた英国ツアー.1月20日ブライトンのザ・ドーム公演(:『BrightonJanuary1972(Sigma167)』)での初演こそ,機器トラブルにより,"Money"開始直後に中断されてしまいますが,そ