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まさか、まさかの来日!BillBrufordFanConvention私の打楽器の神様、BILL様。ビル・ブルフォードと書いてあるのがなんとも。演奏活動からは引退されているので、観客からのQ&Aとか、グッズプレゼント抽選会とか、本当にファンイベント。トリビュートバンドのライブありました。Unknown四人UKのカバーを披露。NeverMoreこちらはクリムゾンとUKを演奏してくれました。最後にBILL様、イベント企画のスタッフ様方とご挨拶の際は、これもまさかの撮
2024年6月16日、BillBrufordFanConvention@吉祥寺StarPine'sCafeにトリビュートバンドDennisMahon'sNEVERMOREのメンバーとして参加させて戴きました!ありがとうございました!ワタシの後ろにBillBrufordさんご本人!Billさんに我々の演奏を見てもらって、楽しんでもらえたようです。Billさんとお話もさせてもらっちゃいました。ギャー。ワタシがまだギターを弾く前(13歳)にYessongsのPerp
2024年6月12日、都内リハーサルスタジオにて、6月16日に開催の『BILLBRUFORDFanConventioninTokyo』@吉祥寺StarPine'sCafeで演奏するNEVERMORE(ユニット名)の初リハーサルが行われました。NEVERMORE!初顔合わせでした。ワタシの方からキーボードの川井健さん、ベースとヴォーカルのDennisMahonさん、ドラムの松本淳さん、エンジニアの須藤さん。このメンツで何をやるかと云えば。Ki〇〇〇〇〇〇sonと
◾️アブソルート・エルスホェアが2NDアルバムをリリース2024年6月6日ByJerryEwing(Prog)アブソリュート・エルスホェアは1976年にセカンド・アルバム『プレイグラウンド』をレコーディングしたが、このアルバムは保管庫に眠っていた。元キング・クリムゾンのドラマー、ビル・ブルフォードとアンドリュー・マッカロックが在籍していた時期もある、70年代半ばのUKプログレ・バンド、アブソリュート・エルスホェアのセカンド・アルバム『プレイグラウンド』が、ついにリリースされた。バン
2007年11月オランダにて1.AbsoluteElsewhere、Pavlov'sDog、Yes、Genesis、KingCrimson、UK、Brufordで、あなたはプログレ・シーンの最高峰と共演しました。アースワークスでは、純粋なジャズを提供しています。前述のバンドに参加したのは、ロックのフォーマットの中にジャズを注入しようとしたからですか?それとも、複雑さに関して常に戦えるミュージシャンを探していたのですか?最後のは意味不明だが、概ね流れは理解できる。18歳のとき、グルー
スティーヴ・ハウがイエスに加入した当時のことを語っている1982年のインタビュー映像をビル・ブルフォードが公開しました。スティーヴがレコーディングやビルのことを語っています。(下の動画)スティーヴの話は動画を見ていただくとして、興味深いのはこの動画にビルがつけたコメントです。珍しく『ザ・イエス・アルバム』について語っています。自分は初めて聞きました。以下に拙訳。-----スティーヴ・ハウは、初期イエス時代からの最も古く、最も親しい友人である。このインタビューの時点で、『危機
2022年4月27日ByEoghanLyng(FarOutMagazine)ビル・ブルフォードの経歴は印象的で、イエスやキング・クリムゾンで作曲を手がけ、『ATrickofTheTail』ツアーでは、フィル・コリンズがステージ後方から前方へジャンプする際に選んだドラマーだった。ブルフォードはまた、自身の名義で、彼の幅広いキットの隅々にまで焦点を当てた探求的な一連の作品をリリースしている。そのブルフォードは、ドラマーとして、またクリエイティブな思想家としての彼のキャリアを概観
