ブログ記事48件
撮影なう!!撮影監督は"勇者ヨシヒコ"や"俺はまだ本気出してないだけ"の映像プロデューサーのマツムラケンゾーさん。
僕らの新しい仲間が増えました!!中央アフリカ出身のCarlです!みなさんギャラリーに会いに来てくださいね〜〜新ギャラリーは7月オープン予定で〜す!!!
先日、中央アフリカ共和国の名誉領事である江口さんが僕らのギャラリーに遊びに来てくださいました!江口さんにはもう2年前からお世話になってまして、中央アフリカへ渡航する際には僕らの為にビザを発給していただいてます。もちろん観光ではなく、写真家としてプレスとして申請してるので推薦状や会社レターなど面倒くさい手続きが必要なのですが、全て僕たちのことを考えてくれて即日発給してくれてます。本当に感謝してます!!一度僕らのプロジェクトのことも話して、賛同してくださっていたのでいつかこのギャ
まだ気分は長〜いGWのよう。帰国して突然発症したマラリアで約1週間、隔離病棟に入院してました。アフリカでも何度かかかってたからかなりなめてました。日本で発症するとこんなにめんどくさいとは!?笑空気をきれいにするダクトの音の中だけの何もない部屋で。頭もグルングルンして夢なのか現実なのかわからない中で過ごしたあの非日常。何だかとってもいい時間を過ごすことができました。改めてここから再出発のスタートだ!!
ただいま〜!今回も無事に平成最後のアフリカ取材から帰国しました。真っ赤な大地はすでに真夏のような暑さで一足お先に夏を先取ってきました。日本は寒いね。今回は短い時間だったけど、やっぱり現地に行くとグググとなる!!充実した濃い時間を過ごせました。向こうのみんなは相変わらずで、笑顔で迎えてくれたけど。内戦の状況は全く良くなってない。想像することを怠ったら、内戦なんてここにはなくて平和なんじゃないかと錯覚してしまうくらいに。みんなと笑顔でこれからの話をしてるとすぐに忘れ
いよいよ来週から再びアフリカへ行ってきます!こんなに急にこんなに短いスパンでこんなに頻繁に大好きなアフリカへアフリカのみんなに会いに行けるのはとっても嬉しい!!今回はどんな出会いがあるだろう。待ってろ〜みんな〜!!待ってろ〜〜アフリカ〜〜〜!!!
ようやく「5Cプロジェクト」のアトリエが完成しました!なかなかこのプロジェクトを説明することも理解してもらうことも難しくって。どうにか可視化できれば、頭ではなくて細胞で理解してもらえるかな?日本での活動拠点として、ここからどんどん世界中に発信していきます。完全予約制なので興味ある方は事務局までお問い合わせください。リチャードやマティアス、中央アフリカのみんなを呼ぶぞ〜!!こうづなかばと青木弘による<5Cproject>に関する質問、感想、写真展覧会、
いつも思う。アフリカに降り立つと日本人としての自分がいい意味で全て壊れていって現地の風を心地よく感じれるようになる。帰りの飛行機の中では日本に戻りたくないと心から思う。2度とこんなとこに来るか!と思わされる日もあれば、この瞬間のために生まれてきたんじゃないかと思うくらい嬉しい日もここにはある。悲しくて心がヒリヒリしたり、カメラを構えることも出来ないくらいツラい瞬間もある。その全てが写真家として大切なエネルギーとなり、人間として成長させてくれる。ただ残念なのは
バンギへ戻る途中、とうとう車が動かなくなった。これまでにも何度もストップし、その度にドライバーが何時間もかけて懸命に修理をする。そんなことを重ねてここまでやってこれた。それが最後の取材も終え、バンギまで残り80キロというところで完全にストップしてしまった。その日は朝から何度も調子が悪くなり、何時間も8時間ほどかけてようやく修理を終えて走り出した矢先だった。これまでこの悪路をどれだけ頑張って走ってくれたのだろう。「よく走った方だよ」Kowzuさんもこの状況を理
