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◾️クリス・スクワイアとシンクリス・スクワイアに初めて会ったのは1966年頃で、人生でたまにある偶然の出会いのひとつだった。ロンドンにデンマーク・ストリートという通りがあった。今でこそ楽器店がたくさんあるが、当時はティン・パン・アレイ(注.ポピュラー音楽出版業界がビジネスをするNYCの地域)に相当するような場所だった。いくつかのマネージャー・オフィス、いくつかのレコーディング・スタジオ、音楽出版社で構成されていた。そこには、ジョコンダという小さなイタリアン・コーヒー・バーという、とても有
俺のシリーズですこの記事(ブログ)は昨年のリプライズ+αです・・・本日9月27日は獨眼龍政宗又は独眼竜政宗として映画も出来る程の戦国武将であり、織田信長、豊臣秀吉からの徳川家康、足利義昭との時代背景を共に生きた時代がズレていれば天下を取れただろうと言われて歴史上美化されてる伊達政宗命日である。昨年に亡くなった葛城ユキ(2022年没)YESのオリジナルメンバーだったベースのChrisSquire(2015年没)TheWHOのオリジナルメンバーでベース
◾️クリス・スクワイア『未知への飛翔』1975年12月27日ByMattAragornPavinカリフォルニア州ベンチュラ郡スター・フリー・プレス先週、私はイエスのギタリスト、スティーヴ・ハウのファースト・ソロアルバム『Beginnings』をレビューした。その記事の中で他のイエス・メンバーのソロ・アルバムが1976年初頭にリリースされる予定だと述べた。さて...クリスマスの時期に偽預言者ほど悪いものはない。イエスのベーシスト、クリス・スクワイアーは魚座である。『こわれもの
◾️クリス・スクワイア・インタビュー2008年11月9日ByMarkVoger(Celebs)ジョン・アンダーソンが病気で、彼抜きでツアーに出ると聞いています。ジョンはどうしたのですか?多くのイエス・ファンは、ジョンが残念ながらここ2、3年喘息の問題を抱えていることを知っている。私たちはこの夏、ジョンと一緒にツアーに出るところだった。リハーサルに入る直前、不運なことに、ジョンは非常にひどい発作に見舞われ、急性呼吸不全のような状態になった。彼は病院に行かなければならなかった。病院
クリス・スクワイアは、9年前の2015年6月27日に亡くなりました。本日命日です🙏1998年はこの座頭市スタイルで来日しました。◾️1998年のインタビューより【抜粋】ByMikeTiano(NotesFromTheEdge)多くのファンは『OPENYOUREYES』が自分たちが考えるクラシックなイエスの型に当てはまらないという事実に少し戸惑いを感じているようですが、『KEYSTOASCENSION2』の新曲は違います。あなたはどう考えていますか?僕にとってはすべて
クリスがリックから貰ったトリプルネックを使い始めたのは、究極ツアーから。byMarkKmetzko1976年2月26日付ClevelandSceneロックバンドのメンバーがソロアルバムを出すことの芸術的価値は、控えめに言っても疑わしい。ソングライター/風刺作家のマーティン・マルが『YouPlayRhythm』(1974)でロックンローラーを見事にステレオタイプ化したように。「俺たちは12月まで一緒にいて、それから解散して、それから思い出すんだ。オーバーダビングのおかげだ」
◾️「クリスのベースは独自の生命を持っていた」2018年4月23日ByBillBrufordクリス・スクワイアの『未知への飛翔』が豪華なボックス・セットとして再リリースされることになり、私の関与に関心が集まっている。いつも信頼できるシド・スミスとのインタビューで、私はクリスが私にとって最初のベーシストだったことを指摘した。私はまだ経験が浅く(それゆえ、経験を積むためにキング・クリムゾンに移籍した)、ベーシストが何ができるのか、何をするのか、何をしたいのか、よく分かっていなかった。
