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VE3AWAの80mtr.P-PTPTG黎明期のハムのことを調べていく内に、プリミティブでシンプルなパーツに取り組む様子が浮かんできた。そして遂に究極のCW無線機にハマってしまいました。何とか黎明期の無線機にチャレンジしてみたいと思い始めた次第です。そんな時にQRZ.comでVE3AWALouOMのページを拝見する機会がありました。どうせ作るなら当時のスタイルを守りながら、単球式でブレッドボードを使うことを前提にした。もちろん自励式発振を使う以上は、周囲温度や周辺回路か
現在で聞くことはまれだが、太宰治も「虎の子」と云う言い回しを使っていた。「虎の子」は大切にしていたお金のことで、昭和世代までは日常的に耳にした。その大金を投じないと手を出せなかったのが送信管だったようだ。黎明期のハムたちは、前回の「オートダインへの篤い想い」で話したように、艱難辛苦を経て短波受信機を手にして、国内外の無線を聞いたことだろう。米国KDKAが大正9年(1920年)、英国BBCが大正11年(1922年)、日本NHKが大正14年(1926年)などラジオ放送が始まる以前には、様
明治16年(1883年)、トーマス・エジソンが白熱電球の劣化を研究中に発見したエジソン効果が発端となって、明治37年(1904年)にジョン・フレミングがフィラメントの周囲を金属板(プレート)で覆い、検波機能を持った真空管を発明した。このシリーズ「黎明期の探索」の{連載リスト」はこちらをクリックフレミング・バルブ(1904)-PA情報局TELEFUNKENRE-88(1925)-grandpas-shackドフォレストのオーヂオンバルブ-Wikipediaフレミングの二極真空管
1926年(大正15年)6月、37名で日本アマチュア無線連盟設立、設立宣言を全世界に打電した。(アマチュア無線の歴史-CQ出版参照)WehavethehonorofinformingthatweamateursinJapanhaverganizedtodaytheJapaneseAmateurRadioLeague.PleaseQSTtoallstations.一方、日本でのラジオ放送開始の前年にあたる1924年(大正13年)にラジオ放