ボダでの日々もあっという間に過ぎていった。最後の夜にはみんなで集まって乾杯をした。キッシュマンは乾杯後、ビールを一口ゴクリと流し込むと口火を切って俺たちに謝罪した。「本当に申し訳ない!ヒロたちを鉱山に連れて行きたかった」いやいやキッシュマンたちの責任なんかじゃあないよ!!次はあいつらに何の文句も言わせないようにバンギで全てを揃えて来るよ!そん時はこれまで以上に2人にはガッツリ動いてもらうよ(笑)あまりお酒には強くない俺には大きすぎるくらいのローカルビールを飲み干してキッ
あれから何度もトライし、いろんな人たちの協力を得て申請し続けたけど、結局「奇跡の鉱山」バネベレキャンプには行くことが出来なかった。俺としてはどうしてもKowzuさんを鉱山の最深部へ連れて行きたかった。そしてまさにダイヤモンドがこの世に生まれる瞬間を見てもらいたかった。マティアスやキッシュマンたちもどうにか出来なかったのかと残念そうだった。そしてなぜ今回は行くことを許可されなかったのかわからない状況に苛立ちと不安を隠せないでいた。そんなある日、マティアスがその真相を聞きつ
前回もキッシュマンに連れられてこの街にあるイスラム教徒の難民キャンプに来た。そこで片足の少年アーマットに出会った。「私の一番小さな親友」だとキッシュマンは笑顔でアーマットを紹介してくれた。https://ameblo.jp/photographer28/entry-12324009958.html?frm=themeこの時のアーマットを見守る彼の優しい眼を見て、まだそんなに一緒に時間を過ごしていなかったけどキッシュマンのことを心から信頼できると確信したのを覚えている。
ボダでのプランはもちろん鉱山取材がメインではあったけどそれだけではなかった。日曜日にはヤロケと同じように教会でアートワークショップをやった。キッシュマンたちがヘルプしてくれたこともあり、Kowzuさんもカオスな状態でもコントロールするコツをつかんで、ここでもイキイキと子どもたちと触れ合った。さらにはオノレにも全面的に協力してもらってこの街でのアンチバラカとセレカの合同平和維持の活動団体を取材した。「奇跡の鉱山」のバネベレキャンプでも感動したが、ここボダの街は他の地域よ
ようやく全ての準備を整えて、いざダイヤモンド鉱山へ。ルールがあって俺たちだけで入ることはできない。セキュリティーの為に武装した兵士を鉱山オフィスから雇わなければならないのだ。その手続きの為に早朝からオフィスに向かった。チーフオフィサーに「鉱山へは入れない」と断られてしまう。???おかしな言いがかりを喰らった。マティアスやキッシュマンたちも必死に食い下がってくれたが、最後まで鉱山への許可をもらうことが出来なかった。各オフィスへ出向いて挨拶回りをした時に「何か困った
翌日からはキッシュマンと一緒にオノレも同行してくれることになった。前回、彼には散々お世話になった。彼とも1年ぶりの再会を喜び合った。危険なダイヤモンド鉱山へのルートをボディーガードとして同行してくれたオノレと2ケツで駆け抜けた。大きくて筋肉の鎧に包まれたような彼の体の中にはまだ戦闘で受けた銃弾が3発残ったまま。リチャードとは見た目も雰囲気も全く違うが、同じくアンチバラカをまとめるこのエリアのリーダーだ。ボダの街ではキッシュマンとオノレの名コンビのおかげで、どこに行
朝早くにヤロケを出発したのにボダの街に辿り着いた頃にはすっかり太陽も沈んでしまっていた。できれば今夜のうちにセキュリティーのことも考えて回れるオフィスには挨拶に行っておきたい。その流れでポリスステーションへ向かうと入り口で懐かしい顔を見つけた!キッシュマンだった。前回の取材記「キッシュマンとの出会い」よりhttps://ameblo.jp/photographer28/entry-12322363115.html?frm=theme約1年ぶりの再会をとても喜ん
