ブログ記事65件
1980年代のイエス(Yes)再結成後の活動に於いて,新メンバーでありギター,ヴォーカル,キーボードのトレヴァー・ラビン(TrevorRabin)のイニシアティヴによって,徐々にコマーシャル化していったことに幻滅したヴォーカルのジョン・アンダーソン(JonAnderson)が,1988年にイエス(Yes)を脱退し『Fragile(こわれもの)』や『CloseToTheEdge(危機)』,『TalesFromTopographicOceans(海洋地形
最近,立て続けにアイテムがリリースされているエマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson,Lake&Palmer)ですが,1972年6月リリースのスタジオ3作目のアルバム『Trilogy(トリロジー)』のリリースに先立って,1972年3月21日コロラド州デンバーはデンバー・コロシアム公演を皮切りに,4月29日ケベック州ケベック・シティはコロシアム公演まで北米ツアー1stレグを行い,その後,欧州ツアーを挟んで,アルバム・リリース後の7月8日ペンシルバニア州ロング
1977年3月の『WorksVolume1(四部作)』,および1977年11月の『WorksVolume2(作品第2番)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ね1977年5月24日ケンタッキー州はルイビルのフリーダム・ホール公演を皮切りに1978年3月13日ロードアイランド州はプロビデンスのシビック・センター公演まで,間にブレイクを挟みつつ継続的に北米中心に行われたエマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson,Lake&Palmer)の「Work
1977年4月1日テキサス州はダラスのダラス・メモリアム・オーディトリウム公演を皮切りに,8月13日ペンシルベニア州フィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアム公演までの予定で北米ツアーを開始(1stレグ:4月1日~30日,2ndレグ:5月18日~6月27日,3rdレグ:7月17日~8月13日)したレッド・ツェッペリン(LedZeppelin)ですが,ロバート・プラント(RobertPlant)の長男(:カラック)のウィルス性感染症による死亡(7月26日)に伴い,7月17日ワ
ディープ・パープル(DeepPuaple)のギタリストだったリッチー・ブラックモア(RitchieBlackmore)が,ディープ・パープル(DeepPuaple)脱退後に結成したレインボー(Rainbow).1976年にリリースされた,その2ndアルバム『Rising(虹を翔る覇者)』(タイトル的に『RainbowRising(虹を翔る覇者)』と呼ばれる場合あり)のラフ・ミックスを収録し,2003年にLangleyレーベルよりリリースされた『
ウドー音楽事務所が企画した『ROCKUPATIONSPECIALスーパーギタリスト#1』として1976年12月に初来日を果たしたレインボー(Rainbow:当時は,リッチー・ブラックモアズ・レインボー:RitchieBlackmore'sRainbow)は,12月2日の東京体育館公演を皮切りに,12月16日日本武道館公演まで,追加公演を含め6都市10公演の初来日公演を行います.そして,この初来日の模様(#)は,オフィシャル・アルバム『OnStage(レイン
最近,リリースが相次いでいる,ザ・ローリング・ストーンズ(TheRollingStones)の初期音源です.私的には,ミック・テイラー(MickTaylor)在籍時の初期音源程度しか聴かないのですが,今回,1972年の音源がリリースされたので購入.1972年5月にリリースされた『ExileonMainSt.(メイン・ストリートのならず者)』のプロモーションを兼ねて,6月3日カナダはブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァーにあるパシフィック・コロシアム公演を皮
1992年9月の再来日に続き,1996年10月に三度目の来日を果たしたエマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson,Lake&Palmer).この時は,10月8日福岡サンプレイス公演を皮切りに,10月19日浦和文化センター公演まで,都合10公演を行っています.今回,商品を2組購入すると希望者に配布されるギフト・アイテムとして,最後の日本公演となる上述の最終公演に当たる10月19日浦和文化センター公演のオーディエンス録音を収録し,2019年8月にVirtuosoレーベ