◾️「全員が一皮むけたプレイをした」2024年4月12日ByRobertAdams(MetalTalk)約30年前、私はイエスの最新アルバム『トーク』がリリースされる直前に、イエスのベーシスト、クリス・スクワイアにインタビューする機会に恵まれた。当時、私が執筆していた雑誌は、イエスを取り上げるのにふさわしいバンドだとは思っていなかったので、このインタビューは現在まで私の個人的なアーカイブにとどまったままだった。しかしSpiritOfUnicornMusicは2024年5月2
クリス・スクワイアが所蔵していたイエスのマスター・テープが遺族によりオークションに出品されました!内容は、1.イエス「YouCanBeSaved」1978年の『トーマト』アウトテイクステイク10&11(16トラック・マルチ)この曲は2003年ライノ盤にボーナストラックとして収録されました。2.クリス・スクワイア『未知への飛翔』デモテープと1975年のライヴ3.イエス「同志」クワッド・ミックス(未発売).4.イエス未発表曲「JohnGoodBrothers
■クリス・スクワイア参加作品Artist:SandyDavisSongTitle:ReallyMoveItYear:1974アンドリュー・プライス・ジャックマン制作。アルバムのなかでもこの曲が一番クリスのベースが聞こえます。関連記事:『クリスのゲスト参加PT4』写真は2004年の国内盤CDです。Artist:SandyDavisTitle:InsideEveryFatManYear:1974So…ameblo.jp
92年の8人イエスで生クリス・スクワイアを初めて観た時はあまり分かりませんでしたが、その後94年、98年、2003年、2012年、2014年と来日するたびにライヴで圧倒されたのがクリスのムーグ・タウラス(ベース・ペダル・シンセ)の重低音でした。特に「同志」終盤でのお腹にズシンと響く重低音には病みつきになりました。しかし、これはライヴアルバム『イエスソングス』では、使っていなかったのか、録音の限界だったのか、聞こえません。クリスはいつから使っていたのでしょうか。クリスのギターテックだったR
Artist:SquackettTitle:ALifeWithinADayRelease:2024年5月31日Format:1CD+1Blu-Rayクリス・スクワイアとスティーヴ・ハケットのコラボ作『Squackett:ALifeWithinADay』(2012年作品)がチェリー・レッドから再発されます。ロジャー・キングがキーボード、ジェレミー・ステイシーがドラムス、アマンダ・レーマンがバッキング・ヴォーカルで参加している他、ヴィオラ、ヴァイオリン、セロなどの弦楽器
今日3月4日はフィッシュことイエスのクリス・スクワイアのお誕生日!ボクにとってはやはり、ジョンのヴォーカルとクリスのベースとコーラスがあってこそのイエスなんですよね〜でも「ドラマ」は結構好き🤣🤣🤣
「さまざまなサウンドややり方を試してきた」ByDanHedgesBeatInstrumental誌1976年2月号よりクリス・スクワイアのソロアルバム『FishOutOfWater(未知への飛翔)』が1975年11月にリリースされた後のインタビューです。ダン・ヘッジスはイエスの公式バイオグラフィーの著者です。-----クリス・スクワイアに関する記事の冒頭で、「英国最高峰」、「ベースマンのベースマン」など、長年にわたって彼の高貴な肩の上に乗せられてきた珠玉のプレ
こちらは78年のプレイヤー誌。300円!"TheYesProfiles:Part2ChrisSquire"BeatInstrumental誌1977年1月号ByCharlieNolan過去1年ほどの間、エレキ・ベースはロックの無視された楽器である、という私たちのコメントを覚えているだろうか。エレクトリック・ベースは、ロックの音楽性の一角を占める楽器である。ヴィルトゥオーゾは比較的少なく、注目すべき革新的なベーシストの数は、ギターやキーボードのビッグ・ネームがひしめく