リチャードとのフォトセッションも無事に終え、ここヤロケでのミッションは全て終了した。今日はママや子供たちとさよならをしてボダへと出発する朝。バタバタと出発の準備をしているとリチャードが俺らにさよならを言いにガガから訪ねてきてくれた。ちょうどそのタイミングにマティアスは不在で、俺とKowzuさんとリチャードの3人では何の言葉も交わすことは出来なかった。それでもがっちりと握手をした俺らの気持ちは通じ合っていた。時にはこんな風に下手に言葉なんて通じない方がいい時もある。
今日は3回目のリチャードとのフォトセッションだ。長く滞在したヤロケでのミッションもこれが最後となる。俺の中でもこの撮影がある意味、今回の全行程の中でハイライトとなるだろうと想像していた。アンチバラカの始まりとなったジャングルの奥地でリチャードを撮る。大事な撮影だということをKowzuさんも十分理解してくれて、前日は夜遅くまで2人で案を練った。場所は?シチュエーションは?人数は?道具は?俺が考えていたイメージをKowzuさんにヒヤリングしてもらう。
2013年当時、ここガガの村もセレカに支配されていて毎日のように人々が殺されていた。そこへリチャード率いるアンチバラカの一隊が突入し戦闘になった。アンチバラカが戦闘に勝利し、セレカが拠点にしていた入り口近くの建物にリチャード達が近づいた時、まだ生き残っていたセレカの残党が木の陰から発砲した。側近でリチャードのボディガードだったボリス(当時23歳)は、それにいち早く気づき、身体を投げ出してリチャードの命を守った。彼は即死だった。しばらくしてようやくこの村も完全に解放された2014
リチャードとの撮影の為に夕方まで待っている。待ってる間も仲間たちと楽しそうに談笑する将軍を写真に収めていく。そういえばこんな風に無邪気に笑うリチャードを見たのは初めてだったかもしれない。リチャードを撮影させてもらう話が決まり、どこか希望のロケーションがあるか聞いていた。彼の希望は「ガガにある墓地」だった。そういえばこの国であまり墓地というものを見ていないことに気がついた。これだけ内戦が続き、たくさんの人が犠牲になってるのだからどこかに埋葬されてるんだと思うけど。考え
今日はヤロケから少し離れたガガへ。ここは前回も取材したゴールドの鉱山がある村だ。今回はここでリチャードとアンチバラカのメンバーの撮影を予定している。ブッシュの中へ入っていくと突然ドガっと景色が広がる。懐かしい感動がよみがえる。そのまま車じゃ無理だろうよというような険しい道を下り、リチャードの家へ向かう。リチャードらしく、すでにメンバーを集めて待っていてくれた。ここでもまず首長や鉱山オフィスのチーフなどに集まってもらい、「5Cプロジェクト」のことを説明して理解してもら
リチャードの提案でいつもリチャードの側にいる側近の一人を紹介してくれた。彼はマラボ・ムゥムゥと呼ばれ、アンチバラカの中でも最も重要な戦闘用の儀式やアクセサリーを行ったり作ったりしている人物だ。ムゥムゥ家は代々、「ガンガ」と呼ばれるいわゆるシャーマンの家系で先代から継承されている。元々は不治の病や怪我を癒すために儀式を行ってきたが、内戦が勃発し、戦闘の為の儀式や祈りを用いるようになった。リチャードたちの奮起でバンギやヤロケが解放され、彼らは武器を置いた。と同時に彼も戦闘の為の儀
1日1日と滞在が長くなるにつれて俺はいつものようにペースを掴み出してどんどん元気になっていく。コーディネーターのマティアスや出会う人々との距離感も掴めてきて、あれもこれもとやりたいことが増えてくる。「そもそものパワーの消費量が半端ないね」Kowzuさんはまだこのアフリカに慣れないでいるようだ。Kowzuさんはこれまでも海外ロケなどで様々な国での滞在を経験されてきてるけど、さすがに内戦中のアフリカは全く別物のようでどんどんと体力と気力を奪われていってるのがわかる。