5月17日は来月来日するビルの75歳の誕生日です🎂◾️1998年のインタビューより【抜粋】byAnilPrasad(InnerViews)これまで何度もしてきたように、ドラマーのビル・ブルフォードはキング・クリムゾンのステージに立とうとしている。彼に同行しているのは、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、そしてデヴィッド・クロスだ。奇妙なのは、バンドの現メンバーがブルフォードとフリップだけだということだ。さらに奇妙なのは、楽器がないという事実だ。数台のテーブルとマイクが見えるだけだ
◾️「キング・クリムゾンでできないことは、どこへ行ってもできない」ビル・ブルフォード1994年ByStevenCerio【抜粋】自分をロックドラマーだと思いますか?ロック対ジャズというのは、レコード会社のマーケティング部門とレコード店のオーナーの間でしか交わされない、まったく無意味な会話だ。音楽について詳しい人なら誰でも、それがまったく無意味で陳腐だということを知っている。ロックの最高峰にはジャズの精神があり、ジャズの最高峰にはロックの最高の特徴があることが多い。あなたは良い音楽を
◾️イエス『ファースト・アルバム2018年1月31日ByBillBrufordネット上をウロウロしていたら、SalNunziatoのブログが目に留まった。彼は、イエスのファースト・アルバムについてほとんど語られていないこと(注.イエスが録音したカヴァー曲のことなど)を指摘している。もちろん、私たちイエスマン同士は初対面だったし、音楽的、社会的、地理的背景もまったく違っていた。地域の訛りが60マイル以内でも違うことがあり、ロンドンから250マイル北に住んでいる人(例えばアクリントン
ツアーでの幸せな一日。左からウェットン、クロス、ブルフォード、フリップ、1974年、ヨーロッパのどこかのホテルのロビーで移動を待つ。2010年9月16日ByBillBrufordほとんど即座に、ロバート・フリップと私は、私たちの仕事上の関係のほとんどを守るような立場を取った。私は生真面目で、アイディアがありすぎ、熱意がありすぎ、厚かましい男だった。私を倒すには象撃ち銃で何発も撃たなければならなかったが、それでも風が吹いただけだった。おそらくロバートは、バンド内にそのような芸術的回
◾️「クリスのベースは独自の生命を持っていた」2018年4月23日ByBillBrufordクリス・スクワイアの『未知への飛翔』が豪華なボックス・セットとして再リリースされることになり、私の関与に関心が集まっている。いつも信頼できるシド・スミスとのインタビューで、私はクリスが私にとって最初のベーシストだったことを指摘した。私はまだ経験が浅く(それゆえ、経験を積むためにキング・クリムゾンに移籍した)、ベーシストが何ができるのか、何をするのか、何をしたいのか、よく分かっていなかった。
◾️イエスに再加入したわけじゃない。これは新しいグループなんだ。スーパーグループの再生<1989年9月10日サクラメント公演前のインタビュー>ByDavidBarton1989年9月11日TheSacramentoBeeプログレッシヴ・ロックに何が起こったのか?ラップのミニマルなビートとヘヴィメタルのあからさまな原始主義が繁栄しているこの時代に、ムソルグスキーの交響曲を演奏したり、独自の4部構成の「組曲」を作曲したりするロックグループの居場所はないように思える。しかし、
◾️ビル・ブルフォード、イエス再結成への参加を否定ByBobKarlovits1989年8月11日ThePittsburghPress<ブルフォードはロックとジャズバンドの間を飛び回る>ドラマー、ビル・ブルフォードは、パワーのあるロック・バンドで演奏した後に、思索的なジャズ・バンドに移るのはちょっと珍しいことだと知っている。そして、2つの音楽形態が彼に異なる要求を突きつけていることも認めている。しかし、彼はその行動には強い意味があるとすぐに指摘する。「実際問題、どちらのグル
■圧巻の「ザ・シネマ・ショウ」Artist:GenesisTitle:SecondsOutYear:1977ご存知ピーター・ガブリエルなき後のジェネシス1976年ツアー(ビル・ブルフォード/グラスゴー公演)と1977年ツアー(チェスター・トンプソン/パリ公演)を収録したライヴ盤です。自分が聴いた最後のジェネシスのレコードです。(でも80年代のコリンズ&フィリップ・ベイリーの「イージー・ラヴァー」は買いました)この後彼らは脱プログレしてアメリカで大成功していきます。(9012