1971年5月に英国,6月に米国で発売されたセカンド・アルバム『タルカス(Tarkus)』に合わせて,プロモーションも兼ねて,6月17日カリフォルニア州サンフランシスコはスポーツ・アリーナ公演を皮切りに,9月1日ニューヨーク州リバーデールはゲーリック・パーク公演まで行われた,この年2度目となる北米ツアー(2ndレグ)から,3公演目に当たる6月19日カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッド・ボウル公演のオーディエンス録音と,ボーナス・トラックとして8月12日カナダはオンタリオ州
1980年6月にリリースされた『ThereAndBack(ゼア・アンド・バック)』のプロモーションを兼ねた「ThereAndBackTour」は,8月29日オレゴン州ポートランドはパラマウント・シアター公演を皮切りに,8月-10月の北米ツアー,12月の日本ツアー,翌1981年3月の英国ツアーという3つのブロックで行われています.本ギフト・アイテムは,10月1日ジョージア州アトランタはフォックス・シアター公演を皮切りに,10月19日イリノイ州シカゴはグラナダ・シ
サーモンとアボカドとモッツァレラのサラダ、あっさり鶏皮、甘エビのクリームコロッケ切って盛るダケのヤツ買ってきたあっさり鶏皮買ってきた甘エビのクリームコロッケDEFINITIVEBASSREFLEX
1986年7月に1枚のアルバム『Emerson,Lake&Powell(エマーソン・レイク・アンド・パウエル)』をリリース後,8月15日テキサス州はエル・パソのエル・パソ・カウンティ・コロシアム公演を皮切りに,11月2日アリゾナ州はフェニックス公演まで行われた2ヶ月半の北米ツアー.このツアー終了後に解散.結果的に短命で終わったエマーソン・レイク・アンド・パウエル(Emerson,Lake&Powell).本商品は,上述の北米ツアー中盤に当たる9月20日ニ
ジェフ・ベック(JeffBeck)は,1975年3月にアルバム『BrowByBrow(ブロウ・バイ・ブロウ)』をリリース後,そのプロモーションを兼ねてツアーを行います.そして,北米ツアーから「WorldRockFestivalEastland」(ワールド・ロック・フェスティヴァル)の一環で1975年8月にベック・ボガート・アンド・アピス(BBA:Beck,Bogert&Appice)時代(1973年5月)に次いで2度目の来日を果たし,その後の9月
1976年2月にリリースされた『Rising(虹を翔る覇者)』のプロモーションを兼ねて,1976年6月11日米国オハイオ州コロンバスはヴェテランズ・メモリアル・オーディトリウム公演を皮切りに,12月16日日本は東京の日本武道館公演まで,北米,英国,欧州,豪州,日本の順で行われた1976年の「WorldTour/RaisingTour」.本商品は,この「WorldTour/RaisingTour」の一環として,1976年6月11日米国オハイオ州コロ
1977年1月のオフィシャル・アルバム『Animals(アニマルズ)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ねて1977年1月23日ドイツはドルトムントのウェストファーレンハレ公演から「InTheFleshTour(通称:AnimalsTour)」と題した大規模なツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).「InTheFleshTour」の北米ツアーは,1977年4月22日フロリダ州マイアミのマイアミ・ベースボール・スタジアム公演から
初来日を果たし伝説となっている箱根アフロディーテ公演(1971年8月6日,7日)から7ヶ月後の1972年3月6日~13日に「TheDarkSideOfTheMoon」のプロト・タイプを引っ提げて,再来日公演を行ったピンク・フロイド(PinkFloyd)は,一旦,英国に戻ってマンチェスターのフリー・トレード・ホールで3月29日,30日と2公演を行い,4月15日からフロリダ州タンパ公演を皮切りに第一次北米ツアーを開始します.本商品は,この北米ツアーから,4月28日イ
1972年8月の初来日を果したディープ・パープルは,この来日公演からライブ・アルバム『LiveInJapan(ライブ・イン・ジャパン)』を,同年の12月に日本限定でリリース,その後にオフィシャルとして『MadeinJapan(メイド・イン・ジャパン)』をワールド・ワイドでリリースします.この『MadeinJapan(メイド・イン・ジャパン)』は,プラチナ・ディスクを獲得,シングルカットされた"SmokeOnTheWater"は,アメリカで