■クリス・インタビュー(抜粋)1985年2月ByPaulGallotta(InstrumentalMusician&World)クリス・スクワイアほどすぐに、そして確実にそれとわかるベーシストはいない。彼のトワンギーでメロディアスなプレイは、まるでシグネチャーのように個人的なものであり、この17年間、彼が結成し、現在も推進しているバンド、イエスのサウンドを定義してきた。しかし、スクワイアを取り巻くメンバーが大きく変わったおかげで、現在のスタジオで鍛え上げられたモダンなイエス
メリークリスマス!押し入れのCD倉庫(笑)からピックアップしたクリスマス・アルバム。・REOSpeedwagon(2017年)・BarryManilow(1990年/2003年)・MoodyBlues(『December』と『Ballads』の2枚組お得盤、2003年)・ThdDecemberPeople(2001年と2010年)(RobertBerry)・ChrisSquiqe(2007年)・ProgCollective(BillySherwood、201
■クリス・スクワイア31歳1979年3月13日Circus誌ByStanSoocherサーカス・ウィークリー誌の年間最優秀ベース・プレイヤーであり、イエスの創設メンバーであるクリス・スクワイアは、ベース・ギターを自分の楽器として選んだ。「僕の手はかなり大きいんだ。リード・ギタリストにはとてもなれないだろう」60年代初頭、ロンドンのブージー&ホークスの楽器店で働いていたとき、クリスは今日弾いているクリーム色のリッケンバッカー4001を手に入れた。「まだフルタイムのミュージシャン
◼️イエス、新たな成功への曲がりくねった道を彷徨1984年3月16日ByDebiMartin夜7時、イエスのベーシスト、クリス・スクワイアはまだパジャマ姿だ。前夜演奏したカンザスシティのホテルの一室で、バンドが4都市で4夜連続演奏する前の1日だけの休日だ。彼はこの5時間、電話で話し続けており、もう長距離インタビューをする気分ではないようだったが、イエスがどのように再結成したのか、そしてニューアルバム『90125』の成功について話が及ぶと、元気を取り戻した。結局のところ、スクワイ
■スクワイアからのメリー・クリスマス🎄Artist:ChrisSquireTitle:ChrisSquire’sSwissChoirYear:2007ByGaryHill(MusicStreetJournal)イエスのベーシスト、クリス・スクワイアのこのクリスマス盤は、ジョン・アンダーソンの『スリー・シップス』と比較されそうだが、この2枚はまったく違う。アンダーソンはもっとエレクトロニックで、プログレと80年代の音楽やワールド・サウンドが融合した感じだった。スクワイ
◼️レジェンダリーな1本クリス・スクワイアのアイコニックなリッケンバッカー(1964年製4001-モデルRM1999/シリアルナンバーDC127)は、現在アリゾナ州チャンドラーの楽器店Brindley’sMusicCenterが所有していることが、先日のフェイスブック投稿でわかりました。クリスはアリゾナ州フェニックス在住でしたので遺族が処分されたのでしょう。貴重などアップ写真が公開されました。これほど詳細が公開されたのは多分初めてだと思われます。クリスが愛用していたRo
クリス・スクワイア&スティーヴ・ナーデリ・インタビュー(抜粋)ByRobertSilverstein(MP3.com)【スティーヴ・ナーデリ編】あなたとクリスの『Syndestructible』のCDを祝福します。現代的なエッジと70年代のプログレッシヴなエッジを持ちながら、60年代のポップスからの大きな影響も感じられます。君の言うことは興味深い。というのも、僕らは60年代後半から70年代にかけてのプログレ・ミュージックの最高傑作を21世紀に持ってきたかったんだ。自分たちのことを
■コンスピラシーはシンにつながるクリス・スクワイア&スティーヴ・ナーデリ・インタビュー(抜粋)ByRobertSilverstein(MP3.com)2005年、スティーヴ・ナーデリはクリス・スクワイアと再タッグを組み、イギリスの古典的なペイズリー・ポップ/60年代シンフォニック・ロックのサウンドを見事に刻み込んだアルバムを発表した。自分たちのグループの運命をよりよくコントロールするため、スクワイアとナーデリは、自分たちのレコード・レーベル、アンブレロ(Umbrello)を設立し、ザ