長い移動距離の車内や、夜暗くなって懐中電灯1つの暗闇の中で2人で色々な話をした。日本にいる間にも結構話をしてきたつもりだったが、環境が変われば、しかもこんなに過酷な環境ということもあって、まさに戦友のようにざっくばらんに心に中を話した。写真家として知っておきべきこと。その特性として他の表現者と違って写真家はカメラという機械を操作しなくてはならない。だから絵描きやダンサーのようにありのままの自分をそのまま出すだけではなかなか作品になりにくい。情熱や衝動のようなものはもちろん大切で必要
アートワークショップは想定外の大反響でたくさんの子供たちが集まってきてくれた。用意していたものは全くというほど足りなかったけどみんな仲良くシェアしてくれたことに個人的に感動と喜びがあった。それは自分の分が無いからと泣いたり、取り合いになったりするかもなぁと少し不安もあったから余計にそう思う。実際に日本で同じくらいの子供たちに楽しいイベントだよ〜って集まってもらって、もしこんな風になっちゃったら絶対にケンカになったり、泣いたり大騒ぎになるだろうと思う。ワークショップが終わって、
日本から持ってきた沢山の荷物の理由はKowzuさんの為の非常食だけというわけじゃない(笑)今回の取材中に現地の子供たちと一緒にワークショップをやろうと企画していた。それもせっかく写真家とアートディレクターがいるのだからアートを楽しんでもらおうということにしていた。日本の学校から支援をいただいた英語の絵本やスケッチブック、クレヨンやペンを使って子供たちに絵を描いてもらおう。前回も毎週のようにお世話になった村の小さな教会で礼拝の後、子供たちに集まってもらってアートワークショップは始まった
そうか〜少年兵と言っても彼らもアンチバラカのメンバーとして彼らのやり方で戦ってきたんだ。もうここでは武器を置いて戦っていないと言ってもまだ内戦の続くこの国ではそんな身を守るアクセサリーは手放せないのだろう。一度リチャードのウォーアクセサリーを見せてもらったことがある。首から下げるペンダントのようになっていて、いろいろなものが丁寧に並べられてつけられていた。動物の毛を編みこんだものだったり、大きな獣の爪だったり、何かの入ったBOXのようなものがたくさんぶら下がっていた。その「不
ふと学校のヘッドマスターから元アンチバラカだった生徒は一目でわかるんだよと聞かせてくれた。どうやら彼らは特別なリングやペンダントを身につけているという。そもそもなぜリチャードたち民衆が、きちんと軍として統制のとれているセレカに対抗できたのか?バラカと呼ばれる農業用具しか持っていなかった素人がマシンガンなどで武装された兵士に勝てたのか?これにはどうやらこの土地独特の理由があった。そういえば初めてこの国でアンチバラカのことを知った時にも、地元の人々が熱心に説明してくれた。
後日、モデルなってくれた子たちと「将来の夢」について語り合った。まだ15歳前後だった彼らが少年兵として過ごし、こうして再び普通の生活に戻った今、どんな風に未来を見ているのか?これはプロジェクトを進めていく上でもとても重要な核になるだろう。リチャードやうちらのドライバーたちにも集まってもらって、みんなで「夢」の話をした。ドライバーの彼の夢はエンジニアとしても一流のドライバーになり、自身でカービジネスをやることだった。現在、ボランティアで教師をやっているマティアスの兄、ドーナツは海外へ
Kowzuさんのデザインする「5C」の新作ジュエリーは、本プロジェクトのコンセプトからずれないようにダイヤモンドの原石を使用される。普通、ダイヤモンドは大地から採掘した原石を特別なカットによってその価値を決める。そんな今までの古い価値基準から「5C」ダイヤモンドは解き放たれる。カットなんてしないで原石をそのままアートジュエリーとして完成させる。「本当の美しさ」とはなんですか?そんな問題提起を世界中に向けて発信する。その第一歩として日本から新作ジュエリーのプロトタイプとしてシード(SEE