キング・クリムゾン(KingCrimson)/U.K.のジョン・ウェットン(JohnWetton),イエス(Yes)のスティーヴ・ハウ(SteveHowe),エマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson,Lake&Palmer)のカール・パーマー(CarlPalmer),ジェフ・ダウンズ(GeoffDownes)により結成され,1982年にデビューしたエイジア(Asia)1983年12月には,初来日を果たしますが,来日前にジョン・ウェットン(JohnW
1973年6月に「RockExplosion'73Special」の一環で,初来日を果たし,6月27日福岡市九電記念体育館公演を皮切りに,7月11日北海道厚生年金会館公演まで,都合12公演を行った,カルロス・サンタナ(CarlosSantana)率いる,米国のラテン・ロック・バンド:サンタナ(Santana).とあるサイトには「日本には1971年7月に初来日し,東京・大阪での2会場でコンサートが開催された」との記載もありますし,サンタナ(Santana)のWiki
ヤードバーズ(Yardbirds)を脱退したジェフ・ベック(JeffBeck)が,ロッド・スチュワート(RodStewart),ロン・ウッド(RonWood),エインズレー・ダンバー(AynsleyDunbar)らと1967年に結成,後にニッキー・ホプキンス(NickyHopkins)も加入したジェフ・ベック・グループ(JeffBeckGroup).その後,エインズレー・ダンバー(AynsleyDunbar)が脱退し,代わってミッキー・ウォーラー(Micky
1975年8月にリリースされた1stアルバム『RitchieBlackmore'sRainbow(銀嶺の覇者)』をリリースしたリッチー・ブラックモアズ・レインボー(後のレインボー)は,アルバム・プロモーションも兼ね1975年11月10日カナダはケベック州モントリオールのモントリオール・フォーラム公演を皮切りに,11月29日カリフォルニア州はサンタモニカのサンタモニカ・シヴィック・オーディトリアム公演まで北米ツアーを行います.因みに,ツアーは11月30日カリフォルニア州サ
ピンク・フロイド(PinkFloyd)の1975年の北米ツアーは,1975年4月8日カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーのパシフィック・ナショナル・イクシビション・コロシアム公演から,4月27日米国はカリフォルニア州ロサンゼルスのサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ公演までの1stレグ.1ヶ月強のオフを挟んで,1975年6月7日米国はジョージア州アトランタのアトランタスタジアム公演から,6月28日カナダはオンタリオ州ハミルトンのイボール・ワイン・スタジアム公演までの
1971年1月17日ロンドンはチョーク・ファームのラウンドハウス公演を皮切りに2月20日ロンドンはトゥイッケナムのクイーン・メアリー・カレッジ公演まで行われた英国ツアー1stレグに続き,2月22日フランスはリヨンのテアトール・デュ・ユイティエム(第8劇場)公演を皮切りに,2月27日フランスはパリのビュットショーモンにおけるORTFTV収録まで行われた短期の欧州ツアー1stレグ.そして5月7日ランカスターはベイリグのユニヴァーシティ・オブ・ランカスター(ランカスター大学)公演
1976年2月にリリースされた『Rising(虹を翔る覇者)』のプロモーションを兼ねて,1976年6月11日米国オハイオ州コロンバスはヴェテランズ・メモリアル・オーディトリウム公演を皮切りに,12月16日日本は東京の日本武道館公演まで,北米,英国,欧州,豪州,日本の順で行われた1976年の「WorldTour/RaisingTour」.本商品は,この「WorldTour/RaisingTour」の一環として,北米,英国に次いで,9月20日スウェー
ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後,初のアルバム『AMomentaryLapseOfReason(鬱)』をリリースした新生ピンク・フロイド(PinkFLoyd)は,アルバム・プロモーションを兼ねて1987年9月9日カナダはオンタリオ州オタワのランズドーン・パーク公演を皮切りに,1989年7月18日フランスはマルセイユのスタッド・ヴェロドローム公演まで粗2年間に渡る大規模な「AMomentaryLapseOfReasonTour」