■ウェットンとブルフォード1978年7月ByRalphDenyer(SoundInternational)ジョン、フェンダーのプレシジョン・ベースを使っていますね?JW:そう、1961年製のホワイト・プレシジョンにロトサウンドの弦を張っている。ディック・ナイトが手に入れてからはクリーム色だけど、ツアーが終わったらまた白に戻るよ。カスタマイズはされていますか?JW:いや、そうでもないんだ。幸運にも17歳くらいのときに見つけて、35ポンドで買ったんだ。その間に他のベースも買ったり買
■ウェットンとブルフォード1978年7月ByRalphDenyer(SoundInternational)次のバンドはキング・クリムゾンで、初めてブルフォードと組んだ。そのクリムゾンのラインナップは好調で、4枚のアルバムをレコーディングした。『太陽と戦慄』、『暗黒の世界』、『USA』、『レッド』だ。クリムゾンのリズム・セクションとしてのウェットンとブルフォードの成功は大きな注目を集め、もし次の試みが成功していれば、面白い音楽が生まれたかもしれない。リズム・セクションが、ビルが以
■ウェットンとブルフォード1978年7月ByRalphDenyer(SoundInternational)ビル・ブルフォードは、60年代半ばのグラハム・ボンド・グループを見聞きしたことが、音楽的な影響を受けた最初の大きな出来事だと考えている。それまでは、ブルフォードは演奏することへのこだわりを感じていなかった。姉からスティックとブラシのセットをもらい、「ブラシの音は、アルバムのスリーブの裏側で弾くといい音がするんだよ」と教えてもらった。「トニー・ウィリアムスのようなサウンドが出せる
■『TheNightWatch』50周年1997年にリリースされたのに、DGMジャパンの記事が「ザ・ナイト・ウォッチ50周年」というので読んでみたら、「収録日の1973年11月23日から50年経った」ということでした。ナルホド。KCメタル期のライヴアルバム『USA』はLP1枚もの、しかもエディ・ジョブソンのヴァイオリンをオーバーダブしたという中途半端なものでしたが、1992年に、ディヴィッド・シングルトンの手入れが施された『TheGreatDeciever』4枚組がようやくリリース
■スティーヴ・ターナー・コレクション先日一度も見たことがないイエスのビデオがユーチューブに突然登場しました。ひとつはビル・ブルフォードがサングラスをかけたまま演奏する「ユアズ・イズ・ノー・ディスグレイス」で、もうひとつは「アイヴ・シーン・オール・グッド・ピープル」です。驚きました。こちらです。いずれもスティーヴ・ハウとトニー・ケイが在籍時の映像ですから、1970年夏から1971年夏にかけて収録されたものだとわかります。しかしTV放送された記録はありません。しかし、いろいろ呼びかけて調
■ビル・ブルフォード・インタビュー「次に何が起こるか積極的に知りたくない人たちと一緒にステージに立つことにますます興味を持つようになった」2023年11月8日ByJohnnySharp(Prog)【一部割愛しています】(2019年のインタビューより)かつて多くの妥協を許さないジャズ・ファンは、ロックのシンプルでみだらで大げさな魅力を、本質的に劣っている、幼稚で白痴的なものだと見下していた。若い10代の頃、ビル・ブルフォードは特に様々な音楽的遺産を持っていた。「家族が使っていた
■ビル・ブルフォードが登場11月7日にロンドンで『ザ・イエス・アルバム・スーパー・デラックス・エディション』のワールド・プレミアが開催されました。以下は参加したHenryPottsのレポートです。「ザ・イエス・アルバムの没入型ワールド・プレミア」『ザ・イエス・アルバム』の新しいスーパー・デラックス・エディションのプロモーションのため、ロンドンのハイゲートにあるL-Acousticsで、ソーシャル・メディアの告知を見た少人数のオーディエンスが参加するイマーシヴ・ミックスのワールド・プレミ
