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精神的な苦痛と肉体的な苦痛があると思う。苦しい人には本当に苦しいだろう。私も例外ではない。しかしながら苦痛についても深い意味は何も無いと考える。太古の昔に、「苦痛の元となる脳への信号」を「避けるべきもの」として認識できる特殊能力を持った生物が現れ、その特性によりその生物や子孫が生き残った、ただそれだけのことだと思う。ショーペンハウアーは、人生は苦しみの方が多いと主張し、最も合理的な立場は子供を地球に生みださないことだと主張する。Wikipediaより「人生は苦しみの方が多い」
Wikipediaによると、カリム・アケルマは、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと――激痛、怪我、病気、死による苦しみ――を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している。とのことだが、それって人それぞれじゃないのか?生まれてから80歳くらいまで何不自由無く暮らして、人生の99.9%を楽しみつくして、その後寝ているときにぽっくり逝く人もいると思うが最良のことは最悪なことを相殺しないのか?(もちろん最良のことというのは99.9%の人生の事だ)自分基準なんだね。自分が感
なるほど、人類が子供を産まなくなると人口過剰、環境汚染が改善するだろう。そして最終的には人類絶滅によって人工物の無い大自然に戻る筈だ。だがそれを感じる知性を持った生物がいなければその大自然は存在しないに等しい。人間が勝手に大自然が素晴らしいと思い込んでいるだけで、動植物は何とも思っておらず餌を食べることと敵から逃れることで頭がいっぱいだろうね。
人類がどんな状況であれば苦しみが無いと言えるのだろうか。適度なストレスは「生きる幸せ」を感じさせるもので必要なものだろう。やはり問題はケガ、病気(メンタル含めて)、そして死ということになるのか。では不老不死で不死身の肉体を手に入れたら苦しみが無いので主義は無意味(主義者が望む世界)になると言えるのか?その世界は退屈で面白くなく、むしろ今よりも不幸に感じる人のほうが多くなるのではないか。つまりは無いものねだり主義ってことか。この主義は子供に退屈でつまらない人
生物が子孫を残すことに意味は無い。子孫を残すという特殊能力を持った生物が淘汰されずに残っているだけ。ヒマワリは太陽の方角を向いて生きようとしているのではない。太陽の方角を向かないヒマワリが枯れていなくなっただけ。ナナフシは木の枝に擬態して生きようとしているのではない。木の枝に擬態しないナナフシが食べられていなくなっただけ。
自分の親に抗議するのはやむを得ない。ただ、人類には抗議しないで欲しい。
反出生主義が言うところの苦しみの最大のものは自分も含めた一人の人間の死や死に関わることでいいのかな?死ぬのが怖いのは死んだらどうなるのかが怖いってことだと思うんだけど、それって出生しなかった世界と同じじゃないの?あと、気が遠くなるような宇宙の時間経過から考えると、一人の人間の生まれてから死ぬまでの期間など瞬き程度だと思うが、その期間を認めたくないということだろうか。
反出生主義がおかしいと思う点を書いていきます。反論を受けた際に考えを改める部分はあるかもしれませんが、反出生主義を支持することは無いと思います。
よくさ、言うじゃん。「選んで生まれて来てくれたんだ」とかさ。そんなわけないじゃん。むしろ、勝手に産んでおいてって感じ。ここまで育ててやったのに、あなたを育てるには相当苦労して来た、とかとか。全部意味不明だし、自分勝手にもほどがある。子供って所詮自分の人生を豊かにするためのおもちゃにすぎないんだよね。子供の立場になって考えることのできない人間がすること。もっと反出生が広まればいいと思う。
例えば統合失調症などの精神障害、身体障害で先天的あるいは学生時代に発症する様な後天的な障害により、まともな人生が歩めず苦しみばかりを感じてきた人間が陥るであろう、苦しみの理由探しの結論として反出生主義に帰結する事は十分に考えられる、陥るべき思想主義だと思う。自分が悪いわけではないのに自分が苦しむことになったのはなぜか?なぜ幸せな人生にならずにこんな苦しみばかりの不幸な無味乾燥で空虚な人生となったか。その苦しみの矛先はどこに向けられるか?親に。生まれた原因を作ったのは親だ。親が産んだか