◼️クリス・スクワイアは、2015年6月27日に亡くなりました。SpecialnightatFoxwoodsforYes,Toto2015年8月7日MGMGrandTheateratFoxwoodsResort2015年8月10日ByRockKoster(TheDay)土曜の朝、ビリー・シャーウッドの足はおそらくまったく痛くなかっただろう。それは大きな安堵に違いない。結局のところ、金曜日の夜、フォックスウッズで行われたイエスの新ベーシストとしてのステー
◼️クリス・スクワイアのルーツ「ザ・セルフズ(TheSelfs)」はクリス・スクワイアと親友のアンドリュー・プライス・ジャックマンが1964年、16歳のときに始めた最初のバンドです。メンバーは、クリス・スクワイア(ベース)、アンドリュー・ジャックマン(キーボード)、マーティン・アデルマン(ドラムス)、ジョン・ウィートリー(ギター)、クリス・スレーター(ヴォーカル)の5人でした。★★ハムステッド生まれのマーティン・アデルマンは、3人の女性シンガーがフロントを務めるバンド「ザ・インステップ
2023年5月21日ByMikeBrooks(BassPlayer)1971年にリリースされた『ザ・イエス・アルバム』は、イエスがプログレの下積み時代から、アリーナで数百万枚を売り上げるスーパースターとなるきっかけとなった作品である。現在50歳を超えるバンドは、リリース当時、最初の2枚のアルバムの不振によりアトランティック・レコードから解雇される危機に直面していたが、ライブでの人気が高まっていたため、アルバムはチャートにランクインした。最終的にイギリスで4位、アメリカで40位を記録
◼️ザ・シンのポップ・オペラ限定再プレスされた時に購入した4曲入りEPです。FlowerScene誌1967年11月号よりイギリスのフラワーシーンで最も新しいグループのひとつが、その名も「ザ・シン」である。そのタイトルが、愛と友情を高める運動とあまり関係がないように思えるなら、彼らのステージを見るべきだ。基本的に、彼らは「フラワー・マン」というポップ・オペラを歌い、デラム・レーベルからのセカンド・シングルも同じ名前だった。確かに、彼らにはとても話題性のあるシーンだ。このオペラ
■プレイヤー・オブ・ザ・マンス1971年11月BeatInstrumental誌(クリス23歳)イエスのベース奏者クリス・スクワイアのケンジントンの部屋を訪れても、彼がギタリストであることを示すものは何もない。彼の楽器はすべてそれぞれの場所に収納され、音楽への興味を示すものは、前室の一角にある小さなテープ再生機だけだ。しかし、その部屋をよく見てみると、リッケンバッカーのベースギターが入ったダークで長いケースがほとんど隠れているのがわかる。「18歳の頃、ブージー&ホークスのリージェ
2020年6月27日BySidSmith(Prog)故クリス・スクワイアの1975年のアルバム『FishOutOfWater』は、イエスのソロアルバムの中でも最高傑作と評されている。クリス・スクワイアは時間を確認し、微笑んでいる。レコーディング・エンジニアのグレッグ・ジャックマンと数人のアシスタントがマイクを設置し、レベルをチェックするのを眺めている。広大で響きのある建物の中で、ベストな場所をアドバイスしているのは、ヨーロッパで3番目に大きなパイプオルガンを演奏することになっ
■『イエスソングス』はバンドの歴史であるBySteveClarke(NewMusicalExpress1973年6月2日)第2段のイエス・ロケットが発射されるときここは、普通の平凡なオフィスではない。敷居をまたぐと、豪華な革の香りが鼻をくすぐり、ハイファイスピーカーが太ももの高さまであり、書類棚の上には金のレコードが立てかけてある。外には白い雪豹のような車が、濡れた路面にうずくまるように停まっている。クリス・スクワイアによると、この車は駐車違反の切符を切られたばかりで、切