■ブルフォードの言葉より1972年3月ByJohnBangnal(BeatInstrumental)イエスの物語は、このスーパースター時代の誇大宣伝に頼らない偉業の達成記録である。3年前に結成されたグループは、クリス・スクワイア、ビル・ブルフォード、ジョン・アンダーソン、ピーター・バンクス、トニー・ケイで構成されていた。その結果がイエスの『ファースト・アルバム』であり、その後すぐに『時間と言葉』がリリースされた。大ヒット・アルバムではなかったが、意識の高いロックの聴衆に、ここに
◼️サプライズ!2009年にステージから引退したビル・ブルフォードが、日本時間の今朝開催されたジョン・ウェットン追悼コンサートにサプライズ出演して演奏しました。W(`0`)W㊗️ビル復活!・・・とはならないのでしょうね。『ジョン・ウェットン追悼コンサート』■スターが集結するジョン・ウェットン追悼コンサートが8月に開催決定2023年6月23日ByJerryEwing(Prog)リック・ウェイクマン、スティーヴ…ameblo.jp
■ブルフォード・インタヴュー20112011年12月26日ByTimJones(RecordCollector)60年代にはジャズの巨匠たちの演奏を聴いてドラムを学び、イエスのスティックマンとして5枚のアルバムでその名を馳せ、70年代から90年代にかけてはキング・クリムゾンで何度か活動し、ジェネシスのツアー特急には同じブランドXの熱演者、フィル・コリンズとともに乗り込んだ。2009年に引退したビル・ブルフォードは、現在、大学の音楽学部でパーカッシブなもの全般について講義をするのが日
2019年10月29日RollingStone60年代後半から2009年の引退まで、ドラマー、ビル・ブルフォードはスタジアムでプログレッシヴ・ロック、小さなクラブでジャズ、そしてその間にあるあらゆるものを演奏してきた。イエス、キング・クリムゾン、自身のバンド、アースワークスなどでの活動にも触れながら、ブルフォードは最近『RollingStone』誌との対談の中で、自身の膨大なレガシーからお気に入りの瞬間をリストアップし、自身の貢献だけでなく音楽全体にスポットライトを当てたいと話していた
■ザ・ブリードビルとレイ・ベネット(写真中央下)1967年写真の出典:https://billbruford.com/semi-pro-bill/およびhttps://www.facebook.com/billbruford/photos/a.437980382383/10154935580777384/?type=3ビル・ブルフォードが極短期間で追い出されたサヴォイ・ブラウンに加わる前、まだ10代の学生のときに結成したバンドが「ザ・ブリード(TheBreedBluseBan
■ブルフォード「プログレ」を語る。(ビル・ブルフォード・インタビュー2007)2007年8月16日ByKenMicallef(ModernDrummer)プログレッシヴ・ロックは、ロンドンの大学のホールや地元のクラブで生まれたばかりの頃から、スタジアムを埋め尽くす世界的な現象へと進化したが、そのルーツは1960年代のロックとサイケデリアの激動のるつぼにある。ビートルズの画期的な大作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)がリリースされると、ソフト
1971年11月メロディ・メイカードラムに夢中になる前に、よく考えてみて欲しい。それはフルタイムで完全な関与を要求するのだから。音楽を職業にしたいのか、犠牲にしなければならないものを受け入れる覚悟があるのか、確認して欲しい。楽な人生ではない。人生で何をするにしても、簡単なことはないし、音楽、特にドラムの場合は間違いなくそうだ。ドラムキットの色よりも、音楽のことを考えることが大切だ。良いドラマーは、たとえテーブルの上で演奏しても良い音を出すものだ。隣の人が持っているキットを気にする
本日5月17日はビル・ブルフォードの74歳の誕生日です🎂■「ミュージック・ファースト」ビル・ブルフォード・インタビュー1974年4月BeatInstrument誌119号(ビル24歳)新生キング・クリムゾンは、グラムロックのトレンドに代わる唯一の真剣な選択肢を提供するのだろうか。彼らの宣伝文句は、そう思わせる。確かに、ミスター・キング・クリムゾンのロバート・フリップは、バンドが活動するための枠組み、すなわち尊敬、自己鍛錬、礼儀について、それなりに厳格に説明している。フリップ